7/19(土)・20(日)と、青森は十和田方面に出かけて参りました。そのレポート2回目です。
 
7/20(日)早朝、宿泊先の十和田湖山荘さんで目を覚ましました。さっそく24時間入浴可能の温泉に入って、頭をシャッキリさせ、朝食前に、湖畔の通称「乙女の像」まで歩きました。
 
2月に「十和田湖冬物語」で訪れた時も、それから前日の19日も、夕刻を過ぎてからライトアップされた「乙女の像」を見たのですが、朝の自然光の中で観ておきたいと思った次第です。
 
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曇り空でしたが、雨は降っておらず、空気が清涼でした。歩くこと30分程で、「乙女の像」に到着。
 
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久しぶりに細部や、かたわらに建てられた光太郎詩「十和田湖畔の裸像に与う」を刻んだ碑などもじっくり観て参りました。
 
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この像がここに建てられて、昨年で60周年でしたが、まったく古びたところが感じられません。像自体、何度か補修されているのですが、そういう意味ではなく、造型としてのこの像のもつ力といいますか、何といいますか……。
 
光太郎を敬愛していた彫刻家の高田博厚の、「やたらにある日本の銅像の中で、これだけ『品格』の高いものがあるか?」「あらゆる文学的感傷を除外して、この像は『自然』の中に調和していて、自然を裏切らない。このことは技術のせいでも、知恵のせいでもない。高村光太郎の『人格』が出ているからである。」という評が、まさしくその通りと思われます。
 
さて、その後、最近、パワースポットとして人気の高い十和田神社に。創建は平安時代初めという、由緒ある神社です。装飾彫刻などもみごとでした。
 
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この地の平安を祈願して参りました。
 
宿に帰る途中、秋田県側の小坂町に入ったところにある「十和田湖開発の碑」、青森県側に戻って石川啄木の歌碑などを見ました。
 
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盛岡中学生だった啄木も、明治34年(1901)頃、十和田湖を訪れているようです。
 
 夕雲に 丹摺はあせぬ 湖ちかき 草舎くさはら 人しつかなり
 
という歌が刻まれています。
 
 
その他、あちこちの標識やら柵やらに、「乙女の像」があしらわれていて、嬉しくなりました。
 
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宿に戻り、朝食を取り、チェックアウト。青森駅行きのJRバスに乗り込みました。バスはほぼ満員で、途中、前日も訪れた奥入瀬渓流や蔦温泉では、乗降する人が多く、いい傾向だと思いました。たくさんの人に、このあたりを訪れていただきたいものです。
 
バスはさらに、やはり昭和27年(1952)6月に光太郎が訪れた酸ヶ湯温泉や、八甲田山を経て、青森駅に着きました。
 
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青森駅からタクシーで青森県立図書館へ。関東の図書館、文学館等ではおめにかかれない資料を探して参りました。
 
長くなりましたので、そのあたりは次回に。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月21日
 
明治39年(1906)の今日、智恵子が、親友の大熊ヤスと共に、富士山に登りました。
 
智恵子は数え21歳。日本女子大学校在学中です。大熊の実家は静岡の沼津です。のちに病気がちになる智恵子ですが、若い頃はテニスや乗馬、自転車にスキー、水泳など、運動好きでした。