まぁ、生活圏なので「行ってきました」というほどではないのですが、昨日は千葉県の東端、銚子に行ってきました。
 
当方の母親は銚子の出で、母方の親戚が銚子にいます。昨秋、伯父が亡くなり、今日は彼岸の中日ということで、墓参に行ったわけです。
 
ついでに春の陽気に誘われて、犬吠埼方面まで足をのばしました。というか、太郎さんのお墓にもお線香をあげて来ようか、と思い立ったのです。
 
太郎さんとは? 答は光太郎の詩から。
 
  犬吠の太郎
 
太郎、太郎001
犬吠(いぬぼう)の太郎、馬鹿の太郎

けふも海が鳴つてゐる
娘曲馬のびらを担(かつ)いで
ブリキの鑵を棒ちぎれで
ステテレカンカンとお前がたたけば
様子のいいお前がたたけば
海の波がごうと鳴つて歯をむき出すよ


今日も鳴つてゐる、海が――
あの曲馬のお染さんは
あの海の波へ乗つて
あの海のさきのさきの方へ
とつくの昔いつちまつた
「こんな苦塩じみた銚子は大きらひ
太郎さんもおさらば」つて
お前と海とはその時からの
あの暴風(しけ)の晩、曲馬の山師(やし)の夜逃げした、あの時からの仲たがひさね
ね、そら
けふも鳴つてゐる、歯をむき出して002
お前をおどかすつもりで
浅はかな海がね

太郎、太郎
犬吠の太郎、馬鹿の太郎
さうだ、さうだ
もつとたたけ、ブリキの鑵を
ステテレカンカンと
そして其のいい様子を
海の向うのお染さんに見せてやれ

いくら鳴つても海は海
お前の足もとへも届くんぢやない
いくら大きくつても海は海
お前は何てつても口がきける
いくら青くつても、いくら強くつても
海はやつぱり海だもの
お前の方が勝つだらうよ
勝つだらうよ

太郎、太郎
犬吠の太郎、馬鹿の太郎

海に負けずに、ブリキの鑵を
しつかりたたいた
ステテレカンカンと
それやれステテレカンカンと――          

 ※本来、ルビが振ってる箇所を( )にしてあります。
 
大正元年夏、光太郎はここ、銚子の犬吠埼に写生旅行に来ました。智恵子も後を追って、妹と友人の3人で犬吠へ。この時、智恵子には郷里の福島で縁談が持ち上がっていたというのですが、智恵子はそれを破棄したとされています。
 
光太郎が泊まった宿は、暁鶏館(ぎょうけいかん)。智恵子も、最初は違う宿に泊まっていましたが、妹と友人が帰った後、暁鶏館に移ります。ここで二人の恋愛が成就したといっていいでしょう。
 
さて、太郎。稲葉豊和編著『とっておき、銚子散歩 改訂版』(平成17年=2005 アクセス出版)によれば、本名は阿部清助といいます。会津藩士の子だというのですが、知的障害がありました。そこで光太郎の「犬吠の太郎」には「馬鹿」という表現が使われています。現代では差別的表現になりますが、原文を尊重します。ちなみに地元では「犬吠の太郎」ではなく「長崎の太郎」と呼ばれていたそうです。「長崎」は犬吠の南に位置する地名です。
 
で、太郎は曲馬団(旅芸人一座)のビラ配りをしており、その関係で銚子に流れてきたのですが、そのまま銚子に居つき、光太郎が犬吠を訪れた際には暁鶏館の風呂番をしていたとのことです。
 
「お染さん」は曲馬一座の花形女役者。太郎は彼女に惚れていましたが、彼女は太郎を置いていずこへともなく去っていきました。海の向こうに行ってしまったと思い込んだ太郎は、石油の一斗缶を海岸で叩き続けたそうです。
 
画像を載せておきましたが、その太郎の墓が、長崎地区に現存しています。太郎の死は昭和14年(1939)。暁鶏館から使い走りに行った帰りに電車(おそらく銚子電鉄)にはねられて死亡したとのこと。もとは単なる石を積んだ塚だったようですが、平成3年(1991)に、おそらく縁者の方によって上の画像にあるように地蔵尊が乗せられました。
 
というわけで、昨日は太郎の墓にもお線香を上げてきました。
 
さて、実は銚子にも東日本大震災の爪痕が深く残っています。
 
やはり津波が来て、漁港はそれほどの被害はなかったものの、犬吠に近いマリーナは壊滅状態。それでも奇跡的に死者、行方不明者は出ませんでした(南隣の旭市では死者13名、行方不明者も出ました)。
 
しかし、その後が大変でした。魚に関して風評被害が広がり、観光客が激減したため、老舗ホテル2軒が廃業に追い込まれましたし、有名な銚子電鉄もその前から放漫経営などで色々問題があった上に、収入が激減、とうとう今年、自主再建を断念しました。数年前の経営危機の時は、本業の鉄道より副業の「ぬれ煎餅」の販売で立ち直りました。社員がホームページに書いたメッセージ「電車運行維持のためにぬれ煎餅を買ってください」「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです」が、ネットで話題となり、注文が殺到したそうです。しかし、今度の震災では、物理的に大きな被害を受けた三陸鉄道などのことを考えると、支援を訴えることができなかったとのこと。
 
銚子。見どころがたくさんあるいい街です。魚介類も美味。昨日は犬吠で回転寿司を食べましたが、ミンククジラやアブラボウズなど、他ではなかなかお目にかかれないネタもあります!
 
ぜひ足をお運び下さい! 足を運んでいただくことが支援になりますので。
 
【今日は何の日・光太郎】3月21日

明治26年(1893)の今日、皇居前広場に立つ楠木正成銅像の木型を光雲ら東京美術学校の制作チームが完成させ、明治天皇が天覧しました。