昨日、草野心平が愛した「天山祭り」参加のため、福島第一原発にほど近い、双葉郡川内村に行って参りました。
 
2回に分けて、レポートいたします。
 
昨日朝、愛車を駆って自宅を出、圏央道、常磐道と進みました。昨年は、原発事故の影響で、常磐道の広野IC~常磐富岡IC間の通行止めが続いていましたが、今年初めにそれも解除されており、終点の常磐富岡ICまで行きました。
 
その意味では、復興も一歩前進です。
 
しかし、常磐富岡IC周辺、行政区分で言うと富岡町は、あまりいい状況ではありませんでした。
 
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もとは田んぼだったと思える場所は、野原と化していました。除染で出たであろう廃棄物も、道ばたに無造作に積んであります。
 
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無人の家屋がつらなり、庭先には、雑草が伸び放題。使用禁止の郵便ポスト。
 
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一山こえて、川内村に入ってから、ようやく人々の営みが見えてきた、という感じでした。それでも、まだまだ被災中だというのがよく判ります。
 
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それでも、がんばろう、という村民の意気込みが伝わってきます。
 
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以前、当方も泊まった仮設のビジネスホテル。
 
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田んぼアートです。「天山 心平」の文字が。天山祭り会場の天山文庫のすぐ近くです。
 
天山祭り、今年で49回目だそうで、生前の草野心平が愛した祭りです。下記は昭和41年(1966)の第1回天山祭りで、村人と共に踊る心平です。
 
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無論、49回目の今回も、心平を偲ぶという趣旨もありますが、やはり震災の被害、原発事故からの復興という意味合いも強く込められていました。
 
さて、会場は、天山文庫。もともとは、昭和41年(1966)、心平が川内村に、蔵書を寄贈するにあたって作られた建物です。
 
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そちらの前庭が、天山祭り会場です。昨年は雨のため、村内の別の施設で行われました。当方、天山文庫で開催される天山祭りは初めてでした。
 
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午前11時30分開会。主催者あいさつは、元003教育長の石井芳信氏。連翹忌にもご参加いただいたことがあります。
 
さらに、遠藤村長。「元の川内に村に戻ることはないだろうが、それでも前に進もう」と、力強くお話しなさいました。
 
この春まで、川内草野心平記念館長を務められた晒名昇氏への感謝状の贈呈に続き、心平の肉声録音による詩の朗読が流れ、その後に心平が創刊した雑誌『歴程』同人の皆さんによる、心平詩の朗読が行われました。
 
復興支援ソング「ときよめぐれ(までいのロンド)」を作詞された伊武トーマ氏も朗読なさいました。やはり心平のスピリットを受け継ぐ方ですので、ひと味違う朗読でした。
 
さらに、川内小学校の5、6年生による朗読。
 
地域の宝として、次の世代にもしっかりと受け継がれているようです。このまま続けていってほしいものです。
 
しかし、「5、6年生」といいながら、6人しかいなかったのですが、これで全部なのか、選抜チームなのか……ちょっと不安でした。
 
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そして、心平も愛した郷土芸能の披露。アトラクションでは、地元の皆さんの歌、などなど。
 
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村内外、多くの人々、テレビ報道のクルーも入り、大いに盛り上がりました。みなさん、ひととき、「被災」という特殊な状況下にあることを忘れたのではないかと思います。
 
遠藤村長の話に戻りますが、「変えていかなければならないこと」と「頑固に変えてはいけないもの」がある、とお話しされていました。村の仕組みや今後の被災対策等々が「変えていかなければならないこと」、「頑固に変えてはいけないもの」が、この天山祭り。そのとおりですね。
 
その後、当方は、天山文庫、さらにすぐ近くの阿武隈民芸館を見学、夕方から「かえる忌」会場ともなっている小松屋旅館さんでの「二次会」に参加しました。
 
そのあたりは、明日、レポートいたします。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月13日
 
大正6年(1917)の今日、日本女子大学校桜楓会の機関誌『家庭週報』第424号に、智恵子のアンケート「海か山かに――今年の夏の計画――」が掲載されました。
 
 先年一度(ひとたび)参りました信州上高地へ参るかもしれません。其の他(た)はまだ確(しか)ときめて居りませんので、申上かねますが、何れ海か山かで夏を過してしまふことかと思ひます。