定期購読しております『日本古書通信』さんの9月号。当会顧問であらせられ、昨年亡くなった故・北川太一先生の『遺稿「デクノバウ」と「暗愚」 追悼/回想文集』の紹介が載りました。北川先生、同誌の主要寄稿者のお一人でもあらせられたので、さもありなん、ですね。
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古書関係でもう1点。同じ日に届いた、都下小金井市の美術系専門古書店、えびな書店さんの新蒐品目録。光太郎の色紙が2点、写真入りで紹介されています。

1点は、以前から市場に出ていたもので、フランスの諺(ことわざ)を揮毫したもの。
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高村光太郎小色紙 「杯と口とは遠し フランスの古諺より 光」
曰く「盃と口とは遠し」。元ネタはギリシャ神話です。アンカイオスという人物が、盃に入ったワインを今まさに口に付けようとした時に、猪に襲われて絶命したという故事で、おそらく、「油断大敵」とか、「画竜点睛を欠く」ではいかんとか、または「勝って兜の緒を締めよ」など、そういう教訓なのでは、と思われます。或いは、そういうこともあるから、人生は儚いもんだ、「邯鄲の夢」だ、という諦念を表すのに使うのかもしれません。

この「盃と口とは遠し」以外に、11篇のフランスの諺、さらに『ロダンの言葉』からの抜粋4篇を書いた短冊が、昭和2年(1927)、大阪の柳屋画廊の短冊販売目録に掲載されました。上記は色紙ですが、おそらくそう離れていない時期のものと推察できます。

もう1点、こちらは初めて見ました。
源にかへるもの
源にかへるもの力あり」。元ネタは昭和17年(1942)作の翼賛詩「みなもとに帰るもの」の一節ですので、やはりその頃のものでしょう。同じ色紙でも「盃と……」と較べると紙質が良くないというのは、画像でも見て取れます。戦時中ですからね。もっとも、戦後の混乱期にはボール紙を色紙代わりにして揮毫した例もありますが。

詩「みなもとに帰るもの」の当該部分は、「みなもとに帰するものは力あるかな」なので、少し異なるバージョンです。また、平成29年(2017)、豊島区役所さんで開催された「2017アジア・パラアート-書-TOKYO国際交流展」では、同じ「みなもとに帰るもの」中の「みなもとをしるもの力あり」という別の一節を揮毫した色紙が展示されたりもしていました。

ちなみに「盃と……」は28万円、「みなもとに……」は60万円です。お財布に余裕のある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

夜「岩手の人」といふ短詩をかく、


昭和23年(1948)12月27日の日記より 光太郎66歳

詩「岩手の人」は、翌年元日の『新岩手日報』に掲載されました。

 岩手の人眼(まなこ)静かに、
 鼻梁秀で、
 おとがひ堅固に張りて、002
 口方形なり。
 余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
 たまたま岩手の地に来り住して、
 天の余に与ふるもの
 斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
 岩手の人沈深牛の如し。
 両角の間に天球をいただいて立つ
 かの古代エジプトの石牛に似たり。
 地を往きて走らず、
 企てて草卒ならず、
 つひにその成すべきを成す。
 斧をふるつて巨木を削り、
 この山間にありて作らんかな、
 ニツポンの脊骨(せぼね)岩手の地に
 未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。

地元岩手では、有り難がられ、現代でも折に触れて引用される詩です。