昨日は高村光太郎の忌日ということで、日比谷松本楼様におきまして、第59回連翹忌の集いを開催いたしました。

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開会は午後5時半でしたが、当方、その前に、参会者を代表して、駒込染井霊園の高村家墓所に参拝しました。

例年、連翹忌の日は雨です。光太郎が亡くなった昭和31年(1956)の4月2日は前日から季節外れの春の大雪でしたし、その後も雨になる確率が非常に高いのです。昨年も会が終わって外に出るとぽつぽつ雨でしたし、一昨年は春の大嵐でした。しかし、昨日は珍しく快晴。名の由来となった染井、本場のソメイヨシノが見事でした。

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松本楼さんのある日比谷公園も桜が満開、というか少し散り始めており、雨や雪の代わりに桜の花びらが降っていました。「桜吹雪」と云うほどではなく、「桜小雪」の状態でした(笑)。

少し遅れて5時40分、開会。まずは光太郎に、そして、昨年8月に逝去された光太郎の令甥、高村規氏をはじめとする、この一年になくなった関係者の皆さんに、黙祷を捧げました。続いて、当会顧問、北川太一先生のご挨拶、高村規氏令息・高村達氏の御発声による献杯。

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さらに、昨年9月にコンサート もうひとつの智恵子抄」をなさった音楽ユニットPrhymx(ぷらイム)のお二人、テルミン奏者の大西ようこ様(大西様はやはり昨年10月にはotoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』でも演奏なさいました)、ギターの三谷郁夫様による演奏。

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哀愁漂うカッチーニの「アヴェ・マリア」、さらに大西様の演奏に合わせ、三谷様の朗読「Nー女史に」。会に花を添えて下さいました。

その後は会食、歓談しつつ、多くの方にスピーチを戴きました。

今月28日にグランドオープンとなる花巻高村光太郎記念館がらみで、花巻市長・上田様。


過日ご紹介した、光太郎詩「四人の学生」のモデルになった深沢竜一様と、そのお話を聴く際に同道された女優の渡辺えりさん。

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つい最近も福島の地方紙で紹介された、日本画家・大山忠作氏のお嬢さん、女優の一色采子さん。

やはり生前の光太郎を知る、元建設大臣、水野清様。水野様は光太郎の親友・水野葉舟のご子息です。

『歴程』同人の伊武トーマさん

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新宿中村屋サロン美術館の太田様、河野様。太平洋画会の坂本富江様。作曲家の野村朗様。詩人・野沢一の研究者・坂脇秀治様。福島二本松の智恵子のまち夢くらぶの熊谷健一さん。山岳雑誌『岳人』編集部の加藤様。信州安曇野碌山美術館の五十嵐館長。北川先生のご著書を出版されている二玄社さん、さらに文治堂書店さん(代理で曽我様)、元かわうち草野心平記念館長・晒名様。

最後の締めを、「連翹忌」の名の由来となった、光太郎の愛した連翹が咲いていた、その終焉の地・中野のアトリエの所有者の中西利一郎様。中西様には高校生だった光太郎終焉の時の思い出を語っていただきました。

今更ながらに、たくさんの人々に愛され続けている光太郎の遺徳を、しみじみと感じました。

ご参会の皆様、さらに資料袋詰めやら受付やら物販等でお世話になった皆様、ありがとうございました。

来年は第60回連翹忌となります。したがって、光太郎歿後60年のメモリアルイヤーとなります(メモリアルイヤーといえば、智恵子生誕130年でもあり、いろいろな企画が進むことを期待します)。さらに閏年の関係で、来年の連翹忌は土曜日です。このところ、年度初めの平日と云うことで、なかなか参加したくても不可能だった方も、来年はよろしくお願いいたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月3日

昭和37年(1962)の今日、一ツ橋の如水会館で、第6回連翹忌が開催されました。

この年は、4月2日が日曜日。会場の関係で2日に行えず、3日の月曜日に執り行いました。その後も何度かそういうことがありましたが、会場が松本楼様に移ってからは、曜日に関係なく4月2日に挙行しております。