昨日のブログで御紹介した岩手花巻の高村記念館リニューアルの件、『読売新聞』さんの岩手版で昨日報道されました。

花巻歴史民俗資料館、光太郎記念館に衣替え

 「智恵子抄」などで知られる詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956)が戦中戦後に暮らした花巻市に5月、新たに高村光太郎記念館がオープンする。生誕130年を迎えるのを機に市が同市太田の花巻歴史民俗資料館を記念館に刷新する。
 
 高村光太郎は、太平洋戦争末期、親交のあった宮沢賢治(1896~1933)の弟・清六氏(1904~2001)の家があった旧花巻町(現在の花巻市)に疎開。戦後は旧太田村(同)のあばら家に移り、7年間、農耕自炊の生活を送りながら創作活動を行った。
 
 太田地区には、そのあばら家が「高村山荘」として保存されており、近くには光太郎を顕彰する国内唯一の記念館が財団法人高村記念会(花巻市)によって運営されている。しかし、展示スペースは78平方メートルと狭く、所蔵する資料を展示しきれていない。空調設備もなく、資料の傷みも懸念されていた。
 
 そのため、財団が昨年、資料館の活用を市に要望し、展示品の「十和田湖裸婦像原型」など美術品5点(評価額6000万円相当)や、記念館整備資金として500万円の寄付を申し入れていた。
 
 市によると、現在の記念館は冬は営業していないが、新しい記念館は通年営業とし、光太郎の花巻での暮らしをメーンテーマに、彫刻や絵画、詩などを展示する。現在の歴史民俗資料館の展示品は市博物館に移す。
 
 光太郎が花巻に疎開した5月15日に行われる「高村祭」に合わせてプレオープンし、15年に全体の整備を終える計画という。事業費は未定。
 
 5月時点の展示スペースは現記念館の3倍弱にとどまるが、最終的には、資料館の収蔵庫も展示室に改装し、現在の6倍ほどの広さになる計画。市は「公の施設として記念館を設置し、国内唯一の記念館として存在価値を高めていきたい」としている。
 
2013年2月24日 読売新聞)
 
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公式発表がありましたら、詳細を御紹介します。

 
【今日は何の日・光太郎】2月25日

大正8年(1919)の今日、智恵子の母校、日本女子大学校から創立者・成瀬仁蔵の胸像制作を依頼されました。

完成、除幕されたのは昭和8年(1933)。実に14年かかりました。