競馬関連のネタを2つ。
先週の『日刊スポーツ』さんに以下の記事が載りました。
祭りが生んだ名騎手田辺/福島県二本松市
ちょうちんと芸術センスが、名ジョッキーを生んだ-。変幻自在な騎乗で知られる競馬騎手田辺裕信(31)は福島県の古き城下町、二本松市出身。家族、友人を訪ねていくと、同市独特の歴史と文化に秘密が隠されていた。
田辺と記者は実は二本松一中の同級生だ。中3の秋「田辺が競馬学校に受かった!」と学校中が大騒ぎになったのを今でも覚えている。あれから約16年。現在、全国リーディング9位(5月17日現在)。騎乗依頼もひっきりなしに来ると聞く。トップジョッキーとなった田辺のルーツを探るため、まずは二本松駅近くにある実家のご両親を訪ねた。まず出てきたのは「祭り」の話だった。
父敏勝さん(60) とにかくお祭りが大好きで。太鼓を買ってあげて、小さい頃からたたいていたから半端じゃなく上手なのよ。
祭りとは、江戸時代から約350年続く郷土行事「二本松提灯祭り」のこと。市内7町の太鼓台に約300個のちょうちんが飾られ、秋の夜空を照らす幻想的な祭りだ。「タンタ、タンタ、タンタタン」のリズムを打つ「しゃぎり」というはやしが特徴。各町に代々伝わる無数の祭りばやしも聞き応えがある。毎年10月4、5、6日前後に行われ、外に出た人たちも故郷に帰ってくる一大イベントだ。男の子なら、幼い頃からちょうちんで彩られた太鼓台に乗るのを夢見る。通常、小3から祭りに参加し、太鼓をたたくことができるが、田辺は我慢しきれずその前に、自ら太鼓台を作ってしまったという。
母夏江さん(59) 乳母車を改造して太鼓を乗せて「ミニ太鼓台」をつくるわけ。最初は段ボールにちょうちんの絵を描いて付けていたけど、次は木材でやぐらを作ったり。どんどんグレードアップしていって。
この手作り太鼓台で一緒に遊んでいた小、中の同級生加藤大史さんに聞くと「確かにあいつは学年で(太鼓をたたくのが)一番うまかった。センスがあった」と教えてくれた。中3の秋、競馬学校の1次試験日は祭りの翌日の10月7日だった。誰もが認める「祭り大好き男」は、祭りへの参加をやめ、試験勉強に集中した。「提灯祭り」は二本松の男が、仕事、家庭を犠牲にしても命をかけて守るもの。祭りにかけていたエネルギーをそのまま競馬にぶつけたからこそ、今の成功につながったんじゃないだろうか。
「こんなのも残してあるのよ」と夏江さんが見せてくれたのが小学校の図工の時間に作った「提灯祭り」をモチーフにした箱。箱を開けると、ちょうちんが付いた「スギナリ」が飛び出す仕組みで、太鼓台を細部まで紙と絵で表現してある。小学生が作ったとは思えない高いクオリティーに正直びっくりした。
敏勝さん あいつは、絵も上手で、小学生の時に祭りの絵を描いて、賞を取ったこともあった。海外に出品されて戻ってこないんだけど。見ている人が細かく描いてある、すごい絵だったよ。
田辺の祖父勝利さんは大工だったという。手先の器用さはそこから受け継いだのか。思えば、二本松は芸術の町でもある。明治時代から大正時代にかけ、当時女では珍しい画家を目指し上京した高村智恵子。昭和にかけ日展で活躍した木彫家橋本高昇。現在では日本画家の大山忠作。多くの芸術家を輩出してきた。音楽でも、伝説のパンクロッカー遠藤ミチロウがいる。城下町で坂が多く、絵になる風景がたくさんある。精緻な調度が魅力の二本松箪笥(たんす)を売る家具ストリートもある。
私も芸術の学校に進んだし、二本松市の知り合いには音楽、文筆、写真、デザインと文化系の道を進んでいる人が確かに多い。前に田辺に競馬で心がけていることを聞いた時、「人と同じことしちゃダメ。やっぱり目立たないと」と話していた。後輩の競馬記者柏山自夢にいわせれば田辺は「型にとらわれない騎乗をする『美浦の魔術師』」だそうだ。祭りで培われたリズム感。風土の影響を受けた自由な精神。二本松の土地が知らずと、変幻自在のジョッキーを生んだと納得して故郷を後にした。【高場泉穂】
◆二本松市 福島県中通り地区にある元二本松藩の城下町。05年に安達、岩代、東和町と合併。総面積は344・60平方キロメートル。人口5万7376人。(15年5月1日現在)主な特産は日本酒、和菓子。主な出身有名人に歴史学者の朝河貫一、「智恵子抄」で知られる高村智恵子、ミュージシャンの遠藤ミチロウら。
田辺と記者は実は二本松一中の同級生だ。中3の秋「田辺が競馬学校に受かった!」と学校中が大騒ぎになったのを今でも覚えている。あれから約16年。現在、全国リーディング9位(5月17日現在)。騎乗依頼もひっきりなしに来ると聞く。トップジョッキーとなった田辺のルーツを探るため、まずは二本松駅近くにある実家のご両親を訪ねた。まず出てきたのは「祭り」の話だった。
父敏勝さん(60) とにかくお祭りが大好きで。太鼓を買ってあげて、小さい頃からたたいていたから半端じゃなく上手なのよ。
祭りとは、江戸時代から約350年続く郷土行事「二本松提灯祭り」のこと。市内7町の太鼓台に約300個のちょうちんが飾られ、秋の夜空を照らす幻想的な祭りだ。「タンタ、タンタ、タンタタン」のリズムを打つ「しゃぎり」というはやしが特徴。各町に代々伝わる無数の祭りばやしも聞き応えがある。毎年10月4、5、6日前後に行われ、外に出た人たちも故郷に帰ってくる一大イベントだ。男の子なら、幼い頃からちょうちんで彩られた太鼓台に乗るのを夢見る。通常、小3から祭りに参加し、太鼓をたたくことができるが、田辺は我慢しきれずその前に、自ら太鼓台を作ってしまったという。
母夏江さん(59) 乳母車を改造して太鼓を乗せて「ミニ太鼓台」をつくるわけ。最初は段ボールにちょうちんの絵を描いて付けていたけど、次は木材でやぐらを作ったり。どんどんグレードアップしていって。
この手作り太鼓台で一緒に遊んでいた小、中の同級生加藤大史さんに聞くと「確かにあいつは学年で(太鼓をたたくのが)一番うまかった。センスがあった」と教えてくれた。中3の秋、競馬学校の1次試験日は祭りの翌日の10月7日だった。誰もが認める「祭り大好き男」は、祭りへの参加をやめ、試験勉強に集中した。「提灯祭り」は二本松の男が、仕事、家庭を犠牲にしても命をかけて守るもの。祭りにかけていたエネルギーをそのまま競馬にぶつけたからこそ、今の成功につながったんじゃないだろうか。
「こんなのも残してあるのよ」と夏江さんが見せてくれたのが小学校の図工の時間に作った「提灯祭り」をモチーフにした箱。箱を開けると、ちょうちんが付いた「スギナリ」が飛び出す仕組みで、太鼓台を細部まで紙と絵で表現してある。小学生が作ったとは思えない高いクオリティーに正直びっくりした。
敏勝さん あいつは、絵も上手で、小学生の時に祭りの絵を描いて、賞を取ったこともあった。海外に出品されて戻ってこないんだけど。見ている人が細かく描いてある、すごい絵だったよ。
田辺の祖父勝利さんは大工だったという。手先の器用さはそこから受け継いだのか。思えば、二本松は芸術の町でもある。明治時代から大正時代にかけ、当時女では珍しい画家を目指し上京した高村智恵子。昭和にかけ日展で活躍した木彫家橋本高昇。現在では日本画家の大山忠作。多くの芸術家を輩出してきた。音楽でも、伝説のパンクロッカー遠藤ミチロウがいる。城下町で坂が多く、絵になる風景がたくさんある。精緻な調度が魅力の二本松箪笥(たんす)を売る家具ストリートもある。
私も芸術の学校に進んだし、二本松市の知り合いには音楽、文筆、写真、デザインと文化系の道を進んでいる人が確かに多い。前に田辺に競馬で心がけていることを聞いた時、「人と同じことしちゃダメ。やっぱり目立たないと」と話していた。後輩の競馬記者柏山自夢にいわせれば田辺は「型にとらわれない騎乗をする『美浦の魔術師』」だそうだ。祭りで培われたリズム感。風土の影響を受けた自由な精神。二本松の土地が知らずと、変幻自在のジョッキーを生んだと納得して故郷を後にした。【高場泉穂】
◆二本松市 福島県中通り地区にある元二本松藩の城下町。05年に安達、岩代、東和町と合併。総面積は344・60平方キロメートル。人口5万7376人。(15年5月1日現在)主な特産は日本酒、和菓子。主な出身有名人に歴史学者の朝河貫一、「智恵子抄」で知られる高村智恵子、ミュージシャンの遠藤ミチロウら。

智恵子と同じ二本松出身で、こういう方がご活躍なさっているとは存じませんでした。
競馬界で活躍、と言えば以前にもご紹介した、「智恵子抄」から名を取った競走馬「トゥルースカイ」。今年3月には初勝利を収めました。初勝利の次のレースは7着と振るわなかったのですが、先月あった2回のレース、5月1日の「サンライズ賞」で1着、先週の「稲荷山特別」でも2着と、また好成績でした。

田辺騎手、トゥルースカイ、ともに今後とも、さらに飛躍してほしいものです。

【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月3日
平成11年(1999)の今日、草の根出版会から小松健一著『母と子でみる A8 詩人を旅する』が刊行されました。
著者の小松氏はフォトジャーナリスト。
「自己を罰した奥羽の山小屋」の項で、二本松、そして花巻での光太郎智恵子を紹介しています。
その他、宮沢賢治、石川啄木、萩原朔太郎、与謝野晶子、佐藤春夫、中原中也、北原白秋など、光太郎と縁の深かった詩人達も取り上げられています。