「一枚物(いちまいもの)」。古書籍商の業界用語で、無綴で書籍の形になっていないもの-主に印刷物-を指します。「刷り物」という場合もあります。8/22のブログで紹介した三陸汽船の運賃表などもこの類です。広い意味では絵葉書や古地図などもこのカデゴリーに入ります。
 
面白い出物がないかと、こういうものにも目を光らせているのですが、最近、こんなものを手に入れました。二つ折りのB4判ザラ紙6枚(全12ページ)をホチキスで留めてあり冊子の形になっているので、正確には「一枚物」ではありませんが、まあ似たようなものです。

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タイトルは「第二囘中央協力會議開催要旨」です。「中央協力会議」とは昭和15年(1940)に近衛文麿らが中心となり結成された大政翼賛会の中に置かれた下情上通を目的とした機関です。大政翼賛会内に地方組織として道府県・六大都市・郡・市区町村に各支部が置かれ、各段階の支部にそれぞれ協力会議が付置されて、さらに地方代表、各界代表による「中央協力会議」が持たれたわけです。
 
 光太郎は劇作家・岸田国士のすすめで中央協力会議議員となり、昭和15年の臨時協力会議に出席。この時はその時限りと考えていたようですが、翌16年の第一回、第二回の会議にも出席しています(17年の第三回以降は委員を辞退)。
 
そして今回手に入れたのが、第二回中央協力会議の開催要項です。会場は丸の内の大政翼賛会本部。下の画像は9ページ目。会議の日程です。日付を注意して御覧下さい。

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おわかりでしょうか。まさに太平洋戦争開戦の日、昭和16年12月8日なのです。翌昭和17年の『中央公論』に載った光太郎の散文「十二月八日の記」によれば、そのため会議の開始は午後に延期と決定、待たされている間に開戦を告げる天皇の詔勅が放送され、要項には5日目まで書かれている会議は1日で打ち切りになったそうです。
 
まさに歴史的な日、光太郎も手にしていたであろう要項がこれです。歴史の重みを感じます。中央協力会議に関しては、議事録や事前に配られたであろう議案などは国会図書館に収められていますし、古書市場にも出ますが(ただしむちゃくちゃ高い値段です)、かえってこういう要項は珍しいと思います。
 
他にもちょっと変わった一枚物をいろいろ手に入れていますので、明日以降、少しまとめて紹介しましょう。