光雲の彫刻にも、戦時中に残念ながら供出されてしまい、現存しないものがあります。
長岡護全銅像
明治39年、熊本の水前寺公園に建てられた像です。画像は当方手持ちの古絵葉書です。

長岡護全(もりまさ)は熊本の名門、細川家の出で、日露戦争遼陽の会戦で戦死。名門の出ですので、軍神的な扱いを受けたのでしょう。光雲が中心となり、白井雨山、水谷鉄也ら光太郎とも関わる彫刻家が手がけています。
この像も戦時中に供出、現存していません。ただ、ネットで調べたところ、跡地に写真が展示されているとのことです。
他にも光雲作で供出されてしまい、現存しないものがあると思われます。光太郎のものはかなりわかっているのですが、光雲のものは消息不明のものが少なくありません。情報をお持ちの方はお知らせ願います。