昨年の今日、このブログの【今日は何の日・光太郎】では、昭和31年(1956)に光太郎が歿したことを書きました。というわけで、今日は光太郎の命日です。光太郎の故郷、東京では日比谷松本楼様で「第58回連翹忌」、戦中戦後の足かけ8年を過ごした岩手・花巻の松庵寺様でも、花巻としての連翹忌の集いが開催されます。
 
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全国の光太郎ファンの皆様、特に今日は、光太郎に思いを馳せていただきたく存じます。
 
日比谷松本楼様での第58回連翹忌については、明日以降、詳しくレポートいたします。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月2日
昭和32年(1957)の今日、光太郎終焉の地、中野の貸しアトリエで第1回連翹忌が開催されました。
 
「連翹忌」の名付け親は、光太郎と親しかった000佐藤春夫、草野心平といった顔ぶれと思われます。昭和31年7月に脱稿した佐藤春夫の『小説高村光太郎像』は、次の一節で終わります。
 
 智恵子のものをもしレモン忌と呼ぶならば光太郎のそれは連翹忌といふべきでもあらうか。二つとも共通にあざやかにすがすがしい黄色なのも一奇である。
 思ふにかの仙女とこの詩人とは、今ころ素中にあつて固く相抱いてゐるであらう。わたくしはこの間、彼等がしばらく同類としてそこに住んでゐた工房の墟を訪れてみたが、そこには壮年の頃の面顔を持つて晩年の口調で語る光太郎を見ただけで智恵子は終に見られなかつた。
 おそらく九十九里の朝あけか、安達原二本松の梢、阿多多羅山や阿武隈川のほとり、往年、光太郎が智恵子の生家を智恵子と並んで見たあたり遠い世の松風の薄みどりに「吹かれ漂ふ夕雲の色がレモンにも連翹にも似たものを見出したならばそれが相抱く素中の光太郎智恵子なのであらう。それとも上高地徳本峠の山ふところの桂の木の霜葉の荘厳なもののそよぎのなかにかくれてゐるのでもあらうか。
 
その佐藤も列席して、光太郎が息を引き取った中野のアトリエで、第1回の連翹忌が開催されました。
 
出席者は以下の通り。
 
高村豊周 高村喜美枝 高村規 高村珊子 高村武次 高村美津枝 宮崎春子 宮崎丈二 竹間吾勝 奥平英雄 岡本圭三 小坂圭二 細田藤明 桑原住雄 伊東信吉 佐藤春夫 草野心平 今泉篤男 関覚二郎 大気寿郎 土井一正 井上達三 海老沢利彦 庫田叕 本郷新 尾崎喜八 尾崎実子 難波田龍起 吉田千代 松下英麿 谷口吉郎 長谷川亮輔 椛澤佳乃子 菊池一雄 黛節子 松方三郎 伊東忠雄 中原綾子 土方定一 知念栄喜  小林梅 北川太一 藤島宇内 中西富江 川口師孝 大柴正彦 沼本効子
 
この中で、58回連翹忌に参加されるのは、光太郎の令甥・高村規氏と、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生のお二人だけです。おそらく他の方々はほとんど鬼籍に入られていると思われます。ただ、その方々の縁者の皆さんのご参加もあり、そういう意味では第1回の連翹忌の魂は連綿と受け継がれています。
 
さて、第58回連翹忌、つつがなく、そして盛会の中に執り行えることを念じつつ……。