yahoo!のニュース検索で1件、ヒットがありましたのでご紹介します。光雲の代表作の一つ、有名な「老猿」に関してです。
画像は平成14年に開催された展覧会のチラシです。「老猿」が大きく載っているので使わせていただきます。

にほんご鹿沼市:高村光雲「老猿」生んだトチノキで「木彫りのまち」PRへ 第1弾、26日に国立博物館見学ツアー /栃木
◇若手林業者ら乗り出す
日本近代彫刻の重鎮・高村光雲(1852~1934)の代表作「老猿」の素材が、鹿沼市産のトチノキだったことに、同市の若手林業者のグループ「森のなかま」(福田勝美代表)が着目。「木彫のまち鹿沼」のPRに乗り出した。26日には第1弾として東京国立博物館に展示されている「老猿」見学ツアーを計画。国の重要文化財である作品を味方につけ、イメージアップに努める。【浅見茂晴】
木工業が盛んな同市には、鹿沼産材の使用拡大を目指し、森林組合や製材所、建具店など木工関係者でつくる鹿沼地区木材需要拡大協議会がある。「森のなかま」は協議会の企画を実行するグループで、チェーンソーアーティストによる松尾芭蕉像をまちの駅「新・鹿沼宿」に設置した。
また、彫刻屋台や木版画の「川上澄生美術館」もあることから、森のなかまでは「木のまち、木工のまち鹿沼」に続く第三のキャッチコピーとして「木彫のまち」を考案した。
高村は東京生まれ。仏師の弟子として木彫を学び、同時に西洋の写実主義を取り入れて、新しい時代を切りひらいた。「老猿」のほか東京・上野の西郷隆盛像や皇居前広場の楠公像などで知られる。
「老猿」(高さ90・9センチ)は1893(明治26)年のシカゴ万博出品のため制作。大ワシとの格闘直後の気迫あふれる姿を描写した。材料のトチノキは、鹿沼に来て買い付けた。その際のエピソードを「栃の木で老猿を彫ったはなし」に書き残している。同市の上粕尾地区にあった、幹の直径が約2メートルの大木を切り出したという。その後、切り株から新たな芽が出て、現在は3代目と伝えられる木が、幹の周囲約3メートルにまで成長している。
現地は林道の終点から徒歩約30分上った斜面にあり、雑草が生い茂っている。整備が必要な状態だ。「森のなかま」は11月、現地確認に訪れる予定で、このトチノキをそのシンボルの一つと位置づけ、イメージアップを図っていくと同時に木彫に関するエピソードの掘り起こし作業も進める。代表の福田さんは「老猿に使われた木にあやかって、いろいろな方法でPRし、木工業の発展に寄与したい」と話している。
見学日程は26日、市民を対象に定員25人を募集する。8月10日までに申し込む。問い合わせは、協議会事務局(電話0289・62・5171)。
毎日新聞 8月7日朝刊
日本近代彫刻の重鎮・高村光雲(1852~1934)の代表作「老猿」の素材が、鹿沼市産のトチノキだったことに、同市の若手林業者のグループ「森のなかま」(福田勝美代表)が着目。「木彫のまち鹿沼」のPRに乗り出した。26日には第1弾として東京国立博物館に展示されている「老猿」見学ツアーを計画。国の重要文化財である作品を味方につけ、イメージアップに努める。【浅見茂晴】
木工業が盛んな同市には、鹿沼産材の使用拡大を目指し、森林組合や製材所、建具店など木工関係者でつくる鹿沼地区木材需要拡大協議会がある。「森のなかま」は協議会の企画を実行するグループで、チェーンソーアーティストによる松尾芭蕉像をまちの駅「新・鹿沼宿」に設置した。
また、彫刻屋台や木版画の「川上澄生美術館」もあることから、森のなかまでは「木のまち、木工のまち鹿沼」に続く第三のキャッチコピーとして「木彫のまち」を考案した。
高村は東京生まれ。仏師の弟子として木彫を学び、同時に西洋の写実主義を取り入れて、新しい時代を切りひらいた。「老猿」のほか東京・上野の西郷隆盛像や皇居前広場の楠公像などで知られる。
「老猿」(高さ90・9センチ)は1893(明治26)年のシカゴ万博出品のため制作。大ワシとの格闘直後の気迫あふれる姿を描写した。材料のトチノキは、鹿沼に来て買い付けた。その際のエピソードを「栃の木で老猿を彫ったはなし」に書き残している。同市の上粕尾地区にあった、幹の直径が約2メートルの大木を切り出したという。その後、切り株から新たな芽が出て、現在は3代目と伝えられる木が、幹の周囲約3メートルにまで成長している。
現地は林道の終点から徒歩約30分上った斜面にあり、雑草が生い茂っている。整備が必要な状態だ。「森のなかま」は11月、現地確認に訪れる予定で、このトチノキをそのシンボルの一つと位置づけ、イメージアップを図っていくと同時に木彫に関するエピソードの掘り起こし作業も進める。代表の福田さんは「老猿に使われた木にあやかって、いろいろな方法でPRし、木工業の発展に寄与したい」と話している。
見学日程は26日、市民を対象に定員25人を募集する。8月10日までに申し込む。問い合わせは、協議会事務局(電話0289・62・5171)。
毎日新聞 8月7日朝刊
光雲、この「老猿」の制作には非常に苦労したそうです。彫刻そのものに関してもそうでしたし、ニュースで取り上げられている材料の買い付けも予想外の出来事が重なったため苦労しています。また、ちょうどこの時期に長女(光太郎にとっては姉)さくが急逝するという悲しい出来事もありました。
そのあたりは光雲自身の回想録『光雲懐古談』(昭和4年)に詳しく書かれています。サイト「青空文庫」に掲載されていますので、リンクを貼ります。
それにしても100年以上前に一度伐採された栃の木がまた芽を吹いて生き延びている、というのもすごいですね。
花巻や二本松、女川、そして今回の鹿沼など、光太郎・智恵子・光雲ゆかりの地は全国にたくさんあります。それぞれの地域で町おこしに活用してほしいものですね。そういうことが顕彰活動にもつながりますから。
明日は宮城県女川光太郎祭に行って参ります。