昨日は、乃木坂のTOTOギャラリー・間(ま)に行き、こちらで開催中の「中村好文展 小屋においでよ!」を観て参りました。
 
中村好文氏は建築家、TOTOさんは住宅設備機器メーカーとして有名ですね。
 
イメージ 4
 
まず、3階の第一会場に入ると、小屋の形をしたブースが7つ。子どもの頃、近所の空き地に友達と作った「秘密基地」を彷彿とさせ、これだけでワクワクしました。それぞれのブースで、中村氏があこがれ影響を受けてきた古今東西の7つの「小屋」をひとつずつ紹介しています。
 
イメージ 5   イメージ 6
  
そのうちの一つが「高村光太郎の小屋」。光太郎が昭和20年(1945)から27年(1952)までを過ごした花巻郊外の高村山荘です。
 
イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9
 
中に入ると、中村氏による小屋の解説文、図面、イラスト、そして阿部徹雄撮影の小屋内部の写真がパネルで貼り付けられています。さらに、昭和28年(1953)、ブリヂストン美術館作成の美術映画「高村光太郎」(おそらく現存する唯一の光太郎本人が写っている動画)から、小屋に関わる部分の抜粋がモニタで放映されていました。
 
イメージ 1
 
他には「鴨長明の方丈」、「H・D・ソローの小屋」、「猪谷六合雄の小屋」、「立原道造のヒアシンスハウス」、「堀江謙一のマーメイド号」、「ル・コルビジェの休暇小屋」。その紹介の仕方も均一でなく、それぞれに工夫がされていて面白いと感じました。
 
中庭にはこの企画展のために作られた、理想の小屋「Hanem Hut」。
 
イメージ 2

イメージ 3
 
さらに4階の第二会場では、かつて中村氏が設計制作したさまざまな小屋の紹介も。
 
近年足を運んだ中でもトップクラスの非常に面白い企画展でした。それだけ面白い上に入場無料、写真撮影可。申し訳ない気さえしますので、ここでガンガン宣伝いたします。
 
さて、この企画展とリンクして刊行された中村氏の著書『小屋から家へ』。
 
その中に中村氏と、ファッションデザイナーの皆川明氏の対談が収められており、光太郎の小屋にからめて次の一節があります。
 
中村 僕は、小屋的な建物を見たり、そこに入ったりすると、「こういう場所こそが人のすまいの原型なんだ」という想いに取りつかれてしまうんです。おもに住宅の設計をしているので、無意識のうちに「住宅ってなんだろう?」ということをいつも考えているらしく、魅力的な小屋を見かけたり、足を踏み入れたりすると、その問いかけに対してひとつの答えを得た気がするんです。
 
皆川 なるほど。たとえばどんなときに感じました?
 
中村 岩手県の花巻に、高村光太郎がひとり暮らしをしていた小屋が残っていて、それこそ粗末な小屋なんですけど、「人の暮らしの気配のようなもの」がひしひしと感じられます。必要最低限のものしかない暮らしぶりがとてもいさぎよく感じられ、「これでいいじゃないか、これで十分じゃないか」と納得してしまうのです。小屋の定義のひとつに、「すまいの原型が見えること」という項目を加えてもいいかもしれません。
 
皆川 その感じ、よくわかります。小屋の空間の中には最低限の必要なものだけが納まっているということで、余計にそういう気分になれそうな気がしますね。
 
中村 モノが少ないと、そこに日常生活だけでなく、精神生活が入り込む余地があるってことかな。実際問題として、床面積に限りがあると持ち込めるものも決まってきてしまうので、自分にとって本当に必要なものはなんなのか? と考えることを、建物のほうから要求されるということはありますね。
 
さて、「中村好文展 小屋においでよ!」は乃木坂のTOTOギャラリー・間(ま)を会場に、6月22日まで。ぜひ足をお運びください。ついでに花巻郊外の光太郎が暮らした高村山荘自体にも。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月6日

昭和46年(1971)の今日、「高村光太郎詩の会」会報77号(最終号)が発行されました。
 
同会は光太郎と交流のあった詩人・風間光作が主宰し、昭和38年(1963)に結成されました。
 
その後、明治大学や東邦大学などで講師を務められた故・請川利夫氏に運営が移り、「高村光太郎研究会」と改称、年に一度、研究発表会を行っています。現在の主宰は都立高校教諭の野末明氏です。当方も加入しております。
 
光太郎・智恵子について研究したい、という方は是非ご参加ください。ご連絡いただければ仲介いたします。