名古屋在住の作曲家、野村朗氏からいろいろいただきました。
 
氏は「智恵子抄」などの光太郎の詩に曲を付けた歌曲作品をいくつか作曲なさっています。

 
愛知碧南の藤井達吉現代美術館で現在開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の関連行事として、11月9日に行われた「連作歌曲「智恵子抄」全曲演奏会」のパンフレットと、当日の模様を撮影したDVD。
 
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早速拝見しました。
 
新曲として、「歌曲 「冬の言葉」」がラインナップに加わっていました。原詩は昭和2年(1927)の作。「智恵子抄」に含まれるものではありません。
 

   冬の言葉007

冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が洗ひ出すのは萬物の木地。

天はやつぱり高く遠く
樹木は思いきつて潔らかだ。

蟲は生殖を終へて平気で死に、
霜がおりれば草が枯れる。

この世の少しばかりの擬勢とおめかしとを
冬はいきなり蹂躪する。

冬は凩の喇叭を吹いて宣言する、
人間手製の価値をすてよと。

君等のいぢらしい誇りをすてよ、
君等が唯君等たる仕事に猛進せよと。
 
金銭はむかし貴族を滅却した。
君達は更に金銭を泥土に委せよと。

冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が求めるのは萬物の木地。

冬は鉄碪(かなしき)を打つて又叫ぶ、
一生を棒にふつて人生に関与せよと。
 
パンフレットに記された野村氏の言葉から。
 
 新作歌曲「冬の言葉」は、智恵子のこころが壊れて行く直前の作で、「人間の生き方」を問う作品です。人工透析を40年近く続けつつ作曲活動と市立大学法人職員の業務とを続けてきた私にとって、私の「生きる信念」と相通じるものがあり、強く励まされました。そして、光太郎が晩年、7年間の隠棲により「身をもって示した」ものも、この詩の中に予言されているように思います。願わくば、皆さんもご自身に問いかけてみて下さい、「一生を棒にふって人生に関与せよ」と。
 
その後は、以前にも演奏された「連作歌曲 「智恵子抄」」。「千鳥と遊ぶ智恵子」「あどけない話」「レモン哀歌」「間奏曲」「案内」の5曲でした。
 
演奏は3月に野村氏の地元・名古屋でのリサイタル、5月に東京日暮里であったリサイタルと同じ、森山孝光様、康子様でした。相変わらず熱のこもった好い演奏でした。
 
こういう形で光太郎智恵子の世界を広めていただけるのも非常にありがたいことです。
 
野村氏からは、もう一つ、素敵なものをいただきました。明日のこのブログでご紹介します。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月11日

平成3年(1991)の今日、水道橋の宝生能楽堂でNHK能楽鑑賞会が催され、舞囃子「智恵子抄」が上演されました。
 
演者は観世流の皆さんでした。