岸田さんといえば、詩誌「櫂」の主要メンバーの一人でした。「櫂」は昭和28年(1953)の創刊。岸田さん以外の主要メンバーに、茨木のり子、川崎洋、谷川俊太郎、大岡信、吉野弘などがいました。そうそうたるメンバーですね。岸田衿子展では当然、この人々との交流なども扱われていました。それから、「櫂」同人ではなかったようですが、岸田さんとつながりのあった詩人ということで、石垣りん、田村隆一、工藤直子などに関する資料も。
岸田さんにしてもそうですが、このそうそうたるメンバー、大半は亡くなってしまいました(谷川俊太郎さんなどはまだお元気で、11月3日の文化の日には岸田衿子展の関連行事でご講演をなさるそうですが)。
「この世代の詩人の皆さんがみんな亡くなってしまったら、どうなるんだろう」と、展示を見ながら思いました。当方は若い頃、この世代の人々が次々新作を発表するのを見て、尊敬のまなざしで見ていたものですから、そう思うわけです。
みなさん、大正後半から昭和一桁の生まれです。口語自由詩を確立した光太郎や萩原朔太郎、そして同世代の北原白秋らとは半世紀ほどの差異ですね。その中間ぐらいの世代が明治末に近い頃の生まれの草野心平、宮澤賢治、中原中也といったあたりでしょうか。
光太郎世代の詩は、『中央公論』『文藝春秋』『週刊朝日』など一般向けの総合雑誌にも掲載されました。心平世代、岸田さん世代もそうでしょう。しかし、現代、一般向け雑誌で詩人の詩作品を目にする機会はほとんど無いように思います。
何も「昔の一般向け雑誌は、詩を載せるほど高尚だった」とか「現代の詩人はだめだ」とかいうつもりはありません。それは世の中における「詩人の立ち位置」の問題だと思います。
昔は詩人と社会との距離がかなり近いところにあったように思います。だから、詩の世界で名をなした人は一般にも知られていました。まあ、戦時中にはそれが悪い方に利用されてしまった部分もありますが。ところが現代はどうもそうではないような気がします。
はっきり言えば、現代の詩人たちがどういう詩を書いているのか、もっと厳しく言えば、現代、どういう詩人がいるのか、そういったこともあまり知られていないような気がします。それは詩人の皆さんだけの責任ではないのでしょうし、世の中の好みや各種メディアの多様化などとも無関係ではないのでしょう。
これから先、「詩」というものが世の中でどのように受け入れられていくのか、そういったことを考えさせられた展覧会でした。