昨日も自宅でテレビ三昧でした。
 
16:00からBS朝日さん放映の「惜櫟荘ものがたり」。岩波書店創業者の岩波茂雄が、昭和16年、熱海に建てた別荘「惜櫟荘」の解体修復を追ったドキュメントでした。
 
番組公式サイトで光太郎もここを訪れ、滞在したことがある由、記述がありました。ところが『高村光太郎全集』や、その他当方所有の文献にはおそらく「惜櫟荘」に関する記述がありません。
 
しかし番組内で、しっかり「惜櫟荘」で撮られた光太郎の写真や、岩波書店本社に保管されているという「惜櫟荘」訪問者の芳名帳に残る光太郎の名が映されました。
 
気になったのでさらに調べたところ、「惜櫟荘」現在の所有者である時代作家・佐伯泰英氏のエッセイ集『惜櫟荘だより』(当然のように岩波書店刊行)が出版されており、早速注文しました。

 


 
19:00からはNHKBSプレミアムさん放映の「皇室の宝 第2夜 世界が認めたジャパン・パワー」。
 
現在、京都国立近代美術館にて開催中で、光雲の作品も複数出品されている「皇室の名品-近代日本美術の粋」展に関わる番組で、今回は彫金の海野勝珉、日本画の竹内栖鳳をメインに取り上げていました。番組終わり近くになって、光雲の 「猿置物」(大正12年=1923)が映りました。
 


 
このあとも、光太郎がらみの番組がいくつか放映されます。

にほんごであそぼ

NHKEテレ 2014/01/08(水)8:40~8:50、17:15~17:25
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親を対象に制作。番組を通して、日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけてもらうことをねらいとしている。今回は、僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、ひこうきさんようしゅんしゅん旬~冬~/ゆきおとこ、うた/スキー、道程。
出演者 小錦八十吉,神田山陽,おおたか静流 ほか
 
おそらく坂本龍一さん作曲の「道程」がオンエアされると思います。この番組では昨年末にも「道程」や「冬が来た」を扱って下さいましたが、おそらくまた新作だと思います。

<ドラマ名作選>『浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件』

BSフジ・181 2014/01/09(木)12:00~13:55
 
福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる!!
 
出演者 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子ほか
 
もともとは平成18年2月24日に金曜プレステージの枠で放映された2時間ドラマの再放送です。BSフジさんで、たびたび再放送しています。今はもう使われていない、花巻の古い高村記念館でロケが行われました。

木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌~スペシャル

テレビ東京 2014/01/09(木)19:58~21:48 004
 
新春最初の放送は2時間スペシャル。「モクハチ歌う新年会」ではゲストが好きな歌を続々披露。名曲の数々をたっぷりとお楽しみください。
 
ゲスト 大月みやこ、梶光夫、金沢明子、小金沢昇司、伍代夏子、ささきいさお、城之内早苗、城みちる、千昌夫、高田美和、田川寿美、新沼謙治、二代目コロムビア・ローズ、氷川きよし、藤あや子、水森かおり、宮路オサム、森進一、吉幾三、ロス・インディオス(50音順)  司会 宮本隆治、松丸友紀(テレビ東京アナウンサー)
 
曲目 「きよしのソーラン節」氷川きよし 「北国の春」千昌夫 「伊勢めぐり」水森かおり 「襟裳岬」森進一 「大東京音頭」金沢明子 「女人高野」田川寿美 「津軽恋女」新沼謙治 「イルカにのった少年」城みちる 「鳴門海峡」伍代夏子 「なみだの操」宮路オサム <モクハチ新年会> 「ペッパー警部」「夜霧よ今夜も有難う」「曼珠沙華」「Dream」「別れても好きな人」「時の流れに身をまかせ」「嫁に来ないか」「わが愛を星に祈りて」「おひまなら来てね」「宇宙戦艦ヤマト」「夢の中へ」「智恵子抄」「リンゴの村から」 「ひとひらの雪」小金沢昇司 「乱れ花」大月みやこ 「満天の瞳」氷川きよし 「海峡しぐれ」藤あや子 「酒よ」吉幾三 「富士山」森進一
 
二代目コロムビア・ローズさん、アメリカ在住ですが、時折帰国して演歌番組等にご出演なさっています。曲目は「智恵子抄」。昭和39年(1964)、ちょうど50年前のヒット曲です。

10min.ボックス(現代文)「道程(高村光太郎)」

NHKEテレ 2014/01/10(金) 午前1:40~1:50

『道程』は、1914年、大正時代に書かれた詩です。それまでの詩とは違い、ふだん話している言葉、口語体で書かれていました。若者が持つ将来への不安と、前向きな決意が感じられることから、多くの人々に親しまれてきました。この詩の作者は高村光太郎。詩人として、また彫刻家として、明治末から昭和にかけて活躍しました。
 
こちらも何度も放映されています。ネットで見ることもできてしまいます。

 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月3日

昭和21年(1946)の今日、雑誌『ポラーノの広場』臨時発行新年号に、「消息二」が掲載されました。
 
 何もかも生れてはじめての新年を迎へました。祖国の運命は開闢以来の難関にさしかかつてゐるし、私自身としては自分の故郷を離れて新年を祝つたのは、これまでにたつた一度銚子の海岸へ初日出を拝みに行つたことがあるだけで、毎年必ず自分の家の神だなの下で祖先を偲びながら、お雑煮をいただいたものでした。
 しかし私は今、希望に満ちてゐます。
 山に来てから健康は倍加するし、未来の仕事は大きいし、独居自炊孤坐黙念、胸のふくらむ思です。
 謹んで諸兄に年頭の賀をおくります。
 
 光太郎、花巻郊外太田村山口の山小屋に移って初めての新年でした。しかし、「私自身としては自分の故郷を離れて新年を祝つたのは、これまでにたつた一度銚子の海岸へ初日出を拝みに行つたことがあるだけ」は間違いで、明治末の欧米留学で日本を離れていたことを忘れていますね(笑)。