昨日の第23回女川光太郎祭をつつがなく終え、先程、2泊3日の行程を終え、千葉の自宅兼事務所に帰り着きました。3日間を振り返ってみます。
 
2泊とも、女川町内のEL FARO(エル ファロ)さんに宿を取っていただきました。こちらは一昨年の暮れにオープンした宿泊施設です。50棟ほどのコテージハウスのようなものが並んでいますが、すべて、トレーラーハウスです。
 
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50棟ほどのすべてに車輪と連結のための部品がついており、そのままトレーラーで牽引できるのです。建築物ではないので、基礎を打つ必要もなく、状況によっては移動可能という、画期的なものです。
 
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内部はごく普通のホテルのようです。もちろん、電気も水道も通じています。ユニットバスも各戸についています。
 
一昨日の夜にこちらに着き、翌朝、散歩を兼ねて女川港まで約1.5㌔の道を歩きました。
 
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東日本大震災による大津波で倒壊した光太郎文学碑、女川交番などはまだそのままでした。しかし、確実に復興への槌音が響いていました。
 
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資材置き場に咲く向日葵。なぜか涙が出そうになりました。
 
女川光太郎の会の方に迎えに来ていただき、光太郎祭会場の「きぼうのかね商店街」へ。
 
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今年は商店街の一角に、テントを張って会場を設営しました。
 
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午後2時、震災で犠牲になられた方々への黙祷から始まり、前座として当方の記念講演。この頃から大粒の雨が降り始めました。
 
女川光太郎の会会長須田勘太郎さん、女川町長・須田善明氏のごあいさつ、ギタリスト・宮川菊佳さんの伴奏による、地元の方々の朗読、さらに和太鼓演奏。
 
 
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そして北川太一先生のお話。特にテーマは決めず、「講演」というほど大げさにではなくおしゃべりしたい、とおっしゃったそうで、短いお話でしたが、参会の皆さんは、口々に「一言一言が心に染みた」と感想を述べられていました。当方も同感でした。
 
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朗読をしてくれた皆さんに、北川先生からサイン入りご著書のプレゼント。
 
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女川光太郎の会の中心として活動なさっていて、震災の津波に呑まれた故・貝(佐々木)廣さん夫人、英子さんのごあいさつ。
 
オペラ歌手・本宮寛子さんのアトラクション演奏。
 
以上、こじんまりと行われたイベントですが、それぞれの方が、それぞれの思いを込めて、作り上げたイベントです。
 
地元の方々はもちろん、各地から、故・貝(佐々木)廣さんと親しかった皆さん、東京から北川先生の教え子の北斗会の皆さん、花巻高村光太郎記念会から事務局の高橋さんと、いろいろな方がお集まり下さいました。
 
今後とも、こじんまりとではあるかと思いますが、続く限り続けていってほしいと思います。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月10日
 
昭和47年(1972)の今日、中央公論美術出版から光太郎著『日本美の源泉』が刊行されました。
 
もともと『婦人公論』に昭和17年(1942)に連載されたものですが、当時の編集者がその草稿を処分するに忍びず、保存しておいたものを、そのまま複製し、和綴じにしたものです。
 
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