先月末、全国の小中学校で「平成25年度全国学力・学習状況調査」が行われました。小学校6年生と中学校3年生が対象です。
 
いろいろ問題はあると思いますが、それはさておき、中学校3年生の国語A(「知識」を問う問題)で、光太郎の散文「山の春」が問題文に使われました。この「山の春」、昭和26年(1951)、雑誌『婦人之友』に掲載されたエッセイです。
 
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光太郎の文筆作品というと、どうしても詩が有名ですが、発表されたものとしては、評論やエッセイ、翻訳などの散文の方が圧倒的に多数です。
 
翻訳は光太郎オリジナルではありませんが、それでも訳し方、どういった文章にするかといった部分では、訳者の役割には大きなものがあります。
 
身びいきではなく、光太郎の散文は非常に読みやすいと思います。着眼点もすばらしいし、論の展開の仕方、適切な例の上げ方、言葉の選択、段落の設定の仕方、句読点の使い方など、実に参考になります。
 
『全集』補遺作品集「光太郎遺珠」や、冊子『光太郎資料』などの編集で、光太郎の文章を書き写す機会が多いのですが、光太郎の文章は書き写していてまったく苦になりません。ただ、光太郎のクレジットでも、他の人が筆録した談話筆記などになると、いつもの「光太郎ルール」ではないな、と思うことがありますが。
 
逆に談話筆記には、通常の散文にはない光太郎のしゃべり方のルールが見て取れ、それに感心させられる事も多くあります。
 
そういう意味では、テストの問題文などには光太郎の散文はうってつけだと思います。
 
【今日は何の日・光太郎】5月7日

昭和9年(1934)の今日、療養のため、智恵子が千葉県九十九里浜の妹の婚家に移りました。
 
光太郎は、この九十九里浜での智恵子の様子を、後に詩「風にのる智恵子」「千鳥と遊ぶ智恵子」などに謳っています。
 
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智恵子が療養していた家(現在は取り壊されてしまってみることができません)