先ほど、2泊3日の行程を終え、女川から帰って参りました。
 
詳細は明日からレポートいたします。今日は女川の現状のみ。
 
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 9
 
もとの繁華街があった海岸一帯は、横倒しになったビルなどまだそのままですが、地盤のかさ上げ工事が始まっていました。
 
半ば海中に水没していた光太郎文学碑二基も陸上に引き上げられ、移動されていました。
 
イメージ 10   イメージ 11
  
イメージ 4
 
やはり碑面は損傷が激しい状態です。特に両端に配してある光太郎筆のイラストは金属板でしたので、傷が目立ちます。
 
イメージ 12

イメージ 13

イメージ 3

イメージ 5

イメージ 6

下図は女川町の復興推進課が出した将来構想イメージ図です。

イメージ 7
 
このような美しい町の姿を取り戻すため、今日も工事関係者の皆さんが忙しく立ち働いていました。当方が訪れた午前8:00には、引き上げられた碑の傍らにて皆さんで準備運動。炎天下、頭の下がる思いです。「よろしくお願いします」と心の中でエールを送りました。
 
イメージ 8
 
昨年よりも復興の進んだ様子があちこちで見受けられましたが、元の町の姿には遠く及びません。そういう意味では「被災」はまだまだ続いています。
 
微力ながら支援を続けていきたいと考えています。皆さんも、それぞれに出来る形でのご支援をよろしくお願いします。
 
【今日は何の日・光太郎】 8月10日

昭和20年(1945)の今日、疎開していた花巻の宮澤賢治生家が空襲で炎上、命からがら助かりました。
 
花巻ではこの終戦5日前の空襲で、47名の尊い命が絶たれました。光太郎と親交の厚かった佐藤隆房医師の総合花巻病院では、病院をあげて怪我人の救護に奮闘、後に光太郎はその敢闘をたたえる「非常の時」という詩を作って、病院に贈りました。