あちこち出かけてのレポートを書いているうちに、光太郎智恵子の名がちらっと出た新聞記事が何件か、たまってしまいましたので、まとめてご紹介します。
まずは『岩手日報』さんの一面コラム。
風土計 2015.4.22
高村光太郎は「木彫ウソを作った時」と題した随筆に、「あの木彫りのウソは実物のウソよりも、もっとほんとにウソのようだ」と書いた
▼しゃれっ気たっぷりの文章にある「木彫りのウソ」とは、東京・亀戸天神社の鷽替(うそかえ)神事に登場する柳の木で作ったウソ。店先で「ヒューヒュー」と声がするので近づくと、ウソという鳥が「思いきった直立の姿勢」で止まり木にいた
▼その姿に重なったのが鷽替のウソだ。自分でも彫ってみようと1羽を求め、ためつすがめつ眺めては特徴を事細かに記したのが、くだんの随筆。仕上げた作品は毎日懐に入れ持ち歩いた。健康だった智恵子も欲しいとせがんだという
▼県内の今年の桜は記録的な早咲きとなったが、ウソの亜種の冬鳥アカウソに花芽を食われた木々が多いようだ。小社に近い盛岡市内丸の岩手公園もまだら加減だが、おかげで彼らは栄養を蓄え、無事に旅立ったと心を慰めるのも一興だろう
▼鷽替神事は「学問の神様」菅原道真に由来して、ウソは「幸運を招く鳥」。ウソを嘘(うそ)にかけ、木のウソを新しいものと「取り(鳥)替える」ことで旧年のうそを清算、吉を招くとされる
▼花見には少し寂しい風景も、被災からの復興に幸多い未来を約してくれたと思えば違って見えるというもの。食い逃げは、うそでもしないでね。
「あの木彫りのウソ」はこちら。大正14年(1925)の作です。

続いて同じ日の『東京新聞』さんのコラム。
本音のコラム 渦中の人 斎藤美奈子
何事も渦中にいるときは「いま何が起きているのか」がわからないことが多い。「戦時下の日本では異常なことが起きていたのだ」と人々が知ったのは敗戦後だった。
「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」(「道程」一九一四年)や「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ」(「あどけない話」『智恵子抄』一九四一年所収)など、国語の教科書にも載っている詩で知られる高村光太郎は、日本文学報国会詩部会会長を務めるなど、戦時中は熱心な戦争協力詩人だった。
「つひに太平洋で戦ふのだ。/詔勅をきいて身ぶるひした」「身をすてるほか今はない。/陛下をまもらう。/詩をすてて詩を書かう」とは「真珠湾の日」(『暗愚小伝』所収)という詩の一節。これは戦後(一九四七年)に書かれた詩なのでまだ自省的だが、戦意高揚をあおる戦中の詩はそりゃ強烈だった。
光太郎に限らず戦争に協力した文学者は少なくない。彼らは当時「何が起きているのか」がわからなかったのだろう。
ひるがえって現在はどうか。自民党の情報通信戦略調査会がNHKとテレビ朝日の幹部を呼びつけ、事情を聴くという異常な事態。これが報道の自由の侵害、言論統制の一環でなくてなんだろう。このままでは戦中に逆戻り? いやいやいや、私たちすでに渦中にいるのである。
「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」(「道程」一九一四年)や「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ」(「あどけない話」『智恵子抄』一九四一年所収)など、国語の教科書にも載っている詩で知られる高村光太郎は、日本文学報国会詩部会会長を務めるなど、戦時中は熱心な戦争協力詩人だった。
「つひに太平洋で戦ふのだ。/詔勅をきいて身ぶるひした」「身をすてるほか今はない。/陛下をまもらう。/詩をすてて詩を書かう」とは「真珠湾の日」(『暗愚小伝』所収)という詩の一節。これは戦後(一九四七年)に書かれた詩なのでまだ自省的だが、戦意高揚をあおる戦中の詩はそりゃ強烈だった。
光太郎に限らず戦争に協力した文学者は少なくない。彼らは当時「何が起きているのか」がわからなかったのだろう。
ひるがえって現在はどうか。自民党の情報通信戦略調査会がNHKとテレビ朝日の幹部を呼びつけ、事情を聴くという異常な事態。これが報道の自由の侵害、言論統制の一環でなくてなんだろう。このままでは戦中に逆戻り? いやいやいや、私たちすでに渦中にいるのである。
題名の「渦中の人」は、すなわち私たちということですね。決してそうではないことを祈りますが、国会に法案提出されてさえいない事項をアメリカで確約してくる総理が支配している国ですから、何とも言えませんね……。
最後に『福島民友』さん。
安達太良山の自然満喫 ロープウエー運行再開
二本松市奥岳温泉の富士急安達太良観光(稲葉通彦社長)が安達太良山麓で運行する高速ゴンドラ「あだたら山ロープウェイ」は25日、グリーンシーズンの運行を開始した。運行は11月8日まで。初日からツアー客も訪れ、雪が残る安達太良山の自然を満喫した。
これまでの「あだたらエクスプレス」から名称を改めた。麓から山頂駅までを約10分間で結ぶ。地上とは違った雄大な眺望が満喫できるほか、高村光太郎の詩集「智恵子抄」で「ほんとの空」と歌われた青く澄みきった空や、絶景の大パノラマも楽しめる。
東京から訪れた女性は「登山はしなかったが、雪の上で登山家になったつもりで記念撮影した。近くでは桜も見ることができ、二つの世界を楽しめた」と話した。
これまでの「あだたらエクスプレス」から名称を改めた。麓から山頂駅までを約10分間で結ぶ。地上とは違った雄大な眺望が満喫できるほか、高村光太郎の詩集「智恵子抄」で「ほんとの空」と歌われた青く澄みきった空や、絶景の大パノラマも楽しめる。
東京から訪れた女性は「登山はしなかったが、雪の上で登山家になったつもりで記念撮影した。近くでは桜も見ることができ、二つの世界を楽しめた」と話した。
(2015年4月26日 福島民友トピックス)

山開きの記事も付いています。そちらに関しては、後ほど詳しくご紹介します。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月1日
昭和2年(1927)の今日、茨城県大洗で山村暮鳥詩碑の除幕式に参加しました。

画像は当時の『読売新聞』。「水戸市」となっているのは、「磯浜町」の誤りで、現在の大洗町になります。
キャプションに光太郎の名。写真が不鮮明で、どれが光太郎かよくわかりませんが。
光太郎と暮鳥、それほど深い接点はなかったようですが、詩碑の除幕式には参加しています。
以下、暮鳥の歿した大正13年(1924)12月、地方紙「いはらき」に載ったという光太郎の文章。
山村暮鳥さんとは数年前上野池の端の電車の中で初めに会ひ、又それが最後の事になつてしまひました。
あんなに人なつこかつたこの詩人に其後会ふ機会をつくらなかつた事を残念に思つてゐます。常に遠くから親密の情は捧げてゐたくせに。
晩年の彼の詩の深さにはうたれます。
この文章が載った「いはらき」が未見です。したがって、掲載年月日も不明。昭和10年(1935)刊行の『暮鳥研究』第一輯に転載されたということで、筑摩書房『高村光太郎全集』では、そちらを底本としています。
「いはらき」は水戸の茨城県立図書館にマイクロフィルムが所蔵されているのですが、そちらは欠号が多く、この文章は発見できませんでした。
情報をお持ちの方は、こちらまでご教示いただければ幸いです。