今年も最後の一日となりました。

昨日までのこのブログで、今年1年を振り返ってみましたが、昨年ほどではなかったものの、やはりコロナ禍前よりは紹介した事項が少なかったという感じでした。徐々に元に戻りつつはありますが、以前に行われていた大きな行事等のうち、今年も行えなかったこともありました。

4月2日の当会主催の連翹忌の集い、5月15日で花卷高村祭、8月9日に行われてきた女川光太郎祭、10月第1週の智恵子を偲ぶレモン忌、11月で高村光太郎研究会など。来年は、これらも元通りに開催できる事を切に願います。

また、コロナ禍前には、例年、1年間で皆様から頂いた郵便物に貼ってあった切手をJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)さんに寄付していましたが、整理するボランティアさんの密を避けるということで、来年3月まで受け付け停止中。昨年末もそうでしたので、2年分、ごっそり溜まっています。来年末には3年分、ごっそり贈らせていただきます。
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同様にベルマークは、ベルマーク教育女性財団さんの方で受付中でしたので、先月半ばにお送りしましたところ、寄贈者名簿に当会の名を記載して下さっています。受取証的な文書も届きました。
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さて、明日は2022年元日。そして元日といえば初日の出。当方、例年、昭和9年(1934)、智恵子が療養していた九十九里浜に初日の出を観に行っており、明朝もその予定です。ただ、かつて行われていた九十九里町の元旦祭は、やはりコロナ禍で中止と発表されています。

ところで今日未明は、にわか雨ならぬにわか雪。道路に積もる程ではありませんでしたが、家々の屋根や車にはうっすら。その後はからりと晴れました。明朝も晴れて欲しいものです。
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以前にもご紹介しましたが、九十九里浜以外にも、光太郎智恵子ゆかりの地で、初日の出スポットとして有名な場所がいくつかあります。

同じ千葉県で、大正元年(1912)、光太郎智恵子が愛を確かめ合った銚子市の犬吠埼。緯度と経度の関係で、離島や高山を除いて日本一早い初日の出が拝めます。
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智恵子の故郷・福島二本松では、このところ、二本松霞ヶ城の天守台址が初日の出スポットとして注目されています。下記は『広報にほんまつ』2022年1月号(二本松市さんでは、毎月末に翌月号をネット上にアップしています)から。
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そして、山梨県南巨摩郡富士川町上高下地区。昭和17年(1942)に光太郎がここを訪れたことを記念して建てられた文学碑のそばが、富士山頂から初日の出が上がるダイヤモンド富士の鑑賞ポイントとして有名です。
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さらに、宮城県女川町のショッピングモール、シーパルピア女川さん(女川光太郎祭の会場となり、こちらにも光太郎文学碑があります)。こちらも初日の出スポットとして、近年、有名になりつつあります。

というのも、東日本大震災で壊滅した町中心部に新たに建設され、JR石巻線の女川駅から女川港に向かうメインストリートの延長線上に初日の出が上るためです。計算してそう設計したわけではないのでしょうが、すごい偶然ですね。下記写真は女川町の「女川町民カレンダー」令和3年度版から。
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ちなみにシーパルピア女川さん、既存の施設をそのまま道の駅として認定されたりもしています。
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九十九里浜で迎える予定の明日の初日の出、来年1年にかける様々な願いを込めて、見てきたいと思っております。寝坊しないように気をつけます(笑)。

【折々のことば・光太郎】

夜ラジオをきき、除夜の鐘をきいてからねる、


昭和26年(1951)12月31日の日記より 光太郎69歳

この項、昨日までの流れですと、まだ9月なのですが、少し順番を入れ替えました。

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋で迎える7度目の大晦日。聞こえた除夜の鐘は、昌歓寺さんでしょうか、それとも清水寺さんでしょうか。8度目の大晦日をここで迎えることが無くなるのを、光太郎はまだ知りません。