各地で行われた光太郎智恵子がらみの講演会等の報道を、3件。

まずは石川県金沢市。『北陸中日新聞』さんから。

人柄巧みに描き出す 犀星「我が愛する詩人の伝記」 記念館20周年 池澤夏樹さん講演

000 室生犀星記念館の開館二十周年を記念して、作家、詩人の池澤夏樹さんが七日、金沢市文化ホールで講演した。犀星が交流のあった十一人の詩人たちについて書いた「我が愛する詩人の伝記」について「自分を出しながら、相手の人柄を書くのが犀星」と解説した。
 北原白秋、高村光太郎、萩原朔太郎、釈迢空、堀辰雄、立原道造…。犀星は、その生き様と作品を交流や見聞きしたエピソードとともに描き出している。
 白秋は犀星あこがれの詩人。女性問題で挫折したことも「同情的に書いている」と。光太郎については「言葉を尽くしてほめたたえている」と紹介した。
 朔太郎は犀星が生涯の友情を貫いた詩人。池澤さんは「心と心が溶け合って、すべての振る舞いを認め合い、手を携えて生きたように見える」と表現。「詩人や作家には江戸っ子と、地方から上京した人がいる」といい、朔太郎が妻と別れて前橋に帰る時の詩「帰郷」と、「ふるさとは遠きにありて−」で知られる犀星の「小景異情」とを対比して「帰ってはいけない場所としての『故郷』があった」と語った。
 釈迢空が養子とした歌人藤井春洋との別れの場面の描写を「犀星は小説家として書いている」と指摘した池澤さん。「犀星は生涯、詩と小説を両輪で書いた珍しい人。大いに学ぶべきだと思う」と締めくくった。
 「我が愛する−」は一九五八年の出版。昨年、濱谷浩の写真を加えた「写文集 我が愛する詩人の伝記」(中央公論新社)として改めて出された。

金沢市の室生犀星記念館さん開館20周年記念講演会だそうで、これは事前に把握していませんでした。光太郎の章も含む、犀星による『我が愛する詩人の伝記』、ここにきてまた復刊がなされたりで注目されており、いい傾向だと思います。

続いて福島市。『福島民報』さん。

謎が多い宇宙の魅力紹介 写真展「138億光年 宇宙の旅」監修の国立天文台上席教授渡部潤一さん講演

 福島県福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で開催中の写真展「138億光年 宇宙の旅」を監修する国立天文台上席教授渡部潤一さん(会津若松市出身)は14日、同センターで講演した。
 講演は7月24日に引き続き2回目。「138億光年の宇宙の先へ―ほんとの空がある福島から―」と題し、謎が多い宇宙の魅力を紹介した。「夜空は誰もが見ることのできる最も広い時空間」と語り、自由に思いをはせ、癒やされてほしいと呼びかけた。さらに「福島は天文ファンの聖地」と述べ、宇宙と福島の関わりを説明した。
 日本天文遺産に認定された会津藩校日新館天文台跡については「見える形で残された貴重な日本最古の天文台跡で、国宝級だ」と熱弁した。
 写真展は福島民報社が創刊130周年記念事業として21日まで催している。
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過日ご紹介した、福島市で開催中の「写真展 138億光年宇宙の旅」関連行事としての講演会。サブタイトルに光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を入れて下さいました。多謝。

余談ですが、渡部氏、NHKさんで8月11日(木)放映の「コズミックフロント 流星群 星降る夜の謎」にご出演。興味深く拝見いたしました。

最後に都内から。『朝日新聞』さん。

近代史、「わかりやすい物語」どう脱却 奥泉光さん・加藤陽子さん、対談

 小説家の奥泉光さんと歴史学者の加藤陽子さんが、太平洋戦争下で言葉や物語が果たした役割について語り合った。共著『この国の戦争』(河出新書)の刊行にあわせたオンラインによるトークイベントが先月、東京都内で開かれた。
 同書は3回にわたる対談をまとめたもの。「軍人勅諭」などの公文書をはじめ、戦時中に書かれた軍人の手紙や作家の文章など膨大な史料に対し、文学者と歴史家という別の立場から「批評」を重ねたという。通底するのは「わかりやすい物語」からいかに脱却し、客観的に歴史を捉えるかという点だ。
 奥泉さんは、対話によって近代史の通説をうのみにはできないと改めて確認したという。たとえば三国同盟は「日本は単に勝ち馬にのりたかったのではなく、東南アジアの権益をもらうためだった。ドイツを牽制(けんせい)したわけです」。
 すると加藤さんは、当時日本が唱えた「大東亜共栄圏」という言葉を取り上げ、「日本が戦後処理のなかで植民地をもらうには言葉がいる。なぜこの言葉が出てくるか、誰が物語を作るのか。改めて気をつけて史料を読まなくてはいけない」と話した。
 視聴者から「同調圧力と戦うには?」という質問が届き、加藤さんは、「組織の構成員に女性を増やしてみる。弱い人に目が向くと思いますよ」。奥泉さんは「他者と対話的に関わる、そうした理念を求めていくこと」と答えた。

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記事中に光太郎智恵子の名はありませんし、トーク中に名が出たか分かりませんが、書籍の中で触れられている『この国の戦争 太平洋戦争をどう読むか』刊行記念の対談だそうで。

先頃、太平洋戦争77回目の終戦記念日を迎えましたが、ウクライナ情勢の泥沼化しつつある昨今、例年以上に戦争について考えさせられる年となってしまっています。

ちなみに奥泉氏、終戦記念日には、NHKラジオ第1さんの「高橋源一郎と読む「戦争の向こう側」2022」にご出演。作家の高橋源一郎氏、詩人の伊藤比呂美氏とご対談。戦況が厳しくなる戦時下、様々な行動や表現が制限される中、「それでも書き続けた作家たち」というテーマでした。

太宰治をメインに扱っていましたが、光太郎もちらっと。光太郎が序文を書き、詩「軍人精神」を寄せたアンソロジー『詩集 大東亜』(昭和19年=1944 日本文学報国会編 河出書房)が取り上げられ、光太郎についても語られました。
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高橋氏が「軍人精神」を朗読、その後に伊藤氏に感想を求めたところ、「馬鹿馬鹿しくて途中から聴いてられなかった」的な(笑)。それが正常な反応でしょう。こんなものを現代においても涙を流してありがたがる輩が少なからずいるのには呆れます。今年も終戦記念日前後、この手の光太郎詩をSNSに上げて喜んでいる愚か者が見受けられました。

しかし、光太郎、戦後はこうした翼賛詩を書き殴り、多くの前途有為な若者たちを死地に追いやる旗振り役をしたことを真摯に反省し、花巻郊外の不自由な山村で七年間もの蟄居生活を自らに科しました。同様の作品を発表した他の文学者にはほとんど見られなかったこの態度、これこそが光太郎を光太郎たらしめるものだと、当方は思っています。

こうした負の部分も含め、さまざまな皆さんに、光太郎について正しく語り継いでいっていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

夜ラジオで智恵子抄の琴をきく、米川敏子さん、


昭和28年(1953)11月1日の日記より 光太郎71歳

米川敏子さん」は、生田流の箏曲家。後に人間国宝となりました。「智恵子抄の琴」は、米川作曲の「千鳥と遊ぶ智恵子」。15分以上の大作です。
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CD化もされています。

まず米川本人の演奏。
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二代目米川敏子氏による新しいテイク。
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