昨日、光雲が制作主任であった上野の西郷さんの銅像について書きました。
西郷さんの銅像は戦時供出をまぬがれ、上野公園に現存しています。しかし、光雲作、光太郎作の銅像の類のうち、残念ながら供出されてしまったものも少なくありません。
それらについて御紹介すると同時に、情報等ございましたらご提供のお願いです。
まずは光太郎作品から。
浅見与一右衛門銅像

『浅見与一右衛門翁と「岩村電車」 復刻版』より
大正7年(1918)、光雲の代作ということで、光太郎が制作。現在の岐阜県恵那郡岩村町に立てられました。浅見与一右衛門は天保14年(1843)の生まれ。岩村で酒造業と庄屋を兼ねた素封家で、維新後は岐阜県議会議長、衆議院議員などを務めました。また、岩村電車を開通させるなど、地域への貢献も大きく、地元民がその偉業を頌え、喜寿の記念に銅像建立を発願しました。除幕式は大正8年(1919)4月27日。浅見翁はまだ存命中でした(大正13年=1924歿)。
後年、光太郎はこの像について「銅像の代作では、木曽川のへりの村の村長さんのものがある。有徳な村長さんで、村中の人が金を出して作つたものだが、それがとても猫背のフロツクコートを着て膝のとび出したズボンをはき、シルクハツトを持つているところをこさえたものである。モデルのとおりにこさえたけれど、そんなに悪くない作のはずだ。だが村では不評判だつたことだと思う。父は、もう少しおまけした方がいいなどと言つたものだ。なにこういうところがかえつておもしろいのです、と言つてそのまま鋳金した。」(「遍歴の日」昭和26年(1951)『高村光太郎全集』第10巻)と語っています。
「村長さん」というのは光太郎の勘違いなのではないかと思われます。上記の浅見翁経歴は、平成19年、地元で刊行された『浅見与一右衛門翁と「岩村電車」 復刻版』に依りましたが、県議会議長、衆議院議員という記述はあっても村長という記述はありません。ネットで調べても同様です。

このあたり、詳しくご存知の方は情報をいただければ幸いです。
この像が、残念ながら戦時中に金属供出の憂き目に遭いました。現在では、台座がひっそりと残っています。

また、やはり「有徳の人」だったということで、地元で像を再建しようという運動が起こり、昭和60年(1985)、岩村町出身の彫刻家、永井浩氏によって新たな像が創られました。おそらく元々の像の写真等を参考にしたのでしょう、同じポーズで創られています。

当方、3年前の夏に岩村を訪れました。旧中山道の宿場町、恵那から山中に入ったところで、浅見家をはじめ古い街並みが残り、風情のある場所でした。当方の住む千葉県香取市同様、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
他に岩村城跡や歴史資料館など、見どころも多いので、一度行かれる事をお勧めします。
次回も同じように供出されて現存しない光太郎彫刻について御紹介します。