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光雲作 仏像を発見 大覚寺、蔵から3体 4月3日から初公開

京都新聞 3月26日(火)23時9分配信
 
京都市右京区の大覚寺は、4月3日から開く霊宝館の春期名宝展で、彫刻家高村光雲が大正期に制作した木造の仏像3体を初公開する。仏像は境内の蔵から見つかり、26日、関係者に披露された。

 光雲(1852~1934年)は、伝統的な木彫に西洋写実主義を取り入れて日本彫刻を復興したことで知られる。代表作は「老猿」(重要文化財)で、長男は詩人で彫刻家の高村光太郎。

 仏像は「木造聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)立像」(1916年)、「木造白衣大士(びゃくえだいし)像」(17年)、「木造聖徳太子孝養(こうよう)像」(18年)。いずれも一木造りで、高さは約21~22センチ。1969年に亡くなった同寺の故草繋全?元門跡が所有していた。遺族が同寺へ寄贈した遺品群の中から見つかったという。

 大正期の光雲の作品は、弟子たちの工房で作られたものが多いとされるが、仏像を納めた木箱の署名には、光雲が自ら手がけた作品にみられる「高邨(たかむら)」と記されていた。

 春期名宝展「大覚寺の栄華~幕末・近代の門跡文化」では3体の仏像のほか、琵琶湖疏水の設計者・田辺朔郎が大正天皇に献上した自筆の般若心経や、光雲が描いた「ひよこ図」、富岡鉄斎の水墨画などを展示する。5月31日まで。有料。
 
 
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<高村光雲作品>京都の大覚寺で仏像など3作品見つかる

毎日新聞 3月26日(火)21時45分配信
 
 京都市右京区の大覚寺は26日、東京・上野公園の「西郷隆盛像」などで知られる彫刻家、高村光雲(1852~1934)が制作した仏像など3作品が新たに見つかった、と発表した。

 聖徳太子孝養(こうよう)像▽聖観世音菩薩(ぼさつ)像▽白衣大士(びゃくえだいし)像--の3点で、いずれも高さ約20~22センチの一木造り。像が納められた箱の表記から1916~18(大正5~7)年制作とみられる。戦後、同寺の復興に尽力した草恕リ全※(くさなぎぜんぎ)門跡(1883~1969)の遺品として蔵に保存されており、昨年12月の調査で見つかった。草恕リ門跡が入手した時期や経緯は分かっていない。

 箱のふたには光雲自筆の署名があり、「村」の字は「邨」と記してあった。調査した伝統文化財保存研究所(大津市)の石川登志雄代表(日本史・文化財学)は「大正期の光雲作品の多くは、工房での共同制作とされるが、署名に『邨』の文字を使っている場合、光雲自身の手がかなり入っている可能性が高いとの研究もある。光雲はこの3作を大事な注文作と考えていたのだろう」と話している。

 4月3日~5月31日、同寺霊宝館で開催する特別名宝展「大覚寺の栄華 幕末・近代の門跡文化」で公開される。
 
光雲は元々仏師ということもあり、数多くの作品を手がけました。中にはこのように新たに発見される例もあります。ただ、三体まとめて、しかも京都の有名な寺院からの発見ということで、ニュースバリューがあるのですね。
 
時間を作って見に行ってこようと思っております。ぜひ皆さんも足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】3月27日

明治43年(1910)の今日、「銭形平次」シリーズの原作者、野村胡堂と橋本ハナの結婚式が行われ、金田一京助と智恵子が介添えを務めました。

ハナは智恵子の妹、セキの同級生でした。