宮城県から生涯教育系講座の情報です。
現代の詩と詩人
期 日 : 2022年10月8日(土) 11月12日(土) 12月10日(土)
会 場 : 河北TBCカルチャーセンターエスパル教室
宮城県仙台市青葉区中央1丁目1-1 仙台ターミナルビル5F(エスパル本館)
時 間 : 13:00~14:30
料 金 : 3カ月3回8,580円(入会金別)
講 師 : 宮城教育大学名誉教授 渡辺善雄氏
茨木のり子は川崎洋と詩誌『櫂』を創刊し、谷川俊太郎、大岡信、吉野弘らと戦後詩の新しい流れを作りました。この講座では茨木のり子を中心に、茨木が『うたの心に生きた人々』(ちくま文庫)や『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)で論じた金子光晴、山之口貘、石垣りん、高村光太郎、与謝野晶子、黒田三郎、川崎洋らを取り上げます。戦争、貧乏、酒、恋愛などに翻弄される詩人たち。その哀歓を詩と逸話によって語ります。
内容的には7月から9月まで行われていたものが再度開催されるようです。それだけ人気が高かった講座なのでしょう。
詩人・茨木のり子を中心に、茨木が評論等で取り上げた金子光晴、山之口貘、石垣りん、与謝野晶子、黒田三郎、川崎洋、そしてわれらが光太郎についても触れて下さるそうです。
ところで、探し方が悪いからなのかもしれませんが、以前はもっとたくさん各地で行われていたこの手のカルチャー講座が少なくなったように感じます。コロナ禍も影響しているのかもしれません。教室閉鎖といった記述も見られますし……。
それだけに貴重な機会です。お近くの方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
夕方細田明子さん婚約者(医師)と同道くる、五月廿五日披露会によばれる、諾、
「細田明子さん」は、光太郎が戦前から行きつけにしていた荒川区三河島のトンカツ屋「東方亭」の息女です。光太郎は彼女が幼い頃から娘のようにかわいがり、詩「少女に」(昭和16年=1941)、「女医になった少女」(昭和24年=1949)などの詩のモデルとしました。
詩の題名通り女医となった明子さん、この年、結婚なさり、光太郎披露宴に招待しました。光太郎、一度は承諾したものの、結局、体調がすぐれず欠席することとし、6月8日には記念帖を進呈しました。
曰く
心臓をわるくしてゐてお祝に出られなかつた お二人は殊に心臓がおつよいといふ事だし それにあやかりたかつたが是非もなかつた たゞ新郎が心臓専門なのは心づよい 光太郎
茨木のり子は川崎洋と詩誌『櫂』を創刊し、谷川俊太郎、大岡信、吉野弘らと戦後詩の新しい流れを作りました。この講座では茨木のり子を中心に、茨木が『うたの心に生きた人々』(ちくま文庫)や『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)で論じた金子光晴、山之口貘、石垣りん、高村光太郎、与謝野晶子、黒田三郎、川崎洋らを取り上げます。戦争、貧乏、酒、恋愛などに翻弄される詩人たち。その哀歓を詩と逸話によって語ります。
内容的には7月から9月まで行われていたものが再度開催されるようです。それだけ人気が高かった講座なのでしょう。
詩人・茨木のり子を中心に、茨木が評論等で取り上げた金子光晴、山之口貘、石垣りん、与謝野晶子、黒田三郎、川崎洋、そしてわれらが光太郎についても触れて下さるそうです。
ところで、探し方が悪いからなのかもしれませんが、以前はもっとたくさん各地で行われていたこの手のカルチャー講座が少なくなったように感じます。コロナ禍も影響しているのかもしれません。教室閉鎖といった記述も見られますし……。
それだけに貴重な機会です。お近くの方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
夕方細田明子さん婚約者(医師)と同道くる、五月廿五日披露会によばれる、諾、
昭和29年(1954)4月18日の日記より 光太郎72歳
「細田明子さん」は、光太郎が戦前から行きつけにしていた荒川区三河島のトンカツ屋「東方亭」の息女です。光太郎は彼女が幼い頃から娘のようにかわいがり、詩「少女に」(昭和16年=1941)、「女医になった少女」(昭和24年=1949)などの詩のモデルとしました。

曰く
心臓をわるくしてゐてお祝に出られなかつた お二人は殊に心臓がおつよいといふ事だし それにあやかりたかつたが是非もなかつた たゞ新郎が心臓専門なのは心づよい 光太郎