昨日、これを書くつもりでしたが、女川からの記事が朝日新聞に載ったので、そちらを優先しました。
 
さて、11/2、3、4の金土日、埼玉県東松山市をメイン会場にして、「第35回日本スリーデーマーチ」が開催されました。
 
毎年11月、比企丘陵を舞台に繰り広げられるウォーキングの祭典ということで、国内のみならず、海外からの参加者も多く、今年は12万人もの参加者だったそうです。
 
さて、これが光太郎とどう関わるのかというと、大会初期の頃に礎を築いた元実行委員長、田口弘氏(元東松山市教育長、連翹忌にもご参加いただいています)が、生前の光太郎と関わっていたのです。
 
5年前の朝日新聞で、日本スリーデーマーチが30回の節目ということで、大きく特集を組みました。その時の記事から。
 
 彫刻家で詩人だった高村光太郎が、昭和15年につくった「歩く うた」という詩がある。
  歩け歩け 歩け歩け
  南へ北へ 歩け歩け
  東へ西へ 歩け歩け
  路ある道も 歩け歩け
  路なき道も 歩け歩け
    詩人で東松山市の教育長を76年から16年半務めた田口弘さん(85)=写真=は、「日本歩け歩け協会(日本ウオーキング協会の旧名)の『歩け』は、この詩が原点になっていると思うんです」と語る。「後に曲がついてレコード化されたが、4番まである詞には、軍隊的な言葉が一つも出てこない」
田口さんは中学の恩師が光太郎と交遊があった縁で、光太郎に傾倒。戦前の高村宅を訪れ、自分で書いた詩を見てもらったこともある。「先生は歩くのが好きで書斎にこもらずに、こまめに歩き回っていました。素朴な原始的な力強さを感じる、歩けでも師です」

田口さんは、日本スリーデーマーチが東松山市に会場が変わった第3回大会から第15回までの実行委員長。子どもたちの参加を働きかけ、第6回からは市内の全小中学生が3日間、日本全国や海外からのウオーカーと 歩くことを実現させた。
  (以下略)
 
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というわけなのです。
 
「歩くうた」は昭和15年に飯田信夫の作曲で「国民歌謡」として発表されました。ラジオでくり返し流れたり、徳山璉(たまき)の歌唱のレコードがヒットしたりで、当時の子供達はみんなでこれを歌いながら行進していたそうです。
 
「歩くうた」が発表されてから七十余年。戦闘機も爆撃機も飛んでいない空の下、歩くことを愛した光太郎の精神は今も息づいているのですね。
 
ちなみに当方、毎日がっつり歩いています。お供は愛犬・文吉(ぶんきち)。
 
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柴犬系雑種です。こいつと一緒に、朝と夕方、多い日で計10㎞以上歩く日もあります。おかげで自分も犬も、すこぶる健康です。
 
皆さんも、ぜひ、歩きましょう!