十和田レポートの最終回です。
 
2/9(日)、蔦温泉をあとにし、最後の目的地である奥入瀬渓流館さんへ向かいました。
 
同館は、(財)十和田湖ふるさと活性化公社さんによる運営で、十和田湖や奥入瀬渓流のジオラマや年表、マップなどによる名所の紹介、スキーや電動アシスト付き自転車のレンタルなどを行っています。
 
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一番の目的は、大町桂月を紹介するコーナー。ここに光太郎作の彫刻「大町桂月メダル」が展示されています。
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昭和28年(1953)10月21日、「十和田湖畔の001裸婦像」(通称「乙女の像」)除幕式に際し、関係者に配布されたものです。直径は約12㌢。おそらく当時のものと思われるケースも付いています。
 
150個鋳造されましたが、大半は行方不明となっており、十和田・奥入瀬渓流認定ガイドの山一さん曰く、地元では4個ぐらいしか所在が確認できていないとのこと。
 
昨年、全国3館で巡回開催された「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」では、高村家に保存されている石膏原型が並びましたし、以前に開催された同様の企画展でも、やはり石膏原型が展示されています。当方、鋳造されたものはおそらく初めて見ました。
 
昭和28年(1953)の光太郎日記には、8月にこのメダルの制作を始め、9月には完成したこと、アトリエを訪れた桂月の子息が「亡父によく似ている」と語ったことなどが記されています。

ちなみに当方、青森市の青森県近代文学館さんに所蔵されていることは知っていました。

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この後に取りかかった「倉田雲平胸像」は未完のまま絶作となったため、完成した彫刻としては、このメダルが光太郎最後の彫刻作品です。そう思ってみると、改めて感慨深いものがありました。
 
ただ、光太郎作であるなどのキャプションが特についておらず、「そういう説明があった方がいいですね」と申し上げたところ、当方が書くことになり、早速昨日、メールにて送信しました。そのうちに添えられると思います。
 
その後、館内を見学。
 
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元プロレスラーという、起田高志さんがインストラクターを務めるコケ玉作り体験コーナー。親子連れがチャレンジしていました。起田さんは、昨年、それからつい最近も再放送でオンエアされたNHKBSのテレビ番組「発見!体感!川紀行」で紹介されていました。
 
また、奥入瀬渓流は非常に珍しいコケが群生しているとのことで、最近は「苔ガール」なる女性がたくさん出没しているそうです。
 
さらに館内で土産物を購入。
 
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土産物といえば、前夜、十和田湖冬物語の会場ではこんなものも買いました。
 
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十和田湖限定・乙女の像のご当地キティちゃんストラップです。
 
その後、山一さんの運転する車で七戸十和田駅へ。名残を惜しみつつ帰途に就きました。今回も非常に有意義な旅でした。お世話になりました山一さん、山田さん、吉崎さん、木村さん、小笠原さん、起田さん、山本さん、ありがとうございました。
 
ただ、豪雪のため行けなかった所もあり、また、他の季節の様相もじっくり見てみたいと思っています。また、十和田市としての事業のお手伝いもすることになりそうですので、また近々お邪魔することになりそうです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月13日

昭和28年(1953)の今日、各地に預けていた智恵子の紙絵のほとんどが、光太郎のもとに戻りました。
 
戦時中、空襲による被害を想定し、光太郎は智恵子遺作の紙絵千点余を、知人を頼って山形、花巻、茨城取手の三箇所に分けて疎開させました。中央公論社画廊で開かれた紙絵展に合わせ、各所に寄贈された若干の作品を除き、それらが再び光太郎のもとにもどったというわけです。