一昨日、「智恵子講座’13」のため福島・二本松に行きました。はるばる大阪から高村光太郎研究会所属の西浦基氏もおいでくださいました。
 
午前中でそちらが終わり、午後、西浦氏が二本松は初めてだというので、当方の車にて二本松の光太郎・智恵子ゆかりの地をざっとご案内しました。
 
これから二本松方面に光太郎・智恵子探訪に行かれる方、参考になさってください。
 
まずは「智恵子講座」会場の二本松市交流センターに近い二本松駅前からスタートしました。
 
平成21年に建てられた銅像「ほんとの空」。智恵子がイメージされています。すぐ近くには、昭和51年に作られた「あどけない話」の一節「阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ」を刻んだ詩碑。
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その後、車で北上、二本松城址へ。ここには昭和35年に建立された詩碑があります。
 
もともとあった「牛石」という大きな石にブロンズのパネルがはめ込んであり、1枚は「あれが阿多多羅山 あのひかるのが阿武隈川」、もう1枚に駅前の詩碑と同じ「あどけない話」のワンフレーズ。さらに草野心平の筆になる碑陰記もついています。
 
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その近くには、蓮の花が咲く池があり、ほとりには立派な藤棚があります(もう藤は散ってしまっていますが)。説明版によれば、この藤は智恵子の生家の庭にあったものを移植したとのこと。
 
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ちなみに、この日のNHK大河ドラマ「八重の桜」。帰ってから録画で見ましたが、サブタイトルが「二本松少年隊の悲劇」。史実かどうかわかりませんが、綾瀬はるかの八重がかつて射撃を教えた二本松藩士の子供たちによる二本松少年隊が薩長軍に撃破されるというストーリーでした。
 
そうした戊辰の頃にも思いをはせながら、二本松城址を後にし、旧安達町エリアへ。
 
こちらでは智恵子の生家、智恵子記念館、裏手にある智恵子の筆跡を刻んだ「熊野大神」碑、さらに裏手にある「樹下の二人」碑、そして長沼家菩提寺の満福寺にある長沼家の墓所などを廻りました。

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この辺りの画像は、以前に訪れたときのものです。
 
そして西浦氏が宿を取られた安達太良山中腹の岳温泉へ。当方も日帰り入浴させていただき、帰途につきました。
 
二本松、何度行ってもいい場所です。是非、足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月18日

明治34年(1901)の今日、智恵子の妹・セツが誕生しました。
 
昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が身を寄せたのが、九十九里に住んでいたセツのもとでした。