昨日は六本木に行って参りました。目的地は東京ミッドタウン内のFUJIFILM SQUAREさんにある写真歴史博物館さんです。
 
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以下の展覧会が開催中です。

「土門拳 二つの視点」 第二部「風貌」

開 期  2014年12月2日(火)~ 2015年2月2日(月) 007 (2)
時 間  10:00 ~ 19:00(入館は18:50 まで)
会 場  FUJIFILM SQUARE(フジフイルムスクエア) 写真歴史博物館
      港区赤坂9丁目7番3号東京ミッドタウン・ウェスト
入場料 無料
主  催 富士フイルム株式会社
協  力 土門拳記念館
 
第一部「こどもたち」が10月から開催されていましたが、今週から第二部「風貌」が始まりました。
 
土門撮影の、光太郎を含む26人の肖像写真が展示されています。
 
光太郎以外は以下の通り。
 
志賀直哉 谷崎潤一郎 幸田露伴 島崎藤村 永井荷風
小林秀雄 林芙美子 牧野富太郎 柳田国男 三島由紀夫
山田耕筰 志賀潔 九代目市川海老蔵 初代水谷八重子
十四世千宗室 滝沢修 濱田庄司 イサム・ノグチ 朝倉文夫
安田靫彦 小林古径 上村松園 安井曾太郎 藤田嗣治 
梅原龍三郎
 
これらは昭和28年(1953)にアルスから刊行された土門拳写真集『風貌』に収められた物だと思います。
 
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光太郎の写真は、昭和15年(1940)に駒込林町のアトリエで撮影されたもの。
 
昨年開催された「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展でも出品させていただきましたが、木彫の「鯉」(未完)を制作中の写真です。
 
ほとんど唯一、光太郎が木彫を制作している瞬間を撮影したもので、貴重なショットです。
 
この『風貌』には、光太郎が推薦文を寄せています。
 
 土門拳はぶきみである。土門拳のレンズは人や物を底まであばく。レンズの非情性と、土門拳そのものの激情性とが、実によく同盟して被写体を襲撃する。この無機性の眼と有機性の眼との結合の強さに何だか異常なものを感ずる。土門拳自身よくピントの事を口にするが、土門拳の写真をしてピントが合つているというならば、他の写真家の写真は大方ピントが合つていないとせねばならなくなる。そんな事があり得るだろうか。これはただピントの問題だけではなさそうだ。あの一枚の宇垣一成の大うつしの写真に拮抗し得る宇垣一成論が世の中にあるとはおもえない。あの一枚の野口米次郎の大うつしの写真ほど詩人野口米次郎を結晶露呈せしめているものは此の世になかろう。ひそかに思うに、日本の古代彫刻のような無我の美を真に撮影し得るのは、こういう種類の人がついに到り尽した時にはじめて可能となるであろう。
 
他にも光太郎は、前年の昭和27年(1952)に書いた「夢殿救世観音像」という文章でも、土門を賞賛し、エールを送っています。
 
 土門拳が法隆寺夢殿の救世観音をとると伝へられる。到頭やる気になつたのかと思つた。土門拳は確かに写真の意味を知つてゐる。めちやくちやな多くの写真家とは違ふと思つてゐるが、中々もの凄い野心家で、彼が此の観音像をいつからかひそかにねらつてゐたのを私は知つてゐる。
(略)
 写真レンズは、人間の眼の届かないところをも捉へる。平常は殆と見えない細部などを写真は立派に見せてくれる。それ故、専門の彫刻家などは、細部の写真によつてその彫刻の手法、刀法、メチエール、材質美のやうな隠れた特質を見る事が出来て喜ぶ。土門拳の薬師如来の細部写真の如きは実に凄まじいほどの効果をあげてゐて、その作家の呼吸の緩急をさへ感じさせる。人中、口角の鑿のあと。衣紋の溝のゑぐり。かういふものは、とても現物では見極め難いものである。
 その土門拳が夢殿の救世観音を撮影するときいて、大いに心を動かされた。彼の事だから、従来の文部省版の写真や、工藤式の無神経な低俗写真は作る筈がない。
(略)
 救世観音像も例によつて甚だしい不協和音の強引な和音で出来てゐる。顔面の不思議極まる化け物じみた物凄さ、からみ合つた手のふるへるやうな細かい神経、あれらをどう写すだらう。土門拳よ、栄養を忘れず、精力を蓄へ、万事最上の條件の下に仕事にかかれ。
 
ただし、この撮影が不可能となり、この文章もお蔵入りになってしまいました。
 
このように土門を高く評価していた光太郎ですが、自身が撮影されることは忌避する部分がありました。
 
 写真と言うものは、あまり好きではない。いつか土門拳という人物写真の大家がやってきた。ボクを撮ろうとしたわけだ。自分は逃げまわって、とうとううつさせなかった。カメラを向けられたら最後と、ドンドン逃げた。結局後姿と林なんか撮られた。写真というものは何しろ大きなレンズを鼻の前に持ってくる。この人はたしか宇垣一成を撮ったのが最初だったが、これなどは鼻ばかり大きく撮れて毛穴が不気味に見える。そして耳なんか小さくなっているし、宇垣らしい「ツラ」の皮の厚い写真だった。カメラという一ツ目小僧は実に正確に人間のいやなところばかりつかまえるものだ。
 
昭和27年(1952)の『岩手日報』に載った談話筆記「芸術についての断想」の一部です。これは『風貌』に載った「鯉」制作中の写真のことではなく、昭和26年(1951)の5月に、土門が花巻郊外太田村の山小屋に撮影に来た時のことを言っているようです。笑えますね。
 
さて、写真歴史博物館さんでの展示、来年2月まで開催されています。ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月4日
 
昭和58年(1983)の今日、東京国立近代美術館の工芸館で開催されていた「モダニズムの工芸家たち―金工を中心にして」が閉幕しました。
 
光太郎の実弟にして鋳金の人間国宝だった高村豊周の作品も8点、展示されました。図録の表紙も豊周の作品「挿花のための構成」(大正15年=1926)です。
 
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