昨日に引き続き、「彫刻」と「視点」の問題を。
 
「カレーの市民」。ロダンの代表作の一つで、1895年(明治28年)に序幕された6人の群像です。「カレー」はフランス北部、ドーバー海峡に面した都市です。
 
光太郎の「オオギユスト ロダン」(昭和2年=1927 『高村光太郎全集』第7巻)から、像の背景と制作時のエピソードを以下に。
 
彼が「地獄の門」の諸彫刻に熱中してゐる間にフランスの一関門カレエ市に十四世紀に於ける市の恩人ユスタアシユ ド サンピエルの記念像を建てる議が起つた。其話をカレエ市在住の一友から聞かされ、いろいろの曲折のあつた後、雛形を提出して、結局依頼される事になつた。ルグロやカザンの骨折が大に力になつたのだといふ。十四世紀の中葉、カレエ市を包囲した英国王エドワアドⅢ世が市の頑強な抵抗に腹を立てて、市を破壊しようとした時、残酷な条件通り身を犠牲にする事を決心して市民を救つた当年の義民の伝を年代記で読んだロダンはひどく其主題に打たれた。犠牲に立つた者は一人でなくして六人であつた。ロダンは一人の銅像の製作費で六人を作る事を申出で、十年かかつて「カレエの市民」を完成した。
 
さて、下の画像は大阪の西浦氏からいただいた、フランス・カレー市庁舎前に設置された「カレーの市民」の写真です。台座の高さが低いのがお判りになるでしょうか。
 
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再び光太郎の「オオギユスト ロダン」から。
 
ロダンは此群像をカレエ市庁の階段の上の石畳へ置いて通行する者と同列の親密感を得させたいと考へた。
 
いわゆる英雄や偉人の肖像とは違い、街を救った義民の群像ということで、高い台座の上に見上げる形でなく、見る人の目線の高さに配置する事をロダンは望んだというのです。彫刻自体も、6人の中には、頭を抱えて苦悩するポーズの人もいます。見る人に「あなたたちと同じ普通の人なんだよ」というメッセージを放っているわけです。
 
こうしたロダンの考えのもと、現在のカレー市庁前の「カレーの市民」は、画像のように低い台座に設置されているのです。
 
しかし、完成当初はそうしたロダンの考えは容れられず、1924年(大正13年)までは、通例に従って高い台座上に設置されていたとのこと。「芸術の国」、フランスでさえそうだったのですね。
 
「カレーの市民」、同じ型から12基が鋳造され、世界各地に散らばっています。おおむねロダンの意図通り、低い位置での展示が為されているようです。さらにアメリカでは、これが「ロダンの真意だ」と、6人をバラバラに配置し、その間を人が歩けるようにした展示をしている所もあります。当方、よく調べていないので、本当にそれがロダンの真意かどうかは判りません。詳しい方はご教授いただけるとありがたいのですが……。
 
12基のうちの一つは、上野の国立西洋美術館前庭にあります。多くは語りませんが、ここのものは「高い台座」の上に「鎮座ましまして」いらっしゃいます。多くは語りませんが……。