北海道文学の研究者、盛厚三氏から北方文学研究会発行の同人誌『北方人』第19号を戴きました。ありがたいことです。
 
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光太郎は、その度に頓挫しましたが、何度か北海道移住を企てており、北海道在住だった詩人等との交流もいろいろとありました。今号に掲載されている盛氏の「評論/釧路湿原文学史(2)」にも、そうした詩人のうち、更級源蔵、猪狩満直といったあたりが紹介されており、興味深く拝読しました。
 
また、以前のブログでご著書『序文検索―古書目録にみた序文家たち』をご紹介させていただいた、かわじもとたか氏も「書誌/個人名のついた雑誌―日本人編(3)」を寄稿されています。
 
当方、やはり北海道出身(と思われる)詩人・編集者の八森虎太郎にあてた光太郎書簡(ハガキ)を2通持っています。一通は昭和24年(1949)9月のもので、以前のブログでご紹介しました。
 
もう一通がこちら。昭和23年(1948)5月のものです。
 
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「落下傘」をいただき、又池田克己氏詩集をもいただき、何とも恐縮に存じました、 大変立派に出来てゐるので気持ちよく思ひました、 池田さんからは「法隆寺土塀」をもいただき、 この処詩の大饗宴です。
厚く御礼申上げます。
 
『落下傘』は金子光晴の詩集です。『池田克己詩集』『法隆寺土塀』とも、札幌にあった日本未来派発行所から上梓されたもの。こちらは雑誌『日本未来派』を発行しており、光太郎も寄稿しています。昭和23年(1948)7月刊行の第13号。「十年前のあなたは 十年後のあなたは」というアンケートへの回答です。
 
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ただし光太郎が答えているのは「十年前のあなたは」の項のみ。この時点では、健康に不安を抱え、十年後にはもうこの世にいないだろう、などと考えていたのでしょうか。実際、8年後に亡くなっています。
 
昭和23年(1948)の十年前は同13年(1938)、智恵子がこの年10月に亡くなりました。 
 
ちなみに上記ハガキに出てきた三冊、すべてこの号の裏表紙に広告が出ています。
 
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更級源蔵や猪狩満直、そしてこの『日本未来派』の面々、さらにマイナーな北海道詩人(島田正など)との交流、内地出身ながら北海道と縁のあった詩人(猪狩もそうですが、他に宮崎丈二など)との交流もあり、そのあたり、もっと掘り下げなければ、と思っているところです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月28日000

平成19年(2007)の今日、NHK教育テレビ(現・Eテレ)の「知るを楽しむこの人この世界 ほとけさまが教えてくれた 仏像の技と心」第8回「「西郷さん」で会いましょう~童子のこころで」で、光雲作西郷隆盛像が取り上げられました。
 
ナビゲーターは彫刻家の藪内佐斗司氏。飛鳥時代の広隆寺弥勒菩薩像、天平期の興福寺阿修羅像、さらに定朝、運慶、快慶と、仏像彫刻の流れを追う番組でした。

その最終回で光雲作西郷像。渋谷のハチ公同様、ランドマークとして待ち合わせの場所に使われたことから、「「西郷さん」で会いましょう」というサブタイトルになっています。
 
日本放送出版協会からテキストも発行されました。