4月2日の連翹忌にご参加いただいている詩人の宮尾壽里子様から、文芸同人誌第四次『青い花』の最新号をいただきました。ありがたや。

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宮尾様のエッセイ「「第59回 連翹忌」に参加して」が掲載されています。タイトルの通り、今年4月2日、東京日比谷公園の松本楼で開催しました第59回連翹忌のレポートです。

最晩年の光太郎が、終焉の地となった中野のアトリエで、所有者の中西利雄夫人・富江にアトリエの庭に咲く連翹の名を問うて、非常に気に入ったというエピソード、それを知った草野心平が、昭和32年(1957)の第一回連翹忌案内状に「この日を連翹忌となづけ、今後ひきつづいて高村さんの思ひ出を語りあひたいと存じます。」と記したことなど、丁寧にご紹介下さっています。

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ちなみにこちらが第一回連翹忌の芳名帳です。

その他、今年の連翹忌の様子ということで、スピーチを賜った皆さんについて、スピーチやお席でのお話などをご紹介下さっています。

当会顧問・北川太一先生、光太郎の親友・水野葉舟子息の清氏、中野アトリエの中西利一郎氏、お父様の日本画家・大山忠作氏が智恵子と同郷で智恵子をモチーフにした作品も多い女優の一色采子さん、やはりお父様が光太郎本人と交流がありご自身も光太郎が主人公の戯曲をお書きになった女優の渡辺えりさん、連作歌曲「智恵子抄」を作られた作曲家の野村朗氏など。

また、イベントや出版関係で、花巻高村光太郎記念館のリニューアル、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんによる『十和田湖乙女の像のものがたり』、さらには当ブログについてもご紹介いただき、恐縮しております。

これをお読みになった方が、連翹忌に興味を示して下さって、ご参加いただけるようになればと願っております。折にふれ、このブログで書いていますが、連翹忌への参加資格はただ一点、「健全な精神で光太郎智恵子を敬愛すること」のみです(左上「プロフィール」欄に連絡先など書いてあります)。次回は8ヶ月後、第60回の節目に当たります。よろしくお願いいたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 8月13日

大正5年(1916)の今日、雑誌『美術新報』第15巻第10号に、散文「寸言――シヤヷンヌについて――」を発表しました。

「シヤヷンヌ」は、ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ。19世紀末に活躍したフランスの画家です。サロンに代表されるアカデミズムはもちろん、当時隆盛を極めた印象派とも一線を画した独自の画風で知られました。光太郎はその路線に共感を示しています。