昨日に続き、岩手花巻ネタで。

先週末の地方紙『岩手日日』さんの記事です。 

花巻電鉄で地域おこし 志戸平温泉「しどの日」

 志戸平温泉の恒例企画「しどの日」は10日、花巻市湯口の同温泉で開かれた。ステージイベントに加え、1970年代まで市中心部から同温泉などを結んでいた花巻電鉄を紹介する展示会を初開催。出展趣旨に賛同する市民から多くの協力が寄せられており、同社のイベントを中心に、新たな地域おこしが芽生えている。
 同社は毎年4月10日を「しどの日」と名付け、さまざまな会員参加型サービスを展開。5回目となる今年は、同社顧客通信紙の編集スタッフに同電鉄に乗車経験がある委員がいたことから、展示会の企画が持ち上がった。
 これに協力したのが、地元の記録や資料を掘り起こして研究、紹介している「Act21」主宰の菅原唯夫さん(65)=同市南万丁目=。懐かしい「馬面(うまづら)電車」の勇姿を収めた写真のほか、かつて同温泉に設置されていた遊園地の様子を収めた映像、同電車を利用する高村光太郎の姿、同温泉の絵はがきなど多彩な内容が市民の関心を集めている。
 会場には、菅原さん所蔵の物だけでなく、Act21の活動に賛同する市民が菅原さんに託した写真なども並ぶ。「こういった展示会がなかったら捨てていたアルバム。使っていただければうれしい」などと、菅原さんと同社に感謝の手紙が添えられた物もあるという。
 イベントに携わる同社宿泊部の田中弘子次長は「当初は10日だけの展示予定だったが、反響が大きく、19日まで延期することにした。多くの方に見ていただき、思い出を蘇らせてもらえたらうれしい」と、多数の来場に喜びの表情。菅原さんは「イベントをきっかけに一層の協力が得られ、回顧展の開催などにつながれば」と、地域の盛り上がりに期待する。
 来場者は「これに乗って何度も志戸平に来たよ」「高村光太郎も乗ったことがあるんだね」などと懐かしそう。藤原茂男さん(57)は「小さな電車だったけど、憧れていた。街並みに昔の面影が残っている写真が多く、何だかホッとしますね」などと語り、興味深げだった。
 展示会は観覧無料。問い合わせは同社=0198(25)2011=まで。


昭和20年(1945)に空襲で駒込林町のアトリエを失った光太郎は、宮澤家などの誘いで花巻に疎開、終戦後も帰郷せず、7年間、花巻からさらに山奥の太田村に独居自炊の生活を送りました。

光太郎の暮らした山小屋(高村山荘)に近い花巻南温泉峡の一つ、志戸平(しどだいら)温泉でのイベントです。

光太郎は山小屋で暮らしながらも、時折花巻町まで出ることが有りました。年に数回は賢治の主治医だった佐藤隆房邸(太田村に移る前にここにも暮らしていました)に宿泊したり、納税やら金融機関での雑務やらのため日帰りで行ったりしていたのです。その際には山小屋から4㎞ほどの二ツ堰駅まで歩き、そこから花巻電鉄を利用しました。また、二ツ堰から花巻町と逆の花巻南温泉峡方面に行くために、花巻電鉄に乗ることも。

この路線は昭和44年(1969)に廃線となっています。車両は花巻駅近くの西公園に静態保存されています。

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下の画像、中央に立っているのが光太郎です。

この花巻電鉄に関する写真展が、志戸平温泉さんで開催中です。光太郎が写っている写真も展示されています。下の画像で、右の方の大きなパネルに光太郎の顔が見えます。

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同様の写真展は、以前に花巻に行った際、市内のショッピングモールで開催されていました。また、昨日お知らせした花巻高村光太郎記念館の企画展的な展示をするスペース――奥の副室――で、来年の展示にこういった内容をやりたいと、㈶花巻高村光太郎記念会さんの事務局の方がおっしゃっていました。

次の日曜日、19日まで志戸平温泉さんで開催中です。

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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月14日

昭和17年(1942)の今日、光太郎が題字を揮毫した竹内てるよ詩集『灯をかかぐ』が刊行されました。

題字のみ光太郎。装幀、表紙画は画家の古沢岩美です。竹内は戦前から、多くの詩集の題字を光太郎に依頼しています。