まず、新刊の小説です。

非愛の海

2021年10月6日 野樹優著 つむぎ書房 定価1,600円+税

反体制という青春があった。 此の国で人を愛するのは偽善で堕落だ。いや腐敗だ。俺たちはインテリではなかったのかと見せかけの自由に苛立つ戦後生まれのかれらが為そうとした希望のテロルとは何か。そして令和のこの時、孫世代が運命のように過酷な現実と出会う。これほど知性の愛を問いかけた文学はあったろうか。反抗は学問なのだ、と孤絶の闇を噛む愛の幻想(かげろう)。
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作者の野樹優氏、「小野寺聰」名義で演劇公演の脚本、演出などもなさっています。小野寺氏というのがご本名なのだと思われます。

一昨年、渋谷で公演のあった「長編詩劇・高村光太郎の生涯 愛炎の荒野。雪が舞う、」の脚本、演出をされていて、終演後には当方自宅兼事務所までお電話を下さいました。そして今回、御著をお送り下さったという訳で、恐縮しております。

物語は、戦後の混乱期、昭和40年代(と思われる時期)、現代を舞台としています。このうち、昭和40年代(と思われる時期)に、ノンセクト(死語ですね(笑))の左翼学生たちが、旧華族の令嬢を誘拐し、身代金ではなく、天皇が自らの戦争責任を表明することを要求する、というくだりがあります。それが上記の「見せかけの自由に苛立つ戦後生まれのかれらが為そうとした希望のテロル」です。誘拐、といっても、誘拐された後の令嬢が、彼らの計画に共鳴し、「共犯者」となることを提案したりと、一筋縄ではいかないのですが……。

その左翼学生たちと令嬢の会話の中に、ちらっと光太郎智恵子。
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あり余る過剰な才能を、光太郎との生活の中で発揮しきれず、心を病んでしまった智恵子。同様に、あり余る過剰な才能を、閉塞する時代の中で発揮しきれなかった学生たち(主人公的な学生は、詩や映画などの方面でその一部を発揮してはいましたが)。結局は挫折してゆくことになっていきます。

新刊紹介ついでにもう一冊。

4月にフランスで刊行された仏訳『智恵子抄』、『Poèmes à Chieko』。その後、紀伊國屋さんで注文可となり、取り寄せてもらいました。
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当方、仏語はほぼほぼお手上げですが、何と、見開きで光太郎の原詩が日本語で載っており、こりゃいいや、という感じでした。
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詩の選択は、新潮文庫版『智恵子抄』(昭和31年=1956)が底本となっており、戦後の詩篇も含まれています。散文「智恵子の半生」も。しかし、「智恵子の半生」と、それから冒頭20頁ほど、光太郎智恵子の簡略な評伝となっているようですが、そちらは仏語のみでした。散文「九十九里浜の初夏」、同じく「智恵子の切抜絵」は割愛されていました。

それぞれぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

藤間さんの為短文をかく。

昭和26年(1951)4月19日の日記より 光太郎69歳

「藤間さん」は舞踊家の藤間節子(のち、黛節子)。

「智恵子抄」の二次創作として光太郎が唯一許し、光太郎生前に実際に上演されたたのが、藤間による舞踊化のみでした。昭和24年(1949)と翌年のことでした。
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その後の「智恵子抄」がらみでない公演のパンフレットにも、光太郎は短文を寄せ、日記にあるのもそのうちの一篇「山より」です。