群馬県から企画展情報です。

第114回企画展「写真で見る近代詩—没後20年伊藤信吉写真展—」

期 日 : 2022年1月15日(土)~3月13日(日)
会 場 : 群馬県立土屋文明記念文学館 群馬県高崎市保渡田町2000
時 間 : 9:30~17:00
休 館 : 火曜日
料 金 : 一般410(320)円、大高生200(160)円 ( )内は20名以上の団体割引料金
      中学生以下、障害者手帳等をお持ちの方とその介護者1名は無料

前橋市出身で詩人・評論家として活躍し、当館の開館時館長を務めた伊藤信吉は、昭和30年代末から約10年をかけて、全国の詩人ゆかりの地を訪ねました。それは、詩人としての伊藤の人生に大きな視点の変化をもたらすものでした。
本展では、高度経済成長期の激変する社会の中で伊藤が見、写真に残した風景を、その土地と詩人との結びつきに着目した紀行文とともに展示します。令和4年の新春は、文学館で名詩を巡る旅に出かけてみませんか。
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関連行事

記念講演会1「写真家の心 詩人の眼 —伊藤信吉さんのこと」
 令和4年2月5日(土)14:00~15:30  講師 小松健一 氏(写真家)
 定員100名 無料 要事前申込

記念講演会2「《ひらく》詩の世界 —伊藤信吉、旅の先にあるもの—」
 令和4年3月5日(土)14:00~15:30  講師 東谷篤 氏(日本社会文学会理事)
 定員100名 無料 要事前申込

展示解説
 1月15日(土)、1月30日(日)、2月19日(土) 各日14:00~(20分程度)要観覧料 申込不要

同館初代館長で、生前の光太郎とも交流の深かった伊藤信吉。展示解説にあるように、昭和30年代末から約10年をかけて、全国の詩人ゆかりの地を訪ね、写真を撮影し、紀行文にまとめました。

まず、昭和41年(1966)の『詩のふるさと』、同45年(1970)には『詩をめぐる旅』。共に新潮社さんから刊行されました。
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『詩のふるさと』の目次は以下の通り。

 さいはての町 釧路(石川啄木)     雪の曠野の旅 空知川(石川啄木)
 砂山の思い出 函館(石川啄木)     ふるさとの歌 渋民村(石川啄木)
 空知川の岸辺 歌志内(国木田独歩)   情感の物語 小樽(伊藤整)
 浜風のなでしこ 塩谷・忍路(伊藤整)  花の田舎唄 津軽(福士幸次郎)
 湖畔の乙女像 十和田(高村光太郎)   樹下の二人 阿多多羅山(高村光太郎)
 山麓の二人 裏磐梯(高村光太郎)    自己流謫の地 岩手(高村光太郎)
 北上川の畔 花卷(宮沢賢治)      地人・土地の愛 花卷(宮沢賢治)
 古城にうたう 仙台(土井晩翠)     懐郷の国語読本 上小川(草野心平)
 利根のアカシヤ 前橋(草野心平)    波宜亭の秋 前橋(萩原朔太郎)
 追憶の古き林 前橋(萩原朔太郎)    おだまきの花 山科(萩原朔太郎)
 山脈の方へ 三国峠(高橋元吉)     雲に寄せて 大洗(山村暮鳥)
 蓮に書ける歌 不忍池(与謝野鉄幹)   都会の触手 東京(萩原恭次郎)
 「はけ」の村の記憶 多摩(村野四郎)  旅人かえらず 相模川(西脇順三郎)
 湖畔の亡命者 山中湖(金子光晴)    湖に凍る歌 山中湖(金子光晴)
 秋の夜をこめて 甲府盆地(尾崎喜八)  高原に立って 美ヶ原(尾崎喜八)
 浅間山麓の村 追分(立原道造)     生涯の秋の歌 追分(立原道造)
 林檎の花の慕情 馬籠(島崎藤村)    千曲川のほとり 小諸(島崎藤村)
 伝説の荒い海 親不知(中野重治)    荒涼の旅情 親不知(中野重治)
 裏日本の村 生地(田中冬二)      湖面の星座 松江(田中冬二)
 犀川のほとり 金沢(室生犀星)     雪に萌える春 金沢(室生犀星)
 朝明けの空の雁 洲崎(室生犀星)    切なき思いぞ 軽井沢(室生犀星)
 砂丘の夜の流星 内灘(井上靖)     薬種商の町で 富山(井上靖)
 豪奢なる亡び 京都(村山槐多)     「葦の地方」で 大阪(小野十三郎)
 市民精神の歌 堺(与謝野晶子)     追憶の夜の雨 奈良(西条八十)
 紀の国の五月 新宮(佐藤春夫)     「愚者」の墓地 新宮(佐藤春夫)
 名も知らぬ花 犬吠岬(佐藤春夫)    金釘流の母たち 播磨(坂本遼)
 一輪の花の幻 広島(原民喜)      人間を返せ! 広島(峠三吉)
 水は流れて…… 長門峡(中原中也)   ふるさとの風 湯田(中原中也)
 GONSHAN.GONSHAN. 柳川(北原白秋) 水の上の廃市 柳川(北原白秋)
 利休鼠の雨 城ヶ島(北原白秋)     落葉松の林 軽井沢(北原白秋)
 泥海の物語 有明海(伊東静雄)     帰郷者の墓 諫早(伊東静雄)
 殉教者たちの声 長崎(大江満雄)    山村の天主堂 大江(木下杢太郎)
 雨の放牧場で 草千里浜(三好達治)   二十年の回憶 草千里浜(三好達治)
 西南戦争の後に 阿蘇(落合直文)    叢の中の礎石 都府楼址(伊藤信吉)

同じく『詩をめぐる旅』。

 北海の日の在処 オホーツク(北原白秋) 渚の黒い人影 北見・網走(中野重治)
 「海の捨児」の碑 塩谷(伊藤整)    シャコタン紀行 古平(吉田一穂)
 修道院の鐘の音 当別(吉田一穂)    月夜の連絡船(吉田一穂)
 星形の洋式城趾 五稜郭(秋山清)    最北端の夏の海 野寒布岬(草野心平)
 十三の砂山唄 北津軽(草野心平)    花輪の中の富士 荒川土堤(草野心平)
 雪国のオルガン 岩根沢(丸山薫)    まんさくの花 岩根沢(丸山薫)
 牧歌的な聖地 小岩井農場(宮沢賢治)  畦道の墓花 雫石(宮沢賢治)
 鹿踊りの高原 種山ヶ原(宮沢賢治)   濃霧の夜の航路 三陸海岸(高村光太郎)
 千鳥の足あと 九十九里浜(高村光太郎) 国境の工事現場 清水トンネル(高村光太郎)
 冬の夜の火星 駒込台地(高村光太郎)  若菜の萌える春 仙台(島崎藤村)
 「椰子の実」の歌 伊良子岬(島崎藤村) 松山のひぐらし 平潟(西條八十)
 生と死の荒海 銚子君ヶ浜(三富朽葉)  郷愁をこめて 水郷潮来(野口雨情)
 沖に鳴る石臼 房州布良(金子光晴)   燈台の物語 房州白浜(金子光晴)
 潮流の連絡船 関門海峡(金子光晴)   早春の芽立ち 荒川(森山啓)
 葉ざくらの陰に 東京九段(白鳥省吾)  もろこし村の秋 河口湖(堀口大学)
 霜の溶ける「声」 鎌倉円覚寺(高見順) 峠路の道しるべ 飯能・入間(蔵原伸二郎)
 家郷への渇き 品川沖(萩原朔太郎)   監獄裏の雑木林 前橋(萩原朔太郎)
 敗亡者の墓銘 国定(萩原朔太郎)    海水旅館の灯 鯨波海岸(萩原朔太郎)
 出稼ぎの別れ 赤城山麓(萩原恭次郎)  望郷の山上湖 榛名湖(山村暮鳥)
 風の町の思い出 高崎(福永武彦)    漁師町の年月 戸田(福永武彦)
 蒟蒻村紀行 下仁田(西脇順三郎)    「分去れ」の歌 追分(立原道造)
 北佐久の「村人」 佐久(佐藤春夫)   高原牧地の憂愁 野辺山(尾崎喜八)
 旅の途次の音楽 安曇野(尾崎喜八)   山の抒情日誌 戸隠(津村信夫)
 啄木鳥の橡量り 野麦街道(田中冬二)  風車をまわして 糸魚川(田中冬二)
 失われた砂山 新潟(市島三千雄)    松林の蔭の尼寺 金石(室生犀星)
 粉雪の舞う港 能登七尾(室生犀星)   古都漂泊の歌 西陣(室生犀星)
 砂山に描く面影 利根河畔(室生犀星)  昔の日の暮れ 福井(中野鈴子)
 断崖の水仙花 三国(三好達治)     志賀高原の四季 発哺・上林(三好達治)
 旅の終りの鷗鳥 伊豆西海岸(三好達治) 砂浜の網の花 安乗崎(伊良子清白)
 壁にのこる楽書 尾張一宮(佐藤一英)  物質的な感動 飛騨(小野十三郎)
 火を噴く砂丘 鳥取(小野十三郎)    別離を思う旅 日の御碕(木下夕爾)
 中国山脈の野分 伯耆大山(井上靖)   幻の石楠花の花 比良(井上靖)
 煙まやまやと 神戸(八木重吉)     海図の導く死 小豆島(生田春月)
 ふるさとの墓山 宿毛(大江満雄)    街の石油ランプ 宿毛(大江満雄)
 「新しき村」の歌 日向(武者小路実篤)

これらの中から、パネル展示などがなされるようです。ぜひ光太郎も取り上げていただきたいところです。

それから関連行事の講演会。2月5日(土)の講師を務められる写真家の小松健一氏、伊藤の著書と同じようなコンセプトの『詩人を旅する』という書籍を刊行されています。平成11年(1999)、草の根出版会さんの「母と子でみる」という叢書の一冊です。

こちらの目次は以下の通り。

 啄木の流離を巡る北の旅006
 啄木が青春を謳歌した盛岡
 啄木、中学生の時の思い出
 賢治の感性を育んだイーハトーブ
 茂吉のこころ映す最上川の急流
 自己を罰した奥羽の山小屋
 牧水が好んだ上州「枯野の旅」行
 赤城おろしの中にきく望郷歌
 雨あがりの浅間山麓の虹
 藤村を酔わした千曲川の蒼き流れ
 木曽谷・大妻籠の夜明け
 遠きふるさと 能登・犀川の原風景
 春夫が愛した五月の紀の国
 晶子を育てた自由都市・堺
 にんげんをかえせ 峠の叫び聞く広島の夏
 中也20歳 詩人への宣言
 白秋詩歌の母体 水郷柳川
 火の国・阿蘇 雨の草千里浜

色を変えておきましたが、「自己を罰した奥羽の山小屋」の章が、光太郎関連。蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋が中心ですが、智恵子の故郷、福島二本松も扱われています。

小松氏、光太郎の代わりに髙村家を嗣いだ実弟の豊周令息の故・髙村規氏と、日本写真家協会の役員を共に務められるなど、旧知の仲だったそうで、氏のブログには昨年末に開催された東京藝術大学大学美術館正木記念館さんでの「髙村光雲・光太郎・豊周の制作資料」展レポートなども載っていました。

これは行かざあなるめい、ということで、講演の拝聴申し込みを致しました。後ほど、展示と併せてレポートいたします。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

塩がまの人佐久間氏といふ人新婚にて花巻松雲閣より八重樫マサさんの案内で来訪、前田夕暮の弟子の由。


007昭和26年(1951)11月9日の日記より 光太郎69歳

八重樫マサ」は花巻温泉松雲閣の仲居さん。たびたび光太郎訪問客の案内役を務めたそうです。

佐久間氏」は仙台ご在住の佐久間晟氏。永らく警察庁技官を務められたかたわら、光太郎とも交流のあった前田夕暮に師事して短歌に親炙し、宮城県歌人協会会長、NHK仙台ラジオ歌壇・『毎日新聞』宮城歌壇選者などを務められました。夫人のすゑ子氏も歌人で、ご夫妻で歌誌『地中海』同人でした。右画像、左から八重樫マサ、光太郎、佐久間夫妻です。

平成17年(2005)、同誌にこの日の光太郎訪問記等がすゑ子夫人のご執筆で掲載され、その後、当方、仙台でご夫妻と面会、詳しくお話を伺うことができまして、その際の聞き書きを『高村光太郎研究』第28号(平成19年=2007、高村光太郎研究会)に寄稿いたしました。

008それによれば、光太郎の山小屋の書棚に白い皿へ置かれたレモンがあって印象的だったとか、新小屋の掘りごたつにはラジエントヒーター(ニクロム線が渦巻きになってついている鍋用の電熱器)が入っていたなど、細かな様子まで覚えておいででした。

光太郎の話も、「風呂の湯から智恵子が飛び出してくる幻を見た」とか、外出から帰ると智恵子が居るような気がしてつい「ただいま」ということがあるとか、しんみりさせられるものだったそうです。

話は戦前のことにも及び、駒込林町のアトリエでは、階上の智恵子を呼ぶのに大声をあげたくないので、土鈴を鳴らして呼んでいたとか、ゼームス坂病院に持って行ったレモンは懇意にしていた銀座のレストランの厨房から頒けてもらっていた(当時、青果店にはほとんど売っていなかった)など、他の資料にはほぼ見あたらない内容も含まれていました。