【今日は何の日・光太郎】1月2日010

昭和22年(1947)の今日、花巻郊外の山小屋で書き初め。「清浄光明」「平等施一切」「満目蕭條」などの言葉を書きました。
 
光太郎は明治16年(1883)の生まれ。当然のように、現代の我々よりも筆と硯に親しんだ世代です。
 
特に戦後、花巻郊外大田村山口の山小屋に籠もってからは彫刻を封印し、書の世界にその造型美の表現者としてのエネルギーを傾けました。
 
日記によれば1月2日の書き初めは恒例の習慣となったようです。その他、折に触れて書いた書は、今も花巻近辺にたくさん残っています。
 
「満目蕭條」。「見渡す限り、物さびしいさま」という意味の四字熟語ですが、光太郎はマイナスのイメージで捉えません。
 
昭和7年に書かれた「冬二題」という散文(『高村光太郎全集』第9巻)には、「満目蕭條の美」という一節があります。
 
 冬の季節ほど私に底知れぬ力と、光をつつんだ美しさを感じさせるものはない。満目蕭條といふ形容詞が昔からよく冬の風景を前にして使はれるが、私はその満目蕭條たる風景にこそ実にいきいきした生活力を感じ、心がうたれ、はげまされ、限りない自然の美を見る。私はまだ零下四〇度などといふ極寒の地を踏んだ経験がなく、パミイル高原のやうな塩白み果てた展望を見た経験がないから、冬の季節の究極感を語る資格を持たないやうにも思ふが、又考へると、さういふ強力な冬の姿に当面したら、なほさら平常の感懐を倍加するのではあるまいかといふやうな気がする。木枯の吹きすさぶ山麓の曠野を行く時、たちまち私の心を満たして来るのは、その静まりかへつた大地のあたたかい厚みの感じと、洗ひつくしたやうな風物の限りないきれいさと、空間に充満するものの濃厚な密度の美とである。風雪の為すがままにまかせて、しかも必然の理法にたがはず、内から営々と仕事してゐる大地の底知れぬ力にあふと、私の心はどんな時にもふるひ立つ。百の説法を聴くよりも私の心は勇気をとりかへす。自然のやうに、と思はずにゐられなくなる。葉を落とした灌木や喬木、立ち枯れた雑草やその果実。実に巧妙に微妙に縦横に配置せられた自然の風物。落ちるのは落ち、用意せられるものは用意せられて、何等のまぎれ無しにはつきりと目前に露出してゐる潔い美しさは、およそ美の中での美であらう。彼らは香水を持たない。ウヰンクしない。見かけの最低を示して当然の事としてゐる。私はいつも最も突き進んだ芸術の究極境は此の冬の美にある事を心ひそかに感じてゐる。満目蕭條たる芸術を生み得るやうになるまで人間が進み得るかどうか、それはわからない。此は所詮人間自身の審美の鍛錬に待つ外はないにきまつてゐる。ただ物寂びた芸術、ただ渋い芸術、ただ厳しい芸術、さういふ程度の階段に位するものなら求めるに難くない。古来、真に冬たり得た芸術が一体何処にあるだらう。
 
冬の厳しさに、自己の進むべき芸術精進の道の厳しさを重ね合わせています。こういうところも光太郎の魅力の一つだと思います。