一昨日ですが、上野へ行って参りました。
 
千葉市美術館をはじめ、6月から全国3つの美術館で巡回される企画展「彫刻家・高村光太郎展」の図録執筆に関わる調査のためです。
 
図録には「展覧会歴」ということで、生前/没後に光太郎の彫刻が出品された展覧会をまとめる項があります。没後に行われたものは、基本的に光太郎をメインにしたものに限定しましたので、そちらは意外とまとめやかったのですが、問題は生前に開かれたもの。
 
生前には光太郎がメインの展覧会は一度しかありませんでした。昭和27年(1952)に中央公論社画廊で開かれた「高村光太郎小品展」です。それだけを載せてもしょうがないので、生前に関しては他の作家といっしょに作品を出品したもの(下記、今日の【今日は何の日・光太郎】に書いたようなものです)を網羅しようと考えました。
 
だいたいは『高村光太郎全集』別巻の北川太一先生作成の年譜に記述があります。しかし、どうもそれだけではないと前々から思っていました。実際、昭和5年(1930)に大阪の高島屋長堀店で開かれた「木耀会木彫展覧会」は年譜に抜けています。この時は木彫「栄螺(さざえ)」が出品され、買い手が付き、以後、平成14年(2002)まで70余年、「栄螺」は行方不明でした。
 
さて、今回、改めて他に光太郎が出品した展覧会を調査するため、一昨日は上野に行きました。
 
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上野といえば桜の名所。もうほぼ満開の状態でした。
 
目的地は2カ所、東京国立博物館の資料館と、すぐ近くの光太郎の母校、東京芸術大学の図書館です。
 
まぁ、行く前から目星をつけていたということもあり、調査の甲斐あって、これまでの年譜に載っていない展覧会の記録を発見できました。具体的には明治35年(1902)、光太郎が東京美術学校(現・芸大)卒業の際の「東京美術学校生徒成績品展覧会」。卒業制作の日蓮をモチーフにした塑像「獅子吼」が出品されました。
 
また、京都で開催された展覧会に関しても、別口の調査で記録を確認できました。後日、ブログに書きます。
 
さらに芸大図書館ではついでに他の調査もして参りまして、いろいろと手がかりがつかめたり、新資料が手に入ったりしました。それらも後ほど活字にしていきます。
 
ちなみに芸大図書館の脇には、昭和10年(1935)、光太郎作の彫刻「光雲一周忌記念胸像」があります。
 
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付近には他の彫刻家による他の人物の胸像も配されていますが、やはり光太郎の作が出色だと感じるのは身びいきでしょうか。
 
【今日は何の日・光太郎】3月23日

昭和4年(1929)の今日、銀座資生堂ギャラリーで開かれていた荻生会主催美術展覧会が閉幕しました。光太郎は木彫「魴鮄(ほうぼう)」を出品しました。