本日も新刊紹介です。

月に吠えらんねえ(2)

清家雪子著 2014/10/23 講談社(アフタヌーンKC) 定価740円+税
 
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版元サイトから
□(シカク:詩歌句)街。そこは近代日本ぽくも幻想の、詩人たちが住まう架空の街。実在した詩人の自伝ではなく、萩原朔太郎や北原白秋らの作品から受けた印象をキャラクターとして創作された、詩人たちと近代日本の業と罪と狂気の物語。衝撃的な内容で話題の1巻に続き、近代日本の闇へ踏み込む第2巻登場!
 
帯文から
朔太郎、白秋、犀星らの作品から詩人キャラをクリエイト! 厖大な資料を下敷きに妄想全開、前から後から縦横無尽にやらかした、一線を越えた詩人漫画!
 
 
昨年10月に、講談社さんの『月刊アフタヌーン』で連載が始まり、今年4月に単行本の第1巻が刊行された話題作(先月発行された詩誌『詩と思想』10月号でも大きく紹介されました)の2巻目です。
 
主人公の「朔(萩原朔太郎)」を中心に、「白さん(北原白秋)」「ミヨシくん(三好達治)」「ミッチーくん(立原道造)」「チューヤくん(中原中也)」「犀(室生犀星)」などが紡ぎ出す幻想世界の物語です。
 
第六話「1945」では、第一巻にも出てきた白皙の「コタローくん」と「機動戦士ガンダム」のガンタンクのような「チエコさん」が再登場。突如起こった空襲のために「チエコさん」は大破してしまいます。しかし、この回で、「チエコさん」は「コタローくん」が作ったラジコンだと言うことが判明。実際の「智恵子さん」はもはや死んでいることも。
 
大破して回線がショートた「チエコさん」が、まるで戦時中のラジオのようにエンドレスでつぶやき続けるのは、「コタローくん」の詩。現実の光太郎としては昭和18年(1943)に書いた「戦に徹す」です。
 

いざといふ時気のそろふのは007
日のみ子を上(かみ)にいただくわれらがともの
幾千年来かはる事なき血のしるしだ。
いま米英の大軍を敵として東亜に戦ふ。
かの元寇の国難は物の数ならず、
まさに国つ初めの戦このかた
再び来りて三たびは敢えて来らざらん
八紘(あめのした)を清め祓ふの戦だ。
この戦を戦ふ時、
われらがとも一人(いちにん)と雖も悉く戦ひ、
悉く戦の場に立ち、
悉く戦の心にきはまり、
悉く日常坐臥の生活を戦に捧げざるはない。
国民の眼(まなこ)戦の一点に集まり、
国民の思ひ戦を焦点としてめぐる。
(略)
世界を奪はんとしてのぼせ上るは米英にして、
世界を清めんとするはわれらである。
この戦のいづれに神のみこころありや。
明々白々、われら断じて信ずる。
米英破る。008
世界健康の美かならず成る。
われらの手によつてかならず成る。
 
 
「コタローくん」はバグッた「チエコさん」を叩き壊します。すると、次の瞬間、なぜか海上に浮かんでいる「コタローくん」。やはりバックに彼の詩が。やはり現実の光太郎の作品としては、昭和22年(1947)に書かれた連作詩「暗愚小伝」の構想段階で書かれた「わが詩をよみて人死に就けり」です。
 
爆弾は私の内の前後左右に落ちた。
電線に女の大腿がぶらさがつた。
死はいつでもそこにあつた。
死の恐怖から私自身を救ふために
「必死の時」を必死になつて私は書いた。
その詩を戦地の同胞がよんだ。
人はそれをよんで死に立ち向かつた。
その詩を毎日読みかへすと家郷へ書き送つた
潜行艇の艇長はやがて艇と共に死んだ。
 
やがて「コタローくん」の前に現れる「チエコ」。こちらはラジコンの「チエコさん」ではなく、生身。ただし、もはやこの世の者ではない、幻です。
 
幻の「チエコ」のセリフが、以下の通りです。

ねえコタロー015
私と同じね
狂うしかなかったのね
片田舎でひっそり暮らしていたお姫様が…
突然目覚め
膨張した
身の丈に合わない自我を
小っちゃな無垢な体に抱えきれず
ぱあんと弾けてしまったのね
 
 
ともに「壊れ」てしまった智恵子と光太郎が、よく表現されています。
 
ところで、現実の光太郎はがっしりした体躯なのに、「コタローくん」は、なよっとした青びょうたんのような風貌です。第一巻の段階では、この理由が分かりませんでしたが、どうやら白皙の「コタローくん」は、「死の恐怖から私自身を救ふために/「必死の時」を必死になつて私は書いた。」という戦時中の光太郎の痛々しい自我を象徴しているのではないかと気がつきました。ものすごい伏線ですね。
 
ちなみに「必死の時」という詩は以下の通り。昭和16年(1941)の作品です。画像は詩集『大いなる日に』(昭和17年=1942)から採りました。
 
 必死にあり。
 その時人きよくしてつよく、012
 その時こころ洋洋としてゆたかなのは
 われら民族のならひである。
 
 人は死をいそがねど
 死は前方から迫る。
 死を滅すの道ただ必死あるのみ。
 必死は絶体絶命にして
 そこに生死を絶つ。
 必死は狡知の醜をふみにじつて
 素朴にして当然なる大道をひらく。
 天体は必死の理によって分秒をたがえず、
 窓前の茶の花は葉かげに白く、
 卓上の一枚の桐の葉は黄に枯れて、
 天然の必死のいさぎよさを私に囁く。
 安きを偸むものにまどひあり、
 死を免れんとするものに虚勢あり。013
 一切を必死に委(ゐ)するもの、
 一切を現有に於て見ざるもの、
 一歩は一歩をすてて
 つひに無窮にいたるもの、
 かくの如きもの大なり。
 生れて必死の世にあふはよきかな、
 人その鍛錬によつて死に勝ち、
 人その極限の日常によつてまことに生く。
 未練を捨てよ、
 おもはくを恥ぢよ、
 皮肉と駄々をやめよ。
 そはすべて閑日月なり。
 われら現実の歴史に呼吸するもの、
 今必死のときにあひて、
 生死の区区たる我慾に生きんや。
 心空しきもの満ち、
 思い専らなるもの精緻なり。
 必死の境に美はあまねく、
 烈々として芳しきもの、
 しずもりて光をたたふるもの
 その境にただよふ。
 
 ああ必死にあり。
 その時人きよくしてつよく、
 その時こころ洋々としてゆたかなのは
 われら民族のならひである。
 
この詩について、光太郎自身、「死の恐怖から私自身を救ふために/「必死の時」を必死になつて私は書いた。」と書いているのです。

ちなみに「書いた」は、時期的に考えて「制作した」という意味ではなく「人から頼まれて「書」として揮毫した」という意味だと思われます。実際、そういうことがありました。
 
そうした事情も知らないヘイトスピーチ大好きな幼稚な右翼が、「格調高い名詩」などと絶賛しています。もっと勉強しろよと言いたくなりますね。
 
 
さて、「月に吠えらんねえ」。一巻ともども、ぜひお買い求めを。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月18日
 
昭和27年(1952)の今日、光太郎の実弟で鋳金の人間国宝となった豊周の初めての個展が、日本橋三越で開幕しました。