先週行って参りました我孫子市白樺文学館さんにて、いろいろ手に入れて参りましたのでご紹介します。

雑誌『民藝』 第740号 特集 我孫子と柳宗悦

2014/8/1 日本民芸協会発行 定価787円+税
 
 
現在同館にて開催中の「柳宗悦展-出会いと絆の地、我孫子-」とリンクした特集です。
 
図版も豊富です。
 
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左上は大正期の『白樺』。すべて光太郎が寄000稿している号です。右上はやはり光太郎も手にとった、ロダンから白樺派に贈られたブロンズ3点のうちの一つ、「ある小さき影」。下は光太郎の朋友バーナード・リーチや柳宗悦関連の古写真です。
 
 
ロダン「鼻のつぶれた男」ポストカード
 
昨日もこの画像を載せましたが、ポストカードになっています。
 
上記の「ある小さき影」とは違い、白樺派に贈られたものではありませんが、ロダンのブロンズ彫刻の中では有名なものの一つです。光太郎も評論などの中で、繰り返しこの彫刻に触れています。
 
 
 
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公式サイトより)
 
■白樺派のカレーとは?
大正デモクラシーの頃、白樺派の文人達が手賀沼沿いに居を構え、活発な創作活動をしていたころの話です。当時としては先進的な食文化の象徴であったカレーが我孫子で作られました。
誰もがご存知の白樺派の文人達がこのカレーを食べていたのです。

■  柳兼子さんが白樺派の文人たちに振舞ったカレーを再現!
白樺派の中心人物の一人である柳宗悦氏、その夫人の兼子さんが、陶芸家バーナードリーチの助言をうけて、おいしいカレーを作りました。
隠し味に味噌を使ったのでした。
食の研究家が当時の文献を丹念に調べ、長い歳月をかけて白樺派のカレーを再現しました。兼子さんはアルト歌手としても国内外で有名な方でした。
 
ちなみに柳兼子は、戦時中に光太郎作詞、飯田信夫作曲の「歩くうた」をラジオ放送で歌ったりもしています。
 
チキン、ポーク、ビーフの3種類のレトルトが販売されています。当方、ポークを買って参りました。もったいなくてまだ食べていません。
 
 
それから、こちらは今回入手したものではなく、以前に買ったものですが、やはり白樺文学館で販売していたのでご紹介しておきます。

『白樺派の文人たちと手賀沼 その発端から終焉まで』 

 2011/10/11 崙書房出版 山本鉱太郎著 定価1,300円+税
 
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版元サイトから)
 
東京から30キロ、自然豊かな手賀沼。大正時代初め、沼を一望する高台に若き日の柳宗悦、武者小路実篤、志賀直哉、バーナード・リーチら白樺派の文人たちが集った。そしてここから彼らはそれぞれの活動へと旅立つ。白樺派の我孫子時代からその終焉までを見届ける。「ふるさと文庫」200号作品。
 
それだけでなく、第一章が「リーチと高村光太郎の出会い」、第二章に「日本の頭脳上野の森に」、第三章で「「白樺」創刊のころ」となっており、ここまでで光太郎がたくさん登場します。この後の四章以降が我孫子の話になっていきます。
 
著者山本鉱太郎氏は、作曲家・仙道作三氏と組んで、平成3年(1991)に「オペラ智恵子抄」を作られました。そのあたりの話や、十和田湖畔の裸婦群像にも触れています。
 
以上もろもろ、ぜひお買い求め下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月13日
 
明治36年(1903)の今日、歌舞伎俳優九代目市川團十郎が歿しました。
 
光太郎は団十郎のファンで、残念ながらどちらも現存が確認できませんが、2度、団十郎像を彫刻で作りました。くわしくはこちら