昨日、10月5日はは光太郎の妻、智恵子の命日で、あまりに有名な「レモン哀歌」の一節にちなみ「レモンの日」ということになっています。
 
智恵子の故郷、福島二本松のラポートあだちでは、地元で智恵子の顕彰を行っている「智恵子の里レモン会」さんの主催で、智恵子を偲ぶ第20回レモン忌が開催されました。
 
レモン忌の開催はこの時期の日曜日ということで、必ずしも10月5日とは限らないのですが、今年はぴったり重なりました。
 
何度も書いていますが、今年は光太郎智恵子結婚披露100周年『道程』100周年。さらにレモン忌も節目の20回。その記念すべき年に、もったいなくも記念講演を仰せつかり、『智恵子、新たなる横顔』と題してお話をさせていただきました。
 
それはさておき、順を追って会の様子をレポートします。
 
午前10時、レモン会副会長で元智恵子記念館副館長の根本豊徳氏により開会宣言。続いて祭壇に飾られた地元の方の手になる智恵子の肖像画に献花と献果。「果」はレモンです。
 
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ちなみに手前に映っている鉢植えはグロキシニア。明治45年(1912)、駒込林町の光太郎アトリエの新築祝いに、智恵子が持参した花です。光太郎にとっては智恵子を象徴する花で、詩作品等にくりかえし謳われています。あまり一般的な花ではなく、花屋さんの店頭に並ぶことが少ないというのですが、たまたま地元の花屋さんにあったそうで、飾られました。まさしく「花を添える」ですね。
 
「献花」「献果」と来て、「献歌」。プログラムには入っていなかったのですが、光太郎詩にオリジナルの曲をつけて歌われているシャンソン歌手のモンデンモモさんがご参会で、レモン会渡辺秀雄会長から「唄ってくれ」とのお願いがあり、急遽、実現しました。曲は「あどけない話」。
 
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さらに「献詩」ということで、参会者全員で「あどけない話」を朗読しました。
 
その後、渡辺会長のごあいさつ、来賓祝辞、来賓紹介、祝電披露。参会者全員での記念撮影と続きました。
 
休憩をはさんで、当方の講演。一般の方が対象ですので、「『智恵子抄』は前期はこうで、後期はこうで、それぞれこのような視点で、このように読まないと、光太郎の真意が正しくくみ取れないのだ」的なこ難しい話ではなく(第一そんな話はできません(笑))、ここ10数年で新たに見つかった智恵子に関する資料の紹介を致しました。
 
二本松では平成2年(1990)に、智恵子の生家を改修し、裏手に智恵子記念館を建設、さらにそれに合わせて『アルバム高村智恵子-その愛と美の軌跡-』という書籍が刊行されました。
 
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執筆は北川太一先生ですが、レモン会の根本豊徳副会長のお骨折りでできたものです。当時知られていた智恵子資料のほとんどが収められており、今でも智恵子に関する資料集としてはこれを凌駕するものはなく、版を重ね、智恵子記念館等で販売されています。
 
当時知られていた智恵子が映っている写真はほとんど掲載されていますし、智恵子が書いた詩や随筆、アンケートなどの智恵子文筆作品はすべて網羅されています。それ以外にも智恵子絵画、光太郎を含め関連する写真などがとにかくふんだんに使われています。
 
ただ、ページ数の関係で、智恵子書簡は全てが掲載されているわけではありませんでした。
 
それを補っているのが筑摩書房刊行の『高村光太郎全集』別巻(平成10年=1998)です。
 
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こちらには、当時知られていた智恵子の書簡66通+参考書簡2通(智恵子の親友・田村俊子の書いた小説に引用されたもの)が全て掲載されています。
 
で、昨日は、『アルバム高村智恵子』の刊行後に見つかった智恵子写真、絵画、『高村光太郎全集』完結後に見つかった智恵子書簡などを、プロジェクタで投影しながらご紹介しました。
 
最近見つかった絵画のうち、明治44年(1911)、雑誌『少女世界』の口絵としてカラー印刷された「お人形」という作品があります。そのページだけ切り取った状態のものを入手したので、智恵子記念館で展示して下さいということで、寄贈して参りました。近々展示されると思います。
 
当方講演の後は、懇親会ということで、会食しつつ、参会の方々のスピーチでした。
 
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花巻からお見えで、光太郎が暮らした山小屋「高村山荘」のある太田地区の振興会長・佐藤定氏、昨年のこの会でご講演なさった坂本富江さん、十和田からお越しの山本隆一氏(乙女の像の関連でお世話になっております)、やはり花巻で、小学生の頃、山小屋時代の光太郎に郵便を届けていた浅沼隆氏などなど。
 
二本松、花巻、十和田、さらに全国のこうした光太郎智恵子ゆかりの地の地域ぐるみの交流も今後の課題ですね。
 
その後、閉会。何やらいろいろな方からお持たせのお菓子等頂いてしまい、感謝、恐縮しながら帰りました。
 
この記事を書いている現在、台風18号が関東に上陸中ですが、昨日はまだ風雨もそれほどでなく、無事に帰って来られました。当方、今日はおとなしくしておりますが、明日からまた十和田です。ちょうど台風の動きを避けることができて、タイムリーでした。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月6日
 
昭和38年(1963)の今日、前月から奈良の大和文華館で開催されていた「高村光太郎展」の関連行事として、光太郎と交流の深かった美術史家・奥平英雄の講演が行われました。
 
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