昨日と今日は、以前のこのブログで紹介した明治古典会七夕古書入札会の一般公開でしたが、昨日も今日も他に所用があり、結局行きませんでした。
 
さて、先日、石川光明やら大熊氏廣やら、明治の日本近代彫刻草創期の彫刻家の話題を書きましたので、手持ちの資料の中からそのあたりに関するものを引っ張り出しました。暇をみて読み返したいと思っています。 

明治の彫塑「像ヲ造ル術」以後」

平成3年(1991)3月30日 中村傳三郎著 文彩社 定価4000円+税

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書き下ろしではないのですが、結果的に明治期の彫刻の編年体的通観がなされています。それにしても、帯がいいですね。内容もさることながら、この帯に惹かれて購入したことを覚えています。 

平成6年(1994)3月1日 田中修二著 吉川弘文館 定価6,214円+税

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『明治の彫塑』がどちらかというと編年体で書かれているのに対し、こちらはどちらかというと紀伝体です。高村光雲、後藤貞行、大熊氏廣の三人について、一章ずつ費やして論じています。後藤貞行はやはり東京美術学校に奉職した彫刻家で、動物彫刻を得意とし、「楠木正成像」の馬、「西郷隆盛像」の犬を手がけています。他に、石川光明、米原雲海ら同時代の彫刻家、朝倉文夫、荻原守衛ら次の世代の彫刻家にも触れています。
 
明日はやはり以前のこのブログで紹介した練馬区立美術館さんの<N+N展関連美術講座>「触れる 高村光太郎「触覚の世界」から」に行って参ります。午後3時からなので、午前中は調査。日曜は国会図書館さん、駒場の日本近代文学館さんが休みですので、木場の東京都現代美術館さんに行きます。美術館でも、図書館のように図書の閲覧サービス等を行っているところがあり、東京都現代美術館さんもその一つです。

昨日、yahoo!のテレビ番組検索でヒットした情報をお伝えします。
 
実は、オンエアの日付を昨日と勘違いし、昨日、慌てて載せたのですが、よく見てみると来週でした。

木曜ドラマ9「ビギナーズ!」 第1話

地上波TBS系 2012年7月12日(木) 21時00分~22時06分
 
俺たち、ヒーローになる予定っ!絶対服従24時間監視下の全寮制警察学校を舞台に今注目度No.1の若手キャストが集結した青春ラブコメドラマ!

番組内容
幼い頃、白バイでマラソンの伴走をする警察官だった父の姿を見て育った志村徹平(藤ヶ谷太輔)は、マラソンランナーになる事が夢だったが、父親の失職・失踪と自身のケガをきっかけに自堕落な生活の一途をたどり、地元では名の知れた不良になってしまう。 そんな徹平が幼馴染の雄一の強い誘いも影響して、高校卒業後、なんと警察官になる道を選ぶ。 奇跡的に採用試験に合格した徹平はこの夏警察学校に入校することになるが…


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どこが光太郎関係だ? と思ったら、出演者の欄に、以下の記述がありました。

出演者
志村徹平…藤ヶ谷太輔(Kis-My-Ft2) 立花団司…北山宏光(Kis-My-Ft2) 桃江比呂…剛力彩芽
山根省吾…柄本時生 杉山清貴…小柳友 石岡太一…石井智也 新島千晶…岡本あずさ
福原陽子…水沢エレナ 峰百合…青山倫子 恩田雄一…森廉 桃江明美…河合美智子
高村光太郎…鹿賀丈史(特別出演) 福田清志…柳沢慎吾 桃江好則…宮川一朗太
志村恭一郎…国広富之 竜崎美咲…石田ひかり 桜庭直樹…杉本哲太

「何だそりゃ?」と思って番組公式サイトを調べたところ、鹿賀丈史さん演ずる「高村光太郎」は警察学校の校長という設定でした。まさか、単なる同姓同名というだけの設定でもないとは思いますが……。


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とりあえず来週からのオンエアをチェックしてみたいと思います。

追記 結局、風間さんが演じた「高村光太郎」は光太郎と何の関わりもなかったようで……もしかすると、全何回かの中でちょっとだけでも光太郎がらみのエピソードはあったのかもしれませんが……。

本日も香取市(旧佐原市)ネタです。佐原と光雲の間接的なつながり、ということで、昨日は佐原の大祭についてご紹介しました。もう一つ、似たような例があるので今日はそちらを。
 
JR佐原駅の改札を出て、まっすぐ南に行きますと、500㍍ほどで小高い山にぶつかります。山の上には諏訪神社。山の手前、右側は公園になっており、こちらに建っているのが下の画像の銅像です。
 
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我が国で初めて実測による日本地図を作成した、伊能忠敬の銅像です。
 
忠敬は元々は九十九里の生まれでしたが、醸造業だった佐原の伊能家に養子として入り、傾いていた家業を盛り返し、また、佐原本宿の名主としても、天明の飢饉の際に私財をなげうって窮民救済にあたったなどといわれています。そしてその名を一躍有名にした実測地図作成。これが実は隠居後の仕事だったというのですから驚きです。佐原旧市街には、現在も残る忠敬の旧居、平成10年に開館した伊能忠敬記念館などがあり、佐原観光の拠点になっています。
 
というわけで、地元の誇りというわけで、古くから顕彰活動が行われていまして、この銅像は大正八年、忠敬没後百年を記念して当時の佐原町有志が中心となって建立されました。
 
この像の作者は、大熊氏廣。安政三年生まれの彫刻家で、日本近代彫刻の草創期を担った一人。靖国神社に建つ「大村益次郎像」(明治26年=1893)など、我が国最初期の銅像の作者です。
 
もっとも、光太郎はこの大村益次郎像に対しては非常に手厳しい文章を残しています。曰く「大熊氏廣氏作の大村益次郎像は九段靖国神社前に日本最初の銅像として今日でもその稚拙の技を公衆に示してゐる。(中略)本来塑像家としての素質無く、その作るところ殆ど児戯に等しい観があつて、何等の貢献をも日本彫刻界に齎(もたら)してゐない。」(「長沼守敬先生の語るを聴く」昭11=1936『全集』第7巻)。
 
草創期なんだからある意味仕方がないじゃないかと思いますが、どうでしょうか? ちなみに光太郎、勘違いしています。大村像完成より古い明治13年に、金沢兼六園に建てられた「日本武尊像」が日本初の銅像という説が有力です。参考までに光雲が関わった皇居前広場の「楠木正成像」は明治29年(1896)、上野の「西郷隆盛像」は同30年(1897)の竣工です。
 
さて、大熊は「東京彫工会」とう組織に所属していました。元々は例の石川光明ら、牙彫(げちょう=象牙彫刻 廃仏毀釈のあおりで木彫の注文が激減したため外国人向けに作られ、一世を風靡 光明は一時期牙彫に専心)の人々が中心になって作られた団体ですが、光雲も参加しています。
 
というわけで、大正8年(1919)頃、次のような会話が交わされていたかもしれません。
 
大熊 「今度、下総の佐原という町に伊能忠敬翁の銅像を造ることになりました。」
光雲 「ほう、佐原ですか。先頃亡くなった石川光明先生の先々代の頃、あそこの祭りの山車を何台か手がけたと聞きましたな。」
大熊 「なるほど。そうだ、山車といえば、活人形の安本亀八さんが、佐原の山車の人形を作るとも聞いていますぞ。」
光雲 「そいつは楽しみですなあ。」
 
こんな想像をすると、何とも楽しいではありませんか。
 
しかし、佐原の伊能忠敬像、説明板には忠敬の業績ばかりで、作者大熊の名が記されていません。一般に銅像というもの、「誰が作った」より「誰を作った」の方ばかり注目されている嫌いがあるように思われます。「渋谷のハチ公の作者は?」と訊かれて「安藤照」とパッと答えられる人はまずいないでしょう(現在は二代目ハチ公で照の子息、士(たけし)の作)。かくいう当方も、今、ネットで調べて書いています(笑)。
 
日本彫刻史をしっかり押さえるためにも、こうした風潮には釘を刺したいものです。

以前にも書きましたが、当方、千葉県香取市在住です。その中でも平成の大合併で香取市となるまでは佐原市といっていた区域で暮らしています。ここは千葉県の北東部に位置し、成田や銚子にも近い水郷地帯です。
 
もともとは古代に香取神宮の門前町としてその発展を始めましたが、江戸の昔には利根川の水運、水郷地帯特産の米を利用しての醸造業などを中心に商都として栄え、「小江戸」と称されました。日本で初めて実測による地図を作成したかの伊能忠敬も、佐原で醸造業を営んでいました。
 
しかし、明治に入り、鉄道網の整備と共に水運が廃れ、佐原の街の発展もかげりを見せます。そのおかげ、というと語弊がありますが、太平洋戦争時には空襲をまぬがれました。銚子には空襲がありましたし、成田では空襲はなかったものの、撃墜されたB29が炎上しての火災があったそうです。そのおかげ(こちらはほんとにそのおかげです)で、旧市街では江戸期から戦前の商家建築が多数残り、平成8年、関東で初めて重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。
 
それまではさびれた街でしたが、もともと営業していた店は息を吹き返し(幕末に建てられた店がそのまま営業しています)、廃屋になりかけていた古民家もおしゃれなカフェやレストランなどにリニューアル、現在では休日ともなれば都心方面からのバスツアーなど、観光客の皆さんでにぎわっています。昨年の震災で受けた被害からも徐々に復興してきました。ただ、まだ足場を組んで修理中の建物も多いのですが。
 
余談になりますが、佐原では古い街並みを利用しての映画、テレビなどのロケもよく行われています。後のブログでも書こうと思っていますが、昭和42年公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻主演)のロケも行われたのではないかと思っています(確証がないのですが)。
 
というわけで、古来から佐原には文人墨客の滞在、来訪が多くありました。近代でも有名どころでは、芥川龍之介にその名もずばり「佐原行」という小品がありますし、与謝野晶子、若山牧水、柳原白蓮、新村出(かの『広辞苑』編者)なども訪れています。あまり有名ではありませんが、光太郎の彫刻のモデルを務めたこともある歌人・今井邦子の夫も佐原にゆかりの人物です。実は佐原、古い街並み保存などの方面には力を入れていますが、文人との関わりなどの方面はまだまだ光を当てていません。
 
近隣の銚子や成田には光太郎、智恵子の足跡が残されています。しかし佐原と光太郎には、今のところ深い関わりは発見できていません。今後、佐原に住んでいた誰々に宛てた書簡などが出て来る可能性も皆無ではありませんが、おそらくないでしょう。大正元年に光太郎と智恵子は銚子の犬吠埼で「偶然に」出会っていますが、この頃の東京から銚子へのルートとしては佐原経由の成田線がまだ開通しておらず、もう少し南の八日市場・旭経由の総武線で往復し、佐原は通っていないと思われます。
 
ただ、間接的なつながり-光太郎というより光雲との-はいくつかあります。その一つが来週末に行われる「佐原の大祭・夏祭り」です。先日のブログに書いた佐原の骨董市が行われる八坂神社の祭りです。
 
佐原の大祭は夏と秋の二回、それぞれ3日間ずつ行われます。夏と秋では異なる地区が担当します。旧市街中心を流れる小野川を境に夏は東岸の「本宿」(旧市街の中でもより古くから発展していた地区)、秋は西岸の「新宿」(旧市街の中では比較的新しく発展した地区)が担当です。基本的には山車(だし)の引き回しをする祭りです。江戸期に繁栄していた頃、佐原の商人達がこぞって豪勢な山車を作らせ、その妍(けん)を競いました。

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山車の命は上部に据えられる巨大な人形と、山車全体を覆う木彫です。
 
まず、木彫の方では、先のブログで紹介した、東京美術学校で光雲の同僚だった石川光明の家系が関わっています。来週末に行われる夏祭りでは本宿地区10台の山車が出ますが、そのうちの4台に石川系の木彫が施されています。それぞれ江戸後期から幕末に作られたもので、「寺宿」「船戸」(本宿の中のさらに細かな町名です。以下同じ)の山車には、光明の先々代、豊光の門人であった石川常次郎の彫刻が、「下新町」の山車(こちらは秋ですが)にはやはり豊光の門人であった石川三之介の彫刻が施されています。また、詳細は不明とのことですが、「仁井宿(にいじゅく)」の山車にも石川系の彫刻が入っているらしいとのことです。佐原の商人達は、当時の江戸の有名な宮彫師(神社仏閣の外装などを手がける職人)であった石川一派に依頼したというわけです。どれも非常に精緻な木彫で、江戸の職人の水準の高さがよくわかります。
 
残念ながら高村一派の木彫が入った山車はありません。光雲は、自分の地元の駒込林町の祭礼で使う御輿(みこし)の木彫などは手がけていますが、あくまで地元だからであって、やはり御輿や山車の彫刻は仏師としての仕事の範疇から外れるのだと思います。
 
それから人形。佐原の山車には一部の例外を除き、歴史上の人物や神話の神々などの巨大な人形が据え付けられています。夏祭りで出る山車のうち、「下仲町」の人形・菅原道真(大正十年)、「荒久(あらく)」の人形・経津主神(ふつぬしのかみ=香取神宮の祭神 大正九年)の作者は、三代目安本亀八(かめはち)。これらの人形はとてつもなくリアルな「活人形(いきにんぎょう)」という種類のもので、これは幕末から明治、大正にかけて見世物小屋などで展示されることが多かったということです(一番下のリンクで画像が出ます)。光雲は活人形の祖、松本喜三郎を賞賛する文章を残しており、昭和四年に刊行された『光雲懐古談』に収められています。さて、「下中宿」の菅原道真。町内の人が書いた説明板には光雲がこの人形を見て絶賛した旨の記述があります。ただし、今のところ出典は確認できていません。
 
いずれ光雲の書き残したもの(多くは談話筆記)も体系的にまとめようと思っていますので、そうした中で調査してみたいと思います。
 
というような光雲との間接的なつながりのある祭りです。来週末の13日(金)から15日(日)の3日間。重要伝統的建造物群を背景に練り歩く山車を見るだけでもいいものです。タイムスリップしたような感覚も味わえます。十数年前までは、八坂神社に見世物小屋の興業が出ていました。さすがにそれは無くなりましたが、情緒溢れるレトロな雰囲気は昔のままです。といって、静かな祭りではなく、山車をその場でドリフトさせる「「の」の字回し」(平仮名の「の」のような動きということです)などの勇壮な曲引きもあったりしますし、山車に乗る「下座連(げざれん)」の人達の笛や太鼓の演奏も見事なものです。これも音楽史、民俗史的に貴重なもののようです。
 
是非、お越しください。
 
以下のサイトを参照させていただきました。
 
国指定重要無形民俗文化財 佐原の大祭
 
『生人形師 三代目 安本亀八展~日本人形の極致~』水郷佐原山車会館  

新刊情報です。 

スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡

坂本富江著 牧歌舎 平成24年7月10日 定価1,800円+税

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これも楽しみにしていた書籍の一つです。著者の坂本様から6月下旬に刊行予定と御案内を頂いておりましたが、少しずれ込んだようです。昨日届きました。
 
著者の坂本様は、若かりし頃の智恵子も所属していた太平洋画会の後身、太平洋美術会の会員(智恵子に惚れ込むあまり入会されたそうです)。高村光太郎研究会や福島の智恵子の里レモン会の会員でもあられます。
実は当方、タイトルの「スケッチで訪ねる」という文言から、勝手に単なる画集のようなものだろうと思いこんでいました。しかし、さにあらず。確かに坂本様のスケッチもたくさん載っていますが、それだけでなく、光太郎・智恵子ゆかりの地を訪れたレポートがびっしり書かれています。思わず一気読みしてしまいました。
 
画像でお判りになるかと思いますが、帯には渡辺えりさんの推薦文が掲載されています。曰く、「坂本さんのスケッチは温かく、まるで智恵子を抱きしめているように思える。智恵子自身が、故郷の山や川や植物を坂本さんと一緒に描いているようだ。」なるほど、その通りです。
 
驚いたことに、全ページカラー刷りの豪華な造りです(鉛筆スケッチはともかく、水彩でのスケッチはカラーでなければしょうがないといえばそれまでですが)。収められたスケッチは150点近く。その点数の多さもさることながら、訪れられた場所も実に多方面にわたっていて、その御労苦に頭が下がります(なんと、17年分のご成果だそうです)。定番の二本松、犬吠埼、十和田湖などはもちろん、智恵子が短期間暮らしていた雑司ヶ谷周辺や、1ヶ月程入院していた九段坂病院、人里離れた福島の不動湯温泉(光太郎直筆の宿帳が今も残っています)などなど。
 
そして文章を読むと、いろいろな場所で体当たり的取材を敢行されているバイタリティーにも感心させられました。さらに行間から滲み出る智恵子への愛惜の思いの深さ……。素晴らしい!
 
肝心のスケッチは、150点近くも収められていながら決してゴテゴテせず、全編を通して何というか、一つの統一された流れを感じました。時々、全ページカラー刷りというと「飲み屋街のネオンか?」と突っ込みたくなるようなけばけばしい書籍がありますが、この本はそういうことはまったくありません。表紙や見返し、年譜のページなど、智恵子が好きだったというエメラルドグリーンが非常に効果的に使われ、爽やかな感じです。さすがに絵心のある人は違いますね。羨ましい限りです。
 
是非とも第二弾「スケッチで訪ねる光太郎の旅」を出していただきたいものです。

昨日に続き、骨董市ネタです。
 
数年前のことでした。市に参加しているある店の店頭に、額に入れられた「光太郎の葉書」が並んでいました。葉書ですので表裏になっていますが、裏面(文面)の方がこちらに向けてあり、表面(宛名面)の方はコピーで横に並べてあります。
 
山梨出身のマイナーな詩人・野沢一(はじめ)にあてたもので、『高村光太郎全集』には2通、山梨県立文学館所蔵のものが掲載されています。実際に同館でそれを見たこともありました(細かな文面までは頭に入っていませんでしたが)。そこで、「野沢宛か、あってもおかしくないな。」と思いました。書かれている内容も野沢の質問に対しての解答になっており、筋が通っています。筆跡も問題なさそうです。
 
値段を訊いてみると、「額付きで5万円」とのこと。まあ、妥当な値段です。さすがに財布に5万円は入っていませんし、こんな所ではカード払いなど不可能です。しかし、会場になっている神社の近くにコンビニがあったので(今は閉店してしまいましたが)、そこのATMから下ろせば何とかなります。その時点では、もう半分以上買う気になっていました。
 
もう少し確認しようと、店主に頼み、額から出して貰い、手に取ってみました。すると、額のガラス越しの時には感じなかった違和感。形的には見慣れた光太郎の筆跡ですが、どうにも筆跡に力がないのです。うまくいえませんが、光太郎の筆跡に接した際に感じられるオーラのようなものが漂ってこない、ということです。この時点で、だいぶ疑いが濃くなりました。
 
裏返して宛名面を見てみると、更におかしなことが。消印がないのです。消印がないということは、投函されていないということですね。なぜ投函されていないのか、と考えれば、答えはこれが偽物だから、です。
 
消印がないからといって、一概に偽物とは言えません。実際、消印がない本物も存在します。直接手渡したか、他の何かと一緒に封書や小包にして送ったかであれば、消印はなくてもおかしくはないので。しかしこの葉書は筆跡が弱すぎる。結局買うのはやめました。
 
逆に、消印が押してある偽物も見たことがあります。というか、現在も他の方のブログで、我が家の家宝です、みたいに紹介されています。これはどうみても筆跡が違うし、内容もおかしいし、何より光太郎の住所が間違っています。ここまで来ると程度が低すぎてすぐわかります。ただ、どうして消印が押してあるのかは謎ですが。
 
家に帰って、調べてみたところ、例の葉書に書かれていた内容は、現存する野沢宛2通の内の1通と同じでした。誰かが未使用の古い葉書に光太郎の筆跡を巧妙に真似て、書き写したということでしょう。偽物は今までに何点か見ましたが、筆跡を真似る技術では、これが一番でした。ある意味、すごい才能です。でもいかんせん、書かれた文字に「力がない」。それでも形はそっくりです。こういう才能をもっと他の部分で使うことはできないのでしょうか……。悲しくなります。
 
手前ミソになりますが、だまされなかった自分の眼力をほめたくなりました。テレビ東京系の「開運!なんでも鑑定団」という番組、よく見ているのですが(ちなみに5月のオンエアで光雲の弟子筋にあたる木彫家の作品が出ており、興味深く拝見しました)、「鑑定士」と称する人がよく「力がない」ということを言っています。この経験をするまで、「ほんとかよ」と思っていました。しかし、わかるものなんですね。実感しました。

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昨日、当方の暮らす市内の神社で月に一度の骨董市があり、行ってきました。
 
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骨董市ですから、焼き物やら刀剣やらが主なのですが、とりあえず当方、だいたい毎月行っています。一部の業者が古書籍や「刷り物」といわれる一枚物の印刷資料等を持ってきていることがありますので。
 
結局昨日は何も買わず帰りましたが、時々買うのが、光太郎、智恵子、光雲ゆかりの地の古い絵葉書、特に戦前の発行と思われるモノクロのものです。先月は会津磐梯山のものを買いました。こうした骨董市だけでなく、古書店の店頭やネット販売や目録販売などでも気がつけば買っています。ネット販売や目録販売では結構高めの値段ですが(一枚数千円するものもあります)、骨董市などでは一枚100円くらいが相場ですし、宝探し的雰囲気が味わえて面白いものです。
 
光太郎たちがそこを訪れた時期にできるだけ近い時期の画像、ということで、ちょっとしたものを書く時に挿画として使えます。また、今は失われてしまった建造物などの画像は、結構貴重だと思います。
 
こうした古い絵葉書を使って、当方が刊行しています冊子『光太郎資料』にて光太郎たちの故地を紹介しています。『光太郎資料』については、後ほどのこのブログで紹介いたします。
 
昨年、群馬県立土屋文明記念文学館で開催された「第72回企画展 『智惠子抄』という詩集」の際には、当方手持ちの書籍やらポスターやらいろいろなものを出品物としてお貸ししたのですが、大正元年に光太郎と智恵子が「偶然」出会った銚子の犬吠埼や、大正2年に二人が一夏を過ごした上高地、昭和9年に智恵子が療養のために滞在した九十九里の絵葉書も当方のお貸ししたものが出品されました。ただし、あくまで光太郎たちがそこを訪れた時期にできるだけ近い時期の画像、ということで彼らの目に映った風景と若干異なるかも知れません。それでも、現在の姿より往時に近いものであることは確かでしょう。
 
さて、例によってお願いです。風景だけでなく、光太郎や光雲の彫刻(主に銅像)の絵葉書も集めているのですが、特に以下のものを探しています。もしお持ちの方で、譲っていただけるとか、画像を提供していただけるという方がいらっしゃいましたら、ご連絡下さい。
 
光太郎彫刻 
 宮城県 青沼彦治像(光雲代作) 志田郡荒雄村公園 大正14年(1925)
  除幕記念の袋入り5枚組のものを入手しましたが像が大写しになっているものがありません。
 千葉県 赤星朝暉胸像 千葉県立松戸高等園芸学校 昭和10年(1935)
 岐阜県 浅見与一右衛門像(光雲代作) 恵那郡岩村町 大正7年(1918) 
 
光雲彫刻
 秋田県 坂本東嶽像 仙北郡千屋村浪花字一丈木 大正12年(1923)
 栃木県 松方正義像 那須郡西那須野村 明治41年(1908)
 福井県 大和田荘七像 敦賀町永厳寺境内 明治44年(1911)
   〃  松島清八像 福井市足羽公園内 明治39年(1906)
 愛媛県 広瀬宰平像 新居郡中萩村字中村 明治31年(1898)
 
参考:屋外彫刻調査保存研究会ページhttp://www4.famille.ne.jp/~okazaki/zenkokuchousa1.htm

昨日紹介した小説、下八十五著「盗作か? 森鴎外の『花子』」を読んで、改めて花子のことが気になり、手持ちの資料の中から花子関連をもう一度読んでみました。
 
つくづく不思議な女性です。きら星の如くそれぞれ違った光彩を放つ光太郎人脈の中でも、ひときわ異彩を放っている一人だと思います。
 
昨日書いた通り、花子は明治末から大正にかけ、欧州各地で日本人一座を率いて公演を続け、各地で絶賛されました。しかし、現在の日本で彼女の名を知っている人がどれだけいるか、このギャップ。それは花子が欧州で活躍していた頃からそうでした。
 
一つには、芝居の内容の問題があると思います。仮に花子一座が日本で公演したら、嘲笑と怒号に包まれたことでしょう。女性が切腹をしたり、剣豪と柔術家が闘ったりという荒唐無稽な内容なのです。これは何も花子の責任ではなく、外国人興行主の意向です。当時の欧州では正しい日本文化など理解されていませんから、過度に日本情調を演出した内容が受けていたのです。したがって当時の日本ではキワモノ扱い。どんなに花子が名声を勝ち得ても、本国日本では無視され続けていました。その流れが現代まで続いているのです。
 
そんな中で、花子に着目した鷗外や光太郎は、矢張り炯眼の持ち主と言えるでしょう。そして彼女を彫刻のモデルにしたロダンも。
 
驚いたことに花子一座の芝居は、全て日本語で演じていたそうです。プログラムやパンフレットの類には、あらすじ等が細かく書かれていたと言うことですが、一つ一つの台詞など、観客にはわかりません。それでも観客がこぞって花子を絶賛したのは、言葉を超えて伝えられた彼女の表現力のせいだと思います。ちょうど我々が、言葉の意味はわからなくとも外国のオペラやミュージカルに感動するのと同じでしょう。ロダンも、クライマックスに切腹して果てる断末魔の花子の表情に惹かれ、彫刻にすることを思い立ったそうです。荒唐無稽な内容がどうあれ、そうした表現力で観客を虜にした花子、立派な女優だと思います。
 
さて、下氏の調査等のおかげもあり、花子の故郷・岐阜県では、花子を見直そうという動きが巻き起こりました。花子の妹の孫に当たる澤田助太郎氏(連翹忌にご参加いただいたこともあります)は、詳細な評伝を書かれました。 

ロダンと花子

澤田助太郎著 中日出版社 平成8年(1996)10月 定価1,456円+税

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また、岐阜県としてもこんな本を出しています。 

マンガで見る日本真ん中面白人物史シリーズ3 花子 ロダンに愛された国際女優

澤田助太郎原案 里中満智子構成 大石エリー作画 岐阜県 平成12年(2000)3月 定価記載なし

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この漫画、昭和2年(1927)に光太郎が岐阜の花子を訪れる所から始まりますが、光太郎、随分とイケメンに描かれています。風采のあがらぬおっさんに描かれなくてよかったと思いますが(笑)。

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さらにこちらは4年前にお隣愛知で開かれた企画展のパンフレットです。 

特別展花子とロダン-知られざる日本人女優と彫刻の巨匠との出会い-

一宮市尾西歴史民俗資料館 平成20年10月

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それぞれ光太郎にも言及されています。
 
最後にもう一つ。花子が持ち帰ったロダンの彫刻二点は、現在は新潟市美術館さんに収められているそうです。今度新潟方面に行く時には、見に行ってみようと思っています。

新刊情報です。 

盗作か? 森鴎外の『花子』

下八十五著 文芸社 平成24年7月15日(まだ7/15になっていませんが奥付記載の日付です) 定価1,600円+税

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最初に断っておきますが、これは、あくまで小説です。光太郎を含め、登場人物のほとんどが実在の人物ですし、書かれている出来事の大半も事実ですが、あくまで小説です。
 
内容を紹介する前に、主要登場人物をめぐる史実を説明しておかなければならないでしょう。
 
台風の目となるのは、女優・花子。実在の人物なのですが、ご存知でしょうか。
 
明治元年、岐阜県の生まれ。本名・太田ひさ。旅芸人一座の子役、芸妓、二度の結婚失敗を経て、明治34年(1901)、流れ着いた横浜で見たコペンハーゲン博覧会での日本人踊り子募集の広告を見て、渡欧。以後、寄せ集めの一座を組み、欧州各地を公演。非常な人気を博しました。明治39年、ロダンの目にとまり、彫刻作品のモデルを務めます。
 
ここでもう一人のキーパーソン、森鷗外。明治43年、雑誌『三田文学』に短編小説「花子」を発表。花子が初めてロダンのアトリエを訪れた際の様子が、通訳として同行した日本人留学生「久保田某」の視点で描かれています。
 
花子とロダンとの交流は、大正六年のロダン死去まで続き、ロダンが作った花子の彫刻は数十点。大正十年、そのうち2点を入手し帰国、岐阜に帰ります。昭和2年、光太郎が岐阜の花子を訪問。この時の様子は同じ年、光太郎が刊行したロダンの評伝に描かれています。昭和20年、花子、死去。やがて人々から忘れ去られていきます。
 
ここまでは史実です。
 
さて、この「盗作か? 森鴎外の『花子』」、冒頭に書きましたがあくまで小説です。小説なので虚実ない交ぜになっています。明治43年に発表された鷗外の小説「花子」に登場する通訳の「久保田某」のモデルが、鷗外の家で書生兼鷗外の長男・於菟(おと)の家庭教師であった大久保栄という人物で、「花子」は大久保の手記の盗作あるいは剽窃ではないか、という仮説が検証されていきます。
 
謎解きの探偵役、前半は光太郎です。昭和2年、岐阜の花子を訪れる前に森於菟の家に立ち寄った光太郎は、於菟から件(くだん)の仮説を聞かされ、謎解きを依頼されます。しかし光太郎は踏み込んだ調査が出来ずあえなく帰京(ある意味情けない!)。調査は光太郎死後、光太郎旧知の元新聞記者・山岡(著者の下氏がモデルです)に引き継がれ、実に百年近い歳月を経て、真実が明るみになる、というストーリーです。ネタバレになるのでオチはここには書きませんが。
 
全四百余ページの大作です。あくまで小説ですが、山岡が、花子や大久保の出自やら現在の子孫やらを捜し当て、当時の状況を解明していくくだりなどは、おそらくほぼ著者・下氏の調査体験の通りと思われ、非常な労苦に頭が下がります。現在刊行されている花子の評伝の類は、下氏の調査結果を基にしています。
 
全四百余ページの大作ですが、当方、2日で読破しました。皆さんも是非お買い求め下さい。
 
ただ、本書を読む前に、鷗外の「花子」、光太郎の「オオギユスト ロダン」中の「十七.小さい花子(プチトアナコ)」を先に読んでおくことをお勧めします。鷗外の花子は「青空文庫」で、光太郎の方はアルス刊の『ロダン』、筑摩書房『高村光太郎全集』第七巻、あるいは春秋社版『高村光太郎選集3』に掲載されています。後の二つは大きめの公共図書館なら置いてあると思います。

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明日も花子ネタで行ってみようと思っています。

明治古典会七夕古書大入札会、冊子の目録が届きました。頒価2500円ですが、以前、大口の買い物をしたということで、無料で頂きました。ありがたいことです。

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「たかが目録が2,500円?」というなかれ。A4判280余頁、カラー図版多数の豪華なものです。この時代の文学者の位置づけ的なものも表れ、後に「平成24年頃にはこの作家が人気が高かったんだ」という資料にもなります。
 
時間があったので、近代文学関連のみ最低入札価格の高額ランキングを調べてみました。あくまで業者が設定した最低入札価格ですので、実際にいくらで落札されるかは不明です。ことによると応札なし、ということもあり得ます。また、今年の出品物に限っての話ですので、ご了承下さい。これがイコール現代の作家の人気ランキングというわけではないということです。出品物の状態にも左右されますし、たまたまエントリーのない作家もいますから。
 
150万円以上に設定されているのは次の通りでした。
 
 岩波茂雄宛宮澤賢治書簡 500万003
 永井荷風草稿 400万
 更級源蔵宛高村光太郎書簡9通 署名本9冊付 350万
 芥川龍之介未定稿 300万
 森鷗外書巻「古稀庵記」 220万
 正岡子規宛夏目漱石書簡 200万
 斎藤緑雨採集草稿 樋口一葉・幸徳秋水関連 200万
 夏目漱石 我輩ハ猫デアル① 150万
 野呂邦暢草稿 150万
 
やはり書籍は「猫」1点だけでした。他は肉筆物です。堂々の1位は、賢治の書簡。夭折ということで、賢治の書簡は非常に少ないのでこの値段もうなずけます。宛先も岩波書店の社長で、メジャーどころですし。
 
光太郎の書簡が第3位ですが、9通セット、署名本9冊付と言うことで、一種の人海戦術のようなものですね。それを言ったら野呂の草稿も約150枚で150万ですから、もっと短いものだったらランク外です。
 
「猫」①以外、書籍だけに限定して高額商品を調べたところ、以下の通りでした。何冊もセットで出ているものは除きました。ただし、「猫」は元々全三巻ですので除いていません。
 
 宮澤賢治 『春と修羅』① 78万002
 中原中也 『山羊の歌』 60万
 宮澤賢治 『春と修羅』② 50万
 北原白秋 『邪宗門』署名入り 50万
 上田敏 『海潮音』40万
 夏目漱石 『我輩ハ猫デアル』② 40万
 与謝野晶子 『みだれ髪』 40万
 高村光太郎 『道程』 40万
 神崎武夫 『寛容』 40万
 太宰治 『駈込み訴へ』 40万
 福永武彦 『福永武彦詩集』40万
 
同じ「猫」でも、40万の出品もあります。白秋の『邪宗門』は署名入りという付加価値があります。光太郎『道程』は同率第5位ですね。金額がすべてではありませんが、光太郎ファンとしては、やはり嬉しいものです。それだけ認められている、ということですから。
 
「高村光太郎? 何それ? 全然人気がないからもう値段つかないよ」という時代が来ないでほしいと祈ります。祈るだけでなく、「光太郎はこんなに素晴らしい」ということをアピールし続けたいと思います。
 
それにしても、こういうものをポンと買えるのはどういう人なんだろうと、興味がありますね。こういうものを購入する方にお願いしたいのは、「死蔵しないでほしい」ということです。こういうものは日本国民共有の文化遺産ととらえ、研究等の用に役立てるべきだと思います。金額や希少価値にのみ拘泥して何ら世の役に立てず金庫にしまわれてしまっては、それこそ宝の持ち腐れです。活用されてこその宝です!

新着情報です。
 
2012年7月6日(金)~8日(日)の3日間、東京神田の東京古書会館で、年に一度開かれる古書籍業界最大のイベントの一つ、「明治古典会七夕古書大入札会」が開かれます。
 
古代から現代までの希少価値の高い古書籍(肉筆ものも含みます)ばかり数千点が出品され、一般人は明治古典会に所属する古書店に入札を委託するというシステムです。毎年、いろいろな分野のものすごいものが出品され、話題を呼んでいます。光太郎関連も毎年のように肉筆原稿や書簡、署名入りの書籍などが出品されており、目が離せません。
 
さて、今年の「明治古典会七夕古書大入札会」、昨日、出品目録がネット上にアップロードされました(これも今か今かと心待ちにしていました)。冊子の目録もおっつけ届くはずです(簡易版の目録は先週届いています)。ちなみに冊子の目録、ご希望の方は明治古典会加盟の古書店に請求すれば手に入ります(2,500円のはずです)。当方、何度か取引があった本郷の文生書院様にお願いしてあります。
 
光太郎関連、今年は例年にましてたくさん出品されています。

最低入札価格が設定されており、人気の商品はここからどんどん値が上がっていきます。
 
驚いたのは、詩集『道程』のカバー付きが出たこと。状態にもよりますが、カバー無しであれば10万円位で時々出ますが、カバー付きはここ数十年で、公の市場には数回しか出ていないはずです(当方もカバー無しは一冊持っています)。最低入札価格が40万円ですが、おそらくここから跳ね上がるでしょう。ただ、「背少傷(背の部分にそれとわかる傷があって痛んでいる)」ということなので、驚く程の値段にはならないかも知れません。稀覯本コレクターの方々は、本当に状態を気にしますので。

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それにしても、以前と比べると古書価もぐっと下がりました。やはり長引く不況の影響なのでしょう。試みに昔の目録を調べてみました。バブル真っ盛りの平成2年頃の目録では最低入札価格の記載がなく、比較できませんが、既にバブルがはじけた後の平成9年の目録と比較しても、明らかに値が下がっています。
 
例えば、宮澤賢治『春と修羅』。平成9年の最低入札価格は105万なのに対し、今年は2冊出品されていて、50万と78万。与謝野晶子の『みだれ髪』は、平成9年に100万だったのが、今年は40万。状態にもよるので、単純な比較はできませんが。ちなみに当方の記憶に間違いがなければ、『春と修羅』はバブルの頃には250万位の値がついたはずです。
 
『道程』も「40万」と聞くと「安いな」という感覚です。10数年前、カバー付きを持っているという古書店主と話をした時に「150以下では手放せないね」と言っていたのが記憶に残っていますので。もっとも40万から値が上がると予想しています。いくらになるのか興味深い所です。
 
しかし、こうした書籍系の値は下がっているものの、ここ数年、肉筆系の出品物は以前にも増して充実しているなと感じます。やはり古書店側も書籍系の値が下がっているためにいろいろ考えてこういうものを積極的に掘り出しているのではないでしょうか。ただし、落とし穴もありますね。今回の光太郎関連の出品物の中にも、いけないものが混ざっています。差し障りがあるので特定はしませんが。
 
さて、7月6日(金)~8日(日)の3日間のうち、6日、7日が一般公開。とても手の出る値段ではないので、入札はしませんが、目の保養のためどちらかの日に観に行ってみようと思っています。

新刊ではなく、昨年発行されたものですが、つい先程届きましたので紹介します。 

高村光雲と石川光明

 平成23年(2011)9月 清水三年坂美術館編・発行 定価2,000円

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昨年8月から11月にかけ、京都清水寺近くの清水三年坂美術館さんで開催された企画展「帝室技芸員series3 彫刻 高村光雲と石川光明」の図録です。光太郎の父・光雲と、もう一人、同時代の、というか同じ嘉永五年生まれの彫刻家・石川光明(こうめい)、二人の作品を約三十点ずつ集めた企画展だったようです。
 
不覚にも、この企画展があったことを知りませんでした。京都は大好きな街の一つですし、知っていれば観に行ったのですが、残念なことをしました。ただ、図録だけは同館のオンライン販売で入手できました。
 
光雲と光明、同じ年に生まれた彫刻家同士というだけでなく、もっとたくさんの共通点があります。まず、同じ浅草の生まれであること。そして、光雲は仏像彫刻の「仏師」の家に弟子入りし、光明は神社仏閣の外装などを主に行う「宮彫師」の家に生まれたという違いはありますが、ともに廃仏毀釈による苦難の時代を経て、復権した木彫で名を為したこと。そして共に東京美術学校(現・東京芸術大学)教授となり、共に帝室技芸員に任じられたこと。共に各種の博覧会や皇居造営の際の彫刻に腕を振るったこと、など。したがって、二人は莫逆の友です。この図録に、先に逝った光明を惜しむ光雲の談話(初出『美術之日本』第5巻第9号 大正2年=1913 9月)も掲載されていますが、友を失った光雲の語り口には、哀惜の意が深く込められています。
 
さて、図録に収められた光雲作品、当方も初めて見るものがほとんどでした。平成11年に中教から刊行された『高村規全撮影 木彫高村光雲』、平成14年に千葉市美術館他四館で開催された企画展の図録『高村光雲とその時代展』、それぞれ100点近くの光雲作品写真が掲載されていますが、今回掲載されている物との重複はほんの数点です。
 
驚いたのは同じモチーフ(例えば鍾馗、西王母、獅子頭など)の彫刻だから同一のものだろうと思うと、よく見たら木目や彩色の工合などが微かに違い、別の作品だとわかることです。もう光雲の頭の中にはそれぞれのモチーフの設計図が叩き込まれており、寸分違わぬものが幾つも出来るのですね。
 
そういった点を抜きにしても、その超絶技巧には舌を巻きます。この点は光明の作品にも言えることですが、「ここまでやるか」という細部まで細密に彫っています。例えば上の画像の観音像が手にしている蓮。実際に見た訳ではないので断言はできませんが、他の作品の例を当てはめれば、別に作って手に差し込んであるのではなく、一本の木から掘り出してあり、手とつながっているはずです。後ろの髪飾りや首飾りも同様です。
 
こうした作り方を光太郎は芸術ではなく職人仕事だ、と蔑む部分があったようです。光雲自身も自分を芸術家とは捕らえていませんでした。
 
当方など、実作者ではない立場から、「凄いものは凄い」「美しいものは美しい」と思います。明治初期の工芸、特に欧米向けの輸出品の中には、有象無象の作家が超絶技巧を見せようとするあまり、ゴテゴテとした装飾過剰に走ったゲテモノのような作品もあります。しかし、光雲の木彫にはそういう嫌らしさは感じられません。
 
明治期の彫刻、ゲテモノは別として、もっともっと評価されていいと思います。

今月末に続々出た光太郎関連新資料、第3弾が昨日また届きました。一日ごとに届いています。

爆笑問題の日曜サンデー 27人の証言

TBSラジオ編 TBSサービス刊 平成24年6月25日 定価1,365円

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現在、TBSラジオで日曜日の午後にオンエアされている番組、「爆笑問題の日曜サンデー」の中に、「27人の証言」というコーナーがあります。これは有吉佐和子の小説「悪女について」になぞらえて、著名人や場所、ものにまつわる証言を集めて、今まで語られなかったエピソードを紹介するというコンセプトです。
 
 「悪女について」はインターネットサイト「フリー百科事典ウィキペディア」によれば、「女性実業家・富小路公子が突然、謎の死を遂げる。公子は持ち前の美貌と才能を駆使して、一代で財を成した一方で数々のスキャンダルを起こしたことから、マスコミからは「虚飾の女王」「魔性の女」などと悪評を書きたてられていた。物語は、そんな公子と関わった人物27人へのインタビューを綴ったものである。」とのこと。
 
「27人」というのはここからとったもので、実際には毎回5人前後の「証言」で構成されています。第1回の放送は平成20年4月。今までに150回ほどの回を重ねています。
 
その約150回の中から、15回分をえりすぐって書籍化したのがこの本です。平成21年(2009)4月5日オンエアの「高村光太郎」も含まれています。他に紹介されているのは手塚治虫、甲子園、松田優作、石ノ森章太郎、藤田嗣治、東京オリンピック、阿佐ヶ谷、夏目雅子、岡本太郎、上野動物園、阿久悠、今村昌平、太宰治、有吉佐和子。
 
光太郎の部は5人の証言、合間合間の爆笑問題のお二人のトークから成っています。TBSアナウンサー 長峰由紀氏/父から母へ送られた『智恵子抄』、元日本詩人クラブ会長 寺田弘氏/『自分の家が燃えるってのはきれいなもんだね』、北川太一先生/目上の人でも下の人でも同じ態度の人、高村光太郎記念会理事長 高村規氏/生証言、そして当方の証言・「光太郎の足は三十センチあった!?」。「真面目な」証言は諸先輩方に任せ、当方は番組的な流れを考え、小ネタで攻めました(笑)。
 
オンエアの際には元埼玉県東松山市教育長で光太郎と親交のあった田口弘氏の証言もありましたが、書籍ではカットされています。
 
本書、当初は4月に刊行の予定で、3月はじめに制作会社から連絡があってゲラの確認等をしたのですが、刊行がずれこみました。4月に入ってからは「まだか、まだか?」とやきもきしていましたが、何はともあれ無事刊行されてひと安心です。15回分で100人超の証言が載っていますので、掲載許可等の手続きが大変だったのではないでしょうか。たくさんの人の証言を集めるというコンセプトについては、本書前書きにパーソナリティーを務める爆笑問題のお二人の談話として、「放送作家を何十人もタダで雇ってるみたいなものでありがたい。」というくだりがあります。我々証言者、なんだか上手くのせられているなと笑ってしまいました。実際、オンエアに関しても、出版に関してもノーギャラですし。
 
しかし、約150回分の放送の中から書籍に選ばれたのが15回分。そこに光太郎が入ったのは嬉しい限りです。
 
さて、メジャーどころの爆笑問題のお二人の書籍ですので、一般の書店でも平積みで並ぶのではないかと思います。是非お買い求め下さい!

今月末に続々刊行の光太郎関連新資料、第2弾が昨日また届きました。この世界の第一人者、北川太一先生の新刊です。
二玄社 高村光太郎/北川太一著 平成24年6月20日 定価1,600円+税

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昭和6年(1931)、光太郎は新聞社・時事新報社の依頼で、約1ヶ月かけて、石巻から金華山、女川、気仙沼、釜石、そして宮古までをほぼ航路で旅し、紀行文「三陸廻り」を執筆しています。また、戦後、花巻郊外の山小屋で、雑誌『すばる』に「みちのく便り」という文章を断続的に連載しています。
 
本書は東北を描いたその二つの作品を軸に、同時期や二つをつなぐ時期の光太郎詩文を紹介しつつ、光太郎、さらには智恵子の内面を考える試みです。著者が「高村光太郎/北川太一」となってるのは、そういうわけです。
 
昨年の秋でしたか、千駄木の北川先生のお宅にお邪魔した際、この書籍に話になり、「なかなか進まなくて……」とぼやかれていたのを思い出します。ここ数年、手術を受けられたり、おみ足の調子もよろしくないとのことで、出歩くこともほとんどないとのことですし、御手紙には「毎日リハビリで……」というようなことも書かれています。そんな中、ついにこの書籍が刊行されたということで、我が事のように喜んでおります。
 
後にまた書きますが、ここで取り上げられた「三陸廻り」が縁で、彼の地での光太郎顕彰活動も湧き起こりました。しかし、ご存知の通りの昨年の大震災での大きな被害。顕彰活動の中心になっていた方も、あの津波に呑み込まれ、亡くなりました。そうした経緯をふまえ、北川先生は「あとがき」でこのように書かれています。
 
 光太郎の目に映り、心に残った三陸は、ことに今度の3.11の災害の後では、もうこれを読む人々のこころの中にしかありません。しかしそれは無くしてもいいものでしょうか。過去の度重なる災害から不死鳥のように蘇ったかけがえのないこの風土と人情は、更に純化され再生されなければなりません。
 
まさしくその通りだと思います。

過日のブログで、今月末には光太郎関連の新資料が続々出る旨書きました。その第一弾です。注文しておいたのが昨日届きました。朗読のCDです。 

永遠に残したい日本の詩歌大全集(5) 高村光太郎・萩原朔太郎詩集

平成24年6月20日 ポニーキャニオン 定価¥2,000
 
俳優の小林稔侍さんによる朗読です。「永遠に残したい日本の詩歌大全集」全10巻のうちの5巻目で、光太郎と萩原朔太郎の詩、それぞれ20篇余りが収録されています。ジャケット(といっていいんでしょうか、CDの場合)には取り上げられている詩の全文と、作家下重暁子氏の解説も載っています。光太郎の部のラインナップは以下の通り。
 
 1.根付の国
 2.父の顔000
 3.冬が来る
 4.冬が来た
 5.道程
 6.秋の祈
 7.クリスマスの夜
 8.落葉を浴びて立つ
 9.ぼろぼろな駝鳥
 10.秋を待つ
 11.母をおもふ
 12.当然事
 13.最低にして最高の道
 14.美しき落葉
 15.僕等
 16.樹下の二人
 17.あどけない話
 18.風にのる智恵子
 19.値ひがたき智恵子
 20.山麓の二人
 21.レモン哀歌
 22.荒涼たる帰宅
 23.裸形
 24.雪白く積めり
 25.月にぬれた手
 
小林稔侍さん独特の、やや無骨な訥々とした語り口で、聴いていて心地よいものでした。
 
小林稔侍さんといえば、平成3年(1991)11月9日にNHK総合で放映された単発のドラマ「極北の愛 智恵子と光太郎」(脚本・寺内小春)に出演、東京駒込の光太郎アトリエの隣で炭屋を営む「岩吉」という架空の人物を演じられました(アトリエの隣は実際には植木屋さんだったそうですが)。

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ドラマはその岩吉が、昭和24年、吹雪の夜に光太郎が住む花巻の山小屋を訪れるところから始まります。ちなみに光太郎役は小林薫さん。岩吉は昔からの習慣で、光太郎を「若先生」と呼びますが、光太郎ももう老齢です。「若先生」に対しての「大(おお)先生」は、故・佐藤慶さん演じる光雲です。他の主なキャストは智恵子が佐久間良子さん、田村俊子が小野みゆきさん、智恵子の最期を看取った姪の春子が喜多嶋舞さん、岩吉の奥さんが高橋ひとみさん、森鷗外に渡辺篤史さん。
 
ドラマは光太郎と岩吉、二人が昔を回想するという手法で進みます。両小林さん、いい演技をしていました。特にラスト近くの二人の会話は圧巻です。

岩 吉 すごいもんですねェ、惚れるってのは。……女にはかなわない。……人間商売やめちまう位、男に惚れることが出来るんだから……男はとてもかなわないね。

光太郎 僕は智恵子の事を詩に書いたが……どれだけ智恵子という女をわかっていたのか……。

岩 吉 あの御本は、智恵子奥様お一人だけに見せておあげになればよかったですね……。奥様はいつも若先生だけを見て生きておられたから……。

光太郎 ……。

岩 吉 お二人のことはお二人だけの心の中にそっとしまっておきたかったんじゃないですかね、奥様は。

光太郎 ……。

岩 吉 でも、あれを書いて若先生の御心が安まったことを奥様は喜んでいらっしゃいますよ、きっと。

光太郎 (呟く)智恵子に聞いてみよう。……多分もうすぐ行けるから。(微笑と咳)

岩 吉 (光太郎を見る)……。
 
ちなみにこのシーン、当方が入手した台本では「シーン121・山小屋・内」となっていますが、実際の放送を録画した映像で確認してみますと、山小屋の外で頭や肩に雪を積もらせながらの会話となっています。演出家などのスタッフの発案なのか、俳優さんの発案なのか、おもしろいところです。
 
さて、今回の朗読CD、amazonなどのオンライン販売で容易に手に入りますので、是非お求め下さい。
 
続々出る光太郎関連新資料、また届き次第ご紹介します。

長いこと研究に取り組んでいると、いろいろなことがあります。
 
いろいろな人との出会いがあったり、思わぬところでいろいろなことを依頼されたり、そういう部分が何年も経ってから違う形になってあらわれたり、面白いものです。
 
資料の収集に関してもそうですね。
 
つい先程、何の気なしに部屋の整理をしていたら、PCデスクの足下の棚から、10年近く前に使っていたMO(マグネット・オプティカル・ディスク)が出てきました。専用のリーダーが必要だったり、かさばったりで、最近はコンパクトなUSBメモリに押されて姿を消しつつありますが、これが出た当時は驚異でした。その前からあったCD-RWなどはデータの出し入れが面倒でしたし、外付けハードディスクを持ち歩くという発想もほとんどありませんでしたから。第一、フロッピーディスクがまだまだ現役でした。
 
容量が230MBというのが笑えます。今はUSBメモリでもGB単位です。「DOS/V」とか「PC-98」などの文字も入っており、歴史を感じます。

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さて、何が入っているか、さっぱり覚えていません。早速開いてみましたところ、「光太郎」というフォルダがあり、画像ファイルがたくさん入っています。思い出しました。10年近く前、当時の職場のPCで休憩時間等にインターネットを見ていて、 気になる画像などみつけると「あとで詳しく調べよう」と思って保存していましたのですが、忘れていました。
 
そこで今日、改めて見たところ、なんと、『全集』『遺珠』未登録の書簡(はがき)の画像がありました。いろいろな図書館等に出向いたり(昨年は葉書一通を見に、滋賀県の彦根まで行きました)、いろいろな資料を取り寄せたりして世に知られていない作品を見つけていますが、本当に自分の足下にそれがあったか、と思うと複雑な気持ちです。
 
今度こそ詳しく調査し、来年4月発行の「遺珠⑧」に載せます。

6月16日土曜日、二本松に行く途中、三宅坂の国立国会図書館に寄り道しました。以前も書きましたが、当方の居住地から都心まで出るのも一苦労で(高速バスで約1時間30分1,700円、JRの普通列車で約2時間、1,620円)、こういう機会も活用しています。

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このところ、光太郎作詞の歌曲について調査をしています。同時代や後世の作曲家が元々あった光太郎の詩に曲をつけたものではなく(それはそれで重要なのですが)、最初から光太郎が歌の歌詞として詩を作ったものについて主に取り組んでいます。
 
光太郎は歌の作詞にはあまり熱意を持っておらず、このカテゴリーに属するものの数は多くありません。そういう意味では同時代の北原白秋、三木露風、野口雨情等と比べると異質です。また、北川太一先生のご指摘によれば、光太郎には校歌の作詞が一篇もないとのこと。たしかに校歌というもの、名だたる詩人に依頼することが多いものですね。実際、光太郎の日記にも依頼があったことは記されていますが、引き受けたという記述は見あたりません。「おらが村の学校の校歌は光太郎作詞だ」という方がもしいらしたら、大発見です。ご教示下さい。
 
ただ、校歌は作っていない光太郎ですが、岩波書店の「社歌」は作詞しています。これを含め、10曲たらずですが、最初から光太郎が歌の歌詞として詩を作ったものについて調査をしています。作曲者が誰で、レコードや楽譜はいつどこから発行され、レコードなら誰が歌い、ラジオでの放送は、独唱・合唱誰が編曲し、現在手に入るCDは、などなど、こういったことについてまとまった記録がありませんので、すこしずつやっているわけです。誰かがまとめておかないと、こうした事実も歴史の波に埋もれてしまいますから。
 
しかし、これが予想外に難航しています。楽譜やレコードの類は一般の古書籍ほど市場が確立していませんし、図書館等にもあまり所蔵されていません。それでも国会図書館では、当方未知の資料が最近になって館内限定閲覧のデジタル資料に登録されたので、調べに行って参りました。
 
いろいろな書籍やインターネットサイトで調べても脱漏や事実誤認が多く、なかなか全貌を明らかにするのは困難です。平安時代とかではなく、たかだか数十年前の話なんですけどね。
 
調査の結果わかったこと、楽譜などは、当方の発行しています冊子『光太郎資料』に少しずつ掲載しています。『光太郎資料』については、また後ほどこのブログでご紹介いたします。
 
話は変わりますが、またやってしまいました。先程気がついたのですが、昨夜、テレビ東京系の『乃木坂浪漫』で「智恵子抄」の朗読があったとのこと。

先月も同じ番組で「道程」その他の朗読があったのを見逃しました。この番組、yahoo!のテレビ番組の内容検索でひっかからないので、うっかりしていました。後でDVDにでもして発売してほしいものです。

今日は二本松での光太郎・智恵子関連のイベントをご紹介します。 

智恵子講座’12

先日、当方が参加してきたのがこれの第3回だったわけです。主催は智恵子のまち夢くらぶ。今年度はあと3回の講演が予定されています。希望する回だけの参加も可能だそうです。
 
次回(9/16)講師は詩人の木戸多美子氏。また都合がつけば当方も行ってみようと思っています。
 

2012年詩人会議 夏の詩の学校 高村光太郎『智恵子抄』の安達太良山の空を見よう!

当方、寡聞にして知りませんでしたが「詩人会議」という団体があるそうです。そちらで主催しているイベントが来月15(日)~17(火)の3日間で行われるとのこと。
 
岳温泉を拠点に2泊3日の日程で、福島大学教授の澤正宏氏、夢くらぶの熊谷会長のご講演、安達太良山登山などの予定が組まれています。こちらも2泊3日のうち、都合のつく部分だけの参加も可とのことです。
 
澤氏には「詩の成り立つところ 日本の近代詩、現代詩への接近」(翰林書房 平成13年=2001)などのご著書があります。同書は「第2章 与謝野晶子と高村光太郎」その他の部分の随所で光太郎に言及されています。

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昨日も書きましたが、東北の復興支援のためにも、現地を訪れることは大事だと思います。ふるってご参加を!

福島・二本松レポートの2回目です。
 
午前中の「智恵子のまち夢くらぶ」主催の「智恵子講座’12」のあと、智恵子生家にほど近い夢くらぶの熊谷会長のお宅にお邪魔し、周辺を案内していただきました。
 
「智恵子講座’12」の2回目が先月20日で、その際は「智恵子ゆかりの地を歩く~好きです智恵子青空ウォーク」という催しで、その日は仙台に行っていましたので、参加できませんでした。その後、当日の資料を送っていただいたところ、「こんなところがあったんだ」という場所がいくつかあり、今回、無理にお願いして案内していただきました。
 
下の画像は、「智恵子ゆかりの地を歩く~好きです智恵子青空ウォーク」の際に、夢くらぶの会員で元油井小学校(智恵子の母校)の校長先生でいらした本多長氏が作られた地図です。

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この中で、智恵子の生家や記念館、裏手の山一帯は、当方、何度か訪れたことがありました。しかし、③「祖父次助ゆかりの地」④「弟啓助ゆかりの碑」⑤「父今朝吉、母センゆかりの地」⑯「明治期建造物、旧大谷屋」といったあたりは存じませんで、それと知らずに通り過ぎていました。
 
まず⑯「明治期建造物、旧大谷屋」。明治初期の建築で、当時としては珍しい木造三階建てです。元はこの地有数の割烹旅館で芸者衆もいたそうで、智恵子の弟・啓助もここで遊蕩にふけったらしいとのことです。

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続いて③「祖父次助ゆかりの地」。ここは現在、JAの葬祭場の駐車場となり、何も残っていません。旧安達町の町史によれば、慶応2年(1866)、米谷藻兵衛(茂兵衛とも記述)がここに糀屋-後に造り酒屋を開き、越後から智恵子祖父の次助を雇ったそうです。次助はのちに独立して近くに新しく造り酒屋を開き、ここが現在も復元されて残る智恵子生家です。
 
そこからものの50㍍ほどのところに⑤「父今朝吉、母センゆかりの地」。白木屋と号した呉服屋で、ここで智恵子の父・今朝吉と母・センがともに働いていたとのことです。ここも当時の建物は残っておらず、医院の駐車場となっていますが、道を挟んだ向かいにはやはり元の造り酒屋の古い建物が残っています。画像、手前が白木屋のあった現在の駐車場、奥が元の造り酒屋です。

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最後に秋葉神社という所にある④「弟啓助ゆかりの碑」。大正7年(1918)に作られた碑ですが、元々はもっと北の方の全く別の場所に建てられていたものが、ここに移されたそうです。大正6年(1917)7月に東北本線の安達駅が開業、それに伴い旧街道と駅を結ぶ新道が拡幅され、その完成を記念した碑です。工事は全額地元の寄付金(当時の金額で2,643円)と使役で賄われ、寄付者名が碑に刻まれています。その中に智恵子の弟・啓助の名も。熊谷会長、十年程前に町内会の草刈りの時にたまたま気が付いたそうです。確かに他の庚申塔などは社殿のすぐそばにまとめて並んでいるのに、この碑だけ神社境内のはずれにぽつんと建っており、そこに通じる道もなく、草むらをかきわけて行かなければたどり着けない場所です。
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この手の情報はやはり地元の方に訊かないとなかなかわかりませんね。
 
智恵子の生家・智恵子記念館は一昨年5月に入館者100万人に達したそうです。ただ、やはり原発事故以来、訪れる人は減っています。観光客がたくさん訪れることも復興につながります。是非、皆さん、二本松へお越しを。そして智恵子の生家・智恵子記念館を訪れたら、少し足をのばして周辺の散策もおすすめです。また、二本松市中心部も昨日紹介したように大山忠作美術館、「ほんとの空」の彫刻、さらに二本松駅や二本松霞が城にある光太郎の筆跡を刻んだ碑や智恵子生家にあったと伝えられる藤棚など、光太郎智恵子ファンにとっては見どころ満載です。
 
もう少し二本松ネタを続けます。

福島・二本松に行って参りました。二回に分けてレポートいたします。
 
目的は、二本松で活動を続けている「智恵子のまち夢くらぶ」主催の「智恵子講座’12」参加のためです。昨日が第3回、二本松在住の児童文学者・金田和枝氏による講演「求愛熱愛期を中心にして」でした。
 
前日は安達太良山麓の岳温泉に一泊。熱めの酸性の湯、温泉温泉した温泉で、(意味お判りでしょうか?)ここの湯も当方、大好きです。路線バスで山を下り、午前十時の開会に合わせ、会場に入りました。
 
会場は平成21年、二本松駅前に新たに建てられた二本松市民交流センター。ちなみにこちらは大山忠作美術館さんを併設しています。故・大山忠作は同市出身の日本画家で、同館には「智恵子に扮する有馬稲子像」などの作品が展示されています。これは題名の通り、昭和51年(1976)の作で、新橋演舞場で公演された「智恵子抄」の主演、有馬稲子さんを描いた作品です。縦2メートル以上の巨大な絵で、その色調などとあいまって、不思議な存在感のある絵です。

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ちなみに交流センターと川を挟んだ向かい側、駅ロータリーの一角にはやはり平成21年(2009)に智恵子をイメージしたという彫刻「ほんとの空」も設置されました。作者は元・日展理事長橋本堅太郎氏です。
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さて、肝心の講演ですが、講師の金田氏は昭和5年(1930)、東京品川の生まれ。戦時に疎開で二本松に移り住み、長らく小学校の先生をなさっていた方です。地元福島の出版社・歴史春秋社から『智恵子と光太郎 たぐいなき二つの魂の出会い』『ふくしま女の時代』(共著)などの御著書があります。

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講演は『智恵子抄』の前半に収められた詩を中心に、光太郎・智恵子の恋愛期を追究するものでした。氏の女性ならではの、また、失礼とは存じますが、豊富な人生経験をふまえられての視点は、素晴らしかったと思います。また、時にユーモアを交え、聴く者を飽きさせないすばらしいご講演でした。

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講演の後、少し時間が余ったと言うことで、当方に15分程しゃべれ、という指令が。先月の仙台びすた~りさんでの荒井真澄さん・齋藤卓子さんの朗読イベントでもそうでしたし、こういう突然の振りにも慣れて参りました。連翹忌の宣伝や、光太郎・智恵子顕彰活動の意義、特に地域に根ざした活動の重要性などを話しました。
 
閉会後は近くにできた古民家レストラン(先日の仙台編でも書きましたが、やはり流行ですね)で、金田氏や夢くらぶのみなさんと昼食。御馳走になってしまいました。たった15分の話で一食浮きました。有り難いことです(笑)。
 
しかし、その席上ではやはり現在の福島ならではのお話が。どこどこの放射線量がどうの、タケノコや山菜がどうの、仮設住宅がどうの……。心が痛みました。また、泊まった岳温泉でも、地元紙「福島民報」「福島民友」さんを読みましたが、ちょうど関西電力大飯原発再開に関する記事が出ており、中央の新聞とは明らかに異なる怒りを露わにした論評。「無理もない」と感じました。岳温泉といえば、老舗のホテル松渓苑さんというのがかつてあったのですが、震災で損壊した設備の復旧のめどが立たず、廃業となりました。こちらの社長さんも智恵子顕彰活動にも取り組まれていた方で、連翹忌にもいらしていただいた方だっただけに、やはり心が痛みました。
 
一日も早く、「ほんとの空」の復興を願ってやみません。
 
さて、その後は、智恵子生家にほど近い夢くらぶの熊谷会長のお宅にお邪魔し、周辺を案内したりしていただきました。そちらについては明日、またレポートいたします。

東北本線普通列車に乗っています。昨日から一泊で福島県二本松を訪れ、帰路についたところです。郡山から新幹線に乗り換えます。

実りの多い福島行でした。詳しくは明日以降のブログにて。

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今週いただいた新刊資料2冊を紹介します。奇しくも双方とも、今年亡くなった吉本隆明氏に関連するものです。
ご存知の方も多いかとは思いますが、氏は昭和三十年代から光太郎を論じはじめ、その論評が未だに我々研究者のバックボーンの一つとなっています。 

資料集 永瀬清子の詩の世界

赤磐市教育委員会編 平成24年(2012)3月31日 赤磐市教育委員会熊山分室 非売品?

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岡山県から届きました。光太郎と親交のあった詩人、赤磐市ゆかりの永瀬清子に関する資料です。以前、「遺珠」①にて永瀬宛光太郎書簡を御遺族の方を通じてご提供いただいたりしたご縁です。ありがたいことです。
光太郎の名は出て来ませんが、光太郎が序文を執筆した詩集『諸国の天女』に触れる部分等があります。
目次を抄録します。
 
 永瀬清子講演録「のびゆくひと」
 永瀬清子の詩の世界-焔に薪を 石原武
 永瀬清子の詩の世界-私は地球 吉本隆明
 対談 感覚をもとめつつ労働する 井坂洋子 伊藤敏恵
 永瀬清子の詩の世界-光っている窓 谷川俊太郎 山根基世
 永瀬清子の詩の世界- 西本多喜江
 
吉本氏をはじめ、錚々たるメンバーです。吉本氏が永瀬清子にも目を向けていたというのは、当方、寡聞にして存じませんでした。
 
それにしても、地方の一教育委員会が、地元の詩人についてこのようにしっかりと顕彰事業を行っているというのが素晴らしいと思います。当方の持論で、あちこちで同じようなことを書いたり喋ったりしていますが、どんなにすぐれた芸術作品でも、後の時代の人間がその価値を正しく理解し、次の世代へと受けつぐ努力をしなければ、やがては歴史の波の中に埋もれてしまうものです(光太郎も例外ではありません)。そういった意味では、赤磐市の取り組みは、そうはさせまいという意気込みが伝わってきます。 

雑誌『春秋』539号

春秋社 平成24年(2012)5月25日 定価71円

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当会顧問・北川太一先生から頂きました。先生の玉稿「死なない吉本」が紙面を飾っています。
 
北川先生と吉本氏は戦争を挟んだ数年間、東京府立化学工業学校・東京工業大学で机を並べ、互いのお宅を行き来する仲だったとのこと。もちろんそこには「光太郎」という共通項があったわけです。
 
これまでに発表された追悼談話の数々は、氏を半ば神格化しつつあるかと思います。確かに当方などにとっては雲上人ですし、もう少し前の世代のある立場の人々にとっては、北川先生も引用なさっている通り「日本の英雄」的な扱いも無理からぬことです。しかし、それを「「よせやい!」という彼一流の苦笑いさえ見えるようだ。」と評するあたたかな北川先生の眼差しが感じられます。
 
さて、このブログを書いている今日、これから一寝入りして国会図書館経由で福島・二本松に向かいます。

昨日入手した新刊資料を紹介します。 

 関川夏央 NHK出版 平成24年(2012)5月10日

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新刊です。新書判で、これなら近所の書店で並んでいるだろうと思っていましたが、意外と新書判の品揃えはあまり多くなく、隣の成田市の大きな書店でようやく見つけました。少し前に「新書ブーム到来か?」などといわれ、新規に参入する出版社が相次ぎましたが、現実には地方の書店ではなかなか入荷されません。昨日やっとみつけたものも、ついているはずの帯がついていませんでしたし、これが地方の現状です。
 
カバーに書かれた紹介文です。「日露戦争に勝利した一九〇五年(明治三十八)、日本は国民国家としてのピークを迎えていた。そんな時代を生きた著名文学者十二人の「当時」とその「晩年」には、近代的自我の萌芽や拝金主義の発現、海外文化の流入と受容、「表現という生業」の誕生といった現代日本と日本人の「発端」が存在した――。いまを生きる私たちと同じ悩みを持ち、同じ欲望を抱えていた「彼ら」に、現代人の祖形を探る、意欲的な試み」。
 
ちなみに12人は森鷗外、津田梅子、幸田露伴、夏目漱石、島崎藤村、国木田独歩、高村光太郎、与謝野晶子、永井荷風、野上弥生子、平塚らいてう、石川啄木です。
 
著者の関川氏は文芸評論、ノンフィクションなどを幅広く手がけ、平成10年(1998)には氏の原作、谷口ジロー氏作画の連作漫画『「坊ちゃん」の時代』で第2回手塚治虫文化賞を受賞されています。
 
『「坊ちゃん」の時代』は「凛烈たり近代 なお生彩あり明治人」をテーマに、「明治」という時代と格闘したあまたの文学者を描く群像ドラマです。完結までに10年を要した大河作品で、第1部が出た昭和62年には「漫画もここまで来たか」と驚いたことを覚えています。その後、同じような系列の作品がいろいろな方によって作られるようになりました。その意味では嚆矢です。
ラインナップは以下の通り。

 第1部「「坊っちゃん」の時代」 夏目漱石
 第2部「秋の舞姫」 森鷗外
 第3部「かの蒼空に」石川啄木
 第4部「明治流星雨」幸徳秋水
 第5部「不機嫌亭漱石」夏目漱石
 
第5部で明治43年(1910)の漱石の「修善寺の大患」を描き、「明治」の終焉が描かれましたが、「明治」を引きずり続けた「明治人」ということで、光太郎を主人公にした第6部を作ってくれないかな、などと思っていました。
 
その願いは叶いませんでしたが、本書が「「明治」を引きずり続けた「明治人」」を描くというコンセプトにもなっているようです。先に名前を挙げた12人の多くが「「坊ちゃん」の時代」に登場しています。
 
実は昨日買ってきて、まだ読んでいません。明日から1泊で福島二本松に参りますので、道中、新幹線の車内で読もうと思っています。
 
さて、「新刊」ということになると、今月末には楽しみにしていた光太郎関連の新刊が続々刊行されます。それぞれ手元に届いたら紹介しましょう。

今日も少し前に出版されたもので、光太郎関連のものをご紹介します。 

長沼智恵子と高村光太郎 純愛の検証-『智恵子抄』の物語

 鈴木豊次著 東京文芸館 平成21年(2009)4月8日 定価2,000円+税

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『智恵子抄』および『智恵子抄その後』に収められた詩篇をたどりつつ、光太郎・智恵子の世界観に迫っています。目次を抄録させていただきましょう。

 序章 「『智恵子抄』の物語」理解のために
  1 『智恵子抄』についての疑問
  2 『智恵子抄』のテキスト
 第一章 「あなた」と呼ばれる智恵子-恋愛の時代-
  1 犬吠岬(正しくは「埼」)・上高地の「僕等」
  2 新しい女・智恵子の結婚
 第二章 「樹下の二人」あなたから智恵子へ-結婚の時代-
  1 「樹下の二人」までの空白
  2 病みがちだった智恵子と「樹下の二人」
  3 安達町智恵子記念館
     閑話休題 光太郎と真壁仁  「樹下の二人」の詩碑
  4 天上的な智恵子
  5 光太郎の「同棲同類」
  6 智恵子にとっての「同棲同類」
  7 あどけない話
     閑話休題 光太郎と中原綾子
 第三章 智恵子狂気-狂気の時代-
  1 「人生遠視」
  2 狂気する妻
  3 「千鳥と遊ぶ智恵子」と九十九里浜
     閑話休題 九十九里浜有情
 第四章 「レモン哀歌」-智恵子回想-
 第五章 智恵子に-智恵子への報告-
 終 章 『智恵子抄』の評価をめぐって
 補 遺 『智恵子抄』余聞
  カミーユ・クローデルについて 室生犀星の「光太郎の印象」について
  丸山薫が『智恵子抄』を「あれはお線香だよ」といい捨てたことについて
 
 220頁ほどの労作ですが、残念なことにネット販売では取り扱っていないようです。一般の書店で注文するしかないかもしれません。当方は古書店の在庫目録で見つけました。 

恋する女 一葉・晶子・らいてうの時代と文学

 高良留美子著 學藝書林 平成21年(2009)6月5日 定価3,000円+税

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女流詩人であり、ジェンダー的な方面にも造詣の深い著者による評論集です。「Ⅰ 一葉の恋」「Ⅱ 晶子の挑発」「Ⅲ らいてうの飛翔」ときて「Ⅳ ロマンティック・ラブの時代へ」の中に「第3章 三角形の恋 光太郎・智恵子・俊子-女性へのサディズムと火あぶり幻想」(書き下ろし)が含まれています。
 
この部分以外でも、光太郎・智恵子と交流のあった与謝野晶子や平塚らいてう等に関する部分も興味深く拝読しました。こちらはネットでも手に入りそうです。
 
もう少し、この項目を続けます。

最近入手した光太郎関連の書籍ですが、少し前に出版されたものを紹介します。調査がゆきとどきませんで、最近までこれらの書籍の存在に気づきませんでした。 

南海漂蕩 ミクロネシアに魅せられた土方久功 杉浦佐助 中島敦

 岡谷公二著 冨山房インターナショナル 平成19年(2007)11月29日 定価2,400円+税

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サブタイトルに名前のある3人は、大正から昭和初期にかけ、日本統治下のパラオに流れていった人々です。3人のうち光太郎と親交のあったのは、ともに彫刻家の土方久功(ひさかつ)と杉浦佐助。光太郎との交流を含めた3人の南島生活を中心とした評伝です。
 
杉浦佐助は昭和14年(1939)に開かれた彼の個展のパンフレットに、光太郎が「恐るべき芸術的巨弾-杉浦佐助作品展覧会」という文章を寄せ、絶賛しました。今では全くといっていいほど忘れ去られた彫刻家ですが、著者岡谷氏が幻の作品を探すくだりなどは、読んでいてワクワクさせられました。 
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左から川路柳虹(詩人)、杉浦、光太郎。右端の人物は不明です。

土方に関しても光太郎は昭和28年(1953)の『朝日新聞』に「現代化した原始美-土方久功彫刻展-」という文章を寄せています。のちに土方著『文化の果にて』(『智恵子抄』版元の龍星閣刊行)の序文として転用されました。

大江戸座談会

 竹内誠監修 柏書房 平成18年(2006)12月25日 定価2,800円+税

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昭和初期に刊行された雑誌『江戸時代文化』『江戸文化』に掲載された座談会の復刻です。画家の伊藤晴雨、編集者の山下重民らの有名どころから、元南町奉行所の与力、直心影流の達人、和宮に仕えた旧幕臣、江戸の商人など、さまざまな階層の人々が14のテーマで行った座談です。
 
光太郎の父・光雲も「江戸の見世物」「江戸の防御線-見附の話」「彰義隊」の3回に出席し、記憶を語っています。
 
光雲が江戸から明治初期にかけてを回想して語った回顧録の類は多く、光太郎が生まれ育った環境を知る上でも貴重な記録です。当方が発行しております冊子『光太郎研究』にそのあたりを少しずつ掲載しています。いずれはこの座談会も掲載しようと思っています。
 
冊子『光太郎研究』についてはまた後ほど紹介いたします。

最近入手した光太郎関連の書籍のうち、比較的最近出版されたものを紹介します。 

第66回安古びた登山日記

市川五十二著 風詠社 平成23年(2011)11月29日 定価1,575円

著者の市川氏は登山を趣味とされている方です。著者曰く「過去の山行から六つを選び、山岳小説風にまとめたものが本書である」とのことで、第一章が「ほんとの空に抱かれし山 安達太良山」。光太郎、智恵子の文筆作品を引きながら、二本松・旧安達町の智恵子記念館やその裏手の鞍石山への訪問記が書かれています。
 
第二章は「みちのくの山 早池峰と岩手山」。やはり光太郎が愛した山ですが、ここでは光太郎には触れられず、宮澤賢治や石川啄木にからめられています。
 
ちなみに当方、今週末には久しぶりに二本松に行って参ります。

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詩の在りか-口語自由詩をめぐる問い

佐藤伸宏著 笠間書院 平成23年(2011)3月15日 定価3,200円+税

東北大学教授である著者による論考です。光太郎、室生犀星、萩原朔太郎、三富朽葉の4人に焦点を当て、口語自由詩がいかに生まれ、根付いていったかが論じられています。
 
光太郎に関しては第二章「口語自由詩と<声>-高村光太郎『道程』」「1高村光太郎の<自由詩>の理念」「2 光太郎に於ける<文語自由詩/口語自由詩/小曲>」「3 光太郎に於ける口語自由詩の確立」に分け、詳細に述べられています。

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「専門馬鹿」という言葉があります。自分の専門分野だけは詳しいが、他はさっぱり、という意味ですね。そうならないように、近・現代の詩や美術の流れの中での光太郎の位置付けや、周辺人物との関わりの中での光太郎像といった点にも目を向けなければ、と思っています。

現に知られている光太郎作品のうち、どういった書物にどんな形で発表されたかがわかっていないものが数多く存在します。
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作品自体はのちに光太郎の詩集や散文集に収められたり、手許に原稿が残っていたりして、こういうものだ、とわかっているのに、それがまず最初にどういった書物にどんな形で発表されたかがわかっていない、ということです。
 
中には書き下ろしということもあると思われますが、時期的に見てそうではないだろうというものがほとんどで、こういったものの初出掲載誌をつきとめるということにも取り組んでいます。
 
そこで、今回もお願いですが、以下の作品について、「××という雑誌に発表されたはずだ」「自分が持っている○○という新聞に載っている」といった情報があれば御教示いただきたく存じます。
 
まずは詩です。
小娘                       大6
(奇麗にお化粧した)    大6
序曲        大9/2/9『自選日本現代名詩集』?
(詩歌の城に)      大12
象の銀行                 大15/2/7作
秋を待つ                 大15/9/27作 『群像』?  『地上楽園』第3巻第10号(S3)に『群像』より転載の記述
大きな嚔                 大15/11/20作
二つの世界              昭2/3/12作
不平な人に               〃
あけぼの                  〃
煩瑣派                    総題「エピグラム」昭2/4/15作
卑近美派                  〃
(うやうやしいのは)     総題「偶作」昭3/5/12作
(御岳山の行者は)       〃    
或る日      昭3/9/28作   昭4/2『現代文芸』6巻2号?   素人社?
触知       昭3/11/14作
存在                       昭3/11/30作
或る筆記通話           昭4/9/7作
非ユークリッド的    昭4/9/27作
秋が来たんだ           昭4/10/7作
春の一年生    昭5/5/2作 冨山房教科書?
レオン ドウベル    昭6/12/12作
潮を吹く鯨               昭13/4/8 『グラフィック』?   創美社?
米のめしの歌           昭14/1/6作
上海陸戦隊をおもふ   昭14/6/26作 『我が家』?
五月のうた              昭15/4/1作
雷電の夜                 昭15/6/27作
帝都初空襲              昭17/4/20作
粛然たる天兵          昭18/10/7作 『満州良男』?
全学徒起つ              昭18/10/24作 『立教大学新聞』?
海上日出                  昭18/12/14作 『海の村』?
古代の如く              昭19/5/10作 『壁詩』?
新春に面す              昭19/12/19 『農業新聞』?
皇国骨髄の臣           昭20/1/2 『陸軍画報』(2015/2追記 掲載誌入手できました)
おほぞらのうた       昭20/2/22作 『富士』?
試金石                     昭22/11/22作 『週刊朝日』?
クチバミ                  昭25/6/5作
 
つづいて散文です。
家                                            大10/5作
追憶-山村暮鳥-                     大13/12  新聞『いはらき』?
八十島稔詩集『紅い羅針盤』      昭2作?
揺籃の歌            昭11/8/26作
戦時の文化           昭16/12/13
美術立国            昭21/8/9作 メモ「盛岡美術連盟へ」
五十沢二郎著「歴史教室」推薦文 昭22/3/10作
展覧会に寄する言葉                  昭23/10/27作 『新岩手日報』?
信親と鳴瀧                                昭25/8/26作 『智恵子抄その後』?
十二月十五日                            昭25/12/16作 『いわてじん』?
美ならざるなし                           昭26,7頃
教材社「児童の図画工作」推薦文  昭27/10/4作
工房にて                                   昭27/12/17作 メモ「共同通信社へ」

「小娘」「象の銀行」などは光太郎の詩の中でもかなりメジャーなものなのですが、最初にどこに発表されたのか、未だに不明です。他にもかなり多いのですが、これでも『全集』完結後の「光太郎遺珠」の中で、『全集』の段階で不明・不詳だった初出掲載誌の情報が詩、散文併せて20篇あまり判明したことを報告しています。
 
光太郎はいわゆる商業資本の総合雑誌などにもそれなりに寄稿していますが、地方で発行された同人誌的なものや、まったく畑違いの雑誌などにも寄稿することが多く、なかなか全貌がつかめません。
 
「これがわかったからどうなんだ」と言われると身も蓋もありませんが、人脈的にこういうところにつながっていたんだとか、こういう雑誌に発表されたからこういう内容なんだ、というようなことがわかり、それはそれで重要なことだと思います。
 
というわけで、「××という雑誌に発表されたはずだ」「自分が持っている○○という雑誌に載っている」といった情報があれば御教示いただきたく存じます。

今日は第67回千葉県合唱祭に参加してきました。これは、千葉県合唱連盟に加盟している合唱団が、6/3、6/10、6/17の3日間、3会場に分かれて発表し合うというものです。コンクール形式ではないので、コンクールでは全国大会常連の団から、結成して日の浅い団まで、老若男女、混声・男声・女声、それぞれの持ち味を生かした合唱が聴けます。
 
当方の所属する合唱団は、光太郎の朋友・吉井勇作詞の「ゴンドラの歌」他1曲を歌いました。なぜか客席から「bravo!」の声が。それなりに存在感を示せたのではないかと思っています。
 
さて、当方の所属する合唱団の3つ後は、船橋を拠点とする歴史ある男声合唱団、HGメンネルコールさんの演奏でした。曲目は先日のブログで紹介した清水脩作曲の「智恵子抄巻末のうた六首」。男声合唱では定番の曲の一つなのですが、当方、生演奏で聞くのは初めてで、ラッキーでした。詩集「智恵子抄」に収められた短歌六首を無伴奏合唱曲にしたものです。

 ひとむきにむしやぶりつきて為事(しごと)するわれをさびしと思ふな智恵子
 気ちがひといふおどろしき言葉もて人は智恵子をよばむとすなり
 いちめんに松の花粉は浜をとび智恵子尾長のともがらとなる
 わが為事いのちかたむけて成るきはを智恵子は知りき知りていたみき
 この家に智恵子の息吹みちてのこりひとりめつぶる吾(あ)をいねしめず
 光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき
 
一時期、それがあまり作られず不満に思っていたのですが、このところ、光太郎作詞、というか光太郎の詩に曲を付けた合唱曲がまた少しずつ世に出ています。
 
智恵子の母校、福島高等女学校の後継校である福島県立橘高等学校合唱団さんは、光太郎の詩に曲を付けた鈴木輝昭氏の作品(委嘱作品だと思われます)で、ここ3年間、全日本合唱コンクール全国大会入賞を続けています。平成21年が「レモン哀歌」(金賞)、22年が「裸形」(銀賞)、昨年が「亡き人に」(銀賞)。橘さんの入賞自体はその前からですが、光太郎作品で、というのが嬉しいですね。智恵子の後輩達、頑張っています! ちなみにCDも発売されています。

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それから別の鈴木氏ですが、昨年から今年にかけ、鈴木憲夫氏作曲の合唱曲「レモン哀歌」の女声版混声版がカワイ出版から相次いで出版されましたし、合唱ではありませんが同じ鈴木憲夫氏の「歌曲集レモン哀歌」も出版されています。

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こうした分野でももっともっと光太郎が取り上げられ、それを演奏する人、聴く人が、光太郎・智恵子の世界に興味を持ってくれれば、と思っております。

世に知られていない作品をどうやって見つけるか、という話を延々と続けてきました。今日はお願いです。
 
八方手を尽くしていろいろと見つけ続けていますが、中には存在がわかっていながら見つからないものもかなりあります。ソースは『高村光太郎全集』の年譜や解題に書かれている情報、北川太一先生や他の方に聞いて知った情報、古い雑誌に書かれていた情報などです。
 
  ①翻訳「ロダンと言ふ人」明治43年1月 雑誌『秀才文壇』掲載   (見つかりました)
  ②書簡「あめりかよりの書簡二通」明治44年2月? 雑誌『秀才文壇』掲載
  ③散文「感想断片」明治45年4月?  雑誌『秀才文壇』掲載
  ④散文?「皮肉屋と言ふ事は卑怯者と同じだ」大正2年4月? 雑誌『新文林』忠誠堂
  ⑤翻訳「フアン ゴツホの手紙(三)」同
  ⑥詩?「その午後に」大正2年5月 雑誌『水鴬』創刊号
  ⑦表紙画 雑誌『鉄針』大正3年1月 俳句雑誌
  ⑧散文?「文章座右銘」大正2~3頃 雑誌『中央文学』聖書の文句を仏蘭西語で紹介
  ⑨翻訳「テーンの芸術論」大正10年4月
  ⑩散文?「口語歌をどう見るか」『芸術と自由』 大正14年8月 一巻八号 (見つかりました アンケートでした)
  ⑪翻訳「栗色の顔をした野の若者よ」昭和2年1月 雑誌『太陽花』第2巻第1号 太陽花詩社 ホイットマン詩
  ⑫題字 雑誌『巨木』昭和3年6月
  ⑬散文?「生活の光彩」昭和15年5月 雑誌『オール女性』第8巻第2号
  ⑭題字 雑誌『詩層』昭和18年   (見つかりました)
  ⑮題字 雑誌『山脈』昭和24年頃
 
題名や掲載誌名、時期には多少のずれがあるかも知れませんし、結局掲載されずに終わったとか、単純な勘違いとかいうこともあるかもしれませんが、上記に関して何か情報のある方は御教示いただければ幸いです。
 
⑪の、翻訳「栗色の顔をした野の若者よ」に関し、信じられないようなエピソードがありますので、ご紹介します。数年前、掲載誌の雑誌『太陽花』第2巻第1号が、横浜・港の見える丘公園にある神奈川近代文学館に所蔵されていることをつきとめ、意気揚々と閲覧に行きました。所定の続きをし、係員の方に書庫から出してきていただき、手に取りました。まずは目次のページを見ますと、確かに「栗色の顔をした野の若者よ」高村光太郎訳という記述があり「よし!」と心の中で快哉を叫びました。ところが、ページを繰っても見つかりません。よく見ると、なんと、問題の「栗色の顔をした野の若者よ」が載っているはずのページだけが破り取られているのです。諦めきれず、係員の方に破れているページだけ他に保管していないかなど聞いてみましたが無駄でした。こういうこともあるんですね……。
 
ちなみに当方の生活圏にある銚子市青少年文化会館のロビーに、郷土の偉人を紹介するコーナーが作られています。その中で銚子出身の詩人・宮崎丈二も取り上げられており、光太郎から宮崎宛の書簡が4通ほど展示されています。その中の一通は『全集』第21巻に収められた大正15年(1926)11月16日付けの書簡番号2426ですが「太陽花への原稿を忘れないうちにあなたまでお届けして置きます。なるたけ短いものを選びました。」という一節が。しかも封筒には(原稿在中)の文字まで。まさしくこの「栗色の顔をした野の若者よ」の原稿とともに送られた書簡と思われます。銚子市青少年文化会館、時折用事があっていくのですが、そのたびこの書簡を見て神奈川近代文学館での苦い体験を思い出します。

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こうした因縁もあり、「栗色の顔をした野の若者よ」、絶対に見つけてやる!と心に誓っています。
 
2014/4追記 上記光太郎書簡の展示は2014/4現在、無くなっていました。
 
上記で挙げた他の作品も是非見つけたいと思っていますので、ご協力よろしくお願いいたします。

世に知られていない作品104をどうやって見つけるか、の3回目です。
 
昨日は書籍の形で世に出ているデータベースと照合するという話でした。今日はコンピュータを利用してのデータベースとの照合をテーマとします。
 
インターネットの普及により、全国各地の図書館や文学館それぞれの所蔵資料が居ながらにして検索できます。そのシステムも進化し続けており、以前は限られた情報しか得られなかったものが、詳細な情報まで得られるようになったケースも多くあります。
 
特に国立国会図書館さんでは所蔵資料のデジタル化が進み、戦前の書籍、雑誌などはほとんどデジタルデータでの閲覧となっています。以前は普通の図書館のように、申し込んだ書籍そのものを渡され自分で手に取って見ていたのですが、今は館内に設置されたパソコンの画面で目的の書籍を閲覧する、というシステムです。この変更、一長一短なのですが、すくなくともデータの検索の部分では長足の進歩を遂げました。「国立国会図書館デジタル化資料」というサイトを使えば、かなり詳しく検索が可能です。ただし、ほとんどの資料は館内限定閲覧の扱いですので、実際に国会図書館に行かないと見られません。同じ国会図書館のサイトでも「近代デジタルライブラリー」というサイトでは、自宅のパソコンで閲覧が可能です。ただ、こちらは見られる資料の数に限りがあります。それでも閲覧可能な点数がどんどん増え続けていますが。

他にもいろいろな図書館、文学館などで所蔵資料の検索、閲覧が可能です。また、必要な部分をプリントアウトして送ってもらうということも可能な場合があります。
「日本近代文学館」 http://www.bungakukan.or.jp/
「神奈川近代文学館」 https://www.kanabun.or.jp/guide-opac/
「群馬県立土屋文明記念文学館」 http://jmapps.ne.jp/tsuchiyakan/
「日本現代詩歌文学館」 http://opac.shiikabun.jp/opw/OPW/OPWMAIN.CSP?DB=LIB
「CiNii Books」 http://ci.nii.ac.jp/books/
 
また、古書店の在庫目録、新刊書籍の情報などもかなり詳しい検索、一部は閲覧が可能になっており、有効に活用できます。
「日本の古本屋」 https://www.kosho.or.jp/
「googlebooks」 http://books.google.co.jp/
 
さらに新聞記事のデータベース。これは個人で申し込むことも可能ですが、やはり図書館等に出向いて利用するのが賢い方法だと思います。
「朝日新聞 聞蔵ビジュアル」 http://database.asahi.com/index.shtml
「読売新聞 ヨミダス歴史館」 http://www.yomiuri.co.jp/database/
 
この分野は日々進化を続けており、有用なサイトを見つけ出す能力も問われます。
 
しかし、こうした便利なシステムの無かった時代に『全集』の編集に取り組まれ、多くの作品を網羅なさった北川太一先生をはじめとする先人の皆様のご努力には、頭の下がる思いです。

昨日のブログで、世に知ら1007れていない作品の見つけ方-他の人が作成したデータベースとの照合ということを書きました。
 
それではどういうデータベースと照合するのか、ということになりますが、大きく分けて2種類あります。1種類目は書籍の形で世に出ているもの、2種類目はコンピュータを利用してのデータベースです。
 
今回は1種類目の書籍の形で世に出ているものについて説明しましょう。
 
まず、居ながらにして手に入るものとしては、古書店の目録があります。全国の古書店の中には、独自の在庫目録を定期的に発行し、顧客に頒布してくれるところが多数あります。また、一軒の古書店だけではなく何軒かで合同の目録を作成したり、デパートなどでの古書市としてやはり何店か合同で目録を発行したりしているところもあります。そういうところは1、2度大きな買い物をすれば、新しい目録ができたら無料で送ってくれます。それから、『日本古書通信』という月刊誌があるのですが、そちらにも古書店の目録が掲載されていたり、「目録希望の場合は切手××円分送って下さい」といった広告が載っていたりし、非常に有益な雑誌です。
 
そんなこんなで、当方の自宅には月に10冊位の古書目録が送られてきます。こうした目録には「雑誌○○ 大正×年△月 高村光太郎「□□」掲載」などという情報が書かれており、この中でかなり光太郎関連の世に知られていない作品を見つけることができています。ただ、値のはるものもあり、全てを購入するわけにもいきません。そのため、『○○』という雑誌が所蔵されている図書館等を調べ、目的の号を見つけるのです。その際には後で述べる2種類目のコンピュータを利用してのデータベースを活用します。
 
古書目録の他に、いろいろな雑誌の総目録も利用価値の高いデータベースです。例えば、実際に当方が使ったものとしては、国書刊行会から出ている『美術関係雑誌目次総覧 明治・大正・昭和戦前篇』という全三巻の労作があります。これで「高村光太郎」の項を調べると、何年何月に発行された何々という雑誌に何々という作品が載っている、ということが書かれているのです。こうした書籍は雑誌ごとのものもかなり刊行されています。当方、大きな図書館等でこの手の書籍を閲覧し、情報を得るということをよくやっています。ただ、「索引」的な部分が充実していないもの-単に目次だけを羅列しているもの-はこの場合、あまり使えません。ひどいものになると古い雑誌の目次のページだけを画像ファイルにして一冊の本にしただけのものなどもあり、当然文字も読みにくく、もう少し考えてほしいな、と思います。
 
こういった情報の活用能力-受け取る側も、発信する側も-も、いわゆる「IT(information technology)」ということになるのでしょう。発信する側は、受け手がどのような情報を求めているのかを考え、受け取りやすい情報を提供すること、受け取る側はそれこそ情報の洪水の中から、いかに有益な情報にたどり着くか、これからの世の中は、こういった部分が大事だと思います。
 
といいつつ、このブログもどの程度「受け手がどのような情報を求めているのかを考え」ているか、と問われると、自信はないのですが……。
 
明日は2種類目のコンピュータを利用してのデータベースについて説明します。

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