昨日の続きで宮城県志田郡荒雄村(現・大崎市)に建てられた光太郎作の青沼彦治像についてです。
こちらは像の序幕記念の絵葉書。袋付き5枚セットのものを入手できました(仙台の古書店から送られてきた目録で発見しました)。像の下の方に移っているのが青沼彦治本人でしょう。残念ながら像が大写しになっているカットがありませんでしたが、意外と珍しいものだと思います。



この像も、残念ながら戦時中に金属供出の憂き目に遭いました。現在では、台座がひっそりと残っています。場所は古川駅から1㎞程北の荒雄公園というところです。すぐ近くに吉野作造記念館があります。当方、2年前の冬に行って参りました。

岐阜の浅見与一右衛門像同様、やはり像は無くなっても翁を顕彰する気運は無くならず、昭和41年(1966)に工事が行われ、台座の基底部は野外ステージに転用、主柱部分に新たにレリーフを作ってはめ込んであります。

注目すべきは主柱の裏側。大正14年(1925)建立当時の石製銘板が遺っていました。「監督 高村光雲 原型 高村光太郎 鋳造主任 高村豊周」の文字が刻まれています。

さて、青沼家には、供出前にこの像を撮影したフィルムが残っており、ビデオテープにコピーされ、像の近くにある吉野作造記念館に所蔵されています。
当方、2年前にここを訪れた際、見せていただきました。動画として残っているというのは珍しい例です。しかし、動画といっても銅像を撮影したものですから、動きはありません。ただ、写真では見られない背部なども写っていたように記憶しています。
他にも光太郎作品で戦時供出されたものがあります。明日も続けます。