先々週の『東京新聞』さんに、以下の記事、というか連載コラムが掲載されました。時折このブログにご登場願っている坂本富江様から、切り抜きを戴きました。『東京新聞』さんも、毎日、サイトで新着記事をチェックしているのですが、このコラムはweb上にアップされていないようで、存じませんでした。 

手紙 書き方味わい方  卒業祝い 背中をポンと押す 中川越

 「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」(『道程』より)
 春、卒業、入学、入社を迎える人たちに、これほどふさわしい応援の言葉はないだろう。勇気と誇りを持って、美しい未来を切り拓いてほしいものである。
 この有名な詩句を書いたのは、いうまでもなく詩人、彫刻家として名高い、高村光太郎である。
 では、彼は実際に、卒業を迎えた若者に、どのようなエールを送っていたのか。調べてみたところ、次の手紙が見つかった。
 光太郎四十三歳のとき、二十四歳の東京美術学校彫刻科を卒業する学生に宛てた手紙だ。二人は、やはり彫刻家として活躍した双方の父親を介して、親交があった。
 「山本稚彦君 啓、まず卒業を御祝いします」
 いきなり冒頭から祝意を伝え、光太郎らしい清冽(せいれつ)な率直さを示している。
 その後、卒業制作展で山本稚彦の作品を見たこと、そして、「愉快」だったという感想を述べ、次の励ましの言葉をさしはさんだ。
 「何しろ一切これからの事です。これから大変面白いと思います」
 さらに手紙の締めくくりの部分では、このように輝かしい未来を予見した。
 「私はあなたの多幸な前途が約束されている事を信じます」
 もちろん、無責任な観測は相手のためにならない。将来の成功を信じるためには、それなりの根拠が必要だ。しかし、少しでもその可能性があるなら、それを信じて、まだ道の引かれていない世界にこわごわと踏み出そうとしている人たちの背中を、明るくポンと押してあげることが大切だ。
 困難を先取りして、健闘を促すより、きっと効果的に違いない。
 光太郎のこの卒業祝いの手紙のお陰(かげ)だけではないだろうが、山本稚彦青年は、その後、日展の常連となり、日展の特選を三回連続で受賞するなどしてから、日展の審査員、評議員などを務め、日本美術界の重鎮として活躍した。

イメージ 1

筆者の中川越(なかがわ・えつ)氏は「生活手紙文化研究家」だそうです。

取り上げられている手紙は、大正15年(1926)3月26日付で、文中にある通り、のちに彫刻家として有名になる山本稚彦(わかひこ)に宛てた長文のものです。稚彦の父は山本瑞雲。光雲の高弟の一人です。

あらためて手紙の全文を読み返してみましたが、なるほど、若き彫刻家の卵に対する的確なエールに溢れています。中川氏、おそらく紙幅の都合で割愛されたのでしょうが、「美術学校に入学したといふ事は美術に向つて決定的の運命を持つに至つたといふ事にはなりません。学校を如何に卒業したかといふ事がはじめてその方向を決定せしめるやうに思ひます。」という一節には、首肯せざるをえませんでした。

卒業シーズンです。ネット上のいろいろな方のブログや、学校さんのサイト等で、校長先生などが光太郎の作品を引いて、卒業式の式辞をなさったという記述を多く見かけます。ありがたいかぎりです。

人生への応援歌となるような光太郎の作品。それを「青臭い」と言ってしまえば、それまでかも知れません。しかし、それはそれである意味、王道なのだと思います。

光太郎は、敬愛するロマン・ロランをこう評しました。

あまり明白すぎて人にまぶしがられてゐる太陽、あまり確かすぎて人に古臭がられてゐる大空、それを彼は敢然として書く。真理に対する良心の火を彼ほど命にかけて護持する者は偉大である。
(『ロマン・ロラン六十回の誕辰に』 大正15年=1926)

そっくりそのまま、光太郎自身にもあてはまりますね。

私事になりますが、娘が大学を卒業して、家に戻って参りました。話を聞く限りでは、それなりに充実した学生生活だったようで、一安心しております。さすがに実の娘に面と向かって光太郎の言葉を引いてのエールなど、照れくさくて言えませんが、当方の背中を見せることで、娘の背中を押してやりたいと思います。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月20日無題

昭和19年(1944)の今日、龍星閣から詩集『記録』を刊行しました。

序文から。

 「記録」といふ題名は澤田氏(注・龍星閣社主)が撰び、私が同意したものである。むろん全記録の意味ではない。いはば大東亜戦争の進展に即して起つた一箇の人間の抑へがたい感動の記録といふ方がいいかもしれない。もつと内面に属する詩であるため、この集に収録せられないばかりか、まだ一度も発表せられてゐない詩がたくさんある。さういふ生活内面に関する詩は現下の発表機関の絶えて要求しないところであるから、それも当然である。物資労力共に不足の時無理な事は決して為たくない。この詩集とても果して必ず出版せられるかどうかは測りがたい。それほど戦はいま烈しいのである。二年前の大詔奉戴の日を思ひ、今このやうに詩集など編んでゐられることのありがたさを身にしみて感ずる。戦局甚だ重大、あの時の決意を更に強く更に新たにしてただ前進するのみである。

「もつと内面に属する詩であるため、この集に収録せられないばかりか、まだ一度も発表せられてゐない詩」は、翌年の空襲で全て灰になってしまいました。そちらの方を読んでみたかったと思っています。