昨夜、当方の住む千葉県香取市にある香取神宮にて開催された薪能を観て参りました。
演目は狂言「附子(ぶす)」、能「葵上(あおいのうえ)」。光太郎智恵子とは直接関係ありません。

香取神宮には朱塗りの楼門があり、その下は幅広で長い石段があります。その石段と、石段下のスペースにパイプ椅子を並べて客席としていました。着物を着ていったので、石段ではちょっと困るな、と思ったら、幸い、椅子席にありつけました。
開演は午後六時。開演に先立って篝火に火が入り、三分咲きの桜、霞んだ空にはうっすらと月。いい感じでした。観衆もざっと見たところ400~500くらいいたのではないかと思いました。こうした伝統芸能のイベントに多くの人が集まるというのは素晴らしいと思います。手前味噌になりますが、「小江戸」と称され、伝統文化を大切にしている香取という街だからかと思います。

はじめは狂言「附子」。昨今のテレビのお笑いなどと較べると、テンポが非常にゆったりとしています。しかし、それがいいと思いました。
続いて能「葵上」。狂言から一転、幽妙な世界に。囃子方や地謡の方々を含め、総勢20名程で、かなり本格的でした。遠目にも、前シテの六条御息所の生霊の泥顔面、後シテの般若面など、鬼気迫るものがありました。
ところで、光太郎には能に関する文章がいくつかあります。そのうち、昭和19年(1944)に書かれた「能の彫刻美」という評論では、次のように語っています。
能はいはゆる綜合芸術の一つであるから、あらゆる芸術の分子がその舞台の上で融合し展開せられる。その融合の微妙さとその展開の為方の緊密にしてしかも円転自在な構成の美しさとに観る者は打たれる。しかし私のやうな彫刻家が能を観るたびにとりわけ感ずるのはその彫刻美である。他の舞台芸術に絶えてないほど能には彫刻的分子が多い。能は彫刻の延長であるもののやうな気さへしてくる。
さて、昨日の「葵上」の演者は観世流の皆さんでした。観世流といえば、光太郎とも関連があります。
昭和32年(1957)に、映画監督・演劇評論家の武智鉄二作、観世寿夫作曲で新作能「智恵子抄」が作られているのです。
(追記4/10)上記の部分、訂正です。こちらは数年前の情報との事。岡山在住の方からご指摘を頂きました。曜日が同じなのでてっきり今年と思いこんでいました。問い合わせ等されてしまった方、申し訳ありませんでした。
能にしても狂言にしても、日本の誇る伝統芸能。こうしたものの火を絶やさないようにしてほしいものです。
【今日は何の日・光太郎】3月24日
昭和14年(1939)の今日、十字屋書店版『宮沢賢治全集』出版のための相談会に出席しました。
光太郎、そして草野心平らのこうした活動の結果、生前には無名だった宮沢賢治が世に知られていくことになるのです。