またオリンピック関連に戻ります。「またか」と思われるかも知れませんが、四年に一度のことですのでご寛恕の程。
 
『高村光太郎全集』の頁を繰っていて、光太郎がオリンピックに言及した箇所をまた発見しましたので、紹介します。
 
2篇あり、どちらも少し前に紹介した座談「新女性美の創造」と同じく、昭和11年(1936)のベルリンオリンピックに関係するものです。
 
まず、第二十巻に掲載されている「「美の祭典」を観る」という散文。座談「新女性美の創造」を紹介した時にも書きましたが、「美の祭典」はベルリンオリンピックの記録映画です。日本での公開は4年後の昭和15年。のんびりした話ですね。もっとも、純粋な記録映画ではなく、後から選手にもう一度演技してもらっての撮影、今で言う「やらせ」が多用されているとのことで、クランクアウトまでに時間がかかったようです。
 
初出は昭和15年12月1日発行の『科学知識』第20巻第12号。かなり畑違いの雑誌ですが、光太郎、本当にいろいろな分野の雑誌に寄稿しています。そのあたりについても後ほど書いてみようと思っています。
 
長い文章ではありませんので全文を紹介しましょう。「いかにも彫刻家」という視点が窺えます。
 
「美の祭典」の全体に叙情性の濃厚なのを認めた。闘争のスリルよりも均衡の美を求める努力と意志が著しい。体操と飛込とに一番多く時間を与へてゐるのでもわかる。
 編輯に於ける全体的構成の雄大なことと、撮影途上の細かい注意とは相変らず見のがし難い。常に個々の競技そのものよりも、その競技のうしろにある力と美とを表現しようとしてゐるし、又馬の蹄の先とか、日本女性の足の指とか、各国人の表情の相違とか、雲と帆、雲と人とか、さういふ数々の挿話のおもしろさを長からず短からず取り入れてゐる緻密さがある。
 体操の美には殊に感心した。人体の力の比例均衡を存分に満喫して満足した。無理のない運動の流暢さが如何に鍛錬された力の賜であるかを見た。女学生の集団体操の撮影の順序には微笑した。
 最後の飛込の天と水と人体との感覚は圧巻である。尚ほ水泳の葉室君の顔がこの上もなく美しくて嬉しかつた。
 
「葉室君」は葉室鐵夫。005子200㍍平泳ぎの金メダリストです。

女子200㍍平泳ぎの金メダリストは前畑選手ですから、アベック優勝だったのですね。

もう一篇、その前畑選手の名前が、昭和30年(1955)、光太郎最晩年の日記の巻末余白に記されたメモ書きに現れます(『高村光太郎全集』第十三巻)。
 
ベルリンオリムピツクで前畑秀子が二百米平泳で優勝したのは一九三六年。(浅草のカフエでその放送をきいたので年代おぼえの為書抜)
 
なぜ突然この時期に前畑選手の名前が出て来るのか不思議でしたが、8月5日~14日にかけての日記に、断続的に「夜日米水泳をラジオできく」といった記述があるので、その関係で思い出したのだと思います。
 
例の「前畑がんばれ!」を光太郎は浅草のカフェで聞いていたのですね。この時、智恵子はその終焉の地となった品川のゼームス坂病院で、有名な紙絵の制作にかかっていました。
 
ざっと調べた限りでは、光太郎とオリンピックの関連はこんなところでした。ロンドン五輪も後半戦に突入。会期中にまた何か見つけたら紹介したいと思います。