テレビ放映情報です。
日曜美術館「一刀に命を込める 彫刻家・高村光雲」
NHKEテレ 2015年5月31日(日) 9時00分~9時45分 再放送 6月7日 20時00分~20時45分
日本の近代彫刻を切り拓いた高村光雲。高野山金剛峰寺におさめた本尊が80年ぶりに公開されるのを機に、職人としての姿勢を貫きながら新たな芸術を探求した生涯に迫る。
開創1200年を迎えた高野山で、金剛峯寺金堂の本尊が、昭和9年におさめられて以来、初めて開帳された。作者は、幕末から昭和にかけて、日本の近代彫刻を切りひらいた彫刻家・高村光雲。金堂の本尊は、70歳を過ぎ、なみなみならぬ思いで彫り上げたこん身の作。職人であることに誇りを持ちながら、新たな時代の彫刻を探求し続けた、その生涯に迫る。
高村光雲は、11歳で仏師のもとに弟子入りし、ひとりの職人としてその道を歩み始めた。
明治維新の後、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などの影響で、木彫の世界が厳しい状況に追い込まれる中、決して信念を曲げず修行を重ねた。西洋の彫刻を学んだ息子の光太郎は、職人としての姿勢を貫こうとする光雲を強く批判したが、光雲自身も新しい彫刻を模索し、「老猿」など、近代彫刻を代表する傑作を世に送り出した。
そんな光雲が、最晩年「現代第一流ノ人格手腕ヲ具備スル彫刻家」と目され、依頼を受けたのが高野山の秘仏だった。死を意識しながら、何を目指したのか。職人と芸術家、相反する領域をひょうひょうと行き来しながら、木彫一筋に生きた光雲の実像に迫る。
高村光雲は、11歳で仏師のもとに弟子入りし、ひとりの職人としてその道を歩み始めた。
明治維新の後、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などの影響で、木彫の世界が厳しい状況に追い込まれる中、決して信念を曲げず修行を重ねた。西洋の彫刻を学んだ息子の光太郎は、職人としての姿勢を貫こうとする光雲を強く批判したが、光雲自身も新しい彫刻を模索し、「老猿」など、近代彫刻を代表する傑作を世に送り出した。
そんな光雲が、最晩年「現代第一流ノ人格手腕ヲ具備スル彫刻家」と目され、依頼を受けたのが高野山の秘仏だった。死を意識しながら、何を目指したのか。職人と芸術家、相反する領域をひょうひょうと行き来しながら、木彫一筋に生きた光雲の実像に迫る。
出演 アーティスト…須田悦弘
司会 井浦新 伊東敏恵
朗読 石橋蓮司
司会 井浦新 伊東敏恵
朗読 石橋蓮司




高野山開創1200年の特別開帳にからめての内容のようです。

昭和4年(1929)刊行の『光雲懐古談』をはじめ、光雲は詳細な談話筆記を大量に残しています。おそらく石橋蓮司さんの朗読というのは、そのあたりからでしょう。ぴったりの感じがします。
ぜひご覧下さい。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月26日
明治31年(1898)の今日、臨画「布袋図」を描きました。

縦98センチ、横44センチ。驚嘆の出来ですね。
この頃の日本画の講師には川端玉章らがいました。
橋本雅邦は、この年4月に校長・岡倉天心へのバッシング、「美術学校事件」に連座して、図案科の助教授だった横山大観らと共に退職しています。
ちなみに嘱託職員には座学の美学担当で森鷗外がいました。