光太郎の詩に自作の曲を付けて歌われているシャンソン歌手・モンデンモモさん情報です。


「モモの智恵子抄2013秋」ということで、福島と東京、3カ所のツアーが予定されています。
2013/11/16(土) 二本松コンサートホール 18:00~ 1500円 問 0243-24-2830 鈴木
2013/11/17(日) 福島市古関裕而記念館 19:00~ 2000円 問 090-4476-0223 白川
2013/11/19(火) 原宿アコスタディオ 19:00~ 3000円 問 080-6772-3746 モンデンビューロ
ぜひ足をお運びください。
【今日は何の日・光太郎】 10月23日
大正12年(1923)の今日、柳八重に手紙を書きました。
柳八重は日本女子大学校での智恵子の先輩。その夫・敬助は画家で、光太郎とは留学中から親交がありました。そうした関係もあり、明治44年(1911)の光太郎と智恵子の出会いをお膳立てしたのが八重です。
敬助はこの年5月に病没、9月から遺作展が日本橋三越で始まりましたが、その初日に関東大震災が起こり、三越は炎上、多くの作品が灰燼に帰しました。
そのことに対してのお悔やみの手紙が、90年前の今日、書かれたというわけです。光太郎の痛恨の意が良く表されています。
暫く御無沙汰しました。
今度の災厄については市民一同いづれも悲痛な経験を負はされましたが、私自身として、柳君の遺作の事ほど切実に悲しまされた事はありません。身に近く、苦しい気がします。
あなたの御心持を推察する事は更に強い圧迫です。
けれど事実は二度とあともどりしない事を思へばどう考へてもどう為ようもなく又どう言ひやうもありません。
せめて友人間にまだ散らばつてゐる遺作をあなたの許に集め寄せる事が出来れば一つの慰めになるかと思ひました。
それで柳君帰朝後間もなく(〇九年)かかれた画で私の大事にしてゐた人物画(十号)を柳君にお返し為ようと思つて今日持参しました。此は柳君の精神的一面をよくあらはした好い画で私の愛好措かないものです。どうかアトリエにお置き下さい。額ぶちが手許に無いので額ぶち無しで持参しました。
いづれ又おめにかかつた時、
十月二十三日 高村光太郎
柳八重子様
敬助の作品は、やはり交流のあった荻原守衛の個人美術館である信州安曇野の碌山美術館などで見ることができます。