仙台から、書道展の情報です。

第68回河北書道展

期 日 : 前期 2021年12月11日(土)~12月14日(火)
      後期 2021年12月17日(金)~12月20日(月)
会 場 : TFUギャラリーミニモリ 仙台市宮城野区榴岡2-5-26 
時 間 : 午前10時~午後5時 (最終日12月20日(月)は午後4時まで)
料 金 : 一般・大学生500円(消費税込み)/高校生以下無料

「河北新報社」主催の東北最大級の公募書道展です。今回、東日本大震災10年の節目に「墨魂 東北の力」を冠として開催します。
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008「第4部 近代詩文」の区分で、東松島市の浅野沙都美さんという方の作品「高村光太郎のうた」が、東北電力賞に選ばれています。

書かれているのは短歌です。

太田村山口山の山かげに稗をくらひて蝉彫るわれは

この短歌の正確な制作年月日は不明ですが、昭和21年(1946)頃には既に詠まれているようです。「太田村」は、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村(現・花巻市太田)。「山口山」は、光太郎の山小屋の裏山一体の俗称です。

光太郎自身、この短歌が気に入っていたようで、人に贈る書などで、この短歌を揮毫することが多くありました。

富山県水墨美術館さんで、先月末まで開催されていた「チューリップテレビ開局30周年記念「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」でも、日本近代文学館さん所蔵の、この短歌を書いた色紙が展示されました。

ところで、太田村での7年間の蟄居生活中、光太郎は、きちんとした「作品」としての彫刻を一点も発表しませんでした。昭和23年(1948)、盟友の武者小路実篤に送った書簡には、「やつと板彫とか小さな帯留め程度のものを、世話になつた人に贈るため作る位の事に過ぎない」とあり、その「板彫とか小さな帯留め程度のもの」も、実作の現存が確認できていません。

ただ、蝉に関しては、昭和22年(1947)に山小屋を訪れた竹内てるよや、地元在住の浅沼隆氏の、山小屋で蝉の彫刻を見た、という証言がありますし、和歌山県の東正巳から、彫刻材として椿の木片や、珊瑚の一種である「ヤギ」というものが贈られ、それで蝉を彫りたい、的なことを礼状にしたためています。

それにしても、あくまできちんとした「作品」というわけではなかったようで……。

ちなみに山小屋での彫刻というと、光太郎歿後に、山小屋の囲炉裏の灰の中から野兎の首を作ったテラコッタが発見されました。これも、作品として発表したものではなく、手すさびに作った、というようなものですが。

さて、「第68回河北書道展」、浅野さんの作が出るのは後期日程で、12月17日(金)からです。また、来年2月9日(水)~13日(日)には、大崎市民ギャラリー緒絶の館で大崎展も開催されるとのこと。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午前盛岡から、市立第一高女の生徒三人来り、新聞班の訪問記事をとる、ひる辞去。


昭和26年(1951)8月7日の日記より 光太郎69歳

「市立第一高女」は、現在の盛岡市立高校さんです。昭和23年(1948)には学制改革で「盛岡市立女子高等学校」と改称、さらに翌年には盛岡市立女子商業高等学校と合併し、盛岡市立高等学校となっています(共学化はさらに後)。昭和26年(1951)には既に高等女学校ではなくなっていましたが、慣習的に昔の呼称で記したのでしょう。

こうした高校生らの訪問記、意外と数が残されているようですが、その性質上、あまり外部に公開されていることが多く、当方も未見のものがほとんどです。