我々の世代が小中学生だった頃と較べ、学校給食もだいぶ様変わりしているようです。「食育」という部分が強調されたり、地産地消にこだわったりといった取り組みは、けっこう以前から行われていたようです。或いは、子供たちの意見を取り入れた献立の実施なども。

さて、智恵子の故郷・福島県二本松市、旧安達町。こちらは安達学校給食センターさんが調理等に当たられているようですが、9月22日(水)は「ほんとの空献立」だったとのこと。

言わずもがなですが、『智恵子抄』所収の光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)に出てくる「ほんとの空」の語を冠して下さっています。ありがたし。「鬼婆献立」でなくて良かったと思いました(笑)。

智恵子生家からそう遠くない、上川崎地区にある市立川崎小学校さんのサイトから。

ほんとの空献立

9月22日
この日の給食は、6年生が考えた「ほんとの空献立」でした。
内容は、さつま芋ごはん、県産鮭の西京焼き、ほうれん草のソテー、きのこ汁、巨峰、牛乳です。
家庭科の授業で学んだことを活かして、秋の味覚たっぷりの栄養バランスのとれた献立を考えました。とてもおいしくいただきました。

画像が小さかったので、他を当たってみましたところ、智恵子の母校・市立油井小学校さんのサイトに大きく掲載されていました。
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秋らしいメニューですね。

さらに油井小さんによれば、献立を考えたのは川崎小さんの児童の皆さん、鮭は「阿武隈川メイプルサーモン」だそうです。定番の牛乳は、福島ときたら酪王さんかな、と思ったら、違いました(笑)。

平成30年(2018)の『福島県学校給食研究会栄養士部会会報』から。
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これによると、3年前にはすでに「ほんとの空献立」、実施されていたのですね。存じませんでした。個人的には「もずくスープエビ団子入り」が気になります(笑)。

ところで、昨今の学校給食は、やはりコロナ感染対策と云うことで、机は黒板に向けたまま、さらに「黙食」としているところが多いそうで、そういった部分では、子供たちもちょっとかわいそうですね。中にはその方が気が楽でいい、という子供もいるのでしょうが。

だいぶ収まってきたコロナ禍ですが、まだまだ油断は禁物。一日も早く収束・終息してほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

学校に立ち寄る。上田先生日直。狭山茶を学校に進呈。生菓子を出して茶をいれて一緒にのむ。郵便物うけとりてかへる。


昭和24年(1949)1月14日の日記より 光太郎67歳

この日は、花巻電鉄で花巻町中心街に買い出しに行った帰りでした。蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校、郵便物は配達夫も学校までしか届けてくれないので、その受け取りのためなどでよく立ち寄った光太郎、お茶を出されることもしばしばだったため、茶葉を差し入れ。ささやかな心遣いですね。

昨年開催予定だったのですが、コロナ禍とのため中止となり、改めて開催される運びとなりました。

チューリップテレビ開局30周年記念「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展

期 日 : 2021年10月8日(金)~11月28日(日)
会 場 : 富山県水墨美術館 富山市五福777
時 間 : 午前9時30分から午後6時まで
休 館 : 毎週月曜日、11月4日(木)
料 金 : 一般:1,200円(1,000円)/大学生:1,000円(700円)
       ( )内は20人以上の団体料金 


 「書は最後の芸術である」――高村光太郎晩年のこの言葉に引き寄せられるように、「画壇の三筆」と題して、熊谷守一(画家)、高村光太郎(詩人・彫刻家・画家)、中川一政(画家)の三人展を開催します。
 明治・大正・昭和へと連なる日本の近代美術の展開のなかで、ほぼ同時代を生きた三人の芸術家。その作品は、〈西洋〉化する日本の美術と〈東洋〉的な精神との折衝のなかから出現した、《模倣を嫌う》確固たる日本人の絵であり、彫刻であり、その書にはそれぞれの芸術観がよくあらわれています。
 本展では、書作品に、日本画、墨彩画、彫刻、陶芸を加えて、三人の芸術の足跡を辿ります。生涯にわたって美の理想を問い続けた三人の日本人芸術家が到達した、究極の表現世界をご覧ください。
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関連行事

映像で見る三巨人 会場:映像ホール 各日①11:00~ ②14:00~ 各回先着50名
 Ⅰ.「モリのいる場所」          10月9日(土)  11月7日(日)
     熊谷守一夫妻の日常を描いた傑作。 出演:山崎努 樹木希林
 Ⅱ.「高村光太郎」               10月10日(日) 11月13日(土) 
     ブリヂストン美術映画シリーズより
 Ⅲ.「中川一政生誕百年 記念番組」     10月17日(日) 11月6日(土)
     制作:北陸放送・北陸スタッフ

ギャラリートーク 会場:展示室1.2 要観覧券
 ① 10月16日(土)   講師:徳井静華氏(白山市立松任中川一政記念美術館学芸員)
 ② 11月3日(水)   講師:高松源一郎氏(ギャラリー晴耕雨読代表)
 ③ 11月21日(日)   講師:富山県水墨美術館学芸員

美術界の中で「書」もよくした三人の芸術家の、「書」を中心とした展覧会です。他にも「書」で有名な美術家は少なからず存在しますが、まぁ、とりあえずこの三人ということで。

1年半前にも書きましたが、展示すべき作品の選定、その貸借の交渉等に当方が協力させていただきました。最初に話があってから、足かけ3年程になるでしょうか。おかげさまで様々な機関や個人の方々にご協力いただき、本邦初公開を含む、いいものが集まりました。

しかし、苦労の連続でした。熊谷、中川の書は、大きい作品が中心ということで、光太郎もそうせざるを得ず、色紙等の小さなものはあまり出しません。そうなると、対象の絶対数が減ります。また、せっかくいいものをお持ちの団体さん等でも、他への貸し出しは行っていないとか、提示した貸借料で折り合いが付かなかったりとかで、借りられなかった作品が少なからずありました。また、昨年の段階では出品に応じていただける承諾を頂いていたのに、その後、所有者が手放してしまったという作品もあり、残念でした。

さらに云うなら、物理的に作品を運ぶ上で、所蔵先までの交通の問題で断念したケースもありました。作品の運搬には、ヤマト運輸さんの美専(美術品専門輸送)を使いますが、たった1点のために何百㌔㍍も距離を伸ばせない、ということで……。逆に、「××を貸して下さい」と交渉したところ、「こんなものも持ってますよ、一緒にお貸ししましょう」「おお、それは凄い、ありがたい!」というケースがありました。捨てる神あれば拾う神ありですね。こういう裏事情に詳しくなりますと、企画展もまた見る眼が変わってくるものです(笑)。

また、「書」以外にも、三人それぞれの「本業」、熊谷と中川に関しては絵画、光太郎は彫刻も出品されます。

これも一年半前に書きましたが、光太郎は新発見の「蝉」を含みます。他に、光太郎木彫の中で最も人気の高いうちの一つ、「白文鳥」なども。
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会期が結構長いというのもありがたい点です。コロナ感染にはお気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

デンキ会社関係の人三人来る、電燈布設の由にて請負の人と何課長とかいふ老人と世話人のやうな人となり。


昭和24年(1949)1月12日の日記より 光太郎67歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、光太郎が入居したのは昭和20年(1945)10月でしたが、3年以上ずーっと電気のない生活でした。山小屋が村の一番奥にあり、そこから先には一軒も民家が無かったせいもあります。で、この時期、光太郎を敬愛していた村人たちが、見るに見かねて電線を引いてあげようということになりました。

この年の光太郎日記は1月途中までしか現存が確認できておらず、残念ながら電気が通じた2月の記述が見られません。





9月18日(土)は、9月26日(日)に開催予定で、当方が講師を務めさせていただく「語りと講話 高村光太郎作 智恵子抄」の打ち合わせで、文京区千駄木の旧安田楠雄邸庭園に行って参りましたが、その前に都内2つの美術館さんをハシゴしました。

まず訪れた、小平市
平櫛田中彫刻美術館さんを後に、続いて向かったのは、新宿中村屋サロン美術館さん。こちらでは企画展「自身への眼差し 自画像展 Self-Portrait」が開催中です。
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光太郎のそれを含む、約40点の自画像が、おおむね時代順に展示されています。順路に従って、年代別に拝見。

まずは「第1章 明治初期の画家たち -再現描写の追及-」。それまで「自画像」という概念がほぼ無かった日本の画家達が、西洋絵画の本格的流入と共に取り組んだ、鹿子木孟郎ら、草創期の作品群です。したがって、極めて写実的、アカデミックな作風から始まり、徐々に白馬会系などが、印象派風の技法を取り入れる、といった流れです。
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続いて、「第2章 明治中期・後期の画家たち -自己の内面の表現-」。ここに光太郎の自画像(大正2年=1913)も含まれます。単なる外形描写にとどまらず、自己の内面を掘りさげる、という方向に。技法的にはポスト印象派の影響も色濃く見られるようになります。光太郎の自画像も、明らかにフォービズム系です。

そして、この第2章では、岸田劉生、斎藤与里、藤田嗣治ら、光太郎と交流の深かった面々の作が並び、興味深く拝見しました。テレ東さんの「新美の巨人たち」で、よくそういう描写がありますが、閉館後の館内で、絵から抜け出した彼らが、昔話に花を咲かせていそうな気がします(笑)。

最後が「第3章 大正・昭和の画家たち -公と個の間、関係性の中の自己認識-」。ここまで来ると、かなり現代風だな、という感じです。

図録が販売されていましたが、購入せずに帰りました。光太郎の自画像は掲載されていませんでしたので。元々この展覧会、日動美術財団さんの所蔵品を中心としたもので、図録も同財団発行。それに対し、光太郎の自画像は中村屋さんの所蔵で、そのあたりの大人の事情があるのではないかと思われます。

コロナ禍ということもあるのでしょうか、ギャラリートーク的なことは行われず、オンラインでの紹介となっています。先述の3章での章立てにしたがい、現在は「第1章 明治初期の画家たち -再現描写の追及-」。今後、2章と3章についてもアップされる予定です。


同展、12月5日(日)まで。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

十一時半学校行。雪ふかくつもり、長靴を没す。炭俵の曲木(丸型)にてカンジキを作りたれど、途中で靴が外れたり。


昭和24年(1949)1月6日の日記より 光太郎67歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村、この時期が最も雪深い時期です。

9月18日(土)に、光太郎の父・光雲の孫弟子にして、JR東北本線二本松駅前の智恵子像「ほんとの空」、同じく安達駅前の「今ここから」の作者、故・橋本堅太郎氏の作品を集めた「橋本堅太郎展-無分別」を拝見に伺った、小平市平櫛田中彫刻美術館さん。こちらで、こんなものを購入して参りました。
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漫画『田中彫刻記』。同館学芸員で、当方もいろいろお世話になっている藤井明氏が監修なさっています。

作画は、いとうたかし氏。この方、プロの漫画家さんではなく、小平市の職員さんだそうですが、やはり同市にある武蔵野美術大さんのご出身だそうで、「なるほど」という感じでした。各自治体等の皆さん、こういう手もありますよ(笑)。
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満107歳まで現役を続けた彫刻家・平櫛田中の一代記で、平成25年(2013)の刊行です。奥付に拠れば平成30年(2018)第4刷となっており、一回にどれだけ刷っているのか不明ですが、順調に版を重ねているようですね。

A4判(大判です)60ページ、定価は500円。目次は以下の通りです。
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主要登場人物。
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残念ながら、田中と親しかった光太郎は登場しませんが、光太郎の父・光雲は出て来ます。なぜかロン毛ですが(笑)。
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ちなみに田中は、一から光雲に師事したわけではなく、漫画でも紹介されていますが、西日本方面である程度の基礎を学んでからの弟子入りでした。そのため、後述の米原雲海らと異なり、「雲」一字が入っていません。

光雲が登場するのは、「第二話~星取(ほしと)り法との出会い~」と、「第四話~日本美術(にほんびじゅつ)の指導者(しどうしゃ)~」。
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その他、光太郎や光雲と縁の深い面々がいろいろ登場します。

右上のコマにもいる岡倉天心。一介の仏師に過ぎなかった光雲を東京美術学校に招き、のちに光太郎が入学した折には同校校長でした。それから、禅僧・西山禾山。光太郎は田中の手引きで、西山の臨済禅の提唱を聴いたりしています。また、田中の兄弟子だった米原雲海は、光雲と共に、信州善光寺さんの仁王像制作に当たりました。

それにしても、田中の生涯もかなりドラマチックだな、と、改めて思いました。そして、彫刻に対する態度。同じ光雲門下でも、上手く立ち回り、稼いだ彫刻家もいますが、田中は違いました。光雲や光太郎もそうでしたが、世間に広く認められるようになるまでは、真摯に制作に向き合おうとすると、どうしても経済的に困窮します。それでも妥協をしない結果陥る赤貧生活の中で、田中は3人中2人の子供を病気で失いました。妻には苦労のかけっぱなし。そのあたり、智恵子が心を病むに至った、光太郎の生活とダブります。「家族を犠牲にして、何が芸術だ」と云われれば、それまでですが……。

さて、『田中彫刻記』、同館にて販売中。ぜひ足をお運びの上、お買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

多田等観氏にハカキをかき、降雪量多ければ八日に不参するかもしれぬ旨述べる。

昭和24年(1949)1月5日の日記より 光太郎67歳

多田等観は、僧侶にしてチベット仏教学者。光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村に隣接する湯口村の円万寺の堂守をしていました。

この葉書、『高村光太郎全集』未収録でしたが、平成29年(2017)、花巻市博物館さんで開催された「没後50年多田等観~チベットに捧げた人生と西域への夢~」展に出品されました。
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9月18日(土)は、9月26日(日)に開催予定で、当方が講師を務めさせていただく「語りと講話 高村光太郎作 智恵子抄」の打ち合わせで、文京区千駄木の旧安田楠雄邸庭園に行って参りましたが、その前に都内2つの美術館さんをハシゴしました。

後ほど詳しく御紹介しますが、10月8日(金)から富山県水墨美術館さんで開催される企画展「画壇の三筆 熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」に協力させていただいておりまして、そのポスターやチラシを置いていただこうと、まぁ、いわば営業。それから、2館で開催中の企画展を拝見するのも目的でした。

まず、小平市の平櫛田中彫刻美術館さん。
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こちらでは、光太郎の父・光雲の孫弟子にして、JR東北本線二本松駅前の智恵子像「ほんとの空」、同じく安達駅前の「今ここから」の作者、故・橋本堅太郎氏の作品を集めた「橋本堅太郎展-無分別」が開催中です。

2体の智恵子像は、橋本市のお父さまで、やはり彫刻家だった橋本高昇が二本松出身という縁もあって制作されました。そして「今ここから」の方は、橋本市の遺作となった作品です。
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残念ながら、今回、2体の智恵子像に関する展示はありませんでした(石膏原型か習作でも出ていれば、と思ったのですが)。ただ、氏の得意とした数々の女性像が並び、2体の智恵子像と相通じるテイストを感じました。
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橋本作品は一部を除き、撮影可でした。

左下は代表作「竹園生」の雛形。星取の赤い点が残っています。右下は「まとう」と題された作品。
KIMG5298竹園生(雛形) KIMG5300まとう
続いて「希№2」(左下)、「無題」(右下)。
KIMG5305希№2 KIMG5302無題
地下展示室では、「つたえあい」(左下)、「Largo」(右下)。
KIMG5284つたえあい KIMG5286Largo
「渓流」(左下)、ステンレスを使った「風をきく」(右下)。
KIMG5288渓流 KIMG5290風をきく
「流木 その四」(左下)、そしてこれも代表作「清冽」(右下)。
KIMG5292流木 その四 KIMG5296清冽
「日ざしを追う」。
KIMG5294日ざしを追う
きれいなだけの作ではなく、時に、荒々しい彫り跡が残っていたりもします。しかし、それが却って生命感を醸すのに役立っているようにも見えました。そして、人体構造を熟知した上で、さらに確かなデッサン。止まっているポーズでも躍動感を感じられるところは、ロダンなどの影響も見て取れるような気がします。

光太郎とも親しかった平櫛田中に師事した橋本氏、もちろん、氏なりの個性も持ちつつ、系譜的にはやはり相通じるものがあるのかな、と思いました。

その田中の作品群も久々に拝見し、眼福の思いでした。

それにしても、コロナ禍ということもあり、きちんとした彫刻をまとめて観たのは、実に久しぶりでした。まだ油断は禁物ですが、ぼちぼちコロナ禍も収束・終息に向かいつつあるようで、以前のように気軽に展覧会を堪能できる日も遠くないのかな、という気がし、喜ばしく思います。

今回の企画展としての図録は発行されていませんでした。代わりに、橋本氏の作品写真集の豪華本が販売されていました。見本を手にとってめくると、平成23年(2011)の出版で、当然、遺作の「今ここから」は載っていません。「ほんとの空」も見あたりませんでした。

ところが、別の作品を発見し、びっくり仰天。当方、何度か実物を目にしていたのに、それが橋本氏の作品と知らなかった(アホですね(笑))彫刻がありました。

こちらです。
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光太郎と縁の深い、宮沢賢治の像。花巻農業高校さんの敷地内に移転されて建っている、羅須地人協会(賢治の旧居)の前に設置されています。平成18年(2006)の作ということでした。橋本氏が亡くなった時の報道に「宮沢賢治像」の語があったのですが、これだとは思いませんでした。

さて、「橋本堅太郎展-無分別」、11月23日(火・祝)までの予定です。コロナ感染にはお気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

ボールペンで書いてみる。スルスルすべるやうな感じなれど、面白味なし。インキが油のやうなり。

昭和24年(1949)1月4日の日記より 光太郎67歳

ボールペン、意外と歴史は新しいのですね。調べてみたところ、昭和18年(1943)、ハンガリーで発明され、日本には戦後になって入ってきたようです。

光太郎のボールペン、この日、交流のあった編集者から届いた小包に入っていたものです。おそらく、初めて手にしたのでしょう。

昨日レポートしました通り、9月18日(土)は、9月26日(日)に開催予定で、当方が講師を務めさせていただく「語りと講話 高村光太郎作 智恵子抄」の打ち合わせで、文京区千駄木の旧安田楠雄邸庭園に行って参りましたが、その前に都内2つの美術館さんをハシゴしました。今日明日と、そちらのレポートを、と思っていたのですが、昨日、新情報を得まして、そちらを先に御紹介します。

長野県から、企画展示の情報です。

THE EXPO 善光寺2021~甲信越戦国物語~特別展

期 日 : 2021年9月14日(火)~9月26日(日)
会 場 : 長野市立博物館 長野市小島田町1414 川中島古戦場史跡公園内
時 間 : 午前9時~午後4時30分
休 館 : 9月21日(火) 24日(金)
料 金 : 一般300円、高校生150円、小・中学生100円
      9/20(月),9/23(木)は入館無料
      土曜日は子どもウェルカムデーにつき小・中学生無料

 2022年4月、善光寺御開帳が開催されます。善光寺は全国から多くの参拝者が訪れる庶民信仰の寺として知られています。戦国時代におこった川中島の戦いにあっては、武田信玄・上杉謙信が自国に善光寺本尊を迎えようとし、争奪戦となりました。
 今回の展示では、川中島の戦いにおける善光寺や、そのほかの神や仏との関係をみることで、川中島の戦いの一面を描き出します。そして、川中島古戦場の首塚に代表されるような戦死者の供養についても、やはり神と仏の関係から扱います。
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概要説明やチラシに記述がありませんが(そこで、これまで気づかなかったのですが)、光太郎の父・光雲とその高弟・米原雲海の手になる、善光寺さん仁王像の試作(ひな形)が展示されています。
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こちらは通常、善光寺史料館さんで常設展示されているものですが、いわば出開帳です。

NHKさんのローカルニュースで、展示について報じられました。こちらでも仁王像については言及されませんでしたが。

善光寺と川中島の戦いにゆかりの品集めた特別展 長野 

 善光寺と川中島の戦いにどのようなつながりがあるのでしょうか。双方にゆかりがある、よろいや錦絵などが集められた特別展が長野市で開かれています。
 長野市立博物館で開かれている特別展は、武田信玄と上杉謙信が戦った川中島の戦いと善光寺にゆかりがある、かぶとや木像などおよそ100点が展示されています。
 このうち、魂が宿るともされる武田信玄と上杉謙信のそれぞれの位はいは、ともに高さおよそ115センチ、横およそ30センチとほぼ同じサイズで、いずれも善光寺に所蔵されています。
 また、江戸時代の作品とされる川中島の戦いの錦絵では、千曲川を挟んで武田信玄と上杉謙信が対陣している様子が描かれています。
 長野市立博物館の北澤瑞希研究員は「川中島の戦いは武田信玄と上杉謙信が善光寺の本尊を奪うためだったとも言われている。両雄の位はいがいずれも戦場近くの善光寺にあり、両者の因縁の深さを知ってほしい」と話していました。
 この特別展は、長野市立博物館で今月26日まで開かれています。
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最後の画像に、仁王像が写っています。

ところで、やけに会期が短いな、と思ったのですが、コロナ禍のため、当初予定では9月3日(金)開幕予定だったのが、遅らせての始まりとなったためだそうです。

コロナ感染にはお気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

朝ゆつくり。 雑煮を祝ふ。 門松一本、紙製国旗をかかぐ。 雑煮は豚肉入大根、里芋、餅、あわ餅。


昭和24年(1949)1月1日の日記より 光太郎67歳

昭和24年(1949)の年明けです。

この年は、NATO発足、中華人民共和国建国、ドイツは東西に分断、ソ連が初の核実験に成功、明るいニュースとしては、湯川秀樹博士がノーベル物理学賞を受賞(日本人初のノーベル賞)などがありました。

昨日は、久々に都内に出ておりました。9月26日(日)に開催予定で、当方が講師を務めさせていただく「語りと講話 高村光太郎作 智恵子抄」の打ち合わせというか、リハーサルというか、ゲネプロというか、そのためです。
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会場は、文京区千駄木の旧安田楠雄邸。光太郎実家の旧髙村光雲邸の隣です。光太郎一家は明治25年(1892)に一家で谷中からこの地に移ってきました。明治45年(1912)竣工の光太郎アトリエ(昭和20年=1945、空襲で焼失)も、指呼の距離でした。
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都心とは思えない、緑溢れる、いわば異空間です。
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こちらの2階2部屋をぶち抜きにして会場とし、朗読の北原久仁香さん、補足説明の当方で、「智恵子抄」の世界を御紹介します。
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スクリーンにパワーポイントのスライドショーを投影しつつ、進めます。スライドショーはステイホーム期間が長く、暇だったので(笑)、気合いを入れて作りました。おかげで、「パワーポイントにこんな機能があったんだ」というのにいくつも気がつきました(笑)。

以前にも書きましたが、朗読の北原久仁香さんは、「語りと和楽の芸人衆 かたりと」の一員として、また、ピンでも、精力的に活動されている方で、YouTubeに「智恵子抄」12篇の朗読、当方執筆の「聴く読書 乙女の像ものがたり」8篇をアップされたりなさっています。オンラインもいいのですが、やはり肉声で聴くのはまったく違いますね。

隣接する髙村家のご当主にして、光太郎実弟・髙村豊周令孫の写真家・髙村達氏のご厚意で、智恵子紙絵の細密複製の展示、当方手持ちの各種『智恵子抄』や雑誌『青鞜』などの展示も行いますし、当日いらして下さった方には、さまざまな「お土産」も用意してあります。

13:00からと、16:00から、2回公演です。おかげさまで13:00の会はほぼ満席となりましたが、16:00からのほうはまだ空席があるそうです。最上部、チラシ画像に申込先等印刷されています。よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

松の枝を入り口にうちつける。門松のしるし。


昭和23年(1948)12月31日の日記より 光太郎66歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋ですので、松の枝はその辺から拾ってきたか、折ってきたか、そんなところでしょう。

光太郎第二の故郷ともいうべき岩手県花巻市がらみで2件。

まずは市の広報誌『広報はなまき』9月15日号。「花巻歴史探訪」という連載があり、市内に遺る先人達の逸品が紹介されていますが、光太郎関連も時折取り上げて下さっています。今号は昭和26年(1951)、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校に、校訓として贈った書「正直親切」です。
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現物は、花巻高村光太郎記念館さんに所蔵されています(常設展示は為されていません)。

山口小学校は廃校となり、跡地にこの書を写したモニュメントが建てられています。また、少年字時代の光太郎が通った荒川区の第一日暮里小学校さん、光太郎と交流のあった故・田口弘氏が教育長を務められていた埼玉東松山の新宿小学校さんにも、この書を写した石碑がそれぞれ建てられています。

続いて、「光太郎ランチ」。花巻で光太郎顕彰活動を進められているやつかのもりLLC」さんがメニュー作成に関わられています。昨年オープンした「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日だけの限定販売です。

今月販売分がこちら。
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末永く愛されて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

三上秀吉氏に「山脈」の字を今朝書き発送。


昭和23年(1948)12月27日の日記より 光太郎66歳

「三上秀吉」は、当時九州に暮らしていた小説家。息女の三上慶子氏も作家です。「山脈」は三上が主宰していた文芸同人誌で、光太郎にその題字揮毫を依頼しました。ところが、その光太郎の文字が未見です。「山脈」の何冊かはプランゲ文庫(GHQの戦史室長であったゴードン・ウィリアム・プランゲ博士が、その歴史的価値に注目し、米国機関で一括所蔵・保存することに努め、現在は博士の希望通りメリーランド大学さんに寄贈されている占領期の雑誌類。日本の国会図書館さんでも「プランゲ文庫」として閲覧可)に含まれているのですが、そちらの題字は活字とのことで……。

情報をお持ちの方は御教示いただければ幸いです。

定期購読しております『日本古書通信』さんの9月号。当会顧問であらせられ、昨年亡くなった故・北川太一先生の『遺稿「デクノバウ」と「暗愚」 追悼/回想文集』の紹介が載りました。北川先生、同誌の主要寄稿者のお一人でもあらせられたので、さもありなん、ですね。
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古書関係でもう1点。同じ日に届いた、都下小金井市の美術系専門古書店、えびな書店さんの新蒐品目録。光太郎の色紙が2点、写真入りで紹介されています。

1点は、以前から市場に出ていたもので、フランスの諺(ことわざ)を揮毫したもの。
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高村光太郎小色紙 「杯と口とは遠し フランスの古諺より 光」
曰く「盃と口とは遠し」。元ネタはギリシャ神話です。アンカイオスという人物が、盃に入ったワインを今まさに口に付けようとした時に、猪に襲われて絶命したという故事で、おそらく、「油断大敵」とか、「画竜点睛を欠く」ではいかんとか、または「勝って兜の緒を締めよ」など、そういう教訓なのでは、と思われます。或いは、そういうこともあるから、人生は儚いもんだ、「邯鄲の夢」だ、という諦念を表すのに使うのかもしれません。

この「盃と口とは遠し」以外に、11篇のフランスの諺、さらに『ロダンの言葉』からの抜粋4篇を書いた短冊が、昭和2年(1927)、大阪の柳屋画廊の短冊販売目録に掲載されました。上記は色紙ですが、おそらくそう離れていない時期のものと推察できます。

もう1点、こちらは初めて見ました。
源にかへるもの
源にかへるもの力あり」。元ネタは昭和17年(1942)作の翼賛詩「みなもとに帰るもの」の一節ですので、やはりその頃のものでしょう。同じ色紙でも「盃と……」と較べると紙質が良くないというのは、画像でも見て取れます。戦時中ですからね。もっとも、戦後の混乱期にはボール紙を色紙代わりにして揮毫した例もありますが。

詩「みなもとに帰るもの」の当該部分は、「みなもとに帰するものは力あるかな」なので、少し異なるバージョンです。また、平成29年(2017)、豊島区役所さんで開催された「2017アジア・パラアート-書-TOKYO国際交流展」では、同じ「みなもとに帰るもの」中の「みなもとをしるもの力あり」という別の一節を揮毫した色紙が展示されたりもしていました。

ちなみに「盃と……」は28万円、「みなもとに……」は60万円です。お財布に余裕のある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

夜「岩手の人」といふ短詩をかく、


昭和23年(1948)12月27日の日記より 光太郎66歳

詩「岩手の人」は、翌年元日の『新岩手日報』に掲載されました。

 岩手の人眼(まなこ)静かに、
 鼻梁秀で、
 おとがひ堅固に張りて、002
 口方形なり。
 余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
 たまたま岩手の地に来り住して、
 天の余に与ふるもの
 斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
 岩手の人沈深牛の如し。
 両角の間に天球をいただいて立つ
 かの古代エジプトの石牛に似たり。
 地を往きて走らず、
 企てて草卒ならず、
 つひにその成すべきを成す。
 斧をふるつて巨木を削り、
 この山間にありて作らんかな、
 ニツポンの脊骨(せぼね)岩手の地に
 未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。

地元岩手では、有り難がられ、現代でも折に触れて引用される詩です。

昨日、新刊の『吉本隆明 全質疑応答Ⅰ 1963~1971』(論創社)、『吉本隆明全集26[1991-1995]』(晶文社)を御紹介しましたが、晶文社さんのサイトを細かく調べましたところ、少し前の刊行でしたが、まだありました。

吉本隆明全集18[1980-1982] 

0032019年1月 吉本隆明著 晶文社 定価7,480円(本体6,800円)

社会の転換期に生み出される「現在」の文学を論じた初めての本格的文芸時評『空虚としての主題』と、名作古典文学の深層と構造を鮮やかに描き切った『源氏物語論』、長く継続的にその主題を追って書き継がれた「アジア的ということ」などを収録する。単行本未収録3篇。第19回配本。月報は、安藤礼二氏 山本かずこ氏 ハルノ宵子氏が執筆。

【目次】

Ⅰ 空虚としての主題
 書きだしの現象論/抽象的と具象的/イメージの行方/背景のしくみ/感性による否認/固執された〈意味〉/持続された思惟/さまざまな自然/「私」および「彼」の位置/「私」小説に出あう/物語を超えて/嫌悪としての描写/現在という条件/あとがき/文庫版のためのあとがき

Ⅱ 源氏物語論
第Ⅰ部 母型論/第Ⅱ部 異和論/第Ⅲ部 厭離論/第Ⅳ部 環界論/あとがき/わが『源氏』/文庫のための註/『源氏』附記

Ⅲ 
鳥の話/天の河原ゆき[『野性時代』連作詩篇30]/旅の終り[『野性時代』連作詩篇31]/水の死/
夢は枯野[『野性時代』連作詩篇32]/魚の木/水の絵本[『野性時代』連作詩篇33]/融けた鏡[『野性時代』連作詩篇34]/掌の旅[『野性時代』連作詩篇35]/木の説話[『野性時代』連作詩篇36]/本草譚/坂の曲がり[『野性時代』連作詩篇37]/追憶[『野性時代』連作詩篇38]/葉の魚[『野性時代』連作詩篇39]/葉の声――入江比呂さんに――/

アジア的ということⅠ/アジア的ということⅡ/アジア的ということⅢ/アジア的ということⅣ/アジア的ということⅤ/アジア的ということⅥ/アジア的ということⅦ/「アジア的」なもの

村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』/「文学者」という画像/川端要壽のこと/『赤光』論/村上一郎論/『初期心的現象の世界』について/ドストエフスキーのアジア/源氏物語と現代――作者の無意識――

『野性時代』アンケート/「百人一答ジャパネスク」アンケート/諏訪優/横光利一/際限のない詩魂[高村光太郎]/わが子は何をする人ぞ/果樹園からリンゴを盗む/『言葉という思想』あとがき/『試行』第五六〜五七号後記

解題(間宮幹彦)

吉本隆明全集20[1983-1986] 

0022019年9月 吉本隆明著 晶文社 定価7,480円(本体6,800円)

埴谷雄高との論争「重層的な非決定へ」と『死の位相学』の序に代えて書き下ろされた「触れられた死」などの評論・エッセイと連作詩の最後の時期を収める。第21回配本。月報は、中島岳志氏 岩阪恵子氏 ハルノ宵子氏が執筆。

【目次】

祖母の影絵/メッセージ[『野性時代』連作詩篇63]]/風文字[『野性時代』連作詩篇64]/字の告白/「さよなら」の椅子[『野性時代』連作詩篇65]/余談/声の葉/深さとして 風のいろとして/活字のある光景/活字都市

大衆文化現考 ロック・グループの世界/ビートたけし芸の変貌/「戦場のメリークリスマス」/地崩れして動く劇画/現在の名画の条件/「YOU」の中の糸井重里/リンチ機械としてのテレビ/小劇団の場所/三浦和義現象の性格/オモチャ・ショー/「オールナイトフジ」論/ロス五輪私感/夏を越した映画/エレクトロニクスショー/光る芸術のこと/ハイ・コミュニケーションに触れる/ファッション・ショー論/クイズ番組論/テレビCMの変貌
季評・大衆文化 科学万博印象記/映画の話/ふたつの出来事/退場にあたっての弁
n個の性をもった女性へ/告別のことば――橋川文三――/未踏の作業――渡辺寛『流され王の居場所』/映像から意味が解体するとき/情況への発言――中休みのうちに[一九八四年五月]/ミシェル・フーコーの死/スケベの発生源/『ゴルゴダのことば狩り』について/山本育夫小論/ファッション/情況への発言――中休みをのばせ[一九八四年一一月]/江藤淳についてのメモ/私の町――谷中・団子坂・駒込吉祥寺/政治なんてものはない――埴谷雄高への返信/元祖モラトリアム人間/思い出の劇場――海辺の劇場/北川太一の印象/重層的な非決定へ――埴谷雄高の「苦言」への批判/情況への発言――中休みの自己増殖[一九八五年七月]/マラソンについて/触れられた死/異論を介しての『火まつり』/現代電波絡繰試論/ニューヨーク・ニューヨーク/一枚の絵――カンジンスキイ「バラ色の諧調」/佃ことばの喧嘩は職業になりうるか/文化の現在 現在を読む120冊の本――現在・準現在・準古典・古典/中沢新一を真っ芯で。/恐怖・不安・孤独――近未来と恐怖映画/遇わなくなってからの清岡卓行の詩/松岡祥男について/阿蘇行/「黒澤充夫・辞典のための挿絵展」のために/
本について/たった一つの黄金風景/詩について/10年先の、僕の恋人たちの風景/『それから』という映画/文学者と戦争責任について/情況への発言――雑多な音響批判[一九八六年二月]/食うべき演劇/イエスの方舟・千石剛賢/高橋留美子「めぞん一刻」/「主題」という幻化または「幻化」という主題[山崎哲]/少年の日の界隈/高村光太郎の書/編集者としての安原顯/こだわり住んだ町/『アンチ・オイディプス』論――ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ批判/傾面の映画――『山の焚火』/『日本の原像』註記/ふた色の映画/表現機械としてのワープロ/国語の教科書/わたしの現況/蠢めく家族――安田有『スーパーヒーローの墓場』/鮎川信夫――別れの挨拶/島尾敏雄氏を悼む/権力について――ある孤独な反綱領/情況への発言――海路の日和[一九八六年一一月]/歯について/ 

『野性時代』アンケート/電話アンケート スターリンがメジャーになるには?/『夕刊イトイ』復刊お祝いコメント/坂本龍一コンサート「MEDIA BAHN」/執筆者コメント/ウイークリー・データ一九八四・九・一〇―一六/ボクの二十代/「書店」を語る/原子力エネルギー利用は不可避/田原克拓『続・性格と心の世界』/山崎龍明『仏教の再生』/親鸞理解に不可欠の存在――石田瑞麿/
野戦攻城の思想[橋川文三]/田原克拓『初期・性格と心の世界』/E・M・シオラン『歴史とユートピア』/文芸史の新しい波――『日本文芸史』/「問いと答え」――『室生犀星未刊行作品集』/
『対幻想』まえがき/『死の位相学』あとがき/『重層的な非決定へ』あとがき/『難かしい話題』あとがき/『恋愛幻論』あとがき/『さまざまな刺戟』あとがき/著者のことば ――『吉本隆明全集撰』/結合について――『白熱化した言葉』序/イメージとしての文学――『白熱化した言葉』あとがき/対談を終えて――『知のパトグラフィー』あとがき/『都市とエロス』あとがき/
『漱石的主題』まえがき/『試行』第六二~六六号後記

解題(間宮幹彦)

同全集、基本的に編年体の編集ですので、複数の巻にぽつりぽつりと、光太郎。そのため、気がつきませんでした。また、第20巻には、当会顧問であらせられ、吉本の盟友でもあった故・北川太一先生を論じる「北川太一の印象」。これも存じませんでした。急ぎ図書館等で調べようと思いました。

昭和40年代から50年代にかけ、編年体ではない『吉本隆明全著作集』が勁草書房さんから刊行され、そのうち第8巻が「作家論Ⅱ 高村光太郎」。昭和32年(1957) 飯塚書店刊行の評論集『高村光太郎』全文を含め、その後に出された光太郎関連の文章、講演筆録などが網羅されていますが、いかんせん昭和48年(1973)の刊行なので、その後のものは載っていません。

そういう意味では、『決定版 吉本隆明、光太郎を語る』的な書籍が刊行され、網羅されると有り難いのですが……。

同じことは光太郎の著作にも言えるような気がします。『高村光太郎、宮沢賢治を語る』みたいな書籍を出せば、そこそこ売れるように思います。

さて、晶文社さんの『吉本隆明全集』、全38巻+別巻1の予定で、今後も刊行が続きます。注意して見ていこうと思っております。
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【折々のことば・光太郎】

ひる頃学校。学校忘年会、校長さん、上田、高橋、平賀先生、保健婦さん、開拓事務所の八重樫さん、藤原さん等にて教室にて会食。余は酒一升(弘さんよりのもの)、林檎十個持参。四時小屋にかへる。


昭和23年(1948)12月26日の日記より 光太郎66歳

子供たちは冬休み中だったのでしょうが、先生達は昼間から学校で忘年会(笑)。のどかな時代だったということですね。

当会顧問であらせられた故・北川太一先生の盟友だった、故・吉本隆明氏関連です。この国で初めて、まるまる一冊、光太郎を論じた評論集『高村光太郎』(昭和32年=1957 飯塚書店)を刊行した吉本、その後も折に触れ、光太郎を論じ続けました。そうした『高村光太郎』の補遺的な短文等が掲載された新刊を御紹介します。

吉本隆明 全質疑応答Ⅰ 1963~1971 

2021年8月3日 吉本隆明著 論創社 定価2,200円+税

テーマ別で編集された『吉本隆明質疑応答集』シリーズを刷新し、時系列で並べ直した『吉本隆明 全質疑応答』始動! 全5巻を予定し、新たに発見された前シリーズ未収録の「質疑応答」も収録。巻末に菅原則生による解説を付す。
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目次
【九州大学新聞主催】 1963年11月23日
  情況が強いる切実な課題とは何か
【国際基督教大学ICU祭実行委員会主催】 1964年1月18日
  芸術と疎外 
【『コスモス』主催。日比谷図書館において】 1966年4月2日
  高村光太郎について―鷗外をめぐる人々 
【東京都立大学附属高等学校第18回記念祭において】 1966年10月22日
  日本文学の現状 
【関西大学学生有志主催】 1966年10月29日
  知識人―その思想的課題
【大阪市立大学社会思想研究会・大阪市立大学新聞会共催】 1966年10月31 日
  国家・家・大衆・知識人
【国学院大学学生(学部等不明)主催】 1966年11月21日
  現代文学に何が必要か 
【中央大学学生会館常任委員会主催】 1967年10月12 日
  現代とマルクス 
【早大独立左翼集団主催】 1967年10 月21日
  ナショナリズム―国家論 
【東京大学三鷹寮委員会主催】 1967年10月24日
  詩人としての高村光太郎と夏目漱石
【明治大学駿台祭二部実行委員会主催】 1967年11月1日
  調和への告発 
【東京医科歯科大学新聞会主催】 1967年11月2日
  個体・家族・共同性としての人間 
【京都大学文学部学友会主催】 1967年11月12日
  再度情況とはなにか 
【国学院大学文芸部・国学院大学文化団体連合会共催】 1967年11月21日
  人間にとって思想とは何か
    ―『言語にとって美とはなにか』および『共同幻想論』にふれて
【関西大学学生図書委員会主催】 1967年11月26日
  幻想としての国家
【大学セミナーハウス(東京都八王子市)主催】 1971年5月30日
  自己とは何か―ゼーレン・キルケゴールの思想を手がかりとして 
【青山学院大学現代文化研究会主催】 1971年6月5日
  思想的課題としての情況 
【名古屋ウニタ書店主催】 1971年12月19日
  国家・共同体の原理的位相

それから、晶文社さんから刊行中の『吉本隆明全集』。平成26年(2014)発行の第5巻に、『高村光太郎』全文が収録されており、他に、第7巻、第4巻第10巻、第9巻第12巻でも光太郎に触れられていましたが、このほど刊行された第26巻でも光太郎関連が。

吉本隆明全集26[1991-1995] 

0012021年8月 吉本隆明著 晶文社 定価7,150円(本体6,500円)

『ハイ・イメージ論』の続編「IV」ともいうべき『母型論』と中東湾岸戦争についての発言などを収める。単行本未収録6篇(「些事を読みとる」「鶴見さんのこと」「太宰治を思う」ほか)。第27回配本。

月報は山崎哲さん(劇作家)、菅原則生さん(『続・最後の場所』)、ハルノ宵子さん(作家・漫画家)が執筆。

【目次】

Ⅰ 
母型論
序/母型論/連環論/大洋論/異常論/病気論Ⅰ/病気論Ⅱ/語母論/贈与論/定義論Ⅰ/定義論Ⅱ/起源論/脱音現象論/原了解論/あとがき/新版あとがき/

中東の切迫/中東湾岸戦争私論――理念の戦場はどこにあるのか――/中東戦争と太平洋戦争/「芸」としてみた中東戦争/良寛書字――無意識のアンフォルメル――/濃密な圧力感を生命力とする映画――ベルイマン『牢獄』――/はじめの高村光太郎/気球の夢/「二十世紀末の日本文化を考える」/
些事を読みとる/思想を初源と根底から否定する――ニーチェ『偶像の黄昏/アンチクリスト』――/泥酔の思い出/健康への関心/海老原博幸の死/エロスに融ける良寛――瀬戸内寂聴『手毬』――/情況への発言――〈切実なもの〉とは何か――[一九九一年五月]/鶴見さんのこと/上野公園の冬/「父の像」/芸能人の話/土井社会党の失点/小川徹の死/衝撃の映像/こんどソ連で起こったこと/『海からの光』と出遇ったこと/老齢ということ/辰吉の試合と『愛される理由』/中島みゆきという意味/修羅場を知った編集者――安原顯著『「編集者」の仕事』を読んで――/ラフカディオ・ハーンとマルチニーク島/軍国青年の五十年/ちいさな熊本論/ビートたけしの映像/

かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』論。/黒澤明『夢』『八月の狂詩曲』など。/大川隆法『太陽の法』論。/Mr.ホーキング、出番です。/つげ義春『無能の人』その他。/『日本語の真相』って何?/
『生死を超える』は面白い/『男流文学論』は女流ワイ談でしょう/上田紀行『スリランカの悪魔払い』『トランスフォーメーション・ワークブック』/テレビ的事件(1)――『原理講論』の世界――/『国境の南、太陽の西』の眺め/テレビ的事件(2)――象徴になった婚約――/『磯野家の謎』東京サザエさん学会編/大友克洋『AKIRA』1~6/『マディソン郡の橋』はどうか/岩井克人『貨幣論』/

太宰治を思う/対談を終わって/『試行』第七〇号後記

解題(間宮幹彦)

90年代の吉本、マスコミの需要もあったのでしょうが、芸能関係やサブカルチャー方面など、その論じる対象は本当に幅広くなっていたというのがよくわかります。そうした傾向を批判する向きがないでもありませんが、いわゆる「専門バカ」より良いと思いますし、吉本の場合、どんなに手を広げても、それぞれに深い洞察に基づいて論じられていて、単なる雑学好きが蘊蓄を傾けているといった趣にはなっていません。それだけに、語り継がれる存在なのでしょうが。

さて、それぞれ、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

夜青年会の旗の図案をかく。


昭和23年(1948)12月24日の日記より 光太郎66歳

「青年会」は、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村山口地区の、山関青年会。この旗は現存します。
002

青森からオープンキャンパスの情報です。

弘前学院大学日本語・日本文学科 2021年度第3回オープンキャンパス(来校型)

期 日 : 2021年9月26日(日)000
会 場 : 弘前学院大学 青森県弘前市稔町13-1
時 間 : 午前の部 10:00~12:00
      午後の部 13:00~15:00
料 金 : 無料

弘前学院大学では、新型コロナウイルス感染症予防及び熱中症対策を講じたうえで、来校型オープンキャンパスを実施いたします。
当日はご来場頂く皆様の健康と安全面に考慮し、会場を学科別に、参加人数を各学科20名以内(高校3年生限定)に制限し、完全予約制での開催とさせて頂きます。
002コロナウイルス感染症拡大の状況を鑑み、「緊急事態宣言及び蔓延防止対象地区」からの参加につきましては、オンライン型へのお申込みをお願いいたします。

参加申込みは「LINEアプリ」から行います。まずは、弘前学院大学公式LINEをお友達登録して下さい。

午前の部
 ・文学部 英語・英米文学科
   学部・学科紹介
   学部企画「Shakespeareに親しんでみよう」
 ・文学部 日本語・日本文学科
   学部・学科紹介
   学部企画
    「詩の世界-宮沢賢治・草野心平・高村光太郎について-」
   在学生による学科の魅力紹介001
   キャンパスライフ・トーク
午後の部
 ・社会福祉学部 社会福祉学科
   学部・学科紹介
   学部企画「先輩に聞く」
 ・看護学部 看護学科
   学部・学科紹介
   学部企画
   「自分で包帯法をマスターしてみよう!」
   看護棟の見学

文学部 日本語・日本文学科さんで、東北ゆかりの三詩人、光太郎、賢治、心平が取り上げられます。青森といえば、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」があり、光太郎とも縁の深い土地です。また、当会の祖・心平についても扱っていただけるそうで、有り難く存じます。

参加される高校生諸君には、三詩人の織り成した詩的世界について、興味を抱いていただければと存じます。

【折々のことば・光太郎】

朝日新聞への詩清書、 昭和23年(1948)12月23日の日記より 光太郎66歳

「朝日新聞への詩」は「新年」と題したものでした。おそらく翌年元日あたりに掲載予定だったのでしょうが、GHQの検閲を通らなかったと見え、お蔵入りとなりました。

    新年1008

 新年といふ何か一つのエフエメエルに
 われらが又もかける喜は四度目だが、
 やつぱり新しくことほがう、
 ことほぐ事はそこらにそこらにまるで見あたらず、
 つめた生活を更につめられ、
 暫時は自由も棚上げといふ国情は
 むしろ手ごたへある応答だ。
 新年には手製の大きな凧をあげて
 あのトウのうなりのひびきをきかう。
 新年にはよくまはる羽根でもついて
 ともかく空を仰いで遊ばう。
 さうして祈らう。
 世界に戦争の来ませんやうに、
 天変地異の起きませんやうに、
 われら一人一人が人間であり得ますやうに、
 一人一人が天のかけらを持ち得ますやうにと。


社におくられた原稿では6、7行目「暫時は自由も棚上げといふ国情は/むしろ手ごたへある応答だ。」に赤でチェックが入り、「やめる」と書き込まれているそうです。終戦後でも、そういった意味では何もかも自由というわけではありませんでした。

カタカナの部分は共に仏語で、「エフエメエル」は「ephemere」で「はかない」といった意、「トウ」はおそらく「全部」とか「みんなの」を表す「tout」と思われます。

光太郎第二の故郷ともいうべき岩手花巻で、光太郎顕彰活動を進められている「やつかの森LLC」さんが、写真集を刊行されました。

山からの贈り物 やつかの森の四季

2021年9月1日 やつかの森LLC編・刊 定価1,320円
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 令和3年9月1日に私どもの写真集が出来ました。表紙は、皆さんなかなか足を運びにくい冬の季節です。
「暮しの手帳」の元編集長の松浦弥太郎氏が「雪の積もった冬の夜、一度で良いから、山荘で眠ることだ。」と言っている、憧れの景色と思われます。
 四季を通して、私どもが見てきた景色をお届けします。景色は似ていても同じ景色は二度とはなく、
朝、箒を持ち掃除をしながら、夕方、自転車で廻りカギを閉めに行きながら、お客様を案内しながら、荷物を運びながら、目に留まったものを撮りためました。
 今、里では稲が実り、光太郎がおいしいと絶賛した花巻のお米が収穫を迎えるのももう少し。あまりおいしくて、次の日の分まで食べてしまったり、秋には光太郎も少し肥ったと友人に伝えたエピソードもあります。
 高村光太郎記念館周辺では、こんな景色が見られることでしょう。遠く真っ赤に見える水引も、早く会いたいです。


「山からの贈り物」というタイトルは、光太郎詩「山からの贈り物」(昭和24年=1949)にちなみます。挟まっていたリーフレットに全文が印刷されていました(上記挨拶文も)。
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光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)周辺、四季折々の景色。実にいい感じです。雪深い地域であるだけに、冬とそれ以外の季節のギャップが大きいのもありますし、光太郎が愛した豊かな自然がそれぞれの季節を美しく彩っています。
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道の駅はなまき西南さんで店頭販売中、また、最上部画像に連絡先がありますので、そちらまでご注文下さい。

【折々のことば・光太郎】

夜圓次郎翁宅にて法隆寺幻灯会。説明をする。


昭和23年(1948)12月12日の日記より 光太郎66歳

光太郎が小学校に寄贈した幻灯機を使っての幻灯会。講師も光太郎が務めました。なんとも贅沢ですね(笑)。

都内から映画上映会の情報です。

第 43 期江東シネマプラザ「智恵子抄」

期 日 : 2021年9月25日(土)
会 場 : 古石場文化センター 東京都江東区古石場2丁目13−2
時 間 : 午前の部 11時開演  午後の部15時開演
料 金 : 500円

名監督・小津安二郎は深川で生まれ、深川の風景を愛しました。古石場文化センターでは小津監督作品の上映機会や紹介展示コーナーを設けています。「江東シネマプラザ」は名画を楽しむ会員制の上映会です。
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智恵子抄

詩人・彫刻家の高村光太郎が愛妻 智恵子を偲んでうたった詩集『智恵子抄』の映画化。夫を深く敬愛しながら、芸術の才能の限界や身内の度重なる不幸により傷つき、智恵子は精神を病み、衰弱していく。主演の原節子が小津監督作品とは異なった表情を魅せる。

監督 / 熊谷久虎 出演 / 山村聡、原節子 1957 年/ 97 分/モノクロ

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基本、年間会員を募り、月1回、名画系の上映会を行っている一貫での実施です。したがって、年間会員が優先で、1回のみの鑑賞も受け付けているとのこと。また、空席がある場合、当日受付も可だそうです。

光太郎が歿した翌年の昭和32年(1957)に封切られた、原節子さん主演の「智恵子抄」。コロナ禍前は、何だかんだで、年に1,2回、全国のどこかしらで上映があった感じですが、久しぶりだな、という気がします。

ところで、当会で年2回発行している冊子、『光太郎資料』。「光太郎回想・訪問記」という項を設け、生前の光太郎と交流のあった人々の回想などのうち、光太郎関連の書籍にまとめられていないものを載せています。10月発行予定の第56集では、「座談会 三人の智恵子」。光太郎が歿した昭和31年(1956)から翌年にかけ、「智恵子抄」二次創作が相次いで行われ、その関係者による座談会です。昭和32年(1957)6月1日『婦人公論』第42巻第6号に掲載されました。
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司会は武智鉄二。新作能「智恵子抄」の演出を手掛けました。「三人の智恵子」は、初代水谷八重子さん、原さん、そして新珠三千代さん。それぞれ、新派の舞台、映画、テレビドラマで智恵子役を演じた方々です。

その中の一節、原さんの発言から。

私は自分の力を知ってますから、自分でしたいとは思わなかったんです。ですから、五年ほど前会社で企画が出たとき、私は自信がないからとお断りしたんです。じゃ五年後の今は自信が出たのかというと、そういうわけじゃないのですが、ただ美しい映画が出来ればいいと思って、ですから私じゃなくてもいいと思うけれど、たまたまそういうお話になって……。今度は私が一番まずいんです、ハイ。ですけれども光太郎さんをやられる山村さんという方が、雰囲気をもっていらっしゃる方ですし、それに映画は、一人まずくても大分まわりでカバーしてくれますから。(笑)

「山村さん」は、光太郎役の山村聰さん。戦時中にはラジオで光太郎の翼賛詩朗読にあたったりもされました。

原さん、だいぶ謙遜されていますが、それなりに見応えのある作品です。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

午前十時過学校行。山口小学校開校式落成式。盛大。余もお祝のことばをよむ。

昭和23年(1948)12月3日の日記より 光太郎66歳

昨日に引き続き、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校関係。分教場から小学校に昇格し、新校舎の落成式と開校式がセットで行われ、光太郎も招かれました。

「お祝のことば」。詩として『高村光太郎全集』第3巻に収録されています。全集刊行時点では、光太郎生前に活字になった記録がなかったのですが、地方紙『花巻新報』の、山口小学校落成式を報じた記事に掲載れていたのを確認しました。
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光太郎智恵子がその人生の永い時間を過ごした東京文京区から、写真コンクールの情報です。

第59回文京区観光写真コンクール

文京区内の観光スポットや催しで賑わう様子、今も残る昔の情景、花の五大まつりの賑わいなど、見た人が足を運びたくなるような観光写真を募集します。

主催:文京区観光協会   共催:文京区

募集期間  2021年8月1日(日曜日)~9月30日(木曜日)※当日必着

各賞一覧
 推薦(1点) 文京区観光協会会長賞 賞状・賞金2万・賞品
 特選(1点) 文京区長賞 賞状・賞金1万・賞品
 審査員特別賞(若干点) 賞状・賞金5千円・賞品
 準特選(10点) 文京区議会議長賞、文京区教育委員会賞ほか 賞状・賞金・賞品
 入選(10点)  賞状・賞品
 佳作(10点)  賞状・賞品
 ジュニア賞(4点)  賞状・賞品 ・図書カード

審査結果
 11月下旬までに応募者全員に発送します。表彰式は12月12日(日曜日)に行います。
 入賞作品は写真展に展示されます 。

応募規定
 カラープリント四切り(ワイド四切り・サービス判四切りを含む)、またはA4サイズ 。
 小・中学生対象のジュニア賞に限り2Lサイズ(127mm×178mm)可 。
 デジタル写真可。ただし、画像修正・加工は不可。
 色調補正(色調、コントラスト、明度調整など)は審査対象外となる場合があります。
 銀塩印画紙にプリントしたもの。インクジェットプリントでの応募も可。
 2019年4月以降に文京区内を撮影した作品。 
   ※規定にあてはまらない作品は審査対象外となります。

応募細則
 応募はアマチュアに限ります。
 応募作品はお一人につき5点までとし(複数の部門で応募の場合も合計で5点まで)、
 応募者本人が撮影した未発表のものに限ります。 
 不正な二重応募と主催者が判断した場合には入賞等を取消すことがあります。
 個人を特定できる写真で応募する場合、その肖像権について、
  必ず応募者が本人に許可を得てください。
 万一、第三者と紛争が生じた際は、応募者自身の責任と費用負担によって
  解決していただきます。
 立ち入り禁止区域からの撮影や無許可での私有地からの撮影など、
  モラルに著しく反した場合、第三者に不利益を与える場合は審査対象外となります。
 新規で写真撮影する際には、三密を避ける・ソーシャルディスタンスの確保等、
  新型コロナウイルス感染症対策を行ったうえでの撮影をお願いします。
 
応募方法
 所定の応募票(コピー可)を作品ごとに貼付のうえ、
文京区観光協会へ持参または郵送してください。

応募票 
 PDF ファイルをプリントアウトしてご利用ください

応募先
 〒112-0003 東京都文京区春日1-16-21 文京シビックセンター1階 文京区観光協会 

お問い合わせ先 
 文京区観光協会 電話番号:03-3811-3321
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第59回ということで、伝統あるコンテストですね。昨年まで、このブログでは御紹介していませんでしたが、存じ上げませんでした。今年になって気がつきましたのは、審査委員長が髙村達氏だということで、検索の網に引っかかったためです。これまでも委員長をなさっていたかもしれませんが、今年、初めて気づきました。
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達氏、家督相続を放棄した光太郎に代わって髙村家を嗣いだ、光太郎実弟にして、鋳金分野の人間国宝・髙村豊周の令孫に当たられます。したがって、光太郎の父・光雲の令曾孫。

お父さまの故・髙村規氏も写真家で、高村光太郎記念会理事長を務められ、光雲、光太郎、豊周、そして智恵子の作品を高精細の写真データで遺されました。

文京区内、いわゆる「映(ば)える」スポットも少なからず存在するでしょうし、そうでなくとも、ありきたりの風景の中にも美が見いだせるはずですね。光太郎も「路傍の瓦礫の中から黄金をひろひ出すといふよりも、むしろ瓦礫そのものが黄金の仮装であつた事を見破る者は詩人である。」(「生きた言葉」 昭和4年=1929)と云っています。だからといって瓦礫の写真で応募しろ、という訳ではありませんが(笑)。

腕に覚えのある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

夕方山口小学校の門標をかく。


昭和23年(1948)12月2日の日記より 光太郎66歳

「山口小学校」は、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近く(といっても1㌔近くありましたが)にあった小学校です。
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この年4月、分教場から小学校に昇格し、新しい校舎も完成。その落成式が翌日と云うことで、門標の揮毫を頼まれていました。
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こちらは翌年行われた学芸会の日に撮影された写真ですが、サンタ姿で乱入した(笑)光太郎の右側に、門標が写っています。いい字ですね。

現物は、当方、拝見したことがありません。現存するのでしょうか。

宮城県から企画展情報です。

宮内庁三の丸尚蔵館所蔵 皇室の名品展 皇室の美-東北ゆかりの品々

期 日 : 前期 2021年9月18日(土)~10月10日(日)
      後期 2021年10月12日(火)~11月7日(日)
会 場 : 宮城県美術館 仙台市青葉区川内元支倉34-1
時 間 : 9時30分〜17時00分
休 館 : 月曜日  毎週月曜日
       ただし祝日・休日にあたる場合は開館し、原則として翌平日が休館
料 金 : 一般300円(20名以上の団体は240円) 大学生150円(20名以上の団体は120円)
      高校生以下無料

このたびの本展は、ここ仙台の地で、皇室ゆかりの品々をまとまった形で紹介する初めての機会となりました。

明治天皇(1852-1912)は、明治9年(1876)および14年(1881)の2回にわたって東京から陸路を進んで東北各地を巡幸されました。この巡幸は、皇室と東北地方の人々の距離を縮め、互いの存在を強く意識するきっかけとなりました。その後、歴代天皇や宮家の方々の御訪問、また秩父宮雍仁親王(1902-52)との深い御縁など、皇室と東北各地を繋ぐ様々な縁が、宮内庁三の丸尚蔵館の収蔵品の数々にうかがえます。

本展では、東北各県にゆかりのある作家や作品を中心に、各地域の伝統的な技術による工芸品も含めて、皇室と東北の各地との絆を伝える品々を紹介します。このほかにも、江戸時代の京都御所で飾られた屏風、明治以降の宮殿などの室内装飾品や皇室行事で用いられた大作、作家の代表作も並びます。ぜひこの機会に、皇室に伝えられた様々な美のかたちをご堪能ください。

当館本館2階では、「ランス美術館コレクション 風景画のはじまり コローから印象派へ」を同時開催いたします。
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関連イベント ※新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点から、予定が変更になる場合がございます。
 講演会「皇室と東北ゆかりの美 ―宮内庁三の丸尚蔵館の所蔵品から―」
 講師  五味聖(宮内庁三の丸尚蔵館 主任研究官)
 日時  10月10日(日曜日) 午後2時~(90分程度、開場は午後1時30分)
 会場  講堂
 定員  150名 ※先着順(聴講無料)
 午後1時より、講堂前にて整理券を配布します。

 まちなか美術講座「皇室と東北のつながり ―宮内庁三の丸尚蔵館の名品から―」
 講師  土生和彦(当館学芸員)
 日時  10月16日(土曜日) 午後1時30分~
 会場  東北工業大学一番町ロビー2階ホール
 定員  20名 下記宛先へ事前のお申込みが必要です。申込み多数の場合は抽選。
     先着順ではありませんので、ご注意ください。
 申込み方法 往復ハガキにてご応募ください。氏名・住所・講座タイトルを明記。
 申込み期間: 9月1日(水曜日)~10月1日(金曜日)※当日消印有効。
 【宛先】〒980-0811 仙台市青葉区一番町1-3-1(TMビル)
       東北工業大学一番町ロビー「まちなか美術講座」 係 

出品目録によると、001光太郎の父・光雲作の「養蚕天女」(大正13年=1924)が展示されます(前期のみ)。

三の丸尚蔵館さんには、光雲作の「養蚕天女」が二点、収蔵されています。サイズが異なり、大きな方が像高約50㌢。今回展示されるのはこちらです。小さい方は同じく約25㌢。こちらは昭和3年(1928)の作です。いずれも昭和天皇のご成婚記念に贈られたもので、明治以降、歴代の皇后陛下が養蚕に取り組まれていることにちなみます。

ただ、なぜこれが「東北ゆかりの品」なのか解らなかったのですが、どうも、皇后陛下の養蚕に使われている蚕の稀少品種「小石丸」が、山形県で現在も受け継がれているとのことで、その関係でしょうか。

ところで、関連行事のうち、まちなか美術講座「皇室と東北のつながり ―宮内庁三の丸尚蔵館の名品から―」を担当される土生和彦氏。以前は愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館さんにご勤務なさっていまして、平成25年(2013)、同館他2館を巡回した「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」では大変お世話になりました。仙台に異動されていたんだ、という感じでした。

さて、毎度同じ文句ですが、コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午前11時14分の電車にて花巻郵便局にゆき、昨夜の詩稿「おれの詩」を「心」の木村氏に速達。電報もうつ。


昭和23年(1948)11月26日の日記より。

『心』は、この頃、盟友・武者小路実篤が主宰していた雑誌です。下の画像、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋内部ですが、光太郎の背後の棚、武者の絵が無造作に画鋲で留められています。

「おれの詩」は、翌年の新年号に掲載されました。003

    おれの詩

 おれの詩は西欧ポエジイに属さない。
 二つの円周は互に切線を描くが、
 つひに完くは重らない。
 おれは西欧ポエジイの世界を熱愛するが、
 自分の詩が別の根拠に立つことを否めない。
 アテネの空とクリスチアニスムの地下泉とは
 西欧ポエジイの言語思考の方式を生んだ。
 それは限なく美しく強くおれの内部に滲透するが、
 その粉食と牛酪と肋間肉(アントルコオト)との生理は
 おれの日本語の必然を近づけない。
 おれの詩はおれの五臓六腑から出る。
 極東の突端に生れて粒食に育ち、
 麹と大豆と魚肉とに養はれた魂は、
 遠くガンダラの余薫を身にしめるとはいへ、
 むしろ厖大な大陸の黄土文化に啓発され、
 日本古典のせせらぎに沐浴し、
 遽々然として今原子力に瞠目するのだ。
 おれの詩はおれの実体以外になく、
 おれの実体は極東の一彫刻家であるに過ぎない。
 おれにとつて宇宙は構造の原点であり、
 詩は構造の対位法(コントルポアン)だ。
 西欧ポエジイは親愛なる隣人だが、
 おれの詩の運行は一本軌道がちがつてゐる。

以前にもちらっと御紹介しましたが、光雲の孫弟子にして、JR東北本線二本松駅前の智恵子像「ほんとの空」、同じく安達駅前の「今ここから」の作者、故・橋本堅太郎氏の作品を集めた展覧会が開催されます。

橋本堅太郎展-無分別

期 日 : 2021年9月17日(金)~11月23日(火・祝)
会 場 : 小平市平櫛田中彫刻美術館 東京都小平市学園西町1-7-5
時 間 : 10:00~16:00
休 館 : 毎週火曜日
料 金 : 一般300円(220円)・小中学生150円(110円)
       ※( )20名以上団体料金

東京藝術大学で平櫛田中に彫刻を学び、2021年1月31日に他界した橋本堅太郎(文化功労者)は、戦後ながく具象彫刻の第一人者として活躍しました。本展では、数多くの温和で美しい女性像を創り出した橋本堅太郎の彫刻世界を紹介します。
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代表作の一つ「竹園生」の画像が案内に使われています。

できれば来週末には拝見に伺う予定でおります。コロナ感染にはお気を付けつつ、皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

朝、岡崎市の石屋さんといふ鈴木政夫といふ人来訪。バタ、サツマイモ等もらふ。愛読者。石彫希望の由。


昭和23年(1948)11月24日の日記より 光太郎66歳

鈴木政夫(大正5=1916~平14=2002)は、のち、木内克に学び、石彫の彫刻家となります。太平洋戦争に出征、復員後、家業の石材店を手伝ったりしていたのですが、彫刻への思い断ちがたく、敬愛していた光太郎を岩手の山中に訪ねました。30歳を過ぎて、彫刻家として立っていけるかどうか、専門の教育も受けて居らず、家族も反対している中、光太郎に相談に来たのです。

ちなみに鈴木の兄・基弘は、東京美術学校で学んだ彫刻家でしたが、鈴木は兄のアカデミックな作風を嫌っていました。

鈴木の著書『高村光太郎先生訪問始末記』(平成2年=1990 私刊)より。

「私はこのままでは駄目になってしまいます。先生、彫刻とは一体何なのでしょうか。彫刻とは人生にとって何なのでしょうか。今の私には基礎となるものを持っていません。でも私の兄のような彫刻が、どうしても本当の彫刻とは思われません。すでに私は三十歳半ばの年齢です。今から彫刻などして、果たしてものになるでしょうか。仕事には年齢のタイミングというものがあると聞いています。しかし、石が叩けるということ。身体がなんとか丈夫である、ということ。そして彫刻がしたいという情熱、この三つだけは持っているつもりです」
 先生はじっと私の話を聞き終わり、しばらくお考えになっていた。
「君は何を言っている。何を心配しているのかね。明治から今日まで、日本の彫刻家で、石の自由に叩けた彫刻家がいたというのかね。それに彫刻の仕事だけは身体が丈夫でなくては駄目だ。あのミケランジェロを見たまえ。それに君は何よりも彫刻を作りたいという情熱に燃えているではないか。こんなにまで三拍子揃った財産を、すでに君は持っているではないか。それだけで、君はもう立派に彫刻家となれる資格を持っているのだよ。あせることはない。遅いということはそれだけ大きくなるということなのだ。ゆっくり、ゆっくりやりたまえ」
 私はみるみるうちに目頭が熱くなり、一筋二筋と涙が頬に伝わった。やがてとめどもなく流れてきた。今までの思いつめていた力が一度に抜けた。思えば長い長い道のりであった。これだけの言葉を聞きたいばかりに、なんと私は大きな犠牲を青春に支払ったことか。しかし今まさにその支払いも、私にとって決して無駄使いではなかったことが、こうして先生に証明していただけた。

ただし、光太郎、太田村で光太郎の元、修業をしたいという鈴木の申し出は断っています。

こういう雑誌が刊行されていることを存じませんでした。小学館さん発行の隔月刊誌『小学8年生』。「8年生? 何かの間違いじゃないのか?」と思ったのですが、「時計などに表示されるデジタル数字の「8」は、0~9のどんな数字にも変身します。つまり、2~6年生まで、すべての小学生が、学年にとらわれず楽しく学べる学習雑誌の名前にふさわしい数字なのです。」だそうで、かつて刊行されていた『小学二年生』から『小学六年生』までを統合したものようです(『小学一年生』は健在)。
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「文豪探偵の事件簿」という連載小説があり、現在店頭発売中の2021年10・11月号は、サブタイトルが「山の中の芸術家」。そう、光太郎です。
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全体で8ページ、最終ページが光太郎の人物紹介となっていますが、メインの7ページは、菊池良氏によるジュブナイルです。菊池氏、聞いた名前だな、と思って調べましたところ、ベストセラーになった『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(平成29年=2017 宝島社)のご著者でした。「なるほど」と合点がいきました。

ストーリーは、古今東西の文豪が住む架空の街「かきものシティ」で、文豪たちから寄せられた相談に乗る「探偵くん」の物語。今号の「文豪」は光太郎なのですが、例外的なパターンのようで、休日だった「探偵くん」が、自分から山中に住む光太郎を訪ねるという話になっています。

ジュブナイルと侮るなかれ。詩「道程」(大正3年=1914)、評論「緑色の太陽」(明治43年=1910)、そして再び詩の「山のともだち」(昭和27年=1952)を効果的に使い、光太郎の人となりを鮮やかに描き出しています。

   山のともだち003

 山に友だちがいつぱいいる。
 友だちは季節の流れに身をまかせて
 やつて来たり別れたり。
 カツコーも、ホトトギスも、ツツドリも
 もう“さようなら”をしてしまつた。
 セミはまだいる、
 トンボはこれから。
 変らないのはウグイス、キツツキ、
 トンビ、ハヤブサ、ハシブトガラス。
 兎と狐の常連のほか、
 このごろではマムシの家族。
 マムシはいい匂をさせながら
 小屋のまはりにわんさといて、
 わたしが踏んでも怒らない。sho8_2110-11_05
 栗がそろそろよくなると、
 ドングリひろいの熊さんが
 うしろの山から下りてくる。
 恥かしがりやの月の輪は
 つひにわたしを訪問しない。
 角の小さいカモシカは
 かわいそうにも毛皮となつて
 わたしの背中に冬はのる。

「山のともだち」は、雑誌『婦人の友』が初出で、この頃(昭和27年=1952)ともなると、拗音、促音の文字サイズを除き新仮名遣いです。草稿も初め旧仮名遣いで書かれていましたが、新仮名遣いを書き添えてあります。

イラストは徳永明子氏。ある意味、偏屈だった光太郎をかわいらしいおじいちゃんに描いて下さいました。ありがとうございます(笑)。この方、ブックデザインのお仕事をたくさんなさっており、お名前は寡聞にして存じ上げませんでしたが、「ああ、この本も」という感じでした。

特に小学生のお子さん、お孫さんのいる方(そうでない方も)、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

風呂焚。夜に入りてより入浴、初めての風呂使用。月を見ながら湯にひたる。

昭和23年(1948)11月13日の日記より 光太郎66歳

花巻町の宮沢家や、花巻病院長・佐藤隆房、そして蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の村人たちの厚意で贈られた風呂が完成し、初の入浴。

この風呂桶は現存し、平成29年(2017)、花巻高村光太郎記念館さんでの企画展「光太郎と花巻の湯」で展示されました。しかし、せっかく造ってもらった風呂でしたが、薪を大量に消費せねばならず、結局、あまり使われませんでした。

開催期日が迫ってきたので、さて、紹介しよう、とすると、実は申込期限が過ぎていたということが往々にしてあります。これからは開催期日ではなく申込期日でメモしておこうと思いました。

で、今回もそのケースですが、とりあえず。まだキャパに余裕があるかもしれませんし……。

9月田端ひととき講座 平塚らいてう没後50年~青鞜から新婦人協会までの軌跡~

期 日 : 2021年9月19日(日)
会 場 : 田端文士村記念館ホール 東京都北区田端6-1-2
時 間 : 午後1時開演(0時30分開場)
料 金 : 無料(事前申し込み)

田端で新婦人協会を創設するなど、女性解放運動の先駆けとなった平塚らいてう。本年はらいてう没後50年の節目を迎えたことから、らいてうが田端で過ごした時代を中心に、戦前までの活動について、同館研究員が講義をおこなう。講座参加者たちは、女性の社会参加や社会的地位の向上を目指して尽力した、らいてうの軌跡を知ることができる。

明治時代、産業革命とともに女性の社会進出が進んだ一方、その地位は一向に低いままであった。平塚らいてうは女性解放運動が活発になり始めた明治末期に、女性による女性のための文芸雑誌『青鞜』を創刊し、女性が抑圧されて輝けない状況をなげき、「元始女性は太陽であった」と女性の本来あるべき姿を訴えた。

1918年(大正7年)、平塚らいてうは田端へ転入し、自宅を事務所として市川房枝らと新婦人協会を創設。彼女たちは田端を拠点に婦人運動に尽力し、女性の政治活動を禁じていた「治安警察法第5条」の一部改正を実現させ、女性の政治活動の自由を獲得するという偉業を成し遂げた。同協会は女性の政治的権利獲得に成功した戦前唯一の団体であり、その活動の拠点となった田端は、女性運動の聖地と言える。らいてうの田端時代は、朝も昼も夜もなく働き、家庭を顧みられない生活と自身で語るほど、人生で最も忙しい日々となった。

本年は、日本の女性運動の草分け的存在である平塚らいてうの没後50年の節目となる。本講座では、青鞜から新婦人協会時代までを中心とした軌跡を辿り、その活動を同館研究員が紹介する。参加者たちは、女性の社会参加や社会的地位の向上を目指して尽力したらいてうの若き日の活躍を知るとともに、その信条に思いを馳せることができる。

また、同館常設展示スペースでは「平塚らいてう没後50年特別展 ~らいてうの軌跡~」が開催中。らいてうが田端で過ごした時代を中心に、女性たちの力で創刊した文芸雑誌『青鞜』から、女性運動を展開した新婦人協会までの軌跡を辿り、らいてうの家庭生活を交えながら紹介している。9月19日(日曜日)まで。
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明治末、日本女子大学校における智恵子の1年先輩にしてテニス仲間でもあった平塚らいてう。卒業後、雑誌『青鞜』を立ち上げ、その創刊号の表紙絵を智恵子に依頼しました。

そのらいてうの軌跡を追う講座ということで、おそらく智恵子にも言及されるのではないかと存じます。

また、解説にあるように、ミニ展示では「平塚らいてう没後50年特別展~らいてうの軌跡~」、メイン展示が「心豊かな田端の芸術家たち」。

先述の通り、申込期限が過ぎてしまっていますが、ご希望の方、とりあえずフライヤー画像一番下の問い合わせ先までご連絡下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后八森氏の義父君地主久太郎氏来訪。ヰスキー2本等もらふ。標札2枚を書き進ぜる。「道程」署名。


昭和23年(1948)11月4日の日記より 光太郎66歳

「八森氏」は八森虎太郎。北海道在住だった詩人・編集者です。その義父という「地主久太郎」なる人物については詳細不明ですが、翌日に書かれた八森宛の葉書には、八森から頼まれて、ウイスキー等を届けに来てくれたとのこと。八森が元々花巻出身なので、地主も花巻在住だったかもしれません。

「標札」は「表札」でしょうか。もしかすると、現在もどこかに現存しているか、あるいは現役で使われているかもしれませんね。「道程」はおそらく前年に札幌青磁社から刊行された復元版と思われます。

最近流行りの個人開設型ネットショップ。中小企業さん、個人商店さん、ベンチャーさん、それから純粋な個人の方も出店しています。

そのうちのBASE(ベイス)さんというサイトに登録されているnepop_bungakuさんというショップ(ブランド名 written by me.)で、流行りの「文豪」ものグッズを出品されていますが、光太郎もラインナップに入れて下さいました。

『智恵子抄』文学トートバッグ / アイボリー / 文豪シリーズ⁑高村光太郎

近代の詩人 高村光太郎が妻智恵子について綴った『智恵子抄』より、『レモン哀歌』をイメージしたデザインのトートバッグです。

シンプルでさわやかなレモンのイラストに詩の原文と英訳をあしらい、レトロガーリーな雰囲気に。

人を選ばないナチュラルなアイボリーカラーです。『シンプルなのに人と被らない』デザインがお好みの方に♡

「わたしの手からとつた一つのレモンを あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ トパアズいろの香気が立つ」「写真の前に挿した桜の花かげに すずしく光るレモンを今日も置かう」

¥1,990 ※こちらの価格には消費税が含まれています。1回のご注文毎に送料¥550が掛かります。
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『レモン哀歌』文学スマホケース / 文豪シリーズ⁑高村光太郎

近代の詩人 高村光太郎が妻智恵子について綴った『智恵子抄』より、『レモン哀歌』をイメージしたデザインのスマホケースです*

ヴィンテージ風のレトロなブルーギンガムチェックとさわやかなレモンのイエローがキュート。どこか懐かしい雰囲気が推しポイントです。マットな質感で高級感も。

他と被らないデザインとモチーフで新しい文学の世界を味わってღ

♥対応サイズ→iphone8 / iphone7/iphoneX/iphoneXS

¥2,500 ※こちらの価格には消費税が含まれています。 1回のご注文毎に送料¥550が掛かります。
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他に、夏目漱石『吾輩は猫である』、太宰治『女生徒』バージョンも。

当方、早速、「『智恵子抄』文学トートバッグ」を注文してしまいました(笑)。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午前、花巻より彫刻家佐藤清三郎氏来訪、瑞雲の弟子。


昭和23年(1948)11月2日の日記より 光太郎66歳

「佐藤清三郎」は、正しくは「佐藤精三郎」。「瑞圭」と号した彫刻家です。光太郎の父・光雲の高弟の一人、山本瑞雲に師事し、「瑞」の一字を貰いました。大正5年(1916)、花巻の出身だそうで、あちらには作品が結構残っているようですし、さらに花巻で弟子も育てたとのこと。

その名は『高村光太郎全集』に2回出て来ますが、以前は読み飛ばしており、そういう人物だと存じませんでした。昨年、花巻高村光太郎記念館さんで開催された市民講座「光太郎の父 高村光雲の彫刻に触れる」で講師を仰せつかった際、光雲について述べる中で、光雲の弟子や孫弟子についても「光雲の系譜を継ぐ彫刻家たち」ということで触れたのですが、瑞圭の系譜については脱漏してしまいまして、汗顔の至りです。

『週刊ポスト』さんの2021年9月10日号に、光太郎の父・光雲の名。巻末の「山下裕二×壇蜜/美術館へ行こう」という連載です。
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この連載、8月20日号から港区の芝増上寺さんが扱われていて、その4回目です。

増上寺・宝物展示室【4】壇蜜、日英友好「建築模型」の存在感に見入る

 日本美術応援団団長で美術史家・明治学院大学教授の山下裕二氏と、タレントの壇蜜が、日本の美術館や博物館の常設展を巡るこのシリーズ。今回は東京都・港区の増上寺・宝物展示室の第4回。2人が日英両国の友好の証である貴重な「模型」を見る。

デザイン:古宇田實、彫刻:高村光雲『台徳院殿霊廟模型』(中門・透堀・拝殿・相之間・本殿)明治42年(1909年) Royal Collection Trust/(c) Her Majesty Queen Elizabeth II 2021

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壇蜜:増上寺の宝物展示室はお寺の中とは思えないモダンな異空間です。『台徳院殿霊廟模型』は豪華絢爛で存在感を放っていますね。
山下:日本文化を紹介する趣旨で明治43年の日英博覧会へ出品された建築模型で、明治末期の伝統工芸や建築の最高の技術が結集されています。台徳院殿霊廟は徳川2代将軍の秀忠公の墓所で、3代・家光公が寛永9年に増上寺で造営したもの。この霊廟を基に日光東照宮も造営されました。
壇蜜:装飾美を誇る日光東照宮の原点だったとは。霊廟は境内で見学できますか。
山下:明治時代に一般公開されて観光地となり戦前には国宝に指定されていましたが、昭和20年に大空襲で焼失してしまいました。
壇蜜:戦火で……。模型が残っていたのは貴重です。
山下:日英博覧会を訪問した記念に英国国王のジョージ5世へ献上された後、英国王室のロイヤル・コレクションとして保管されていたのです。日英友好400年の平成25年にエリザベスII世女王より日英文化交流の歴史的記念物として日本で展示するよう提案があり、増上寺へ長期貸与という形で里帰りしました。
壇蜜:模型は日英両国が築いた友好の証なのですね。
山下:展示前の修復・組み立て作業中に重要な部品をチャールズ皇太子が直々に届けられたことも。令和元年に天皇陛下の「即位礼正殿の儀」で来日された折には、宝物展示室を訪れて模型をご覧になりました。
【プロフィール】
山下裕二(やました・ゆうじ)/1958年生まれ。明治学院大学教授。美術史家。『日本美術全集』(全20巻、小学館刊)監修を務める、日本美術応援団団長。
壇蜜(だん・みつ)/1980年生まれ。タレント。執筆、芝居、バラエティほか幅広く活躍。近著に『三十路女は分が悪い』(中央公論新社刊)
●増上寺・宝物展示室
【開館時間】10時~16時(最終入館15時45分)※当面の間、平日は11時~15時閉館(最終入館14時45分)
【休館日】火曜(祝日の場合は開館)
【入館料】700円 ※徳川将軍家墓所拝観共通券1000円
【住所】東京都港区芝公園4-7-35

「台徳院殿霊廟模型」。記事にある通り、明治43年(1910)に開催されたイギリスでの博覧会出品のため制作され、その後、英王室に寄贈されましたが、平成25年(2013)に里帰りし、修復作業後、同27年(2015)にオープンした増上寺さんの宝物展示室で常設展示されています。当方も一度、拝見に伺いました

元々、増上寺さんにあった、徳川二代将軍・秀忠の墓所「台徳院殿霊廟」(太平洋戦争の空襲で焼失)を10分の1スケールにしたもので、東京美術学校が依頼を受け、光雲は監修という立場でした。光雲が彫った部分もあるかもしれませんが、全体には工房作の扱いですね。

ところで山下氏、いわゆる「超絶技巧」系の工芸作品等の魅力を広めた仕掛け人のお一人ですが、どうも光太郎が「超絶技巧」系を「生命(ラ・ヴィ)が無い」と切り捨てたことを根に持たれているようで、あちこちで光太郎をけちょんけちょんにけなされています。技法や素材云々にかかわらず、「生命(ラ・ヴィ)が無い」ものはやはり駄目、光太郎の言も至極もっともだと思うのですが、いかがでしょうか。

山下氏、一方、光雲は、どちらかというと「超絶技巧」系に近い立ち位置だったということで、その限りではないようです。光雲は光雲で、輸出向けの牙彫(象牙彫刻)など、粗製濫造のものが多い、と、批判していたのですが……。

閑話休題。「台徳院殿霊廟模型」、先述の通り、増上寺さんの宝物展示室で常設展示されています。一見の価値あり、ですのでよろしく。

【折々のことば・光太郎】

学校で雉子生捕  昭和23年(1948)10月13日の日記より 光太郎66歳

「学校」は、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校です。生け捕りにしたキジは、光太郎が捕まえたのか、先生たちなのか、この記述だけでは不明ですが、翌日にはその肉を分けてもらっています。

若干先の話ですし、手前味噌で恐縮なのですが、当方が出演するイベントの告知を。

語りと講話 高村光太郎作 智恵子抄

期 日 : 2021年9月26日(日)
会 場 : 旧安田楠雄邸庭園 東京都文京区千駄木5-20-18
時 間 : 1回目:13時~(開場12時30分)2回目:16時~(開場15時30分)
      ※上演は1時間40分程度です。
料 金 : 一般3000円、中高生1700円

高村光太郎、智恵子が芸術とともに暮らした地で、詩を語り、作品や二人のエピソード等をお話します。智恵子の命日レモン忌(10月5日)を前に、高村家のお隣、旧安田邸でお楽しみください。

【出演】
 語り 北原久仁香(語りと和楽の芸人衆 かたりと)
 講話 小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表)
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というわけで、朗読と講話(解説)で綴る「智恵子抄」です。

朗読は北原久仁香さん。「語りと和楽の芸人衆 かたりと」の一員として、また、ピンでも、精力的に活動されている素敵な方です。昨年は「智恵子抄」12篇の朗読をYouTubeにアップされ、今年は「聴く読書 乙女の像ものがたり」8篇を、やはりYouTubeに。こちらは平成27年(2015)、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんが刊行された『十和田湖乙女の像のものがたり』に載せていただいた、当方執筆のジュブナイルです。なぜかいたく気に入っていただいて、「朗読して公開したい」とのことでした。

当日は、発刊80周年を迎えた龍星閣版『智恵子抄』(昭和16年=1941)から、詩15篇と短歌の朗読をしていただきます。従って、戦後の詩篇は入りません。

合間に当方のべしゃくりが入ります。光太郎智恵子の生涯をダイジェストで、パワーポイントのスライドショーを上映しつつ、です。

会場の旧安田楠雄邸庭園さんは、大正8年(1919)の建築で、関東大震災後、旧安田財閥の安田善四郎が買い取り、平成7年(1995)まで安田家の所有でした。現在は公益財団法人日本ナショナルトラストさんによって管理されており、一般公開や各種イベントなどに活用されています。

光太郎の実家である旧髙村光雲・豊周邸に隣接しています。旧住居表記では本郷区駒込林町155番地。光太郎の父・光雲が終の棲家とし、家督相続を放棄した光太郎に代わって、鋳金の人間国宝となった実弟の豊周が受け継ぎました。その後、豊周子息の写真家だった故・規氏に引き継がれ、そして今は豊周令孫でやはり写真家の達氏がお住まいです。明治44年(1911)暮れ、光太郎と智恵子が初めて出会ったのも、ここでした。ただ、こちらは改築されています。

そんなわけで、安田邸を会場に、平成21年(2009)に規氏の写真展「となりの髙村さん展」、平成29年(2017)で「となりの髙村さん展第2弾「写真で見る昭和の千駄木界隈」髙村規写真展」、そして翌平成30年(2018)には「となりの髙村さん展第2弾補遺「千駄木5-20-6」高村豊周邸写真展」が開催されるなどしています。

また、光太郎智恵子が永らく暮らしたアトリエ跡も指呼の距離。当方、各種講座や講演等、やれと云われれば全国どちらでも参上しますが、やはりこの地で出来るというのは感慨深いものがありますね。

13時からと16時からの2回公演で、現在、13時からの方はかなり埋まっているようですが、16時からの方はまだまだ余裕があるとのことでした。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

夕方瀧清水へ散歩。  昭和23年(1948)10月10日の日記より 光太郎66歳

「瀧清水」は、「瀧清水神社」。現在の花巻市桜町、光太郎が花巻町に出て来た際によく宿泊していた佐藤隆房花巻病院長宅の近くにある小さな神社です。

前日に光雲や智恵子の法要を花巻町中心街の松庵寺さんで営んでもらうため、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村から出て来ていました。

歌手の方々に関するニュースを2件。

まずは「千の風になって」などで知られる、秋川雅史さん。趣味で木彫をなさっていましたが、このほど、二科展で入選を果たされたそうで。

『日刊スポーツ』さん。

テノール歌手秋川雅史「二科展」彫刻部門で入選 芸能界初の快挙

 テノール歌手秋川雅史(53)が、21年第105回記念「二科展」に出品し1日、彫刻部門で入選した。関係者によると、彫刻部門での入賞は、芸能界では初めてだという。
 秋川が木彫刻を趣味にしていることは広く知られていたが、公募展に出品するのは今回が初めて。作品は「木彫楠公像(楠木正成像)」。
 秋川は「入選いたしました。ありがとうございます。もちろん私は、歌手なんですが、木彫刻も本気で取り組んでおりまして、二刀流ではございませんが、実はすでにお寺の方にも私の製作した仏像を奉納させていただいております。昨年はコロナの影響でほとんどのコンサートがなくなってしまい、その間はステイホームで家で彫刻を彫る毎日でした」とコメントした。
 秋川によると、だんじり彫刻では有名な愛媛県西条市の出身であることから、子どもの頃から、素晴らしい彫刻を目にして育ったという。また、11年前に仕事で訪れたドイツで「鷹」の彫刻を買って帰り、それを眺めていたら自分でも彫れるんじゃないかと思ったのが、本格的に始めるきっかけになったという。
 今回製作した「楠木正成像」は皇居前にある銅像に影響を受けて製作。秋川は「皇居前の像は下から見上げるのですが、私は木に落とし込む訳ですから上からも眺める姿になります、なので馬の尻尾の形状や、顔の目線を上に向く様にしたり、自分なりのエッセンスを入れ込んだ、秋川雅史の、木彫楠公像として作品に仕上げました。また、この作品は一木から掘り出しており、細かい彫刻刀が届かないところなどは特注の彫刻刀を作ってもらったりなど、こだわりにこだわり3年掛かって完成させました」。
 最後に、「彫刻家としてはこうして二科展で入選いただきましたが、歌手としての登板は、8日に東京オペラシティで行います。そちらの方も是非お越しください(笑い)」とコメントした。

◆第105回記念「二科展」 
▼会場 国立新美術館 
▼会期 9月1日~13日。(7日は休館日)
▼時間 午前10時~午後6時
▼主催 公益社団法人 二科会
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日テレさん。

テノール歌手・秋川雅史 二科展、彫刻部で入選「ステイホームで生活は彫刻家」

 「千の風になって」などで知られる、テノール歌手の秋川雅史さんが、第105回記念「二科展」彫刻部に出品し、初入選をしたことを所属事務所が発表しました。彫刻部での入選は芸能界では初めてだということです。
 彫刻が趣味だという秋川さんは「今回、第105回『二科展』彫刻部で、私の製作した「木彫楠公像(楠木正成像)」が入選いたしました。ありがとうございます」と喜びを明かしました。
 さらに「みなさんは秋川雅史というと『歌手』だと思っている方が多いと思います。もちろん『歌手』なんですけれども、実は『二刀流』じゃありませんけれども、彫刻の方も本気で取り組んでいまして、すでに3つのお寺さんの方にも私の仏像を奉納させて頂いているくらい彫刻家としての活動も行っております。昨年はコロナの影響で8割・9割の歌の仕事がなくなってしまったので、まさにステイホームで生活は彫刻家といった感じでこの作品を作りあげました」と語りました。
 今回入選したのは『木彫楠公像(楠木正成像)』。秋川さんは作品について「皇居前にある楠木正成像の銅像に影響を受けて製作したのですが、銅像って目の上の位置に飾られているので、下から見上げる形で制作をするんですけれども、今回はそれを木に落とし込むということで、上から眺める姿ということで、少し馬の尻尾の流れを上向きにしたりとか、顔の目線を遠くに持っていったりとか、自分なりのエッセンスを組み込んでいって、そして秋川雅史の『木彫楠公像』という作品に仕上げました。また、この作品は一木から掘り出しており、細かい彫刻刀が届かないところなどは特注の彫刻刀を作ってもらったりなど、こだわりにこだわって3年掛かって仕上げた作品であります」と、熱い思いを明かしました。
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入選作は、「木彫楠公像(楠木正成像)」。東京美術学校として依頼を受け、光太郎の父・光雲が主任となって制作され、明治33年(1900)、皇居前広場で除幕された「楠木正成像」をモデルになさいました。

秋川さん、光雲愛が半端なく、光雲の木彫を入手されたりもされていて、この作も光雲へのオマージュですね。

『日刊スポーツ』さんの記事に有る通り、第105回二科展、六本木の国立新美術館さんで、13日までの開催です。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

さらに、訃報を一つ。今日の朝刊を見て、「ありゃま」と思いました。いわば、秋川さんの大先輩の方でして。

「時事通信」さん。

西脇久夫さん死去 コーラスグループ「ボニージャックス」、85歳

007 コーラスグループ「ボニージャックス」のメンバー、西脇久夫(にしわき・ひさお)さんが8月30日午前8時50分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。85歳だった。宮城県出身。葬儀は近親者で済ませた。
 早稲田大グリークラブ出身の男性4人でグループを結成し、1958年にボニージャックスとしてデビュー。トップテナーを務めた。
 ボニージャックスは、童謡の「ちいさい秋みつけた」「手のひらを太陽に」やロシア民謡の「一週間」など5000曲以上の幅広いレパートリーを持ち、63年から3年連続でNHK紅白歌合戦にも出場した。

『東京スポーツ』さん。

「ボニージャックス」西脇久夫さん死去でメンバーが追悼

 4人組コーラスグループ「ボニージャックス」の西脇久夫さんが、肺がんのため8月30日、午前8時50分に都内の病院で亡くなった。85歳。故人を悼みメンバーがコメントを寄せた。
 バスの玉田元康は「ボニージャックスは63年、グリークラブ時代を含めると67、8年になります。長い長い付き合いでした。肺癌という重い病気と頑張って闘った。最後まで歌おうとしていた姿が忘れられません。長い間ご苦労様でした」。
 バリトンの鹿島武臣は「昨日から解散しないでくれという電話が鳴りっぱなしです。西脇は根っからのリードボーカル、生まれながらのテノール馬鹿でした。目立ちたがり屋、キザ、我儘、スター意識ギンギラギン。しかし、コーラスグループにはテノール馬鹿が必要なのです」と追悼。続けて「これからは残された3人で頑張ります。我々には定年がない代わりに仕事がこなくなったらおしまい。連日パラリンピックが教えてくれています。『失ったものを数えるな。残っているものを数えろ!』往生際の悪いのは僕らの売りです」と決意を新たにした。
 また、ともに活動していた「ベイビーブー」のリーダー・ユースケは「先日、宮崎の童謡コンサートでご一緒させて頂いたばかり。あまりに突然の訃報で現実を受け入れきれずにいます。生涯歌い続けてこられたそのお姿と歌声、目に耳に残っています。今はただ、西脇さんのご冥福を心よりお祈りしております」とコメントを寄せた。

当方、ボニージャックスさんの2枚組CDを1点、所持しています。コロムビアさんから平成9年(1997)リリースの「ボニージャックスの日本の唱歌」。下の画像、右から二人目が、亡くなった西脇さんです。
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こちらには、光太郎作詞の戦時歌謡「歩く歌」(飯田信夫作曲)が収められています。
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謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

十時松庵寺。院長さん夫人、宮沢老人、勝治さん来集。


昭和23年(1948)10月9日の日記より 光太郎66歳

「松庵寺」は、花巻市街に現存する寺院です。花巻及び郊外太田村在住時代、ほぼ毎年、この時期に、光雲、智恵子、そして母・わかの法要を営んで貰っていました。

「院長さん」は、花巻病院長・佐藤隆房、「宮沢老人」は賢治の父・政次郎、「勝治さん」は光太郎を太田村に誘った元分教場教師・佐藤勝治です。

岡山県から展覧会情報です。 

浜口陽三とパリの芸術家たち展

期 日 : 2021年9月1日(水)~9月13日(月)
会 場 : 丸善岡山シンフォニービル店ギャラリー 岡山市北区表町1-5-1 
時 間 : 10:00~19:00
料 金 : 無料

浜口陽三は20世紀を代表する世界的な版画家です。さくらんぼ、てんとう虫や蝶々など身近なテーマを、深みのある銅版画(一部リトグラフ)の内に表しました。その作品を20数点、他に同時代にパリで活躍した内外の作家たちの作品を合わせて、100点余りを展示即売いたします。ご高覧をお待ち申し上げます。

<出品予定作家>
梅原龍三郎、高村光太郎、岡鹿之助、荻須高徳、棟方志功、高田博厚、佐伯祐三、ピカソ、
シャガール、ミロ、モディリアニ、ロートレック、ユトリロ、ヴラマンク、ミ
ュシャ、
ターナー その他
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画像は平成30年(2018)に開催された同名の展覧会のものですが、まぁ、似たような感じなのでしょう。

光太郎の名がありましたので、問い合わせてみました。すると、書と版画、2点が出ているとのこと。

まず書は、大正9年(1920)、『明星』の歌人で佐渡島在住だった、渡辺湖畔に贈った短歌十首ほどのうちの一首、「天然の湯に入りければ君が身とこゝろとけだし白玉に似む」を書いた色紙。

下の画像が同じ短歌を揮毫したものですが、これそのものなのか、同じ歌が書かれた別物なのか、ちょっと判断できません。
155 与謝野寛相聞挿画1
もう1点は、右上の画像。明治43年(1910)、鉄幹与謝野寛の歌集『相聞』の挿画として制作されたもので、同書の後記に引用されている光太郎から鉄幹宛の書簡によれば『幼き QLAUAPATRAT』と題されています。

木版の方は、恥かしながら『幼き QLAUAPATRAT』と申したく候。『クラウアパトラ』は通称クレオパトラの本名に候。女王の位につきたるが十七歳の時。此は其よりづつと以前、アントニイが始めて会ひたる幼年の頃のつもりに候。

昨年もこの時期、丸善岡山シンフォニービル店さんのギャラリーで「高田博厚とパリの仲間たち展」が開催され、『幼き QLAUAPATRAT』の方は、その際にも出品されました。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

智恵子祥月命日なり。 雨。終日くらくふる。風はなし。


昭和23年(1948)10月5日の日記より 光太郎66歳

ちょうど10年の節目でした。その感懐やいかばかり、と思います。

新宿中村屋サロン美術館さんでの企画展示です。

自身への眼差し 自画像展 Self-Portrait

期 日 : 2021年9月15日(水)~12月5日(日)
会 場 : 中村屋サロン美術館 東京都新宿区新宿3丁目26番13号 新宿中村屋ビル3階
時 間 : 10:30~18:00
料 金 : 300円 ※高校生以下無料 障がい者手帳ご呈示のお客様および同伴者1名は無料
休 館 : 毎週火曜日 11/23は祝日のため開館し、翌24日を振替え休館

「自画像」は、画家が自分自身の肖像を描いたものです。伝統である日本画にはもともと「自画像」というテーマはありませんでした。自分を描くという明確な意図をもって描かれ始めるのは、幕末以降になります。明治に入ると美術学校の誕生によって西洋式の人体デッサンを学べるようになり、次第に画家たちが自己の内面を追求し、表現する手段として自画像が多く描かれるようになりました。

本展では、明治から昭和にかけて活躍した画家たちの自画像約40点を一堂に会します。それらを「明治初期の画家たち-再現描写の追及-」、「明治中期・後期の画家たち-自己の内面の表現-」、「大正・昭和の画家たち-公と個の間、関係性の中の自己認識-」と、時代ごとに3つの章に分け、画家と「自画像」の関係性が時代とともにどのように変容していったのかを追及していきます。

主な出品作家
鹿子木孟郎 満谷国四郎 南薫造 辻永 斎藤与里 高村光太郎 中村彝 萬鉄五郎 安井曾太郎 
岸田劉生 木村荘八 北川民次 長谷部英一 佐伯祐三 宮本三郎 古沢岩美 木村忠太 鴨居玲
深澤孝哉 渡辺榮一 パブロ・ピカソ レオナール・フジタ モイーズ・キスリング 他

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関連イベント
明治から昭和にかけて活躍した画家たちの自画像約40点を、時代ごとに3つのセクションに分け、画家と「自画像」の関係性が時代とともにどのように変容していったのかを、当館学芸員 太田美喜子が解説致します。当館ホームページよりアクセスし、ぜひご覧下さい。

<動画配信>
第1章 明治初期の画家たち -再現描写の追及- 
 配信日時:2021.9/18(土) AM10:30~
第2章 明治中期・後期の画家たち -自己の内面の表現-
 配信日時:2021.10/9(土) AM10:30~
第3章 大正・昭和の画家たち -公と個の間、関係性の中の自己認識-
 配信日時:2021.10/30(土) AM10:30~

f734d725日動美術財団さんのご協力だそうで、そんな関係で、錚々たるメンバーの自画像が集まるようです。ただ、光太郎の自画像は、元々、同館の所蔵品で、現在開催中のコレクション展示にも出ていまして、そのまま継続しての展示となります(中村彝も)。

ラインナップを見ると、光太郎と交流のあった面々も多く、彼らの自画像と共に並ぶことで、また違った見え方がするのかな、という気がします。南薫造斎藤与里安井曾太郎岸田劉生木村荘八藤田嗣治(レオナール・フジタ)など。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

明方鼠が頭の毛をかぢり、めざめる。


昭和23年(1948)10月3日の日記より 光太郎66歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、ネズミは奇妙な同居人(「人」ではありませんが(笑))として、退治しても退治しても巣を作り続けました。それにしても、寝ている時に、残り少なくなった頭髪をかじられるとは……(笑)。

ちなみに当方は、ほぼ毎朝5時頃、こいつが起こしに来ます。
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寝ていると、手足や顔にスリスリしながら(一日の中ですり寄ってくるのはこの時だけです(笑))、「ニャオニャオ! ニャーニャー!(起きろ、下僕! とっとと朝ごはんよこせ!)」(笑)。妻や娘には行きません。誰が根負けして起きるか、わかっていやがるのですね(笑)。

地方紙『宇部日報』さん、先週の記事です。山口市の中原中也記念館さんの企画展「書物の在る処――中也詩集とブックデザイン」について。

中原中也記念館で企画展「中也詩集とブックデザイン」 装丁家や出版の背景などを紹介

 中原中也(1907~37年)の詩集「山羊の歌」「在りし日の歌」と3冊の翻訳詩集を中心に、装丁家や出版の背景などを紹介する企画展「書物の在る処―中也詩集とブックデザイン」が、山口市湯田温泉1丁目の中原中也記念館で開かれている。9月26日まで。
 詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が装丁した「山羊の歌」の校正刷りや紙型、大正~昭和初期に刊行された個性豊かな詩集のブックデザインなど約100点が展示されている。
 中也の第2詩集「在りし日の歌」のブックデザインは、中也の友人で美術評論家、装丁家の青山二郎(1901~79年)が手掛けた。柳のカットと手書きの文字を生かした大胆なデザインが特徴で、青山の装丁作品の中でも傑作とされている。会場には、色彩豊かな額縁文様、愛らしい木彫りのはんこを使ったパターンなど独特の手法を用いて生み出された青山の装丁作品が多数飾られているほか、青山の日記や中也が青山に贈った詩を通じて2人の交流を紹介している。
 特別コーナーには、現代に生きる詩人やアーティストが中也の2冊の詩集をそれぞれの視点で捉えてデザインした詩集が展示されている。
 学芸員の菅原真由美さんは「電子書籍が普及する中、本の持つ存在感やたたずまいを感じてもらい、デザインを楽しむ中で詩への興味を広げてもらえたら」と話していた。
 時間は午前9時~午後6時。月曜休館。一般330円、学生220円、70歳以上、18歳以下無料。
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ところが、この記事が出た直後、コロナ禍のため9月13日(月)までの休館が発表されました。ただ、同展、会期は9月26日(日)までの予定ですので、再開後も観覧可能でしょう。

似たような件ですが、岩手花巻の高村光太郎記念館さん、8月14日(土)から休館となり、当初予定では今日までのはずでしたが、休館期間が9月12日(日)まで延長、と発表されています。休館前に開催されていた企画展「光太郎の三陸廻り」は、最初の計画では昨日までの予定でしたが、そのまま終了なのか、期間を延長するのか、未定のようです。

本当に、早いところコロナ禍の収束・終息することを願わずにはいられません。

【折々のことば・光太郎】

弘さんはマヒタケを昨日とり、それを町に売りにゆきたるものといふ。百匁30円の割でうれりとの事。一個一貫目のマヒタケあり。300円になりしといふ。

昭和23年(1948)10月2日の日記より 光太郎66歳

「弘さん」は、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの開拓地に住んでいた青年です。

「一貫目」といえば、約4㎏。そんな巨大な舞茸が採れていたとは、うらやましい限りです(笑)。

平成30年(2018)、ドラマ「アンナチュラル」のテーマ曲「Lemon」が大ヒットし、その後も精力的な活動を続けられているJ-POPアーティスト米津玄師さん。

インタビューの中で「Lemon」は、光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)からのインスパイアがあるかも知れない、と、御自身でおっしゃっています。

その米津さんが、インテリアグッズを展開する「REISSUE FURNITURE」(リイシュー ファニチャー)を立ち上げられたとのこと。

第1弾アイテムとして、「Lemon」をはじめ、これまで発表してきた楽曲「Flamingo」「海の幽霊」「馬と鹿」「Pale Blue」をイメージしたフレグランス「Room Perfume」(ルーム パルファム=部屋用香水)の発売を発表なさいました。

Room Perfume - Lemon REISSUE FURNITUREシリーズ#1

楽曲「Lemon」をイメージしたルームパルファム。

「米津玄師 2018 LIVE / Flamingo」「米津玄師 2019 TOUR / 脊椎がオパールになる頃」の演出で使用した香りで、レモンの爽やかさとほろ苦さが、部屋をやさしく包み込んでゆきます。クリスタルの形をしたガラスボトルは、光によって表情を変え、エレガントなひと時を演出します。

ボトルカラー Lemon Yellow Designed by Kenshi Yonezu ¥5,830(税込)
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米津さんのコメント。

非日常が日常へと変化しそうになっているこの頃、自宅で過ごす時間の重要性を見直さなければならないと感じています。ライブツアーがおいそれと組めなくなって以来、何か新しい軸を一つ作りたいと思い、今回REISSUE FURNITUREを始めることにしました。
部屋は自分の精神とシンメトリーな部分があると思います。部屋がほんの少し豊かになることで、健やかに日々を生きる一助になることを願います。

ボトルは米津さん御自身のデザインだそうで、そういえば、米津さん、御自身のアルバムのジャケット等もデザインされています。

ご興味のある方、ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

ひる前に余は揮毫。桶屋さん(大橋大人)の為に「木竹諧和」と書き宮崎鯉軒翁喜寿のために「天地寿」と書く。


昭和23年(1948)10月1日の日記より 光太郎66歳

「大橋大人(たいじん)」は大橋喜助。花巻一の桶作りの職人で、宮沢賢治の父・政次郎、花巻病院長・佐藤隆房、そして蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の村人達の厚意で光太郎に贈られた風呂桶を制作しました。「諧和」は「やわらいで親しみあうこと」の意。木や竹などの材料を「諧和」させる見事な匠の技へのオマージュですね。

「宮崎鯉軒」は宮崎仁十郎。茨城取手の素封家で、智恵子の最期を看取った姪の春子と結婚した宮崎稔の父親です。戦前から光太郎と交流がありました。
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さらにこの後、完成した風呂場を「無可有殿」と名付け、横書きにした書も書きました。「無可有」は中国の古典「荘子」が出典で、「自然のままで何も作為がないこと。また、そのような状態や境地」といった意味です。いかにも光太郎が好みそうな言葉だと思います。
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画像はその際の書を木の板に写したものです。

古美術・骨董愛好家対象の雑誌『小さな蕾』さん。2021年9月号に光雲の作品が紹介されていました。
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古美術研究家・加瀬礼二氏という方のご執筆で「高村光雲 聖徳太子像」。全4ページです。
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紹介されているのは、上野の東京国立博物館さん所蔵の聖徳太子像。大正元年(1912)、鋳銅の作品です。

前年に制作された木彫の原型は、同じく上野の東京藝術大学大学美術館さんの所蔵。ここから型を取って、鋳金家の安部胤齋により61体が鋳造され、光雲の帝室技芸員任命記念として配付されたそうです。

木彫原型については、光雲の談話筆記「聖徳太子御像に就いて」(大正10年=1921、雑誌『建築図案工芸』第七巻第五号所収)に、次の一節があります。

 聖徳太子の御像の話としては、いま国華倶楽部の本尊たる太子像に就いて物語るのが一番に相応しい気がします、作家としての私にとつては。
 明治四十一二年頃に国華倶楽部でとまれ一つの本尊を建立する議案が出て、それが聖徳太子御像と定められたのでしたが、自分が彫刻家であり、また倶楽部の理事でもある関係上、総べてに出しやばるやう想はれてもと思ひまして、種々と差控へてをりましたら、また他に適当な木彫家の方を推してもおきましたが、どうしても遣らねばならぬやうな羽目になりましたので、断然製作する決心をしたのでした、丁度その時は六十一歳に相当しましたので、その御礼にもと想ひまして、太子様の御像を一つ建立する事に依つて、せめても今日まで報恩の一部だに尽すことが出来たならと思ひまして、その紀念に歓びを献ずる意りで寄附する事を約しまして、六十歳の時に懸りまして六十一歳で製作を了り自分の気持ちを献しました、それは聖霊殿の木像の形でした、

美術家の社交団体であった国華倶楽部の主催で、明治末から「聖徳太子祭」が行われていました。その際に太子像がなければ盛り上がりに欠ける、みたいな感じだったのでしょう。光雲に白羽の矢が立ち、みんなで拝むための太子像を作れ、ということになったようです。

そこで光雲、法隆寺聖霊殿所蔵の太子像を手本に、坐像を制作しました。おそらくこれが太子像をきちんと制作した最初なのではないかと思われます。この後、法隆寺や橘寺所蔵の他の太子像をモデルにしたり、新たな図案を取り入れたりしながら、光雲は複数の太子像を制作しました。昭和2年(1927)には、国華倶楽部の像とよく似た図題の「聖徳太子摂政像」を制作、法隆寺に納めています。

光雲の太子像諸作については、下記をご参照下さい。
京都大覚寺光雲作木彫。
京都・大阪レポート その1。「大覚寺の栄華 幕末・近代の門跡文化」展。
東北レポートその2(仙台編)。
第587回毎日オークション 絵画・版画・彫刻。
テレビ放映情報。

ところで、談話筆記「聖徳太子御像に就いて」。当会で会報的に刊行を続けている『光太郎資料』中の「光雲談話筆記集成」、次回発行分(10月5日予定)に載せるつもりで文字起こしをしているところでした。そこで『小さな蕾』さんにこの記事が出たので、驚いている次第です。

さて、『小さな蕾』さん9月号。実は最新号は10月号ですが、9月号もオンライン等で入手可能。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

夕方五時過村長さん宅より子供等迎へにくる。一緒にゆく。晩餐に六七人集まる。酒肴。馬喰茸の煮つけをめづらしくくふ。小豆餅、クルミ餅。十時半辞去。サダミさんがアセチリン燈を持ちて小屋まで送つてくれる。


昭和23年(1948)9月29日の日記より 光太郎66歳

「村長さん」は高橋雅郎、光太郎が援助を惜しまなかった山口小学校近くに住まいがありました。お嬢さんの故・愛子さんは光太郎の語り部として永らく活動された方です。

「アセチリン燈」。通常、「アセチレン」と表記しますが、炭化カルシウム(カルシウムカーバイド) と水を反応させ、発生したアセチレンを燃焼させるもの。昔は寺社の縁日の夜店などで見かけたものです。

『東京新聞』さんの記事から。

103歳 絵に託す希望 横浜の画家・井上寛子さん 北区の母校に新作寄贈「未完成な自分 高めたい」

002 ことし百三歳を迎える現役の女性画家がいる。横浜市に住む井上寛子(ひろこ)さん。新型コロナウイルス禍の世界の「希望」を描いた新作が先月、東京都北区中里にある母校の女子聖学院に寄贈された。井上さんは「これからも人として未完成な自分を少しでも高めていきたい」と話す。
 昇りゆく太陽が日食のように大きく欠け、小枝に止まる一羽の小鳥が向き合う−。作品は「朝陽はまた昇る」と題した油彩画だ。
 寛子さんは自宅二階にあるアトリエの窓に立ちながら「日光浴がてら太陽を肉眼で見ていたら、ぐらっと黒くなった瞬間があったの」と制作の動機を語る。
 「若い絵描きをはじめ、みんな苦しんでいるでしょ。先が見えないけど、希望は持ちたいと思ってね」
 小鳥は小さな人間、緑の葉っぱは生命の源のシンボルという。この新作を世田谷区内のギャラリーで四月に開いた個展「満103歳の挑戦」に出品すると、思わぬ展開をたどる。
 寛子さんは一九一八(大正七)年十二月生まれ。北区西ケ原で育ち、文京区本駒込にあった理化学研究所のマネジャーだった父の勧めで女子聖学院に入学。〇五(明治三十八)年に創立されたプロテスタント系の女子中高一貫校だ。
 病院で見た西欧の中世画に絵心を抱き、高卒後は女性では珍しい画家の道へ。印象派を学び、四一年、文部省美術展に初入選。四三年、彫刻家で詩人の高村光太郎を本郷の私邸に訪ねると、「日本の藍の色を研究したら」と励まされた。
 同年、彫刻家の井上信道氏と結婚。四五年五月の横浜大空襲で夫は大やけどを負い、疎開先の伊豆・湯ケ島で長女の静子さんを出産し終戦を迎えた。いまも米軍機の焼夷(しょうい)弾の痕跡が残る木造住宅で現代アート作家の静子さん夫婦と暮らす。
 寛子さんは二〇一九年、母校の同窓会報「翠耀(すいよう)」に寄稿した。それが縁となり母親が同窓生だった鈴木貴子さん(54)が個展での新作に感動し、亡き母の遺志として寄贈を申し出た。
 寄贈の集いは七月二十日。寛子さんは卒業から八十六年ぶりに母校を訪れ、山口博校長や翠耀会の大塚明子会長らが出迎えた。
 鈴木さんは「コロナ禍で学校生活もままならない。そんな生徒の心に寄り添い、明るい未来へのメッセージを感じます」と作品を紹介。寛子さんは「再び誰もが立ち上がることのできる広々とした明るい前途があることでしょう」と掲額へのお礼を述べた。
 実は、太陽の黒は高村光太郎が助言した「藍」の到達点とも言える。十七世紀のオランダの巨匠レンブラントの「無限の黒(闇)」を意識し、藍に近い多くの暗い色を重ねて、あの重厚な漆黒を創作したのだ。
 再び自宅アトリエ。寛子さんに次回作を尋ねると、照れ隠しか文字にしたためた。「存在するものをかきます」。古代ギリシャの哲学者アリストテレスを口にして、百四歳を見据える。
 さらにいまの心境を伺うと「倖(しあわ)せに気づきました」。戦火の時代を生き抜いたつらい日々の記憶は年を重ねて鮮明になるらしい。平和のありがたさに感謝して一日一日を生きる。
◆井上さんの1日 しっかり食べ 家事・体操も
   「朝陽は〜」を制作中の2月24日の「103歳の1日」の記録によると−。
 5時半、起床。朝焼けを眺めキャンバスに向かう。8時、朝食は牛乳を泡立てたカプチーノ、野菜と001果物のスムージー、パン、ハム、チーズ。同40分、キャンバスへ。10時15分、仮眠。正午、昼食はダッチオーブンで焼いたサツマイモ。13時、絵を描く。14時半、横浜駅地下街の画材屋にバスで出かける。アサリのつくだ煮と煮豆を買う。15時半、帰宅。煮豆を食べる。
 16時、夏ミカンのマーマレードを煮込む。18時、夕食はごはん、ブイヤベース、豪州産牛肉。肉が大好き。19時、テレビニュースを見る。20時、就寝。
 毎日、娘夫婦と一緒に食事し、掃除や洗濯の家事をこなす。制作に集中するときは5時間近く描く。天野式リトミック体操を行う。
 静子さんは「絵に向かわないときも常に何かやっている。耳は遠いが自立して行動しています」と話す。

井上さん、平成27年(2015)、97歳の折に開いた個展の報道(『朝日新聞』さん神奈川版)でも、光太郎とのご縁が紹介されており、「ああ、あの井上さんか。まだお元気だったんだ」と、嬉しくなりました。

まだまだお元気で、画業に邁進されてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

午后雑用、畑少々、 「噴霧的な夢」といふ一枚ばかりの詩を書く。「女性線」へ送るつもり。

昭和23年(1948)9月21日の日記より 光太郎66歳

「噴霧的な夢」は、前年に発表された連作詩「暗愚小伝」以来、久しぶりに智恵子を謳った詩です。「女性線」は、その掲載紙。

現代では「荒唐無稽」「恣意的」と退けられている「精神分析」の分野の人々が、喜びいさんで勝手な解釈を加えたがった作品でした(笑)。

  噴霧的な夢

 あのしやれた登山電車で智恵子と二人、
 ヴエズヴイオの噴火口をのぞきにいつた。
 夢といふものは香料のやうに微粒的で
 智恵子は二十代の噴霧で濃厚に私を包んだ。
 ほそい竹筒のやうな望遠鏡の先からは
 ガスの火が噴射機(ジエツト・プレイン)のやうに吹き出てゐた。
 その望遠鏡で見ると富士山がみえた。
 お鉢の底に何か面白いことがあるやうで
 お鉢のまはりのスタンドに人が一ぱいゐた。
 智恵子は富士山麓の秋の七草の花束を
 ヴエズヴイオの噴火口にふかく投げた。
 智恵子はほのぼのと美しく清浄で
 しかもかぎりなき惑溺にみちてゐた。
 あの山の水のやうに透明な女体を燃やして
 私にもたれながら崩れる砂をふんで歩いた。
 そこら一面がポムペイヤンの香りにむせた。
 昨日までの私の全存在の異和感が消えて
 午前五時の秋爽やかな山の小屋で目がさめた。
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オンラインでの朗読。ただし、オンラインと言っても、インターネット系ではなく、電話で、だそうです。

でんわde名作劇場(2021年9月)

期 日 : 2021年9月3日(金)~9月6日(月)
時 間 : ①11:00、②13:00、③15:00、④17:00
料 金 : 一般:1,500円、SPACの会 会員:1,200円

SPAC俳優と生電話!昨年実施し、ご好評いただいた本企画を期間限定で開催します。ご自宅にいながら電話で、SPAC俳優のライブ朗読をお楽しみいただけます。
日時・俳優・演目をお選びいただき、実施日の前日までにお申込みください。SPAC俳優からお客様のお電話番号におかけして、朗読をいたします。朗読と合わせて40分以内なら、なにげない雑談もOK!

ご希望の日時・俳優・演目を実施日の前日までにチケットセンターへご予約ください。
SPACチケットセンター:054-202-3399(受付時間 10:00~18:00)

出演俳優☆赤松直美、池田真紀子、たきいみき(※受付終了)、本多麻紀
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赤松直美
 ◉小川未明 作
 『海のかなた』(約30分) 『眠い町』(約20分) 007
 『月夜とめがね』(約20分) 『びんの中の世界』(約20分)
 
『黒い塔』(約20分) 黒い人と赤いそり』(約15分)
 『野ばら』(約15分) 『とうげの茶屋』(約25分)
 
『赤い蝋燭と人魚』(約40分) 『小さい針の音』(約20分)
 
金の輪』(約10分)※時間内であれば、短編2本の組合わせもOK!
 ◉宮沢賢治 作『どんぐりと山猫』(約30分)
 ◉有島武郎 作『一房のぶどう』(約30分)008

池田真紀子
 ◉武石園子 作『ねこのゆめ』(12分)
 ◉芥川龍之介 作『魔術』(20分)
 ◉横光利一 作『蠅』(12分)
 ◉萩原朔太郎 作『青猫』より数編(6分)
 ◉高村光太郎 作『智恵子抄』より数編(5~15分)
 ※時間内であれば、複数作品でもOK!009

たきいみき(受け付け終了)
 ◉三好十郎 作『殺意~ストリップショー』
 ◉谷崎潤一郎 作『盲目物語』
 ◉泉鏡花 作『伯爵の釵(かんざし)』

本多麻紀
 ◉岡本綺堂 作『怪談一夜草紙』010
 ◉寺田寅彦 作『茶わんの湯』
 ◉小川未明 作『月夜とめがね』
 ◉佐藤春夫 作『あじさい』
 ◉フィオナ・マクラウド 作(松村みね子 訳)『女王スカァの笑い』

SPAC」というのは、静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center)の略だそうです。舞台芸術を創造・上演するための専門家集団を擁し、静岡芸術劇場などを拠点にした演劇等の公演の他、海外を含め、各地に出張公演も行っているとのこと。

そちらを拠点とする「劇団SPAC」さんが、今回の主宰です。同団、平成27年(2015)には「『智恵子抄』リーディング」という企画、それから一昨年には「SPAC出張劇場『星の時間 〜高村光太郎「智恵子抄」より〜』」という公演もなさって下さっています。

当節、オンラインが流行りですが、電話を使う、というのもある意味、斬新ですね。考えてみれば、携帯電話等が普及した現代だからこそ、逆にありなのかな、という気がします。

ご興味のある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

浅沼校長が居たので、包んで置いた5,000円包を(村立山口小学校宛、幻灯機のため)として寄附、お手渡しする。


昭和23年(1948)9月19日の日記より 光太郎66歳

折に触れ、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くにあった山口小学校へ、いろいろと援助をしていた光太郎。この時は、幻灯機の購入資金でした。

「幻灯機」といって、今の若い皆さんに通じるかどうか(笑)。そういえば、当会顧問であらせられた故・北川太一先生が、当方手持ちのプロジェクタを「幻灯機」とおっしゃっていたのを懐かしく思い出しました。

001当会顧問であらせられた、故・北川太一先生が、かつて都立高校教諭をなさっていた頃に教え子だった皆さんの会・北斗会さんの会長を永らく務められた、都内ご在住の小川義夫さんが亡くなりました。

小川さん、新潟の旧山古志村のご出身。北川先生の一回り下の丑年とおっしゃっていましたので、今年、誕生日を迎えられていたとすれば満84歳ということになります。

北斗会さんとして、北川先生の御著書や、北川先生を顕彰する書籍の編集、刊行の中心にいらっしゃり、当方も大変お世話になりました。右画像は、北斗会さん編集の『北川太一とその仲間達』(平成23年=2011)。小川さんもご執筆なさり、さらに小川さんも御出席された北川先生を囲んでの座談会の様子も収録されています。

毎年4月2日の光太郎忌日・連翹忌の集い(昨年・今年はコロナ禍のため中止)、そして8月には、女川光太郎祭(こちらも昨年・今年はコロナ禍のため中止)にもよく参加されていました。
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こちらは東日本大震災の翌年(平成24年=2012)、当時まだ遺されていた、女川港近くの横倒しになったビルを御覧になっている北川先生ご夫妻、そして右は小川さんの後ろ姿です。

また、1月には北川先生ご夫妻を囲む新年会を企画され、当方も参加させていただいておりました。こちらは平成28年(2016)の新年会、開会の挨拶をされている小川さんです。
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さらに、昨年1月の、北川先生ご葬儀では、葬儀委員長を務められたりもなさいました。その折が、当方、小川さんにお会いした最後となってしまいました……。

さて、小川さん。ご本業は、印刷会社の社長さんでしたが、演歌歌手としても活動されていました。70歳を過ぎてから、心臓病の予後のリハビリのためお医者様の勧めでカラオケに取り組み、大会などに出場するうちに、あれよあれよという間にプロデビューとなったそうです。
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BS放送の歌謡番組にもご出演され、当方、「ぶっちゃけ、ギャラとかって、どんなもんなんですか?」などと失礼ながらお訊きしたところ、「いや、こっちがプロモーションさせて貰う立場なので、逆にこっちから「出演料」を払うんだよ。いわゆる大御所でもそうなんだ」などと教えていただきました。そんなことも、今となっては懐かしい思い出です……。
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今頃は、空の上で、北川先生と久闊を叙されているのではないでしょうか。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

食事中、東京角川書店主角川源義氏来訪。小山書店の高村昭氏と知合の由。濃茶、チーズ等もらふ。いろいろの談話。出版会の消息等もきく。


昭和23年(1948)9月7日の日記より 光太郎66歳

角川源義は昭和20年(1945)創業の角川書店の創業者。後発の出版社のため、岩波書店や新潮社などに追いつき追い越せ、と、随分努力をしました。源義自ら太田村の光太郎の小屋を訪れること、少なくとも3度。光太郎帰京後も、中野のアトリエに通っていました。その意気やよし、ということで、光太郎は角川文庫や『昭和文学全集』に作品を提供します。

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