光太郎終焉の地にして、第一回連翹忌会場でもあった中野区の中西利雄アトリエ保存運動について、1月の『東京新聞』さんに続き、『読売新聞』さんでもご紹介下さいました。X(旧ツイッター)やフェイスブックではシェアしておいたのですが、こちらでも取り上げさせていただきます。

光太郎のアトリエ残す 所有者死去 関係者が知恵

 詩集「智恵子抄」などで知られる詩人、彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が晩年を過ごした中野区にあるアトリエを保存しようと、関係者が動き出している。昨年1月にアトリエの所有者が亡くなり、管理が難しくなっているためで、関係者らは「歴史的に価値のある大切なアトリエをなんとか残したい」と知恵を絞っている。000
■「乙女の像」制作
 高村は下谷区(現在の台東区)生まれ。文京区千駄木にアトリエを構えたが、戦災で住居は焼失し、岩手県花巻市に疎開した。中野区のアトリエには戦後の1952年に移り、亡くなるまでの約4年間を過ごした。青森県の十和田湖畔に立つ彫刻の代表作「乙女の像」の塑像もここで制作したという。
 アトリエは、斜めの屋根が特徴的な木造一部2階建て。施工主は洋画家の中西利雄(1900~48年)で、建築家の山口文象(1902~78年)が設計を務めた。建物は中西が亡くなった48年に完成したため、貸しアトリエとして使われ、高村だけでなく、彫刻家のイサム・ノグチ(1904~88年)らも滞在していたという。
 完成から70年以上が経過したアトリエは、青系の色だった外壁が白くなったが、造りはほとんど変わっていない。縦約3メートル、横約2・5メートルの大きな窓は当時のままで、高村の親戚に当たる桜井美佐さん(60)は「光太郎も同じ窓から外の景色を見ていたのだと実感できて感動する。都内ではゆかりの建物は珍しく、貴重だ」と強調する。
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■「企画書」を作成
 しかし、アトリエを管理していた中西の息子の利一郎さんが昨年1月に亡くなった。建物の老朽化は進み、アトリエは現在非公開になっている。利一郎さんの妻の文江さん(73)は「維持費もかかるし、このまま残しておくのは危ない。公的な機関が動いてくれればいいが、そうでなければ壊すしかない」と頭を悩ます。
 そこで立ち上がったのが、利一郎さんと親交があった日本詩人クラブ理事の曽我貢誠さん(71)だ。曽我さんはアトリエを後世に残すための「企画書」を作成。曽我さんら有志は、アトリエの保存に向けた組織設立を模索している。
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■CF活用視野
 老朽化した建物の保存を巡っては、明治時代の作家・樋口一葉(1872~96年)が通ったとされる文京区本郷の「旧伊勢屋質店」も解体の危機に陥った建物の一つ。元の所有者が「個人で維持するのは限界」と売却の意向を示したが、2015年に跡見学園女子大(文京区)が取得し、現在は週末を中心に内部を一般公開している。
 曽我さんも、アトリエを改修した後、高村らゆかりのある芸術家の資料を展示するスペースを設けることを想定している。中野区や都などへの働きかけのほか、クラウドファンディング(CF)の活用も視野に入れているという。
 曽我さんは「高村や中西の芸術や歴史を後世に残すためにも、アトリエは非常に価値があるものだ。中西家に負担をかけずに、なんとか保存できるやり方を考えていきたい」と話している。
 保存方法の提案や問い合わせは曽我さん(090・4422・1534)へ。

曽我氏を中心としたこの運動の会合、先月、初めて行われましたが、来週また開催されるので出席して参ります。

先月も書きましたが、この手の件に関し、良いお知恵をお持ちの方、ご教示いただければ幸いです。曽我氏メールは以下の通りです。sogakousei@mva.biglobe.ne.jp

【折々のことば・光太郎】

五日には小生花巻町に出かけ、松庵寺と申す浄土宗の古刹にて、智恵子の命日と亡父十三回忌の法要をいとなみました。かかる遠方の土地にて焼香されるとは智恵子も父も思ひかけなかつた事でせう。現時の有為転変はまるで物語をよむやうです。小生健康、好適の季節に朝夕心爽やかに勉強してゐます。早く世の中が直つてアトリヱ建築の出来る日の来る事が待たれます。


昭和21年(1946)10月13日 椛澤ふみ子宛書簡より 光太郎64歳

既に前年から、後の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」につながる「智恵子観音」の構想はありましたが、さすがに七尺もの大作という予定ではなかったようです。

昭和27年(1952)になって、「乙女の像」建立計画が具体化すると、花巻郊外旧太田村では資材の調達なども不可能ということで、再上京、中野のアトリエに入ることになります。

地方紙掲載記事から2件、ご紹介します。

まず、『長野日報』さん。

尾崎喜八、没後50年 その詩心を訪ねて

 山や自然を愛した詩人、尾崎喜八(1892~1974年)が亡くなって、今年2月で50年になった。喜八は1946年9月から7年間、富士見に滞在した。その縁で茅野市豊平小、岡谷南高校(岡谷市)、富士見町富士見小学校など諏訪地域をはじめ、県内の小中学校、高校を中心に生涯で40を超える校歌を作詞し、今でも多くの児童・生徒たちに歌われている。激動の20世紀を生きた詩人の心の変遷を、「自註 富士見高原詩集」などを手掛かりにたどってみた。

■自然や人間を賛美する詩人
 東京市京橋に生まれた喜八は、京華商業学校を経て中井銀行に就職。武者小路実篤や志賀直哉などが創刊した雑誌「白樺」の影響を受け、理想主義的な作風の下、自然や人間を賛美する詩人として出発した。
 30歳で最初の詩集「空と樹木」を刊行すると、「道程」などで知られる詩人で彫刻家の高村光太郎、フランスのノーベル文学賞作家ロマン・ロランとも手紙を通じて交流した。
 喜八は夏の暮らしを描いた「高層雲の下」から「クリスマス」、「大根」に至るまで、日々の生活の景色と心情を自由な形で歌った。第5詩集「行人の歌」に納めた「私の詩」では、素朴な魂の人びと、日々の悪戦を戦う人びとに自分の詩を贈りたいとし、〈私は自分の詩によって 彼らの楽しい伴侶でありたい〉と願った。
 自然観察の成果を集めた随筆集「山の絵本」、独学でドイツ語を習得してヘルマン・ヘッセの翻訳も刊行し、旺盛な文学活動を展開。大正期の自由主義的雰囲気が去り、昭和初年の世界恐慌、ファシズムと戦争のにおいが濃くなる中、配給の芋を題材にした「此の糧」、銃後の民衆を歌った「同胞と共にあり」を書名に選んだ詩集も出版した。

■敗戦で心に傷 生き直す決心
 しかし日本は1945年8月に敗戦を迎え、精神的に傷を負う。「慙愧と後悔」から世の中や過去から離れ、「全く無名の人間として生き直すこと」を願い、46年9月に元伯爵渡辺昭が富士見高原に所有していた別荘「分水荘」へと移り住む。〈人の世の転変が私をここへ導いた。 古い岩石の地の起伏と めぐる昼夜の大いなる国、〉(「土地」)へとやって来た。
 富士見の地で「春の牧場」「夏の小鳥が……」「或る晴れた秋の朝の歌」など高原の四季を折り込んだ詩を創作。厳しく美しい自然と、その中にあって貧しくもひたむきに生きる人びとの賛歌を詠んだ。自らの心情を書名に掲げ55年に刊行した詩集「花咲ける孤独」は、遅咲きの詩人の後期を代表する作品となった。
 一方で地元の人との温かい交流も生まれ、講演のほか校歌制作も依頼されるようになる。県内では旧岡谷南部中(49年制定)、信大付属松本中(51年)岡谷南高校(52年)茅野市豊平小(同)などを手掛け、今も多くの学校に歌碑が立つ。
 喜八は校歌作詞の思い出をつづった文章で、「書く前に必ず一度はその学校まで行って、そこの校庭のまんなかに立って周囲の風景だのを見ないと気が済まない」とし、北海道の1校を除き、「その他はどんな山間僻地へもすすんで出掛けた」と振り返った。
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■書く前に必ず訪れイメージ
 多くの校歌がそうであるように、喜八の詞も1番は山川草木など身近な自然の情景が歌われ、2、3番と続くにつれ、理想や希望への意志が込められる。豊平小の2番は〈清くけだかい白樺を 朝な夕なの校庭に 遠い古人の生活を しのぶ遺跡は村のうち 歴史と知恵のふるさとに うまれて学ぶうれしさよ〉とある。
 富士山、八ケ岳、校章のモチーフ駒草が詠われた岡谷南高の3番は〈真夏を山に鍛えては 氷に冬を楽しみつ 平和文化に国を成す 理想のもとに学ぶなる 見よや我等が愛する母校 岡谷の南高等校 月雪花の信濃路に 誉の其の名わが母校〉と結ばれる。
 52年11月に東京都世田谷区、66年12月に神奈川県鎌倉市に居を移すも、富士見高校(56年)、旧富士見高原中(60年)、茅野市永明中(63年)、岡谷南部中(64年)、そして40校目に富士見小(72年)の校歌を作った。
 富士見小の3番は〈理想は高い空の雲 心は広い地のながめ 両親、仲間、先生たちの 愛の思い出富士見高原 ここに学んで人と成る日も幼な心の帰るふるさと このふるさとを忘れまい〉。喜八によると、「詩は言葉と文字の芸術であると同時に作者の心の歌でもある」。校歌もまた詩の一つであると考えた喜八にとって、この連は富士見で過ごした日々を想起した”心の歌”であったかもしれない。

■言葉の探求は今もこの地で
 富士見町高原のミュージアムには喜八の自筆原稿、愛用のカメラ、自然観察に使用した双眼鏡、登山靴など寄贈資料から成るコーナーがある。島木赤彦や伊藤左千夫など多くの歌人や文人にゆかりがある同町では、毎年秋に詩の心を後世につなげる「富士見高原詩のフォーラム」が開かれる。自分の心を凝視し、自然と一致する瞬間を見つけようとする言葉の探究は、今も富士見の地で続けられている。

光太郎智恵子と交流の深かった、尾崎喜八。没後50年ということで、改めて脚光を浴びつつあるようで、昨年末には同趣旨の記事が『毎日新聞』さんにも。

令孫にあたられる石黒敦彦氏、光太郎と喜八に関する新刊書籍の刊行などを考えられているようで、来(きた)る4月2日(火)の連翹忌の集いにてその件をお話下さるそうです。ありがたし。

もう1件、『岩手日報』さんから。

「ぼくのほそ道」俳句大会選考会 

 岩手日報社「ぼくのほそ道」俳句大会の受賞句が決まった。対象句は応募句506句の中から一次選考を通過した60句。選考会は盛岡市内丸の同社で開かれ、俳人の白濱一羊さん、高野ムツオさん、文化部の戸舘大朗記者が作品を合評した。

入選 きらきらとぼくのほそ道雪踏めば 奥州・岩渕正力

高野 これは話題にしないといけないんじゃないですか。
戸舘 とてもうれしい一句です。ありがとうございます!
白濱 「挨拶句」ですね。連載名の言葉を詠み込んで、ちゃんと句になっている。
高野 雪を踏んだら、あるはずもないが、ぼくのほそ道が現れて、見えた気がした。発想がいい。
戸舘 自らの「ほそ道」を歩いているという句ではない?
高野 雪を踏む、でなく雪踏めば、だからね。この表現だと、踏んで現れた、という意味だろう。
白濱 高村光太郎みたいだね。「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
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「ぼくのほそ道」俳句大会、「ぼくの」と冠されているので、若い世代対象の企画かと思ったのですが、さにあらずでした。

入賞句それぞれの評が載っていたのですが、光太郎がらみのもののみ抜粋しました。もっとも、句自体が完全に光太郎オマージュというわけではないようですが、おそらく審査員の方が評されたことを、作者の方も感じていたのではないかと思われます。

喜八の記事にしてもそうですが、光太郎を引き合いに出しても「高村光太郎? 誰、それ?」という状況になってしまいますと、成り立ちません。そうならないよう、今後とも顕彰活動に力を注いで参りますので、よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

今度詩碑には小生直接加筆して補正彫鏨する事になりました。多分十一月中には出来るでせう。


昭和21年(1946)10月13日 宮崎稔宛書簡より 光太郎64歳

「詩碑」は昭和11年(1936)、光太郎が揮毫した宮沢賢治の「雨ニモマケズ」詩碑です。
まだ東京にいた最初の揮毫の際、花巻から送られてきた原稿の通りに揮毫したところ、賢治が手帳に書いた通りでなかった箇所が複数ありました。そこで、碑前に足場を組んで訂正箇所を光太郎が直接書き込み、石工の今藤清六が鏨(たがね)で彫りました。
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賢治が元々手帳に「ヒドリ」と書いていた箇所は「ヒデリ」のまま残されました。光太郎が最初に揮毫した昭和11年(1936)の時点で、遺族等の間で既に「ヒドリ」は「ヒデリ」の誤記だろうという説が半ば定説化しており、光太郎は花巻から送られてきた原稿が「ヒデリ」となっていたそのままを書いたわけです。

ところが、さる高名な宗教学者のセンセイが、この改変を光太郎の仕業と思い込み、あちこちで喧伝しています。「違う」と指摘が相次いでも改める風もなく、超迷惑です。脳が硬直化すると、一度こうだと思い込んだことは訂正できなくなってしまうのでしょうか。そうはならないように努めたいものです。

昨日は現代アート系で『智恵子抄』オマージュ、レモンの描かれた作品をご紹介しましたが、本日は智恵子の故郷・福島二本松からグルメ系で。

地方紙『福島民友』さん、2月21日(水)の掲載記事です。

高村智恵子にちなんだ「れもん味噌」 甘くてさっぱりした新商品

 二本松市振興公社は詩人・彫刻家高村光太郎の妻で、光太郎の詩集「智恵子抄」の「レモン哀歌」でも知られる二本松市出身の洋画家高村智恵子にちなんだ新商品「れもん味噌(みそ)」(350円)を発売した。
 防腐剤などを使っていない広島県安芸津町産のレモンを使用し、少し甘くてさっぱりとした味が特徴。とんかつやカキフライ、なす焼きや魚の塩焼きなどのほか、おにぎりに塗ってもおいしいという。
 二本松市の道の駅安達では、れもん味噌を使った新メニュー「れもん味噌添え大葉とチーズのチキンかつ丼」(800円)を上り線で、「れもん味噌添えアジフライとカキフライ定食」(800円)を下り線で販売している。問い合わせは二本松市振興公社(電話0243・61・3100)へ。
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同じ件でさらに一般社団法人にほんまつDMOさんのサイトにも告知が。

智恵子をイメージした、レモン商品第5弾が登場!

 道の駅安達で、高村智恵子をイメージさせるレモンを使った商品の第5弾が14日、登場しました。広島県産レモンと地元の味噌を組み合わせた「れもん味噌」で、ちょっと甘くてさっぱりした爽やかな風味が特長。上下線の食堂では同日かられもん味噌を使った定食もメニュー化しています。
 智恵子抄の「レモン哀歌」に智恵子と光太郎の純愛がつづられていることから、智恵子の里にある同駅はレモンサブレやレモンケーキ、レモンライスの素など、レモンにこだわったオリジナル商品を販売しています。
 れもん味噌は75g入り、350円。トンカツや魚フライをはじめ、おでん、青菜和え、おにぎりなどと相性抜群で、幅広いメニューに活用できます。また、食堂でもサービスが始まり、上り線は大葉とチーズのチキンカツ、下り線はアジフライとカキフライの各定食にれもん味噌を添えて提供しています。問い合わせは道の駅安達(電話0243-61-3100)へ。
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確かに揚げ物に添えるとさっぱりしそうですね。

他のレモン系グルメ商品はこちらをご参照ください。

【折々のことば・光太郎】

山林では今茸の出さかりで路傍の草むらにいろいろの食茸が面白いほど出て居り、それをとつて朝のみそ汁などに入れます。智恵子が居たらと時々思ひます。

昭和21年(1946)10月11日 秋広あさ子宛書簡より 光太郎64歳

もう少し経つと「智恵子はしかも実存する。/智恵子はわたくしの肉に居る。」(詩「元素智恵子」昭和24年=1949)という境地に達するのですが……。

昨日、『毎日新聞』さんの現代アート作家谷澤紗和子紹介記事を引用し、「谷澤氏に限らず現代アートの作家さんたちの中には、智恵子オマージュの作品等をご発表されている方が少なからずいらっしゃいます」と書きましたが、書いてるそばから都内で個展(三人展?)です。

星センセイと一郎くんと珈琲

期 日 : 2024年3月1日(金)~3日(日)、3月8日(金)~10日(日)
会 場 : デザイン&ギャラリー装丁夜話
       東京都渋谷区神宮前1-2-9 原宿木多マンション103
時 間 : 12:00~19:00
料 金 : 無料

星信郎センセイ: デッサン 山口一郎くん: ドローイング 元明健二さん: 珈琲焙煎

東京渋谷区神宮前のギャラリー『 装丁夜話 』にて セツモードセミナー時代の先生 星先生と 山口一郎の絵の展示(販売)が始まります
星先生はデッサン 山口はレモンの絵(A5サイズ額装)です
星先生のデッサンのポストカードブック 山口一郎の、詩人 高村光太郎のレモン哀歌の詩の
装丁夜話オリジナルのポストカードブックの販売もあります
3月の同じ日に生まれた星先生と山口一郎の絵の展示です
セツ モード セミナーの皆さん 興味のある方 ぜひ見に来てください
初日 3月1日(金)星先生 山口一郎 在廊しています(山口は午後3時ごろ、1時間少し打ち合わせで居なくなります)

 ●星信郎 水彩画家 1934年 福島県会津生まれ 春日部たすく・長沢節・穂積和夫に学ぶ
元セツ・モードセミナー講師

●山口一郎 静岡出身。セツ・モードセミナー卒。卒業後、イラストレーターとして雑誌広告の仕事を始める。 1999年、チョイス展 入選、第6回CLSビジュアル・アート展 大賞
JACA展 入選、第5回ART・BOX展 入選、タンカレージン イラストデザイン 入選
2007より、東京青山DEE’S HALLにて定期的に個展を開催。
2011年、香川県人権問題ポスター・CMに作品「コルク人形」が採用される。
同年、香川県の保育所にて芸術士として活動。香川県在住。

●元明健二(がんみょうけんじ) 1955年宮崎県出身、所沢市在住
セツ・モードセミナー美術科研究科卒、ゲリラ
受賞歴-シェル美術賞入選、ターナーアワード大賞
SCAJ(The Specialty Coffee Association of Japan)コーヒーマイスター。
2016年リメナスコーヒー(Limenas Coffee)創業

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レモン、一枚一枚異なるようです。

来週、また中野アトリエ保存の件の会合で上京しますので、その際に立ち寄ってみようかと思っております。

皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

此処にアトリエを建築、正式に御招待して彫刻に花を生けていただくやうな日がいつになるか、それは日本の社会事情の恢復次第と存ぜられます。


昭和21年(1946)10月11日 浅見恵美子宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村に移り住んで約一年。もう少し経つと、彫刻は完全に封印してしまいますが、この頃はまだ彼の地にきちんとしたアトリエを建設するつもりがまだあったようです。

現代アート個展(会期終了していますが)のレビューを兼ねた作家さん紹介が、昨日の『毎日新聞』さんに大きく掲載されました。

男性優位への疑念、アートに フィルター外した「女性像」を模索

 太陽をかたどった金色の紙の中心に、目と口が切り抜かれている。『智恵子抄』で知られる高村智恵子の顔だという。口を開き、こちらに何か伝えようとしているのか。古びた木枠の中の小さな顔を見つめていると、もどかしさに駆られた。
 タイトルは「はいけいちえこさま」。京都を拠点に活動する現代美術家・谷澤紗和子さんが、洋画家・紙絵作家の高村智恵子をオマージュした作品だ。自身も切り紙を手がける谷澤さんは智恵子の作品にひかれ、その創作について調べ始めたが、行き当たるのは夫・高村光太郎のフィルターを通した智恵子像ばかり。故郷を離れ大学に進み、親の反対を押し切って洋画家に。『青鞜』創刊号の表紙絵を描き、病室では千数百点もの紙絵を作った。「一途(いちず)」や「純朴」といった世間のイメージとは違う、自立した個人・智恵子の声が聴きたい。小さな顔には、そんな思いがこもる。
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  「フェミニストとして、自身 ... 気づきになるような制作態度を示したいと考えています」。自身のサイトでこう宣言し、ジェンダーをテーマに作品を制作する谷澤さんだが、問題意識が明確になったのは数年前からという。
 それまでも、引っかかることはあった。京都市立芸術大で教わった教授陣はみな男性だったし、院試でフェミニズムに言及すると、「そういうのはもう飽きたんだよね」と返されたこともあった。卒業後は同世代の男性の方がいい仕事をもらっているとも感じた。ただ、大きな壁を感じるほどではなかった。
 2018年、出産。「親になるのは大歓迎だったのに、突然『母』という代名詞が舞い降りてきた」。保育園の申し込みで役所に行くと、来ているのは全員女性。指定された時間は夕刻で、赤ん坊たちは泣いている。谷澤さんも泣く子を抱いて職員とやり取りするが、泣き声にかき消されお互いの声が聞こえない。予算を割いて託児サービスさえ用意してくれていれば。そもそもなぜここに父親はいないのか。社会の仕組みに対する疑問や怒りが、あふれた。
 産後しばらくは時間と場所の制限から、大きな作品が作れない。発表するあてもなく、A4の紙に描き始めた。当時のファイルには、顔の中に「くそやろう」や「NO」といった言葉を配したドローイングが並ぶ。「女性が使うべきではない」罵倒や抵抗の言葉。抑圧をかいくぐり、やっと発せられた言葉だと表現したくて、うねる線で描いた。
 ジェンダー研究の文献にも目を通し思索を深めていた翌年、作家・藤野可織さんとの共作「信仰」を発表し、ジェンダーをテーマに据えることに手応えを感じた。智恵子について本格的に調べ始めたのも、この頃。「はいけい――」は冒頭の「太陽」のほか、智恵子による「青鞜」の表紙絵や産後のドローイングから生まれた「NO」などをモチーフにした6点組みで、木枠に日本家屋の廃材を用い、女性の足かせとなってきた家父長制度を象徴させた。金と赤の美しい造形の中に切実なメッセージを織り込んだ作品は、若手芸術家の登竜門「VOCA展2022」で佳作に選ばれた。
 昨年12月には、大阪で個展「矯(た)めを解(ほぐ)す」を開催。タイトルは社会や教育に矯正され、知らず知らず染まってしまった価値観を解きほぐす、という意味で付けた。同名の新作は、ぺしゃんこになったショベルカーやクレーン車に赤い線が絡む紙の作品。モチーフにしたのは子どものおもちゃだという。
 息子が好む重機のおもちゃ。何がかっこいいのか、正直わからない。ある時そんな話をしたら、男性作家が「かっこよさ、わかるよ!」と興奮気味に応答した。「それを聞いて、仕組みがわかった!と思いました」。自分が身を置いているのは「重機をかっこいいと思う」人たちが築き上げたコミュニティーではなかろうか。男性優位の世界で感じてきた不条理に、説明がついた気がした。「そこに一生懸命入ろうとするのではなく、別の仕組み、別の見方で考えていかなきゃいけない」
 会場で、白一色の作品に目が留まった。エンボスによる和装の女性と、切り紙のくしゃくしゃの塊。女性は智恵子で、塊は自画像だという。美術の歴史の中で男性によって客体化されてきた「女性像」の問題は、根深い。人間としての女性をどう描くか。今はまだ模索中だ。 いびつでくしゃくしゃな塊は、不思議と楽しそうに見えた。時空を超えた女性の連帯が放つ輝きだろうか。小さな作品を前に、空想にふけった。
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あえて切り紙で表現
 「はいけいちえこさま」は愛知県美術館所蔵。収蔵に関わった学芸員の中村史子さん(現在は大阪中之島美術館勤務)は、谷澤さんについて「以前からしっかりした技術でスペクタクルな面白い作品を作っていたが、20年ごろから作品にぐっと緊張感が生まれ、強く、クリティカルな表現になった」と評価する。美術界で等閑視されてきた女性や非西欧圏の作家を再評価する動きは、キュレーターや研究者の間では世界的潮流となっているが、「谷澤さんは同じ作り手という立場で、今まで軽く見られてきた女性作家を再考している点に特徴がある」と中村さん。谷澤さんは実際の制作を通じて、智恵子の高い技術や理知的な構成力に気付いたという。
 絵画や彫刻が美術の「王道」とされる一方で、女性が主に担った手芸などは一段下に見なされてきた。切り紙も絵画の周縁に位置づけられてきた手法の一つ。近年では歴史的背景を理解した上で、あえてそうした手法を取る現代美術家も活躍する。谷澤さんも、ヒエラルキーの上位に位置しない、紙とハサミさえあれば誰にでも開かれた切り紙という手法で、女性をはじめ、弱い立場に置かれた人たちの存在を表現している。010

昨年12月2日(土)~12月23日(土)に、大阪市のstudio Jさんで開催された「矯めを解す」(こちらについては情報を得られていませんでして、このサイトではご紹介していませんでした。汗顔の至りです)レビューから、谷澤氏の歩みをまとめられています。

なるほど、こういう背景があったのかという感じでした。

記事にもあるVOCA展など、谷澤氏に関しては以下もご参照下さい。
都内レポートその2「VOCA展2022 現代美術の展望―新しい平面の作家たち―」。
京都精華大学ギャラリーリニューアル記念展「越境ー収蔵作品とゲストアーティストがひらく視座」展覧会評。
谷澤氏に限らず現代アートの作家さんたちの中には、智恵子オマージュの作品等をご発表されている方が少なからずいらっしゃいます。やはり100年前に智恵子が投げかけた問いは、現代にも重くのしかかっているということなのでしょう。

今後とも多くの方々に取り組んでいただきたいものですし、そこから発せられるメッセージをさらに多くの皆さんに受けとめてほしいとも存じます。

【折々のことば・光太郎】

十月五日には染井のお墓へおまゐりして下さる由、まことにありがたく存じます。墓もさぞ荒れ果てゝゐる事と推察してゐます。


昭和21年(1946)10月11日 秋広あさ子宛書簡より 光太郎64歳

秋広あさ子は遠く明治期、日本女子大学校の寮で智恵子と同室でした。故あって中退したため卒業生名簿に名が無く、学科までは不明ですが、当時の智恵子と最も親しかった一人で、貴重な智恵子回想文も残しています。

十月五日」は智恵子の命日、「染井のお墓」は現在の都立染井霊園の髙村家墓所。11日付の書簡で「おまゐりして下さる」は「おまゐりして下さつた」の誤記か、或いは秋広からの書簡に「毎年十月五日にはお参りしてゐます」的な記述があって、それへのいらえなのか、というところです。

テレビ放映情報、2件ご紹介します。

中学・高校で学ぶ文学作品の魅力を、朗読や映像資料を使い、コンパクトに解説します 第4回

地上波NHKEテレ 2024年3月2日(土) 02:55〜04:35

中学・高校で学ぶ文学作品の魅力を10分間でコンパクトに解説します。作品の朗読に加え歴史的な文書や絵画、再現映像などを豊かな映像資料を通じ、作品をより深く理解できる番組です。

朗読は、元NHKアナウンサーの加賀美幸子さんです。この番組は2006年から2008年にかけて制作されましたが、今回、最新の映像技術で、高画質のハイビジョン映像にリマスター、精細な映像でお楽しみください。今夜は、初恋・道程・サーカス(中原中也)・武蔵野・故郷(魯迅)・たけくらべ・明治文学史・日記・手紙・走れメロスの10本です。

出演者 【朗読】加賀美幸子

説明欄にあるとおり、平成18年(2006)~平成20年(2008)に制作された「10min.ボックス古文・漢文/現代文」全40本が、ほぼ作品の年代順で4回に分けて一挙放映されます。

2月28日(水)※27日深夜 午前3:05~4:45  Eテレ 
 ・竹取物語・土佐日記(紀貫之)・伊勢物語・枕草子(清少納言)・源氏物語(紫式部)
 ・説話・平家物語・徒然草(兼好法師)・狂言・漢文(1)故事成語

2月29日(木)※28日深夜 午前2:40~4:20  Eテレ 
 ・漢文(2)漢詩・漢文(3)論語・おくのほそ道(松尾芭蕉)・雨月物語(上田秋成)
 ・日本永代蔵(井原西鶴)・曽根崎心中(近松門左衛門)・落語・万葉集・大鏡
 ・古今和歌集

3月1日(金)※29日深夜 午前2:55~4:35  Eテレ
 ・羅生門(芥川龍之介)・トロッコ(芥川龍之介)・オツベルと象(宮沢賢治)
 ・山月記(中島敦)・短歌・俳句・戦争と平和の詩・坊っちゃん(夏目漱石)
 ・こころ(夏目漱石)・舞姫(森鴎外)

3月2日(土)※1日深夜  午前2:55~4:35  Eテレ  
 ・初恋(島崎藤村)・道程(高村光太郎)・サーカス(中原中也)・武蔵野(国木田独歩)
 ・故郷(魯迅)・たけくらべ(樋口一葉)・明治文学史・日記・手紙・走れメロス(太宰治)

個々の動画はNHKさんのサイトから試聴できてしまうのですが、40本の一挙放映ということで、録画しておけば永久保存版ですね。

それぞれの中で朗読をされているのは、元NHKアナウンサーの加賀美幸子氏。さすがの朗読ぶりです。
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加賀美氏、平成27年(2015)の「世界・日本名作集よりリーディング名作劇場「キミに贈る物語」~観て聴いて・心に感じるお話集~」、一昨年の「財団法人ロマン・ロラン研究所設立50周年記念 古都・京の記憶に残すべき 戦時の日仏交流―関西日仏学館―〈トークと詩の朗読〉」などでも光太郎詩文の朗読をなさいました。

後半では、雑誌『美の廃墟』に載った初出発表形102行の冒頭部分も。
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その他、制作の背景ということで、光太郎の人となりについてコンパクトに解説。
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さらに、複数の一般の方々による朗読も。なかなか見応え、聴き応えがある10分です。

全40本中には、「舞姫」(森鷗外)、「オツベルと象」(宮沢賢治)など、光太郎と交流のあった面々も。
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宮沢賢治といえば、こちらの放映もあります。やはり深夜というか未明ですが。

宮沢賢治の食卓【若き日の宮沢賢治の知られざる日々を鈴木亮平が熱演!】 #01◆幸福のコロッケ◆

地上波フジテレビ  2024年2月27日(火) 02:55~04:00

宮沢賢治の青春時代を描いた人気漫画をドラマ化!賢治の愛した食や音楽とともに贈る涙必至の感動作。

東京に家出をしていた質店の長男・宮沢賢治(鈴木亮平)は妹・トシ(石橋杏奈)の病気の電報を受け、岩手・花巻に帰郷する。母・イチ(神野三鈴)や弟妹たちには歓迎されるも、厳格な父・政次郎(平田満)とはなかなかうまくいかない。食、音楽、文学とあらゆることに興味のある賢治だが、自分を熱くするものを見つけられずにいた。そんなある日、農家の吉盛(柳沢慎吾)一家に出会う。

出演者 鈴木亮平 石橋杏奈 山崎育三郎 市川実日子 柳沢慎吾 井之脇海 神野三鈴 平田満
【原作】魚乃目三太(少年画報社刊「思い出食堂」より) 
【脚本】池田奈津子 
【音楽】サキタハヂメ 
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WOWOWプライムさんで平成29年(2017)に全5回で放映されたドラマです。ラインナップは以下の通り。

第一話 「幸福のコロッケ」 53分

第二話 「夢のシチュウビーフ」 49分
トシの計らいで稗貫農学校の教師になった賢治。意気揚々と学校に出勤するが勘助(犬飼直紀)をリーダーとするはねっ返りの生徒たちに手を焼いてしまう。女学校で出会った音楽教師・嘉藤治(山崎育三郎)やトシからアドバイスをもらい、生徒たちと少しずつ距離を近づけていく中、賢治は新しい農作物の可能性や西洋文化を感じてもらおうと、生徒たちをシチュウビーフが食べられる洋食店に連れ出す。

第三話 「恋の鶏南蛮蕎麦」 49分
小学校教員・ヤス(市川実日子)との運命の出会いをした賢治。彼女のことが気になる中、音楽を楽しむ機会に乏しい花巻の人たちのために、嘉藤治と一緒にレコードコンサートを開催する。そこに訪れたヤスも、賢治の純粋な感性と人柄に惹かれていく。ヤスの実家のそば屋で逢う瀬を重ねる2人。一方、次のレコードコンサートにはトシの過去の失恋相手・遠藤(竹財輝之助)が来ることが分かり、焦った賢治は……。

第四話 「別れの焼きリンゴ」 50分
逢う瀬には必ず焼きリンゴを一緒に食べて親密さを深めていく賢治とヤス。そんな矢先、ヤスに父・紀一郎(おかやまはじめ)から縁談の話が舞い込む。それを聞いた賢治は嘉藤治にも背中を押され、身を固める覚悟を決める。一方、空気のきれいな別邸・桜亭に居を移し体の回復に専念していたトシだが、その病状は日々悪化していた。そのことを知った賢治の心は千々に乱れ……。

最終話 「天上のアイスクリーム」 55分
トシの薄幸を思うがあまりヤスとの別れを決断した賢治だったが、そのことを知ったトシは、自分の犠牲にならないでほしいと賢治に詰め寄り、ヤスには翻意を願った。それでも決心を変えない賢治は、トシを少しでも励まそうと嘉藤治や生徒たちと協力をして町ぐるみの収穫祭の準備を進めていたが、無情なる天の差配に見舞われる。そしてトシの回復も、もはや見込めぬものへとなってゆき……。


第一話のみ無料放映でしたので拝見しました。鈴木亮平さんの賢治、なかなかでした。今回、地上波フジテレビさんでの放映。おそらく全5話を放映して下さるのではないかと期待しております。これも録画しておけば永久保存版ですね。

原作は魚乃目三太氏の描かれた漫画。の二篇があり、続篇では賢治と光太郎の出会いのシーンなどがありますが、正篇の方には光太郎は登場しません。ドラマは正篇の方からの抜粋で構成されており、光太郎は登場しないのですが、これを機にまた話題になって続篇もドラマ化されることを期待しています。

それぞれ、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

今十月十日は父の十三回忌日にあたりますので、今朝記念のため、先日宮崎さんのきた時、貴家よりいただきました栗の実の中で一番大きなのを数個保存してありましたので、それを小屋の西側の日当たりのよい所を掘り起こして播種し、棒杭を樹てて其旨墨書しました。数年後には此の栗が結実するかと思ふと愉快です。


昭和21年(1946)10月10日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎64歳
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この栗の木、大木といっていいほどに育ったのですが、残念ながら枯死してしまい、倒壊の危険があるということで平成29年(2017)頃に伐採されてしまいました。

光太郎が墨書した標柱の現物は花巻高村光太郎記念館さんに現存、現地には石に文字を写したコピーが建てられ、これも現存しています。
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既に始まっている展示です。

状況をわかりやすくするため、『北海道新聞』さん記事から。

賢治、有島の初版本 100年の時超えて 道立文学館 特別展に200冊

015 道立文学館(札幌)で特別展「100年の時を超える」が開かれている。宮沢賢治の詩集「春と修羅」(1924年=大正13年)、有島武郎の訳した「ホヰットマン詩集」(2冊、21、23年)初版本など主に明治、大正期に出版された約200点を、外国文学、詩集、歌集・句集・川柳、小説など6項目に分けて展示している。
 すべて道立文学館の所蔵。ケースに入って手にすることはできないが、主な作者や本の概要、装丁などについて解説文を付けている。
 このうち外国文学では、米国の詩人ウォルト・ホイットマンの「ホヰットマン詩集」は、有島が翻訳と装丁を手がけた。表紙はホイットマンの手書きの原稿の写しの上に、表題を記した紙を斜めに貼っている。
 貴重なのは宮沢賢治の「春と修羅」で、賢治の生前に刊行された唯一の詩集。萩原朔太郎の初詩集「月に吠える」(17年)は54編を収録し、病的で奇怪な感覚を描いて反響を呼び、日本の近代詩を代表する詩集となった。高村光太郎の第1詩集「道程」(14年)は初版本と白布装の「異本」があり、異本には高村直筆の書き込みがある。
 このほか画家竹久夢二が装丁した吉井勇「源氏物語情話」(18年)、坪内逍遥の「新曲 浦島」(04年)、芥川龍之介の名作童話「杜子春」などを収めた豪華本「三つの宝」(28年)もある。
 苫名直子副館長は「100年前の本に込められた作り手の思いとともに、200点を超える書籍を見て日本の近代文学のバリエーションの豊かさを感じ取ってほしい」と話している。
 3月24日まで。月曜休館。一般500円、高大生250円、中学生以下と65歳以上無料。問い合わせは同館、電話011・511・7655へ。

開催情報を。

特別展「100年の時を超える ―〈明治・大正期刊行本〉探訪―」

期 日 : 2024年2月3日(土)~3月24日(日)
会 場 : 北海道立文学館 札幌市中央区中島公園1番4号
時 間 : 9:30~17:00
休 館 : 月曜日(ただし、月曜日が祝日等の場合は開館)
料 金 : 一般500(400)円、高大生250(200)円、中学生以下・65歳以上無料
      ( )内は10名以上の団体料金

 明治・大正――この時代、西洋の制度や文化を取り入れて世の中が大きく変わり、今の我々の社会や生活の基盤がつくられます。多くの混乱を伴いながら急速な近代化への道を進む中で、本の世界にも当時の文学の新潮流や社会情勢が反映され、多種多様な書籍が出版されました。併せて装幀も抒情的な感性を示すもの、色鮮やかでモダンなものなどが次々と登場し、魅力が尽きません。
 北海道立文学館では、貴重な初版本も含め、この時期に刊行された本を多数所蔵しています。1926年に大正が幕を閉じてから、100年が経とうとする今、近代日本の息吹を感じさせる本の数々によって、明治・大正という時代に思いを馳せていただければ幸いです。
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フライヤーには画像がありませんが、光太郎第一詩集『道程』の通常版と「異本」と、二種類が出ているとのこと。

通常版は当方の書架にも一冊ありますが、紺色の紙の表紙です。
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こちらと、さらに白い布装だという「異本」。おそらく献本として少部数作られた私家版と思われます。

この私家版『道程』に関しては、稀覯本研究家であらせられる秀明大学さん学長・川島幸希氏が、平成24年(2012)4月の『日本古書通信』さんの連載「私がこだわった初版本」で紹介され、さらに平成26年(2014)には同大の学祭・飛翔祭の際に展示なさいました。

今回展示されているという「異本」、これと同一のものか、あるいは川島氏が所蔵されていたものか(氏は入手なさったものも手許に置いておかないことが多いようなので)、という感じです。

ちなみに文語定型詩全盛だった当時の「詩集」という概念を突き抜けていた『道程』、売れ行きはさんざんで、光太郎曰く、きちんと版元から売れたのは七冊だけだったとのこと。現在残っているもののほとんどは光太郎から友人知己等に贈られたものと推定されます。

刊行翌年の大正4年(1915)以降、残本を改装して奥付を変えたものが何度か刊行され、国会図書館さんでデジタルデータとして公開されているものもこちらです。道立文学館さんで今回展示されているものは、同館の所蔵リストに依れば大正3年(1914)刊とのことですので、これではないでしょう。

他に宮沢賢治の『春と修羅』、北原白秋が『思ひ出』、薄田泣菫の『白羊宮』、吉井勇著・竹久夢二装幀『源氏物語情話』、萩原朔太郎『月に吠える』などが並んでいます。

文豪マニアの方など、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

この四日の朝山を降りて花巻に来ました、智恵子の祥月命日と亡父の十三回忌の法要を五日に当地の松庵寺といふ浄土宗のお寺で営みました。


昭和21年(946)10月7日 小盛盛宛書簡より 光太郎64歳

光太郎、敬虔な仏教徒というわけではなかったのですが、この手の法要はほとんど欠かしませんでした。 

紹介すべき事項が山積しておりまして、せっかく情報をご提供いただいても取り上げるのが遅くなってしまい、申し訳なく存じます。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんがメニュー考案に携わられ、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントのミレットキッチンフラワーさんで毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」の今月分です。
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メニューは「ちらし寿司」「白米ご飯」「豚肉とじゃがいもの炒め」「焼き鮭」「切り干し大根とふのりの酢の物」「長芋の塩昆布和え」「塩麹卵焼き」「豆銀糖とりんご」「お新香」だそうで。

基本的には日記等から光太郎が実際に作った料理や使った食材を参考にし、現代風にアレンジしています。

やつかの森LLCさん、この他にもいろいろと活動に当たられています。

先月22日には光太郎が山小屋(高村山荘)で7年間の蟄居生活を送った旧太田村の上太田山関振興会館さんで、出前講座 「光太郎のハイカラ料理を知ろう」。

花巻市では、各種市民団体や、学校さんや企業さんなどで特定の内容の講座を受けたいという場合に「この人の、あるいはこのグループのこういう講座を開いてほしい」と要望を出せば、それが実現する「出前講座」というシステムがあるそうです。やつかの森LLCさん、昨年10月にもやられていました。

先月の様子がこちら。
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やはり光太郎グルメ系で実際に調理。
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「食」からのアプローチは、偉人を身近に感じる一つの手だてですね。

さらに今月16日には、花巻南高校さんを会場に行われた岩手県高教研国語部会中部支部の研修に呼ばれ、お話をなさったそうです。対象は高校の国語の先生方が中心で、他に南高文芸部の生徒さん、家庭クラブ顧問の先生も参加されたとのこと。
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タイトルは「こうたろう散歩道 山小屋暮らしの高村光太郎」。光太郎のプロフィール、宮沢賢治とのかかわり、旧太田村での生活などをお話しされたとのこと。

意外といえば意外でしたが、岩手の高校の国語の先生方の中にも、光太郎詩「雪白く積めり」(昭和20年=1945 高村山荘敷地内に詩碑あり)をご存じなかった方がけっこういらしたとのこと。まぁ地元でも専門外であればそんなものなのかも知れませんが。

やけに長い尺を与えられたそうで、寸劇を入れたり、やつかの森LLCさんお得意の食事方面のお話をされたりもなさったとのことでした。
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今後とも多方面でご活躍いただきたく存じます。

【折々のことば・光太郎】

小生多分来月三日か四日頃又お邪魔に参上、今度は七日頃まで御厄介に相成度存じ居ります。その間に一度お風呂もいただきたくお願申上げます。

昭和21年(1946)9月29日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎64歳

旧太田村から花巻町中心街に出る際には、山小屋に移る直前の前年9月から10月にかけ、厄介になっていた総合花巻病院長・佐藤隆房宅の離れ(潺湲楼)に宿泊するのが通例でした。

この頃は山小屋に風呂が無く、佐藤邸で入浴するのを楽しみにしていた部分も。佐藤邸が花巻の桜町なので、光太郎は巫山戯て「桜温泉」と呼んだそうです。

またしても紹介すべき事項が山積して参りましたので複数件まとめてご紹介します。無理くりですが「オンライン系」というくくりで。

まずは動画投稿サイトYouTubeさんに今月初めにアップされた動画。名古屋ご在住の作曲家・野村朗氏作曲の「連作歌曲「智恵子抄」〜その愛と死と〜」です。


初演は平成25年(2013)ですから、もう10年以上経ちますね。その後、野村氏プロデュースで楽譜やCDが発売されたり、氏の地元・名古屋都内、智恵子の故郷・二本松などでの演奏会で取り上げられたりしました。さらにバリトン歌手の新井俊稀氏ドイツをはじめ各地で演奏なさったり、CD化されたりなさっています。

YouTube上ではこれまでも各曲ごとの動画はありましたが、今月、全曲まとめてのアップ。演奏は野村氏プロデュースの演奏会等でいつも担当されるお二人、森山孝光氏(バリトン)、康子氏(ピアノ)御夫妻です。

野村氏のお言葉。

 彫刻家で詩人の高村光太郎は、詩集「智恵子抄」で愛する妻、智恵子を詠い、「永遠の愛の姿」と賞賛されました。しかし、本当の愛は、智恵子を失った後に結実しました。
 智恵子を亡くした後の光太郎は、終戦後、岩手県花巻市郊外の山小屋にたった一人で篭って、7年もの間隠棲するのですが、心に智恵子を住まわせ、毎日智恵子に話しかける日々であったことが、詩「案内」に語られています。
 だんだんと智恵子の心が壊れていく様を悲しく見守る光太郎を表現した第1曲「千鳥と遊ぶ智恵子」、「東京に空がないと言う」という有名な詩句を含む第2曲「あどけない話」、智恵子が病没する瞬間を描いた悲痛な絶唱、第3曲「レモン哀歌」、その後の歳月を表現した短いピアノの第4曲「間奏曲」、心に住む智恵子に話しかける晩年の光太郎を描いた第5曲「案内」の5曲を、連作歌曲「智恵子抄」として皆様にお届けいたします。
 特に、「案内」の最後の場面で、「智恵さん」と2度、歌われる部分に、私は自分の全ての想いを託しました。1度目はもう手の届かない智恵子に、2度目は心に住む智恵子に、万感を込めて呼びかけるのです。
 私はある日、この作品の録音を持って、光太郎が暮らした山小屋「高村山荘」にでかけました。山荘の裏山を登ると、光太郎が「見晴し」と称した小高い展望台があり、まさに「案内」の中で「智恵さん」と呼びかける、その場所でした。静かな晩夏の真昼。「智恵さーん、智恵さーん」と歌われる呼びかけは山麓にこだまし、やがて天にのぼっていくように思われました。
 願わくば、この作品に出会われた皆様の心にも、なにものか熱いものが届かんことを! 切に!

もう1件、というか2件というか、美術系のオンライン講座です。

知っておきたい!日本の美術 ~高村光雲「老猿」/~高村光太郎「手」

主 催 : NHKカルチャー梅田教室
配 信 : 2024年2月6日(火)~4月7日(日)
時 間 : 90分
講 師 : 大阪国際大学教授 村田 隆志
料 金 : 2,750円(税込み)

 本講座は録画済の動画を視聴する講座です。 
 美しい自然と四季折々の美に恵まれた日本は、長い歴史の中で多くの美術品を伝えてきました。特に、大阪を中心とする関西圏は古来文化の中心地だったために、多くの作品が伝えられています。この講座では、日本が世界に誇る「これだけは知っておきたい」日本美術の名品をご紹介しながら、鑑賞ポイントもお知らせします。
 「感動」は心を若く保つ、最良の方法です。日本美術の名品に大いに感動してください。
 この講座は、自宅でパソコンやタブレット、スマホなどで受講していただくオンライン講座です。Zoomを使ったもので、ご受講に不安がある方は、お問い合わせ下さい。

光太郎の父・光雲作の「老猿」篇と、光太郎の代表作「手」篇で2件です。
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「手」篇、なぜかサムネイル画像が光太郎ではなく川合玉堂の絵になっているのですが……。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

「日本の山水」忝拝受しました。装幀が大変よいのと版画が美しいので、たのしく拝見いたしました。近頃もらつた本の中で一番美しい、注意の行届いた本と思ひました。

昭和21年(1946)9月22日 井上康文宛書簡より 光太郎64歳

『日本の山水』は冨岳本社から刊行された光太郎詩を含むアンソロジー。恩地孝四郎の装幀で、畦地梅太郎、前川千帆らの木版画が挿画として使われています。
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終戦から1年経ち、ようやくこうした出版も再び可能になったわけで、光太郎も喜んでいます。

光太郎の父・高村光雲が主任となって、東京美術学校総出で作られた「西郷隆盛像」関連で2件。

まずは今日から5日間限定で開催の展示です。

出張!江戸東京博物館

期 日 : 2024年2月21日(水)~2月25日(日)
会 場 : 東京都美術館 ロビー階第4公募展示室、1階第4公募展示室、2階第4公募展示室
      東京都台東区上野公園8-36
時 間 : 9:30~17:30
休 館 : 期間中無休
料 金 : 無料

 江戸東京博物館は、江戸東京の歴史と文化をふりかえり、未来の都市と生活を考える場として、平成5年(1993)3月28日に開館しました。これまで国内はもとより、海外からも多くの方々が江戸東京博物館に足を運んでくださいました。
 開館から約30年経過した現在、大規模改修工事のため、2025年度中(予定)まで休館の予定です。そのため、ご覧いただけない常設展示室の一部を、上野の東京都美術館で展示することとなりました。
 本展では、第4公募展示室のロビー階と1階のフロアで、常設展示室の一部をまとめた展示をご覧いただきます。おなじみの「千両箱」や「人力車」などの体験模型を中心に、その関連資料を展示します。
 また2階の第4公募展示室では特集展示として、開催場所である上野の歴史を錦絵や絵葉書からご紹介します。現在でも上野のシンボルとなっている西郷隆盛の銅像や不忍池など、現代と重なる風景を見ることができます。もしかすると、東京都美術館への道の途中で見かけるものもあるのかも知れません。
 本展で多彩な江戸博コレクションをご覧いただき、当館の魅力や江戸東京の歴史と文化を体感していただけますと幸いです。
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というわけで、現在改修工事中の江戸東京博物館さんから、展示品の出開帳。三の丸尚蔵館さんなどでも行っていた手法ですね。

かつての常設展からの出品と、会場が上野ですので「特集展示「上野の山」をめぐる」の二本立てのようで、後者の方で、西郷隆盛像を描いた錦絵が展示されます。
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楊斎延一が明治32年(1899)に描いた「上野山王台西郷隆盛銅像」。

平成30年(2018)、東京藝術大学大学美術館で開催された「NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」展」の際、ミュージアムショップでこちらをあしらったクリアファイルが2種類販売されていて、ゲットいたしました。
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ちなみに今回はこの絵を含む「入場者特典カード」が10種類作られ、無料配付されるそうです。ただし、日替わりで2種類ずつ、選べないとのことですが。
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錦絵の展示がもう1点、藤山種芳が描いた「上野山王台故西郷隆盛翁銅像」。こちらも明治32年(1899)です。
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他にも展示されるかもしれません。

当方もこの手の錦絵を何点か所持しておりまして、一昨年、花巻高村光太郎記念館さんで開催された企画展「第二弾・高村光太郎の父・光雲の鈿女命(うずめのみこと) 受け継がれた「形」」の際にお貸ししました。

ところで西郷隆盛像、テレビ番組でも取り上げられます。

カラーでよみがえる東京「上野公園〜西郷さんは見ていた〜」

地上波NHK総合 2024年2月25日(日) 04:15〜04:18

100年の間に震災と戦争によって2度焼け野原となり、そこから不死鳥のようによみがえった都市・東京。NHKは、東京を撮影した白黒フィルムを世界中から収集、現実にできるだけ近い色彩の復元に挑んだ。色を取り戻した東京は、どんな表情を見せるのか。今回は上野にしぼって、激動の歩みを、初公開フルカラー映像でたどる。

語り 塚原愛アナウンサー


平成26年(2014)に、やはり地上波NHK総合さんで放映された特番「カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年~」から、都内の区域ごとに細切れにして放映され続けている番組の上野編です。昨年末にも放映があって拝見。西郷隆盛像が二つの時期で取り上げられました。

最初は大正12年(1923)の関東大震災。同じ動画は昨年放映された「NHKスペシャル 映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間 後編」でも使われていて、これは予想していました。
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ところがこれだけでなく、なんと戦時中の動画も。昭和18年(1943)、早稲田大学海軍予備学生壮行会が西郷像の前で開催され、その際に撮影されたものでした。
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この手の動画だと、国立競技場で行われた雨中の出陣学徒壮行会のものが有名でよく使われますが、西郷像の前でこんな催しがあったというのは存じませんでした。
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つくづくこういう時代に戻してはいかんな、と思いました。こういう時代に戻したくて仕方のない輩が政権を握っている国ですが……。

館外展示「出張!江戸東京博物館」/カラーでよみがえる東京「上野公園〜西郷さんは見ていた〜」、それぞれぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小生の論難はすべて快くうけるつもりです。壺井さんのはよみましたが小田切さんのはまだ見ません。時間が一切を裁断するでせう。

昭和21年(1946)9月24日 小盛盛宛書簡より 光太郎64歳

「壺井さん」は壺井繁治、「小田切さん」は小田切秀雄。ともに戦時中の光太郎の翼賛詩等を痛烈に批判しました。それに対し、弁解めいたことは言わないよ、と、こういうところが光太郎です。
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しかし、戦時中、特高に逮捕されていた小田切はともかく、自らも翼賛詩を書いていながら戦後になるとそれを無かったかの如く批判に転じた壺井は、まさに「おまいう」。そういう点などを後に糾弾され、詩壇からは葬られて行く感じです。

参加者募集型の朗読系イベント情報を2件。

まずは和歌山県から。

和み朗読サロン

期 日 : 2024年2月22日(木)
会 場 : カルチャーべルーム 和歌山市杉ノ馬場1-44ベルネットビル2F
時 間 : 14時40分~15時30分
料 金 : 1,500円

高村光太郎の「智恵子抄」を朗読します。和み朗読教室は、和み楽しく学べる教室です。朗読がはじめてという方、大歓迎! 聞き参加可能です。 高村光太郎の世界を一緒に感じてみませんか?
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「和み朗読教室」という団体さんがいろいろワークショップをなさっている中の一環のようです。ただし、朗読してみたいという方の参加申し込みは先週〆切りでした。それでもまだ空きがあるかもしれませんし、聞くだけの参加も可能とのことです。

もう1件、都内からこちらは朗読者とスタッフの募集。

4/19(金)上野水上音楽堂でイベント開催決定!出演者・スタッフ大募集!朗読の祭典を一緒に作りませんか?

募集要項
【ソロ部門】
 ・出演時の朗読時間は8分程度
 ・オーディション参加費:2,000円

【群読部門】
 ・2~4名のチームでお申し込みください
 ・出演時の朗読時間は15分程度
 ・オーディション参加費:4,000円

 ※オーディション参加者(チームメンバー)は、合否に関わらず当日イベントの入場無料!
 ※出演決定者には、当日スタッフとして簡単なお手伝いもお願いいたします。

【当日スタッフのみでの参加者】
 ・イベントを楽しみながら一緒に盛り上げてくださる方を募集します!
  (応募フォームからお申し込みください)
 ・入場無料でイベントをお楽しみいただけます。交通費支給(上限3,000円)。

応募方法
 ②このポストをいいね&リポスト
 ③課題3作品から1作品選んで朗読を録音
 ④応募フォームよりお申し込み&課題音源投稿
 ⑤お申し込みから1週間以内に参加費をお振込みください
【銀行口座】
 GMOあおぞらネット銀行(金融機関コード:0310) 支店名 法人営業部(支店コード:101)
 普通 1507296 口座名義 朗読らいおん合同会社 ロウドクライオン(ド

課題・審査基準
【課題】
 ①「月夜とめがね」小川未明(指定の抜粋部分)
 ②「走れメロス」太宰治(指定の抜粋部分)
 ③「人類の泉」高村光太郎
   (群読部門はチーム全員で群読してください)

【審査基準】
 ・本番を想定し朗読が聴こえる最低限の声量
 ・テーマ「いのち」への思いが伝わる読み
 ・ステージでの朗読経験の有無は問いません

【注意事項】
 ・課題音源は.wav形式または.mp3形式にてご提出下さい。
 ・本番で読む作品は青空文庫掲載作品に限ります。「いのち」というテーマから、
  ご自身(チームメンバー)の自由なイメージで2次審査開始時までに選書して下さい。
 ・出演者には、イベントで選書の理由についてインタビューします。
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本番は4月だそうですが、その参加者募集ということです。課題三作品に『智恵子抄』所収の光太郎詩「人類の泉」(大正2年=1913)が入っています。群読でやるというのも面白そうですね。

我こそは、と思う方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

まつたく毎日訪問客に責められてゐます。一昨日一人、昨日一人、今日四人といふやうなわけです。そして一日中の一番よい時間を取られるのであとは何も出来ません。夜は早くねて朝四時頃起き、朝食を早くすませて、九時前に一仕事する外ありません。今さうやつてゐます。 一聯の長い詩が出来さうです。

昭和21年(1946)9月20日 宮崎稔宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村。光太郎は隠棲のつもりでも、光太郎を慕う人々が放っておいてくれないという状況、結局、厳寒期を除いてずっと続きました。

「一聯の長い詩」は、翌年の雑誌『展望』に発表した連作詩「暗愚小伝」でしょう。

昨年、コロナ禍により3年間中止としておりました高村光太郎を偲ぶ連翹忌を4年ぶりに開催いたしましたが、今年も下記の通り実行できる運びとなりました。お誘い合わせの上、ご参加下さい。


日 時  令和6年4月2日(火) 午後5時30分~午後8時

会 場  日比谷松本楼 千代田区日比谷公園1-2 tel 03-3503-1451㈹
     JR 山手線 京浜東北線 有楽町駅  地下鉄日比谷線 千代田線 三田線 日比谷駅下車
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会 費  12,000円(含食事代金)
           諸物価異常高騰の折、申し訳ありませんが改訂させていただきました。

ご参加申し込みについて
  ご出席の方は、下記の方法にて3月22日(金)までにご送金下さい。
  会費ご送金を以て出席確認とさせていただきます。

  郵便振替
  「払込取扱票」にて郵便局よりお願いいたします。
   ATM、窓口にて取り扱い可能です。申し訳ございませんが手数料はご負担下さい。
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  ご送金後、急なご都合等でご欠席の場合、3月30日(土)までにご連絡頂ければ、
  後日、返金いたします。

  参加料の当日お支払いも可能ですが、座席数確保、名簿作成のため、
  事前のお申し込み連絡をお願いいたします。

  複数名の方でご参加下さる場合、払込取扱票の通信欄等をご利用の上、
  参加なさる方全員分のご氏名をお知らせ下さい。

配布物について
  会場でパンフレット、チラシ等配付をご希望の方は、150部ほどご用意いただき、
  4月1日(月) 必着で下記までご送付下さい。当日、参加の皆様に配付いたし、
  残部は欠席の方等にお送りいたします。公序良俗に反するものでなければ
  特に光太郎智恵子に関わらないものでも結構です。
  当日ご持参いただく場合には午後4時頃までに会場受付にお持ち下さい。
  書籍、CD等の販売も可能です。

  〒100-0012 千代田区日比谷公園1-2 日比谷松本楼 連翹忌宛(必ず明記)

  当日、お時間に余裕がおありの方には、配付資料の袋詰めのお手伝いを
  お願いいたしたく存じます。早めに会場にお越しいただき、ご協力下さい。
  当方、午後3時頃には会場入りしております。
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着席ビュッフェ形式で行います。ご参加下さっているのは、光太郎血縁の方、生前の光太郎をご存じの方、生前の光太郎と交流のあった方のゆかりの方、全国の美術館・文学館関係の方、出版・教育関係の方、美術・文学などの実作者の方、音楽・芸能系等で光太郎智恵子を扱って下さっている方、各地で光太郎智恵子の顕彰活動に取り組まれている方、そして当方もそうですが、単なる光太郎ファン。基本的にはどなたにも門戸を開放しております。ご参加の皆様にスピーチを頂いたり、また、アトラクションも予定したりしております。

昨年の様子がこちら

参加資格はただ一つ「健全な心で光太郎・智恵子を敬愛している」ことのみです。

よろしくお願いいたします。

【折々のことば・光太郎】

作品は殆ど失ひましたが小生の内に生きてゐる彫刻はやがて姿をあらはして来るでせう。山に来てから準備はしてゐますがまだ資材が整はないので彫刻の仕事はちつとも進みません。


昭和21年(1946)9月18日 福永武彦宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村に移り住んでほぼ1年。まだこの時期は山小屋で彫刻制作をするつもりだったようです。しかし、その後、自らの戦争責任を悔悟する中で、自らへの最大の罰として、彫刻制作を封印するに至ります。

昨日は都内に出ておりました。

まずは六本木の国立新美術館さんで、書道展「東京書作展選抜作家展2024」を拝観。書家の菊地雪渓氏からご案内を頂いていたのですが、最終日前日となってしまいました。
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その菊地氏の作。
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杜甫の漢詩を書かれたものだそうで。相変わらず雄渾な筆遣いです。

この手の書道展、必ずといっていいほど、光太郎詩文を題材に書かれる方がいらっしゃり、今回も存じ上げない方でしたが、2点。ありがたし。

詩としての光太郎代表作の一つ、「道程」(大正3年=1914)。
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詩「潮を吹く鯨」(昭和12年=1937)。こちらは大幅でした。
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昭和6年(1931)、『時事新報』の依頼で紀行文「三陸廻り」を執筆するため船で訪れた三陸海岸での体験を元にした詩です。
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昭和14年(1939)、河出書房刊行の『現代詩集』に掲載されましたが、それが初出かどうか不明です。

その他、以前に光太郎詩文を書かれた皆さんの作なども拝見。眼福でした。

六本木を後に、中野に向かいました。次なる目的地は西武新宿線沼袋駅近くの新井区民活動センターさん。
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光太郎終焉の地・旧中野桃園町の貸しアトリエの保存運動が起きており、その会合に呼ばれて参上いたしました。
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戦後、水彩画家の中西利雄が建てたものの中西が急死し、貸しアトリエとなっていた建造物で、光太郎が生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、昭和27年(1952)にここに入りました。像の完成後はまた花巻郊外旧太田村に帰るつもりで、実際に像の除幕後に一時帰村したのですが、健康状態がもはや山村での独居自炊に耐えられず、結局は再々上京、ここで亡くなりました。

利雄の子息・利一郎氏が昨年亡くなり、なるべくご遺族の負担にならないようにするにはどうすれば……というわけで、利一郎氏と交流の深かった文治堂書店さん社主・勝畑耕一氏、日本詩人クラブの曽我貢誠氏らが中心となって始まりました。文治堂書店さんサイト内に企画書リンクが貼ってあります。

お二人以外に他に利一郎氏と親しかった方、建築家の方、中野たてもの応援団の方などがご参加。
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やはり利一郎氏と親しく、アトリエにも足を運ばれた渡辺えりさんも。
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現状の報告と、今後、どうすれば八方丸く収まるのかについての意見交換など。

会場の使用時刻を過ぎてからは近くの喫茶店に移り、そちらでも。
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こういった件に関し、良いお知恵をお持ちの方、ご教示いただければ幸いです。曽我氏メールが以下の通りです。sogakousei@mva.biglobe.ne.jp

来月にも会合を持つこととなりました。また追ってご報告いたします。

【折々のことば・光太郎】

まつたくあなたの言はれる通り、戦争中は彫刻を護るために詩が安全弁乃至防壁になり過ぎたと思ひます。決していい加減ではなかつたのですが。この事はいまに書かうと思つてゐます。


昭和21年(1946)9月18日 福永武彦宛書簡より 光太郎64歳

翌年に雑誌『展望』へ発表した、幼少期から戦後までの半生を振り返る連作詩「暗愚小伝」全20篇の構想にかかっており、それを指すと思われます。

今週、花巻に行って参りましたが、現地で仕入れたりした情報等を。

まず、コンサート系です。

VALENTINE CONCERT 朗読と音楽で楽しむお茶時間 高村光太郎『智恵子抄』より

期 日 : 2024年2月23日(金)
会 場 : 喫茶店 ココ・タベルバ・ラパン 岩手県花巻市若葉町3丁目14-30
時 間 : 13:00 開場 13:30 開演
料 金 : 1,500円(1ドリンク・お菓子付き)

出 演 : 朗読 牧野幹  フルート 牧野詩織  ピアノ 菅原千恵子

2/23(金祝)ココ・タベルバ・ラパンにて、VALENTINE CONCERTがあります💕

ラパンのレジ前でおなじみ!「やつかのもり」さんのお菓子や、とりあえずココ・クレバで読み聞かせをしてくださっている牧野幹さんも登場します✨

牧野詩織さんのフルートと菅原千恵子さんのピアノも楽しみです~🎶
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朗読をなさる牧野幹さんという方、「光太郎を知る会」のメンバーのお一人で、フライヤーを直接いただきました。フルートの牧野詩織さんという方は、お嬢さんだそうです。

もう1件、テレビ放映情報を。

又吉・せきしろのなにもしない散歩 #99

BSよしもと(無料) 2024年2月21日(水) 19:00~19:30

ピースの又吉直樹と作家のせきしろの二人が、五七五の定型にとらわれず自由な表現をする【自由律俳句】を生み出していく。東北各地を歩きながら様々な人やモノと出会う中で、二人のここでしか見られない独特のかけ合いや、新たな俳句を生み出す姿は必見です。

今回は岩手県花巻市をブラリ旅。果たしてどんな自由律俳句が生まれるのか!? マルカンビル大食堂、高村光太郎記念館 ほか

【出演者】又吉直樹(ピース)、せきしろ(構成作家) ほか
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盛岡の回だったかを1度拝見したことがあるのですが、毎回東北でロケが行われているというのは存じませんでした。

で、今回は花巻市。調べてみたところ、花巻は2回目だそうです。最初は昨年8月の第74回で、宮沢賢治記念館さん、光太郎もよく行ったやぶ屋さんなどを廻られたとのこと。気づきませんでした。
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で、今回は郊外旧太田村の高村光太郎記念館さん。
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それから隣接する高村山荘(光太郎が戦後の7年間、蟄居生活を送った山小屋)。
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そしてマルカンさん。
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マルカンさんはともかく、光太郎記念館はなかなか全国放映の番組で取り上げられることが少ないので、ぜひご覧下さい。

ところでこの番組、又吉直樹氏と構成作家のせきしろ氏が自由律俳句を詠むという文学的テイストの番組です。そこで文学館系もよくロケ地になっています。ということは、今後、二本松の智恵子生家/智恵子記念館さん、十和田湖畔の観光交流センターぷらっとさんなどにも行っていただきたいものです。

ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生もあなたのsituationの好転の一日も早く来るやうに此所で祈ります。意識せられなくともさういふ時こそあなたの内部を豊饒にし、逞しくする何事かがあなたに加へられてゐるのだと思ひます。


昭和21年(1946)9月18日 福永武彦宛書簡より 光太郎64歳

福永武彦は小説家・詩人・仏文学者。この頃、北海道帯広で英語教師をしていた福永は、結核に罹患したことが元で、最初の妻・原條あき子との間で不和が生じていました。そのあたりを愚痴ったと思われる福永からの書簡への返信の一節です。

岩手レポート2回目です。

2月12日(月)、郊外旧太田村の高村光太郎記念館/高村山荘(光太郎が7年間暮らした山小屋)から道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんを廻り、再びレンタカーを市街に向けました。

次なる目的地は南万丁目地区の「わいんさっぷ」さん。
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以前はカレー屋さんとして営業なさっていましたが、現在は閉店されているとのこと。こちらはリンゴ園の一角です。
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リンゴ園を開かれたのが、故・阿部博氏。花巻農学校での宮沢賢治の教え子で、宮沢家を通じて光太郎とも知り合い、交流を重ねました。おそらく光太郎もここに足を運んでいます。
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子息の阿部弥之氏は、宮沢賢治花巻市民の会会長、宮沢賢治学会副代表などを歴任された方。光太郎についても花巻高等看護専門学校さんで特別講義をなさいました。昨年10月には、宮沢賢治イーハトーブ館さんで開催された「高村光太郎生誕140周年記念事業 続 光太郎はなぜ花巻に来たのか」の際にパネラーのお一人として登壇されています。当方はコーディネーターでした。

その阿部氏を中心に、花巻とその近隣の方々で「光太郎を知る会」という会を結成、花巻に疎開してからの光太郎日記を会員の皆さんで読み合わせしたりといった活動をなさっているそうです。他にもいろいろと光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCの方、花巻南高校文芸部さんの顧問の先生などもメンバーです。

で、そちらの会に招かれまして、参上した次第です。
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会員の皆さんが日頃から疑問に思われていることを挙げてもらい、当方が質問に答えたりといった形で進めました。

印象的だったのは、光太郎の花巻及び郊外旧太田村での足かけ8年、特に太田村での戦後のまる7年の位置づけに関して。リアルタイムでは当会の祖・草野心平らがとにかく早くその生活を切り上げて帰京するように繰り返し催促していました。光太郎実弟の豊周も光太郎の世話をしてくれた人々に感謝しつつも、特に彫刻の部分で空白となったこの時期が惜しいとか、光太郎の寿命を縮めた年月だったかもしれないとか回想に残しています。地元の皆さんにとってはそれが悔しい、というわけで。

なるほど、そういう見方もあるか、という感じでした。で、当方の返しは、「光太郎が戦争責任を含め、自分を見つめ直すためにどうしても必要な時間だった」。光太郎は繰り返し「脱却」という言葉を使いましたが、1年やそこらでは「ほんとに「脱却」できたのかよ、早すぎるだろ」という感じです。やはり7年という長さに重みを感じざるを得ません。豊周の言い分ももっともですが。

閉会後、リンゴ園の敷地内にある光太郎碑を拝見。
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昭和62年(1987)に建立されたもので、光太郎が故・博氏に贈った「酔中吟」という即興詩が刻まれています。
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 奥州花巻リンゴの名所 リンゴ数々品ある中に
 阿部のたいしよが手しほにかけた 国光紅玉デリシヤス

「阿部のたいしよ」は「阿部の大将」。親しみを込めてそう呼んだわけですね。

当方、こちらの拝見は3度目でした。最初は平成の初め頃。その際は一面識もなかった阿部氏のご自宅に突撃訪問し、案内していただきました。2度目は花巻市さん主催の市民講座「詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」で講師を務めさせていただいた際。それももう5年前になるか、という感じでした。

その後、定宿の大沢温泉さんへ。
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着いてすぐ、真夜中、さらに翌早朝と、3回、温泉を愉しみました。

2月13日(火)となり、大沢温泉さんから午前7時30分頃出立しました。午前11時に花巻市役所近くでやつかの森LLCの皆さんとお会いする約束でしたが、それまでどうしようかというところで、ふと思い立ち、レンタカーを東に向けました。目指すは沿岸の釜石市。昭和6年(1931)、光太郎が紀行文「三陸廻り」執筆のため船で訪れた街です。それを記念して平成7年(1995)には「三陸廻り」の釜石を訪れての一節を刻んだ文学碑が建立されました。建立された頃拝見に伺ったのですが、その後御無沙汰しており、いずれまたと思っておりました。
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平成31年(2019)には花巻-釜石間の東北横断自動車道が全線開通し、概算で1時間ちょっとで着けそうだな、というわけで、その通り午前9時頃に到着しました。
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釜石駅。

NHKさんの「あまちゃん」で一躍有名になった三陸鉄道、通称「三鉄」さん(「あまちゃん」では「北鉄」)。
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光太郎碑は市街地の只越町というところにあったはずで、そちらに向かいました。約30年前には意外とすぐに見つけられました。しかし、街の様子が一変していて、戸惑いました。まぁ、何もなくても30年経てばいろいろ変わるでしょうし、何と言っても平成23年(2011)の東日本大震災がありましたから。その爪痕を物語るもろもろ。
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青いプレートは津波がここまで来たよという目印です。
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午前11時には花巻に戻らねばならず、30分程探し、石川啄木の歌碑などは見つかったのですが、結局、光太郎碑は発見できずでした。もしかすると津波で流されたり、損壊したので撤去されたりしたのかもしれません。情報をお持ちの方、ご教示いただければ幸いです。

というわけで、午前11時、花巻に戻ってやつかの森LLCの皆さんと会食。その席上、6月にはまたイベントを開きたいというようなお話がありました。詳細が出ましたらまたご紹介します。

以上、岩手レポートを終わりますが、明日以降も地元で仕入れてきた花巻ネタ等を取り上げます。

【折々のことば・光太郎】

身のまはりの品など可笑しい程簡単ですが不自由といへば不自由、又自由といへば結構自由です。電燈なくランプとローソクです。


昭和21年(1946)9月13日 西岡文子宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村での7年間、まさに「不自由といへば不自由、又自由といへば結構自由」。禅問答のようですが(笑)。

2月12日(月)、13日(火)と1泊2日で光太郎第二の故郷・岩手花巻方面に行っておりました。レポートいたします。

1日目。あちら方面に行く際には、ほぼほぼ毎回これに乗る東北新幹線やまびこ53号で北へ。特に急ぐ場合でもなければ全席指定のはやぶさ号は使いません。

途中、智恵子の故郷・福島二本松を通りますが、この日は智恵子の愛した安達太良山の上に拡がる「ほんとの空」が実にみごとでした。
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正午前、新花巻駅着。花巻在住の方々のSNS等で情報を得てはいましたが、ほんとうに雪が全くなく、驚きでした。この日のためにワークマンさんで防水のブーツを購入して履いていったのですが(笑)。
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右上画像はこの日の夕刻、宿で見たその日の『岩手日報』さん。除雪に当たられている業者さん、この冬は商売あがったりだそうで。まあ、安全面等を考えれば積雪が少ないのも悪くはないのかもしれませんが、農業面等で春以降の水不足が心配という声も多く聞かれました。

新花巻駅の観光案内的なスペースでは、花巻東高さん出身の菊池雄星投手、大谷翔平選手にまつわるコーナーがリニューアルされていました。
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駅前でレンタカーを借り受け、市内西部、旧太田村の高村光太郎記念館さんへ。市街地からだらだらと長い坂を上り続けてたどりつく奥羽山脈山麓ですので、さすがにこちらでは雪が見られました。
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令和5年度共同企画展「ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」の一環として開催されている「光太郎からの手紙」を拝見。今回の展示では、当方、読めないという字を読んであげた程度であまり関わりませんでしたが。
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劇作家・女優の渡辺えりさんのお父さま、故・渡辺正治氏に宛てた葉書。宮沢賢治にも触れられています。
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平成28年(2016)に寄贈されたものですが、これまで展示する機会が無く、この手の一般公開は初めてです。当方、20年ぶりくらいに現物を拝見しました。

その他は、光太郎の花巻疎開やその後の生活などに支援を惜しまなかった、総合花巻病院長・佐藤隆房とその家族に宛てたもの。
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佐藤編著の『高村光太郎山居七年』(初版 昭和37年=1962 筑摩書房/新版 平成27年=2015 花巻高村光太郎記念会)から関連する一節を抜き出したり、当時の写真をパネルにしたりで並べて展示。

フライヤーに画像が使われていた光太郎愛用の矢立は、常設展示コーナーに。
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ロビーに戻ると、こんなものが。
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昨年、同館で開催された企画展「山口山の木工展」で作品が展示された、奥州市胆沢に「木工房さとう」を構え、木のおもちゃやカラクリ作品などを製作なさっているさとうつかさ氏の新作と思われます。素晴らしい。

記念館さんを後に、隣接する高村山荘(光太郎が暮らした山小屋)へ。
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多い年ですと1㍍以上の積雪で、この時期には山荘に近づくこともできないのですが、今年はこんな感じで。

山小屋内部の光太郎遺影に「また来ました」と合掌。
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さらに山小屋裏手の智恵子展望台に。この季節に展望台に登れるというのは通常ではありえません。ある意味、そら恐ろしく感じました。
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展望台からの眺望。これだと例年の3月末から4月初めの感じです。
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展望台下の「雪白く積めり」詩碑。
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ここも雪はかすかに「積めり」状態でした。

その後、車で10分程の、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんへ。
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産直等のコーナー。光太郎肖像画も掲げられています。
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無料休憩所、図書コーナーを兼ねたインフォメーションスペース。
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その一角で、主に地元の方々によると思われる写真展が開催されていました。
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光太郎がらみの写真も出品、ありがたく存じました。

光太郎がよく足を運んだ旧山口小学校跡地。
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光太郎が歩いた道。
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この後、市街地に戻りましたが、長くなりましたので、続きは明日。

【折々のことば・光太郎】

旧盆を過ぎると自然界は急に変つてくるやうです。夏の土用までが生成の盛季であとは成熟期に入るやうです。足並揃へてゐた草木が今は銘々がそれぞれが自分流の歩き方をはじめた感じがします。昨夜の明月は山中特に冴え渡つて凄いほどでした。万籟死してただ蟲の声ばかりでした。


昭和21年(1946)9月11日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎64歳

前年5月まで東京暮らしだった光太郎、花巻郊外旧太田村に移ってことさら自然の季節による推移には敏感となりました。今年のような異常な暖冬の様子を見たら、何と言ったでしょうか。

花巻より帰って参りましたが、そちらのレポートの前に、テレビ番組の再放送情報を。

まずは一昨日、初回放映があった「にほんごであそぼ」

にほんごであそぼ 道

地上波NHK Eテレ 2024年2月15日(木) 15:35〜15:45 2月17日(土)  07:00〜07:10

書道で学ぶにほんご・名文たかし・ぐうたらちんたら/道、朗読(津田健次郎)・こどもスタジオ/僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、偉人とダンス/結局のところ、間違った道でも、いつもどこかには通じているものなのだ。(ジョージ・バーナード・ショー)、うた「道程」

【出演】南野巴那 津田健次郎 齋藤孝 青柳美扇 世田一恵 中村彩玖 川原瑛都 川田秋妃
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続いて、今日の午後です。2時間ドラマの再放送。

おかしな刑事8 居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査!東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!

地上波テレビ朝日 2024年2月14日(水) 13:55〜15:50

ある日、東京タワー近くの公園を訪れた鴨志田は、30年前に同所で起きた幼女誘拐事件の被害者の父と再会する。その事件の主犯は交通事故死、懸命な捜査の甲斐なく共犯者の行方もわからないままだった。その夜、会社社長の冬木が刺され、重体となる事件が発生。冬木のもとには「東京タワーは知っている」という脅迫状が届いていた。そんな中、ホームレスの男・駒田が刺殺体で発見された。鴨志田は“駒田”という名字が気にかかり…

◇出演者 伊東四朗、羽田美智子、石井正則、小倉久寛、辺見えみり、山口美也子、
     木場勝己、小沢象、丸山厚人、菅原大吉 ほか
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初回放映時(平成23年=2011)のサブタイトルが「地上333メートルの殺意!! ホームレスが隠した事件の謎!? 安達太良山で待ち受ける真実!! 『智恵子抄』に秘められた想いとは…」。事件関係者の一人が、智恵子の故郷・二本松出身という設定で、安達太良山、岳温泉、智恵子生家などでのロケが敢行されました。

もう1件。

偉人の年収 How much? 選 歌人 与謝野晶子

地上波NHK Eテレ 2024年2月17日(土) 20:00~20:30

教科書に載るような偉人たちはいくら稼いでいたの?お金を切り口に半生をたどると、偉人の生き方や人生観が見えてくる!今回は「情熱の歌人」与謝野晶子の素顔に迫ります。

愛の歌集「みだれ髪」で衝撃的にデビューした与謝野晶子。初めての収入は何に使った?夫・与謝野鉄幹のヨーロッパ留学を実現するための費用4000万円(現在価値)を用意するため、晶子が始めたこととは?大正時代には男女の意識の変革を訴え、昭和になるとあることに打ち込んだ晶子。鉄幹死後の晩年の年収は?グローバルな視点でいまの私たちにも訴えかけてくる与謝野晶子の姿を今野浩喜が演じ、谷原章介、山崎怜奈と語り合う。

出演者 【司会】谷原章介,山崎怜奈,【出演】今野浩喜
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初回放映は先月8日でした。光太郎の姉貴分・与謝野晶子ということで、ひょっとすると光太郎に触れられるかな、と思って拝見したのですが、残念ながら触れられず。それでもなかなか見応えがございました。
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光太郎には触れられませんでしたが、光太郎が終生敬愛し続けたロダン。
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さらに、晶子が現代語訳をした『源氏物語』については、光太郎とも交流の深かった堀口大学、佐藤春夫の評。
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光太郎も与謝野夫妻の雑誌『冬柏』に「所感-与謝野晶子『新新訳源氏物語』-」(昭和14年=1939)という一文を寄せているのですが。

それから、拝見していて「ありゃま」。コメンテーターとして、神奈川大学さんの講師・小清水裕子氏がビデオ出演なさいました。同氏、当会主催の連翹忌の集いにも複数回ご参加下さっています。
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それぞれ、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

検閲済みの印など捺されておハガキが届きました。小生のハガキも時々捺印されてゆくでせう。


昭和21年(1946)9月11日 水野葉舟宛書簡より 光太郎64歳

GHQの指導でしょうか、私信まで検閲対象だったわけで。戦時中でも一般人のそれは対象にはなっていなかったと思うのですが。それもこれも敗戦国だから仕方がなかったのですが、こんな時代に逆戻りすることがあってはなりませんね。

昨日から一泊二日で光太郎第二の故郷、岩手花巻に来ております。

市街地は全く雪がありませんでした。
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さすがに光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)周辺には積雪が有りましたが、例年より全然少ない状態。

隣接する高村光太郎記念館さんで、令和5年度共同企画展「ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」の一環として開催されている「光太郎からの手紙」を拝見。
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その後、道の駅はなまき西南さん、市街地のリンゴ園などを訪問。地元で光太郎顕彰にあたられている方々とお会いして参りました。
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宿泊は例によって大沢温泉さん。
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今日もこれからいろいろと廻ります。

詳しくは帰りましてからレポート致します。

先週封切りの映画「風よ あらしよ 劇場版」に関し、新聞等で告知などが為されていましたのでご紹介します。

『神奈川新聞』さん。

映画批評 「風よ あらしよ 劇場版」

 2022年にNHKで放送されたドラマの劇場版。吉川英治文学賞を受賞した村山由佳の原作小説からほとばしる、100年前の女性解放運動家・伊藤野枝の熱量を、吉高由里子(写真)が見事に演じ切った。
 1923年、関東大震災後の混乱に乗じて何人もの社会活動家が殺された。野枝もその一人で、パートナーで無政府主義者の大杉栄(永山瑛太)と、わずか6歳だった大杉のおいと共に陸軍憲兵隊に連行され殺害された。遺体は無残にも古井戸に投げ込まれ、その暴挙が発覚したのは死後何日もたってのことだった。世にいう甘粕事件だ。
 その生涯は常に声を上げ続けたものだった。「元始、女性は実に太陽であった」と宣言した平塚らいてう(松下奈緒)に感銘を受け、青鞜社に入社。「新しい女」の自覚を胸に、女性の地位向上を訴えた。自分が見て、聞いたことを自分の言葉で書き、世間に見向きをされない時も諦めなかった。
 事件当時、野枝は28歳の若さ。男尊女卑の風潮が色濃い中で、「女だから」というだけで自由に生きられない世の中に、幼い頃から疑問を抱き続けた野枝。どんなに無念だったろうか。
 今の世に野枝が生きていたら、と思わずにいられない。女性の人生における選択は格段に増えた。だが、野枝が訴えた「誰もが自由に生きられる社会」は実現しているだろうか。大きな問いを突き付けられた。
演出/柳川強 製作/日本、2時間7分
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『毎日新聞』さん。

「風よ あらしよ 劇場版」 惨殺された女性解放運動家、伊藤野枝の生涯

 毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
 大正時代に因習や社会情勢に異議を申し立て、大杉栄とともに惨殺された女性解放運動家、伊藤野枝の生涯を描く。2022年にNHK BSで放送されたドラマを再編集した。
 貧しい農家で育った野枝(吉高由里子)は平塚らいてうが主宰する雑誌「青鞜」に参加、「婦人解放」を唱える。やがて元教師の夫、辻潤(稲垣吾郎)と別れ、無政府主義者の大杉(永山瑛太)と暮らし始める。
 波乱に満ちた生涯を物語に詰め込むのに、きゅうきゅうとした感は否めないが、平塚やダダイストの辻、大杉ら、野枝に影響を与えた人物、野枝の自由への渇望や思想形成の過程をきっちり押さえた。大杉の奔放な女性関係なども描き、距離を置いて人物にフォーカスした演出にも好感。当時の社会規範や権力の暴走を明確にすることで、今に通じるエッセンスも際立った。何度か取り上げられた題材だが、野枝の内面を分かりやすく描写するなど、より知ってもらいたいという意図も明白。芯の強い野枝を吉高が精緻に演じた。原作は村山由佳の同名小説。柳川強が演出。2時間7分。東京・新宿ピカデリー、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。

ここに注目
 人間としての懊悩(おうのう)や葛藤のドラマを期待すると拍子抜けだが、歴史上の人物の生涯を分かりやすくまとめ、入門編としては好適。「女性であるというだけで我慢を強いられ搾取される」という野枝の主張は、現代にそのまま響く。当時としては過激な思想を貫いた強さに、改めて驚かされる。

『週刊実話』さん。

やくみつる☆シネマ小言主義~『風よ あらしよ 劇場版』/2月9日(金)より全国順次公開

原作/村山由佳『風よ あらしよ』(集英社文庫刊)
出演/吉高由里子、永山瑛太、松下奈緒、美波、玉置玲央、山田真歩、朝加真由美、山下容莉枝、渡辺哲、栗田桃子、高畑こと美、金井勇太、芹澤興人、前原滉、池津祥子、音尾琢真、石橋蓮司、稲垣吾郎
製作・配給/太秦

 男尊女卑の風潮が色濃い大正時代。福岡の田舎の貧しい家で育った伊藤野枝(吉高由里子)は親が決めた結婚を拒み、逃げるように上京する。
 その後、平塚らいてう(松下奈緒)の「元始、女性は太陽であった」という言葉に感銘を受けた野枝は、手紙を送り、女流文学集団「青鞜社」に参加。当初、詩歌が中心だったが、いつしか伊藤が中心となり、社会矛盾に異議を唱える婦人解放運動団体へと発展していく。
 2014年に放映されたNHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』のヒロインである翻訳者、今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主役・紫式部、そして、女性解放運動家・伊藤野枝を描いた本作。すべて吉高由里子主演です。
 垢抜けないフツーの女の子が、さまざまな出会いを通して自身のアカデミックな才能を開花させていく物語がこれで3作揃った感があり、吉高由里子と言えば「反骨心あふれる女性の半生」が代名詞になる可能性がありますね。
 自分は不勉強で伊藤野枝という女性解放運動家を知りませんでした。彼女は、平塚らいてうの「元始、女性は太陽だった」という言葉に感銘を受け、「青鞜社」に入って「女はこうあるべきだ」という因習に真正面から立ち向かいます。
 日本を代表する無政府主義者、大杉栄のことは、教科書的な知識として知っていました。しかし、大杉栄のパートナーだった伊藤野枝まで大杉とともに、あらぬ疑いで憲兵に捕まり、28歳の若さで惨殺されていたことに衝撃を受けました。
 この事件が起きたのはちょうど100年前のことです。

吉高由里子の熱演は確かだが…
 パンフレットにあった原作者の村山由佳さんの言葉には『(声をあげれば)世界は、変わる。かつて野枝たちが身をもって証明したのに、100年の間に元に戻ってしまっただけだ』とありました。
 当時に比べたら女性の社会進出ははるかに進んだでしょう。けれども、いまだに性加害があったりと、100年経っても女性の地位はまだこんなレベルかと伊藤野枝は失望するだろうか。あるいは、ここまで進んだかと肯定的に捉えるのか。
 一周回った今、伊藤野枝が現代のこの社会をどう思うだろうかと自問自答したくなる映画です。
 さて、本作の評価を一身に背負っているのは主演の吉高由里子に間違いないと思うのですが、実は自分が星1つ減じてしまったのもその点。彼女を起用した意図は理解できます。
 この華奢な体のどこにそんな反骨パワーが潜んでいたのかと、観客に感じさせようという人選でしょう。
 本作の見どころの一つに、民衆を前に「女性の不平等」について演説するシーンがあります。懸命に声を張り上げているのですが、この声のトーンで、聴衆の1人だった革命家の大杉栄に衝撃を与えられるのかと、どうしても思ってしまうんですよ。
 「線の細さ」と「アナーキーな言動」とのギャップを強調すればするほど、映像としての無理感が否めないのではないか。吉高由里子が熱演なだけに、痛し痒しですね。

やくみつる
漫画家。新聞・雑誌に数多くの連載を持つ他、TV等のコメンテーターとしてもマルチに活躍。

辛口の部分もありますが、やくさん、概ね好意的な評ですね。

Youtube上に予告編もありました。


ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

しかし生命の信念は死とは別個の心事です。人悉く死す。しかも生命の感宇宙に充満せり。

昭和21年(1946)9月11日 小盛盛宛書簡より 光太郎64歳

共通の知人であった詩人の逸見猶吉が、関東軍報道隊員として派遣されていた満州から復員できずに客死したという報に対しての返信の一節です。逸見は亡くなったけれど、我々の心に生き続けるよ、というところでしょうか。

同様に、関東大震災直後のドサクサで抹殺された野枝の残したメッセージ、今も現代の我々に語りかけてくれているわけですね。

PXL_20240209_233655421昨日は車で10分程のところにある隣町の映画館で映画「風よ あらしよ 劇場版」を拝見して参りました。

元々、NHK BSプレミアムさんで一昨年に放映された全3回のドラマを再編したもので、オンエアを拝見しましたし、録画も保存してあるのですが、大スクリーンで見るのもいいだろうと思い、拝見した次第です。やはりテレビ画面で見るのとでは大違いでした。

智恵子と入れ替わりの時期に青鞜社に入り、智恵子の先輩にして主幹だった平塚らいてう(松下奈緒さん)から『青鞜』を引き継ぐ伊藤野枝(吉高由里子さん)を主人公とし、光太郎と交流のあった辻潤(稲垣吾郎さん)や大杉栄(永山瑛太さん)らとのからみで、その激動の半生を描く映画です。原作は令和2年(2020)に刊行された村山由佳氏の長編小説『風よ あらしよ』
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原作にある光太郎智恵子登場シーンは残念ながら割愛されています。

公式パンフをゲット。通常の映画ですと公式パンフはB5版くらいでカラフルな表紙のリーフレット、30ページ前後という感じですが、今回のものは一見して映画パンフに見えません。四六判の通常の書籍のようなスタイルです。頁数も66ページあります。そこで最初、売店ですぐに見つけられませんでした(笑)。ちなみに定価1,000円(税込)です。
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目次
 ディレクターズメッセージ 柳川強
 序説
 物語
 インタビュー 吉高由里子 伊藤野枝を演じて、1から10のこと
 登場人物
 無政府の事実 伊藤野枝
 伊藤野枝略年譜
 スタッフ
 わたしたちが人の「弱さ」にいまどうやって立ち向かうのか、問いかける作品 田中ひかる
 伊藤野枝のアジテーション ブレイディみかこ
 伊藤野枝のまなざしの先には 加藤陽子
 戦いと恋と 大杉豊
 原作者・村山由佳の言葉


執筆陣も豪華ですね。ブレイディみかこ氏は野枝と同郷、大杉豊氏は筑波大学教授にして大杉栄の令甥です。さらに野枝自身の文章「無政府の事実」(大正10年=1921)も掲載されています。

大河ドラマ「光る君へ」で紫式部役を熱演されている吉高由里子さんへのインタビューも読み応えがありました。「辻さんもらいてうさんも同じパターンなんですけど、憧れから野枝が押しかけて、付き合っているうちに、野枝のエネルギーと気持に火がついて、そのうちに野枝のすごい行動力で、2人を追い越しちゃって、という部分があって、それに対しては2人とも悔しかったんだろうなと思います」など、的確に捉えられています。

実際、追い越されてしまった二人、辻潤と平塚らいてう、稲垣吾郎さんと松下奈緒さんのそうした場面での演技は素晴らしいものでした。

そして公式パンフ大トリに掲載されている原作者・村山由佳氏の言葉が特に刺さりました。曰く「あれから百年が経った。私たちはすっかり牙を抜かれてしまった。選挙へ行こうと口にする人に対して、たかが一票では世界は変わらないと嗤う。戦争を止めようと声をあげる人に向かって、現地に行って叫ばなければ意味がないと嘲る。(略)意味なら、ある。世界は、変わる。かつて野枝たちが身をもって証明してくれたのに、百年の間に多くのことが元に戻ってしまっただけだ。」。

百年」は、関東大震災直後のドサクサで、野枝と大杉、そして大杉の甥の橘宗一少年が憲兵大尉・甘粕正彦らによって虐殺されてから100年です。

以前にもご紹介しましたが、この事件を受けて智恵子は2ヶ月後の雑誌『婦人之友』に次の一文を寄せました。
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この言葉も染みます。

100年後の我々が歴史に何を学ぶか、考えさせられる映画です。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

今「宮沢賢治文庫」の装幀をやつてゐますがこれが又ひどくむつかしくて案をかへる事十三、四回、試作二十五、六枚に及びました。明日はきめてしまふつもりです。

昭和21年(1946)9月7日 水野葉舟宛書簡より 光太郎64歳

「宮沢賢治文庫」は、賢治実弟の清六と共に編んだ日本読書購買利用組合(のち、日本読書組合)版の『宮沢賢治文庫』。
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当方手持ちの全6巻は、現在、花巻の高村光太郎記念館にて展示中です。

1年以上前の刊行ですが、つい最近入手しました。

世界で最初に飢えるのは日本 食の安全保障をどう守るか

2022年11月16日 鈴木宣弘著 講談社(講談社+α新書) 定価900円+税

いまそこに迫る世界食糧危機、そして最初に飢えるのは日本、国民の6割が餓死するという衝撃の予測……アメリカも中国も助けてくれない。国産農業を再興し、安全な国民生活を維持するための具体的施策とは?
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目次002
 まえがき
 序章 「クワトロ・ショック」が日本を襲う
  「飢餓」が現実になる日
  「大惨事が迫っている」国際機関の警告
  コロナで止まった「種・エサ・ヒナ」
  ウクライナ戦争で破壊された「シードバンク」
  世界で起こっている「食料・肥料争奪戦」
  「バイオ燃料」が引き起こした食糧危機
  一日三食「イモ」の時代がやってくる
  日本には「食料安全保障」が存在しない
  「市場戦争」と「自己責任」が食糧危機を招いた
  なぜ「食料増産」をしないのか
 第一章 世界を襲う「食の10大リスク」
  穀倉地帯を直撃した「ウクライナ戦争」
  国力低下の日本を直撃「中国の爆買い」
  人手不足を悪化させた「コロナショック」
  もはや当たり前になった「異常気象」
  「原油価格高騰」で農家がつぶれる
  世界の食を牛耳る「多国籍企業」
  食を軽視する「経産省・財務省」 
  「今だけ、カネだけ、自分だけ」の「新自由主義者」が農業を破壊する
  「農業生産の限界」が近付いている
 第二章 最初に飢えるのは日本
  日本の食料自給率はなぜ下がったのか
  コメ中心の食を壊滅させた「洋食推進運動」
  食料は武器であり、標的は日本
  コメ中心の食生活がもたらす「10のメリット」
  有事にはだれも助けてくれない
  「食料はお金で買える」時代は終わった
  「食料の収益性」を挙げても危機は回避できない
  「食料自給率を上げたい人人はバカ」の問題点
 第三章 日本人が知らない「危険な輸入食品」
  台湾で「アメリカ産豚肉の輸入反対デモ」が起きたワケ
  「成長ホルモン牛肉」の処分地にされる日本
  「輸入小麦は危険」の理由
  「日米レモン戦争」とポストハーベスト農業の真実
  ポテトチップスに使われる「遺伝子組み換えジャガイモ」
  輸入食品の危険性は報じられない
  世界を震撼させた「モンサントペーパー」
  「遺伝子組み換え表示」が実際に無理になったワケ
  表示の無効化に負けなかったアメリカの消費者
 第四章 食料危機は「人災」で起こる
  世界中で「土」が失われている
  化学肥料農業を脅かす「リン枯渇問題」と「窒素問題」
  農薬が効かない「耐性雑草」の恐ろしさ
  世界に広がる「デッドゾーン」
  多国籍企業が推進する「第二の緑の革命」
  「アメリカだけが利益を得られる仕組み」が食料危機をもたらす
  「牛乳余り問題」という人災
  「買いたくても買えない」人には人道的支援を
  あってはならない「酪農家の連鎖倒産」
 第五章 農業再興戦略
  「日本の農業は過保護」というウソ
  日本農業の「三つの虚構」
  農業の大規模化はムリ
  有機農業で中国にも遅れをとる
  「農業への補助金」実は大したコストではない
  「みどりの食料システム改革」
  「GAFAの農業参入」という悪夢
  「三方よし」こそ真の農業
  給食で有機作物を
  「ローカルフード法」は日本を変えるか
  日本のお金が「中抜き」される理由
  「ミュニシパリズム」とは何か
  「新しい食料システム」の取り組み
  「有機農業&自然農法」は普及できるか
 あとがき

著者の鈴木宣弘氏は東京大学大学院農学生命科学研究科教授。食糧問題に関する提言をされる中で、光太郎の言葉を引用されています。当方が最初に気づいたのは一昨年3月の地方紙『長周新聞』さんに載った「【緊急寄稿】日本は独立国たりえているか―ウクライナ危機が突きつける食料問題」という記事で、光太郎最晩年の詩「開拓十周年」(昭和30年=1955)の一節、「食うものだけは自給したい。個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」が引用されていました。その後(その前からも)、鈴木氏、ことあるごとにこの一節を紹介されています。そして今回ご紹介する『世界で最初に飢えるのは日本 食の安全保障をどう守るか』でも。

それにしても目次を見ただけでもショッキングな言葉が並んでいますね。しかし、陰謀論者の強引な牽強付会とは一線を画し、きちんとしたエビデンスに基づいて理路整然と論が展開しています。

こういう問題についつい目を背けがちなのは、国民はバカでいてほしいと願う、壺の大好きな為政者たちの思う壺なのかも知れません。

ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

貴下に頂いた南瓜も成り、真壁さんにいただいた帯紫茄子も種子から育てて大成績をあげ、既に毎朝新鮮なのを賞味して居ります。


昭和21年(1946)9月5日 更科源蔵宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村でまがりなりにも三畝の畑を開墾し、野菜類はほぼ自給していた光太郎、昭和27年(1952)に行われた座談会「簡素生活と健康」では「食べ物はバカにしてはいけません。うんと大切だということです」と発言しています。
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ネタ不足となってきまして、では「自分でネタを作ってしまえ」と(笑)、いわゆる「漢字ナンクロ」を自分で作ってみました。

きっかけは昨年10月に発行された漢字ナンクロの専門誌『別冊漢字館 Vol.112』。「特集 ある芸術家の愛と哀 高村光太郎」というわけで、昨年生誕140周年だった光太郎にちなむ漢字ナンクロを3問掲載して下さいました。

それを実際に解いてみて、さらに他の光太郎にからまない問題も一通り解き、すると、ふと思いました。「これなら俺にも作れるんじゃね?」(笑)。

で、出来たのが下記です。

まずは昭和3年(1928)の光太郎詩「あどけない□」。「□」は問題の一部ですので「□」です。
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空欄になっている10文字の漢字を埋めて下さい。光太郎智恵子ファンの皆様には簡単ですね(笑)。

その同じ番号の漢字を下記に埋め、残り34文字も考えて下さい。
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判った漢字は下記のチェックリストにも埋めていきましょう。
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そして「9」、「12」、「24」……と埋めていくと、光太郎智恵子に関わる単語(固有名詞ですが)が現れます。

014最近はこの手のアプリもあって、それだと選択肢があってPCやスマホ上でピッピッピと選んで埋めていける感じなのですが、このサイトはそういうテクノロジーに対応していませんので、すみませんが、上記3枚の画像をプリントアウトし、鉛筆片手にチャレンジして下さい(笑)。

「簡単に作れるだろう」と高をくくっていたら、そうでもありませんでした。単純にマス目に熟語等を埋めるだけなら意外に簡単なのですが、それでは問題として成立しません。問題として成立させるためのルールというか縛りというか、いろいろハードルがありまして。

その1、一つの漢字を複数回使う。「11」~「44」は最低2回、使っています。1回しか出てこない文字は問題にせず、ヒントを兼ねて最初に埋めておくというルールです。「1」~「10」には1回しか出てこないものもありますが、最初の「あどけない□」の詩の中にも使われているので、そこは勘弁して下さい(笑)。

その2、常用漢字以外は避ける。今日の記事、下の方に出てくる「瀝」などというような漢字は使っていませんので、御安心を(笑)。

その3、黒マスが上下左右に隣り合っていてはいけない。これは通常のクロスワードパズルなどでも同じですね。ただ、アプリではこのルールは適用されていませんし、紙版でも「スケルトン」というタイプの問題だとそうではないのですが。

その4、最初に埋めておく漢字が上下左右に隣り合っていてはいけない。これはかなり高いハードルでした。そのために次のその5との兼ね合いが難しゅうございました。

その5、一般的ではない語は避ける。苦言を呈させていただければ専門誌やアプリではこの点のハードルが低く設定されています。物書きの端くれの当方も「こんな言葉知らねーよ」というのがけっこう使われていまして。そこで、そういう文句が出ないようにと考えて作りました。しかし、一度完成したところで妻に解いてもらったところ、「こんな言葉知らねーよ」が続出(笑)。駄目出しをくらったのは「城代家老」「紫禁城」「大本営」などなど。「この程度の言葉知らんのか」と言うと後が怖いので(笑)それはぐっと飲み込み、その周辺の部分は変えました。それでもまだ無理くり感のある語はどうしても残っています。すみません。

013その6、全ての白マスがつながっていなくてはならない。二度目に完成した後、見直してみたら、左下5分の1くらいの部分が黒マスに遮断され、孤島になっていました。右のような感じで。このルールはマストではないのかな、とも思ったのですが、やはり美しくないので変えました。

そんなこんなで三度目の正直(笑)。明日から世間的には三連休と言うことで、多少はお時間おありのことと存じます。ぜひチャレンジしてみて下さい。

ただし、誠に申し訳ありませんが、正解した方の中から抽選で××名様に……とはいきませんのでよろしく(笑)。

【折々のことば・光太郎】

おハガキ二枚届き、本当に安心しました。 滴瀝をまだ書かない事に気づきました。今日明日にも書きます。

昭和21年(1946)8月30日 水野葉舟宛書簡より 光太郎64歳

「滴瀝」は光太郎の親友で、この頃病床にあった水野葉舟の歌集。その題字の揮毫を頼まれていました。戦前の昭和15年(1940)に出た版の題字も光太郎が書きました。
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「めぐみネット 共同通信アグリラボ」というサイトに出ていた記事です。共同通信さんの関係なので、全国の地方紙いくつかには掲載されたのではないでしょうか。ご執筆は日本離島センター専務理事・小島愛之助氏。 

よんななエコノミー 震災からの復興と離島振興 宮城県女川町

013 元日に能登半島地震が起きると、宮城県女川町は6日、備蓄していたアルファ米や野菜ジュース、ポリタンク、非常用飲料水袋など生活物資を被災した石川県志賀町に提供し、その3日後には副町長ら職員4人を現地に派遣した。女川町は、東日本大震災の復興支援で志賀町から2015年度に事務員、19年度に保健師の派遣を受けており、同じ被災地として手を携えていこうとしている。
 その東日本大震災によって女川町も壊滅的な被害を受けたが、「あたらしいスタートが世界一生まれる町へ。START! ONAGAWA」をスローガンに、急ピッチで復興まちづくりを行ってきた。その効果もあって、女川駅や駅前商店街(シーパルピア女川)を中心として、かつてのにぎわいが戻ってきている。また、大震災の被害を千年後まで伝え、命を守りたいという思いから、町内21カ所には「いのちの石碑」が建っている。この石碑は、大震災の年に中学校に入学した子どもたちがプロジェクトを立ち上げ、建設資金の調達や石碑のデザインなどを行ったものである。
 女川町には、人口が50人足らずの江島と約90人の出島の二つの有人離島があるが、このうち出島を今回は紹介したい。出島は、女川町の沿岸から一番近いところで300メートルほどしか離れていない。そのため、本土と島を結ぶ全長364メートルの橋を建設する出島架橋の整備事業が17年からスタートし、昨年11月に橋の中央部分が設置された。今後、道路の整備などが進められ、ことし12月に開通する予定である。
 出島への交通アクセスは、シーパル女川汽船の「しまなぎ」で女川港から20分。出島架橋が開通すれば、女川の市街地から車で15分に短縮されるという。時間・距離の短縮はもちろんのこと、病気やけがなどの緊急時にすぐ搬送できないという問題が解消し、住民の安心な生活につながるという点も大きい。一大漁業基地であり、釣り客のメッカでもある島と本土が陸路でつながることで、島の産業が継続的に営まれていくというメリットも多大である。
 出島には縄文時代の配石遺構があり、「出島ストーンサークル探検ツアー」の実施主体となっている「一般社団法人 女川未来会議出島プロジェクト」は、架橋後の町施設の管理をはじめとして、島の観光など各種事業の発展と創出に関わる支援を行うことにあるという。
 同プロジェクトの代表理事を務める高野信さんは福島県郡山市出身の元教員。定年後に教員時代の上司の故郷である出島に半ば移住した。架橋の効果も相まって、離島観光が女川町の復興に大きく寄与することを期待したい。

昭和6年(1931)に光太郎が訪れ詩文を残したゆかりの町として「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町。東日本大震災では甚大な被害でしたが、その後、記事にあるとおり、津波到達地点より高い場所のランドマークとして、同じ女川町の光太郎文学碑に倣い、設置費用全額を募金で集め、10年以上かけて町内の海岸沿いの高台等に全21基の「いのちの石碑」が建てられました。
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そういう女川町さんですので他人事ではないと、能登半島地震に被災地に対しての素早い支援。記事は先月のものですので「6日」とあるのは地震発生から5日後の1月6日(土)です。素晴らしい。

その背景には、東日本大震災の折に、今回大きな被害のあった志賀町さんから支援を受けていたお返し的な要素もあるとのこと。まさに「情けは人のためならず」。ちなみにこのことわざ、「他人に情けをかけるとそのひとが甘えてしまって結局はその人のためにならないから控えるべきだ」という意味だと誤用されることが多いそうですが、正しくは「常日頃から他人に情けをかけておけば、いざ自分が困った時にそれが返ってくる」という意味ですね。だからといってそれを期待して「常日頃から他人に情けをかけておこう」というのでもなく、逆に考えれば「常日頃から他人に反感を買いまくっている輩はいざという時にも助けてもらえないよ」ということになるのかもしれません。

その他にも東日本大震災の被災地から、今回の能登半島地震の被災地への支援が続々という報道をよく目にします。まだまだこの国も捨てたもんじゃないなと思う今日この頃です。

記事内容に戻りまして、女川町の友人離島の一つ、出島(いずしま)。こちらには女川光太郎祭を主催されている「女川光太郎の会」の須田勘太郎会長がお住まいです。一度渡ってみようと思いつつなかなか果たせないでいるのですが、記事にある今年開通するという橋が完成すればすぐに行ける感じになりますね。ちなみに出島にも「いのちの石碑」が建立されています。
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3.11もあと1ヶ月ほど。13年経ちますが、福島の原発周辺など、いまだに復興の進まない地域もありますし、その後も今回の能登半島や熊本など地震の被害は後を絶ちません。それでもその都度、過去の教訓を生かしてやっていくしかないのだろうなと思います。

【折々のことば・光太郎】

どうか十分に治療を尽してください。牛乳などは三里塚の事だからたくさんあるのだらうと思つてゐますが、あびる程のんでください。日本には以前から牛乳が少くて一般人の健康にかなり影響してゐたと思ひます。岩手地方はすべて酪農にするといいと考へてゐます。


昭和21年(1946)8月24日 水野葉舟宛書簡より 光太郎64歳

千葉成田の三里塚に居た親友・水野葉舟宛書簡から。葉舟は結核性の肋膜炎で翌年には没します。光太郎、この頃から食と健康に関する発言が目立つようになります。家庭菜園に毛が生えた程度とはいえ、まがりなりにも農業に従事するようになったことが大きいのでしょう。

終戦直後の昭和20年(1945)秋から、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京した昭和27年(1952)秋まで、光太郎がまる7年間暮らした、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)。主にその当時を紹介する高村光太郎記念館さんも隣接し、ぜひ皆様に足をお運びいただきたいスポットです。

しかし、いかんせん交通の便がよろしくありません。昔は市の中心街から路線バスが通じていましたが廃線。通常のタクシーですと片道数千円。当方はほぼほぼ毎回(来週もですが)レンタカーです。

そこで、花巻市の老舗タクシー会社、文化タクシーさんが「どんぐりとやまねこ号」という最大9人乗りのジャンボタクシーを運行して下さっています。現在は高村山荘や宮沢賢治記念館さんもコースに入った「どんぐり号」が午前中、南部杜氏伝承館・酒匠館さん、宮沢賢治童話村さんなどを廻る「やまねこ号」が午後、その2コースを「どんぐりとやまねこ号」として1日で運行されています。
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以前、妻と二人で花巻に行った際は、午前中に当方が高村光太郎記念館さんで市民講座講師、その間に妻が「どんぐり号」を利用という荒技(笑)もやりました。

さて、同じ文化タクシーさんで最近、「観光ジャンボタクシー 花巻市周遊 高村光太郎ゆかりの地コース」を設定して下さいました。車両は「どんぐりとやまねこ号」と同じレトロジャンボタクシーで、高村山荘・高村光太郎記念館さん及び近くの音羽山清水寺(光太郎もたびたび訪れた古刹)のみを廻るコースです。
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発着場所は東北本線花巻駅、東北新幹線新花巻駅、さらに花巻空港も選べるそうで。所要時間は約1時間30分となっていますが、出発時間も含めかなり融通が利くようです。また、予約が重なった場合には通常のワゴン車での対応となる感じでしょう。料金は1台借り切って15,600円だそうで、1人2人での使用だと割高ですが、大人数でなら元は取れそうです。また、他にも色々なコースが設定されています。

グループで行かれるという方、ぜひ利用をご検討下さい。

【折々のことば・光太郎】

冬は雪にこそ埋れて居れ、身神の充実はさは夏の比ではありません。アトリエを建てて冬期凍結の虞なく彫刻の出来る日をひたすら待望いたして居ります。フランスあたりなら、きつと請求すれば政府で建ててくれるに違ひないのですが、此の国の有様ではやむを得ません。


昭和21年(1946)8月22日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎64歳

結局、後に自ら戦争責任への処罰として彫刻制作は封印するのですが、移住1年目のこの頃はまだ太田村にアトリエ建設という夢は捨てていなかったようです。

テレビ放映の情報です。

まず、新作。

にほんごであそぼ 道

地上波NHK Eテレ 2024年2月12日(月) 8:35~8:45 
再放送 2月15日(木) 15:35〜15:45 2月17日(土)  07:00〜07:10


書道で学ぶにほんご・名文たかし・ぐうたらちんたら/道、朗読(津田健次郎)・こどもスタジオ/僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、偉人とダンス/結局のところ、間違った道でも、いつもどこかには通じているものなのだ。(ジョージ・バーナード・ショー)、うた「道程」

【出演】南野巴那 津田健次郎 齋藤孝 青柳美扇 世田一恵 中村彩玖 川原瑛都 川田秋妃
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これまでも繰り返し光太郎詩を取り上げてきて下さった「にほんごであそぼ」。今回は「道程」で、現在流布している詩集『道程』(大正3年=1914 10月)収録の9行のものではなく、雑誌『美の廃墟』に発表(同年3月)された初出の102行バージョン。さすがに長いので抜粋ですが。

昨年、スタッフさんから読み方等のレファレンス依頼があり、その際には「2024年1月放映予定」と伺ったのですが1月中に無く、「お蔵入りか?」と思ったところ、2月に入ってのオンエアとなりました。

さらに「うた「道程」」。おそらく故・坂本龍一氏作曲の番組オリジナル曲と思われます。

続いて再放送系。

びじゅチューン!「指揮者が手」

地上波NHK Eテレ 2024年2月6日(火) 17:30〜17:35 2月9日(金) 23:50〜23:55

古今東西の美術作品を井上涼のユニークな発想でうたとアニメーションに。今回は、高村光太郎の彫刻「手」(東京国立近代美術館)。この彫刻は、指をやんわり曲げていたり親指が反り返っていたりと、細かいニュアンスを伝えようとしているみたいに見える。これは、オーケストラを動かす指揮者なのかもしれない!「て」という音を効果的に取り入れた歌詞で、左手一本で音楽を自由にあやつる孤高の指揮者を歌う。

【出演】井上涼,【声】ジョリー・ラジャーズ

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初回放映は平成30年(2018)。その後、繰り返し再放送されてきましたし、令和2年(2020)発売の『びじゅチューン! DVDBOOK 5』にも収録されています。笑えます(笑)。

もう1件。

花ふぶき女スリ三姉妹のみちのく温泉デラックス無銭ツアー

BS松竹東急 2024年2月10日(土) 08:00〜10:00

逮捕も覚悟で一世一代の大仕事! 先祖代々のスリ一家に育った三姉妹、美恵・佳恵・沙恵は父譲りの妙技でスリを働いていた。そんな三人が、温泉とスリの旅にみちのくへ向かう。三人を見張る老刑事堀田もその後を追った。旅先で沙恵は松岡というエリート風の青年に出会い一目惚れ。その彼が会社の重要書類を盗まれて困っていると知り、沙恵たち三人は、川田たち三人のスリグループから、書類を取り返そうとするが…。

【公開・放送年】1988年
【出演者】叶和貴子、美保純、宮下順子、佐野浅夫、美木良介、八名信夫、宮尾すすむ、
     ビートきよし(ツービート)、猪野修平、美角友亮、不破万作 ほか


初回放映が昭和63年(1988)、地上波テレビ朝日さん系列での「火曜スーパーワイド」枠でした。光太郎第二の故郷・岩手県花巻市が主な舞台で、ストーリーとは直接の関わりはありませんが、郊外旧太田村の光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)、光太郎が碑文を揮毫した桜町の宮沢賢治詩碑などでのロケが行われました。
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それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

先日は宮崎稔さんに託されて林檎、瓜などたくさんお届けくだされ、早速井戸の中につるし置きて、翌日宮崎さんや丁度来訪せられた佐藤昌先生等と一緒に賞味いたしました。『旭』と申しますが、早成林檎の爽味うれしく、一句試みました。  秋晴れて林檎一万枝にあり  まことに貴家の林檎園は壮観であります。


昭和21年(1946)8月22日 佐藤雪江宛書簡より 光太郎64歳

佐藤雪江は花巻病院長・佐藤隆房夫人。佐藤家でも林檎園を持っていたのですね。まったく花巻のリンゴは美味です。来週にはまた行って参りますので、ゲットして来ます。

俳句は戦後、十句ほど確認できているうちの一句です。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像」ライトアップも為されているはずの「第26回十和田湖冬物語2024 冬の十和田湖を遊びつくそう」が先週金曜に開幕し、その模様が報じられています。

ATV青森テレビさん。

冬空に200発の花火や名物「かまくらバー」も!「十和田湖冬物語」が開幕

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冬の十和田湖をイルミネーションや花火で彩る「十和田湖冬物語」が、2日に開幕し、訪れた人たちが、幻想的な世界を楽しみました。
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十和田湖冬物語は十和田湖休屋地区の特設会場で始まりました。イルミネーションで色鮮やかに飾り付けられた会場では大きな「かまくら」を使ったバーが登場。訪れた人たちはお酒を飲んだり、肉まんや串焼きといった温かい食べ物を食べたりして楽しんでいました。
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また午後7時半を迎えると、冬の澄んだ夜空に200発の花火が打ち上げられました。
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※訪れた人は「きれいでした。よかったです見に来て。」「花火、音楽と一緒に上がってきれいでした」「雪があっての花火ですごいきれいでした」
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十和田湖冬物語は2月25日まで毎週火曜日と水曜日を除いて開催され、イベント期間中の週末にはステージイベントも行われます。
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RAB青森放送さん。

十和田湖冬物語 開幕 毎日 冬空に花火

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冬の十和田湖が満喫できる「十和田湖冬物語」がきのう開幕しました。
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会場の十和田湖畔休屋地区では4年ぶりにコロナ禍前に戻して、地元の食を味わえる雪灯り横丁やスノーパークが設置されました。
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雪不足が心配されましたが名物のかまくらバーもお目見えしました。

また今月25日までの期間中、午後7時30分から毎日打ち上げられる花火が冬空に大輪の花を咲かせて訪れた人たちが冬の十和田湖を楽しんでいました。
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地方紙『デイリー東北』さん。

澄んだ夜空に光の大輪 「十和田湖冬物語」開幕

 十和田八幡平国立公園の十和田湖畔休屋地区で2日、厳寒期の自然の魅力に触れる「十和田湖冬物語」が開幕した。雪が舞う夜空に光の大輪が咲き、来場者が見入っていた。25日まで。
 冬期の誘客促進などを目的に、実行委員会(中村秀行委員長)が主催して26回目。期間中は火、水曜を除き、午後7時半から花火約200発を打ち上げる。1玉7千円のメッセージ花火もある。
 会場の多目的広場は入場無料。新型コロナウイルスの5類移行を経て、飲食を提供する屋台村が4年ぶりに復活した。酒類を扱うかまくらバーを含め、地元業者ら7店舗が出店し、家族連れや訪日客らでにぎわいを見せた。
 初日は十和田市無形文化財の「晴山獅子舞」も披露された。週末には青森、岩手、秋田3県の芸能パフォーマンスが行われる。
 東京都から夫婦で訪れた主婦服部博子さん(68)は「澄んだ空の冬花火は華やかできれい。思い出の一つになった」と喜んでいた。
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会場の十和田湖畔休屋地区、半端ない寒さですが、その寒さを吹き飛ばす熱気に溢れていることと存じます。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

あのいただいた和紙は実に珍重です。秋には障子をすつかり新しくします。ワラビ糊をつくつて張るつもりです。 貴下手植えの萩は今年花を持つかどうか分りませんが、勢は盛んです。

昭和21年(1946)8月17日 宮崎稔宛書簡より 光太郎64歳

前年5月の花巻疎開の折には光太郎を花巻まで送りとどけた宮崎が、久しぶりに茨城から光太郎に会いに来ました。障子紙や萩の苗は手土産。花巻町中心街の宮沢賢治実家や花巻病院長・佐藤隆房から託されたものかもしれませんが。

この書簡には萩の葉のイラストが描かれていました。
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映画の公開情報です。

風よ あらしよ 劇場版

公 開 : 2024年2月9日(金)~ 全国順次公開
上 映 : 新宿ピカデリーほか
出 演 : 吉高由里子(伊藤野枝) 永山瑛太(大杉栄) 松下奈緒(平塚らいてう)
      美波(神近市子) 玉置玲央(村木源次郎) 山田真歩(堀保子)
      朝加真由美(辻美津) 山下容莉枝(渡辺八代) 栗田桃子(保持研
      高畑こと美(尾竹紅吉) 福田ユミ(中野初) 成田瑛基(奥村博史)
      金井勇太(和田久太郎) 芹澤興人(久板卯之助) 永瀬ゆずな(大杉魔子)
      音尾琢真(甘粕正彦) 石橋蓮司(渡辺政太郎) 稲垣吾郎(辻潤)ほか
演 出 : 柳川強
脚 本 : 矢島弘一
音 楽 : 梶浦由記

 関東大震災後の混乱のさなか、ひとりの女性が憲兵に虐殺された。女性解放運動家の伊藤野枝。貧しい家で育った野枝は、平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」という言葉に感銘を受け、結婚をせず上京。自由を渇望し、バイタリティ溢れる情熱で「青鞜社」に参加すると、結婚制度や社会道徳に異議を申し立てていく。伊藤野枝を演じたのは吉高由里子。平塚らいてうに松下奈緒。また野枝の第一の夫、ダダイスト・辻潤を稲垣吾郎が、また後のパートナーとなる無政府主義者・大杉栄を永山瑛太が演じる。吉川英治文学賞を受賞した村山由佳の評伝小説『風よ あらしよ』を原作に、向田邦子賞受賞の矢島弘一が脚本を担当する。本作の演出を務めた柳川強は「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子の波乱万丈の人生を描いたNHK連続テレビ小説「花子とアン」のディレクターも務めており、本ドラマでも主演を演じきった吉高由里子とは9年ぶりのタッグを組んだ。ひとりの女性の短くも激しい生涯から100年経ったいま――なにがかわり、なにが残されているのか。

 「女は、家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫が死んだあとは子に従う」事が正しく美しいとされた大正時代。男尊女卑の風潮が色濃い世の中に反旗を翻し、喝采した女性たちは社会に異を唱え始めた。
 物語の主人公は、福岡の片田舎で育った伊藤野枝。貧しい家を支えるための結婚を蹴り上京する。平塚らいてうの言葉に感銘を受け手紙を送ったところ、青鞜社に入ることに。青鞜社は当初、詩歌が中心の女流文学集団であったが、やがて伊藤野枝が中心になり婦人解放運動に発展していく。野枝の文才を見出した第一の夫、辻潤との別れ、生涯のパートナーとなる無政府主義の大杉栄との出会い、波乱万丈の人生をさらに開花させようとした矢先に関東大震災が起こる。そして混乱のさなか、理不尽な暴力が彼女を襲うこととなる……。
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令和2年(2020)に刊行された村山由佳氏の長編小説『風よ あらしよ』を原作に、一昨年、NHK BSプレミアムさん(当時)で放映された全3回のドラマを再編、「劇場版」として公開するものです。

村山氏の原作には登場する光太郎と智恵子、残念ながら登場しませんが、智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』創刊号(明治44年=1911)が重要なモチーフとして繰り返し使われています。
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松下奈緒さん扮する平塚らいてうや、永山瑛太さんの大杉栄はじめ、登場人物の中には光太郎智恵子と交流のあった人々も多数。
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主役の伊藤野枝を演じられたのは、今年の大河ドラマ「光る君へ」で「まひろ」こと紫式部を熱演されている吉高由里子さん。吉高さんといえば、当方、光太郎とも面識のあったと思われる村岡花子を演じられた「花子とアン」の印象が非常に強いのですが、紫式部、伊藤野枝、村岡花子と、時代背景は違えど、共通する情熱やしたたかさを持ったある種たくましくもたおやかな部分もあり、なおかつ悪く云えば生意気な女性のイメージですね。吉高さんはこうした女性を演じられたら一級品ということでしょう。

ちなみに「光る君へ」で、大河史上、一、二を争うゲス野郎ともいえる藤原道兼を演じられている玉置玲央さん、「風よ あらしよ」では逆に大杉率いるアナーキスト一派の「良心」ともいうべき村木源次郎役です。当初は「源兄(げんにい)」と呼ばれ、子供たちにも慕われていた村木ですが、大杉・野枝夫妻の没後には大杉の「ああいう奴がほんもののテロリストになる」という予言の通りになっていきます。時間軸としてそのあたりまでは描かれないのですが。

というわけで、「風よ あらしよ 劇場版」、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

本当に辻潤と四人で一度でものまなかつたのが心残りです。辻潤の江戸ツ子気質の性根から来てゐる行動の末々を本当に分つてゐる人は少ないでせう。


昭和21年(1946)8月1日 西山勇太郎宛書簡より 光太郎64歳

光太郎は野枝の最初の夫、辻潤とも交流がありました。

大正13年(1924)刊行の陶山篤太郎詩集『銅牌』の序文を光太郎が書き、英訳を辻が手がけています。また、昭和14年(1939)に刊行された西山勇太郎詩集『低人雜記』では、光太郎が題字を、辻が序文を担当しました。後の西山宛の光太郎書簡には辻の名が頻出します。また、昭和29年(1954)に刊行された『辻潤集』全二巻の編集委員には、光太郎も名を連ねました。

西山は辻と交流の深かった詩人です。光太郎はこの頃、西山の主宰していた雑誌に、戦時中に餓死した辻の追悼文を依頼され、乗り気だったのですが、結局実現しなかったようです。それが書かれていればもう少し詳しく辻と光太郎の関係性が分かったところですが。

「四人」は光太郎、辻、西山、もう一人はおそらく西山や光太郎と親しかった風間光作と思われます。

ちなみに辻潤、「風よ あらしよ」では稲垣吾郎さん。登場当初はりりしく颯爽としていましたが、次第にダメ男ぶりを遺憾なく発揮していきます。
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光太郎智恵子と交流のあった画家・津田青楓の評伝です。

津田青楓 近代日本を生き抜いた画家

2023年12月5日 大塚信一著 作品社 定価2,700円+税

洋画・日本画・書の作家、図案家・装幀家、俳人・歌人・随筆家――明治・大正・昭和の激動の時代を必死に生き抜いた多面的な芸術家の生き方を描く、初の本格的評伝!

 明治・大正・昭和と、正に日本近代を必死に生き抜いたのが津田青楓であった。彼が逆境の中でどのように自らの道を開拓していったか、日本近代の激動の歴史に翻弄されつつもそれらといかに対峙していったか、その軌跡はまことに類稀れなものである。芸術は彼にそのための手段を与えた。彼は存分にそれらを活用して、可能な全てのことを行い、時に挫折し、時には成功したのであった。
 私は、津田青楓という一人の芸術家の生き方を辿ることによって、日本近代の光と影に新しい景色を加えることができれば、と願っている。
(本書「プロローグ」より)
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目次002
 プロローグ
 第一章 京都に生まれて――芸術家の誕生
 第二章 軍隊と戦争の体験
 第三章 結婚と留学
 第四章 漱石との親交
 第五章 続・漱石との親交
 第六章 三重吉と寅彦
 第七章 苦悩する青楓
 第八章 開花する才能
 第九章 河上肇との交流
 第一〇章 続・河上肇との交流、そして挫折?
 第一一章 日本画家としての成熟
 第一二章 青楓にとっての良寛
 エピローグ
 あとがき
 作品図版一覧/人名索引


『朝日新聞』さんの広告で見つけ、購入しました。「初の本格評伝」とあり、言われてみれば津田の評伝って見たことないな、というわけで。

津田は光太郎より3歳年長の明治13年(1880)生まれ。光太郎とは留学仲間で、津田は明治40年(1907)から同43年(1910)にかけ、農商務省の海外実業練習生としてパリに。一方の光太郎は明治41年(1908)にロンドンからパリに移り、そこで知り合ったと考えられます。

光太郎、そして津田も俳句が好きだったようで、光太郎は明治42年(1909)、留学の最後に約1ヶ月旅したイタリア各地からパリの津田宛にせっせと絵葉書を送りましたが、そこには旅の吟がびっしり。現在確認できている光太郎の俳句100句あまりのうち、半分以上がそれです。光太郎から津田宛の書簡はかなり散逸してしまっており、『高村光太郎全集』完結後にもその中の1枚が見つかったり、両者帰国後の明治44年(1911)、光太郎が神田淡路町に開いた画廊「琅玕洞」をたたんで北海道に渡る旨を知らせる葉書が見つかったりもしています。他の書簡もまだどこかに人知れず眠っているような気がします。
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琅玕洞では津田の個展も開いています。光太郎は自分の画廊の展評を『読売新聞』に寄稿しました。題して「津田青楓君へ-琅玕洞展覧会所見-」(明治44年=1911)。その中で「友人といふので口の利き易い所から、感じた儘を無遠慮に書いた」とし、確かに歯に衣着せぬ評をしています。曰く「少し失望したよ。君が思ひの外、油絵具にこき使はれてゐるからさ」「君のいつもの熱は何処へ行つたのだらう。あべこべに顔料に追はれて居る様に見えるのは、製作時に於ける此の熱の不足から来たのぢやないかと思はれる」など。たとえ親しい間柄でも、このあたり、光太郎は妥協しませんでした。

津田は智恵子とも交流がありました。

おそらく明治43年(1910)のことと思われますが、後に津田が書いた『老画家の一生』という書籍(昭和38年=1963)に次の記述があります。

 亀吉の陋屋にも、人の出入りが次第に多くなつた。
 目白駅に通じる大通りには、成瀬仁蔵といふ人の創立した女子大学があつた。自然画好きの女学生もやつてきた。
 近所にはアメリカ帰りの柳敬助といふ画家がゐた。その奥さんは女子大出身で、後には柳君の家庭とも往来するやうになつた。
 巴里時代知り合ひだつた斎藤与里君も、程近い処に住んでゐたので、散歩の行きか帰りにしばしば訪れた。その横町の足袋屋の二階には相馬御風君がゐた。彼は早稲田出で、当時『早稲田文学』の編輯をやつてゐた。
 亀吉の町内に小川未明君がゐた。彼は東北出身で、言葉に特別な訛りがあつた。我儘で短気者だつた。
 往来してゐる者はすべて地方出身の野武士で、亀吉のやうな京都そだちはあたりに居なかつた。
 すこしあとになつてからのことかもしれないが、長沼智恵子(後の高村光太郎氏夫人)といふ、女子大の生徒もきた。家では教へなかつた。彼女が画架を据ゑて描いてゐる所へ行つて助言したり、雑司ヶ谷にある彼女の住居へも出かけて行つたことがある。彼女は艶といふか色つぽいといふか、いつも裾の方に長襦袢の赤いものを少しのぞかせて、ぞろぞろ歩きだつた。カチカチの女子大には珍らしい存在だつた。


「亀吉」は本名「亀治郎」の津田自身です。

また、同じ頃の回想で、津田の最初の妻でやはり画家の山脇敏子もこう書いています。

 その頃夫の友人で色々の人々と交際していた。先ず女の人では青鞜社の物集和子、平塚雷鳥、杉本正生、長沼智恵子(後の高村光太郎夫人)、文士では寺田寅彦、鈴木三重吉、内田百閒、小宮豊隆、森田草平、小川未明、茅野蕭々、滝田樗蔭、島中健作、秋山光夫、阿部次郎、安倍能成、それと先生の夏目漱石の諸氏が私の記憶に残つている。

そして再び津田。昭和23年(1948)に発行された『漱石と十弟子』の一節で、「美代子」という仮名になっていますが、やはり智恵子が登場。

 午後から長沼美代子さんがくる。一緒に鬼子母神の方へ写生に出る。美代子さんは女子大の寄宿舎にゐる。学校を卒業したのやら、しないのやら知らない。ふだんに銘仙の派手な模様の着物をぞろりと着てゐる。その裾は下駄をはいた白い足に蓋ひかぶさるやうだ。それだけでも女子大の生徒と伍してゐれば異様に見られるのに、着物の裾からいつも真赤な長襦袢を一、二寸もちらつかせてゐるから、道を歩いてゐると人が振り返つて必ず見てゆく。しかもそろりそろりとお能がかりのやうに歩かれるのだから、たまらない。美代子さんの話ぶりは物静かで多くを言はない。時々因習に拘泥する人々を呪うやうに嘲笑する。自分は只驚く。彼女は真綿の中に爆弾をつつんで、ふところにしのばせてゐるんぢやないか。
 彼女は言つた。世の中の習慣なんて、どうせ人間のこさへたものでせう。それにしばられて一生涯自分の心を偽つて暮すのはつまらないことですわ。わたしの一生はわたしがきめればいいんですもの、たつた一度きりしかない生涯ですもの。

最後の智恵子のせりふは、智恵子評伝や二次創作などの中でよく使われるものです。当方も使いました(笑)。

そんな津田の「初の本格的評伝」だそうで、まだ精読していないのですが、おいおい読んでいきたいと存じます。ただ、光太郎に関わる箇所をざっと見たのみでも誤植などが目立つのが残念ですが……。

ともあれ、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

資材不足には小生も閉口してゐます。絵具が無くなつてはお困りでせうが当分は鉛筆だけでも勉強する外ありません。小生もまだ彫刻には本当に取りかかれずにゐますが、野山のものを写生しながらますます自然の美の深さにうたれます。

昭和21年(1946)8月2日 小林治良宛書簡より 光太郎64歳

戦後になっても物資不足がすぐ解消したわけではなく、特に画家は絵の具の入手に困難を極めていたようです。

評論家の東浩紀氏主宰の雑誌『ゲンロン』。昨秋刊行された第15集『ゲンロン15』に、光太郎がらみの論考が掲載されているという情報を得まして、慌てて購入しました。

ゲンロン15

2023年10月20日 東浩紀編集 株式会社ゲンロン 定価2,300円+税

『訂正可能性の哲学』にもつながる消費とリゾートをめぐる東浩紀の論考、アジアを代表する若手哲学者ユク・ホイ氏へのインタビュー、川上未映子氏によるエッセイ、原一男氏・大島新氏・石戸諭氏による鼎談など、豪華内容を収録。

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【目次】
 [巻頭論文]東浩紀|哲学とはなにか、あるいは客的-裏方的二重体について
 [ゲンロンの目]川上未映子|春に思っていたこと
 [座談会]原一男+大島新+石戸諭|
ドキュメンタリーはエンターテインメントでなければならない
 [特別寄稿]三宅陽一郎|異世界転生とマルチバースと未来のコンテンツ
 [エッセイ]宮﨑裕助|脱構築のトリセツ──脱構築入門(の彼方へ)の一歩
 [ゲンロンの目]山内志朗|〈セカイ系〉に捧げられた花束 中世ラテン哲学のすすめ
 [インタビュー]ユク・ホイ 聞き手=東浩紀 訳=伊勢康平|
「わたしは自分の問いに忠実でありたい」ポストモダンとアジアと哲学をめぐる対話
 [連載]ユク・ホイ 訳=伊勢康平|
共存の言葉について 惑星的なものにかんする覚書 第2回
 [連載]石田英敬|詩とアルコールと革命と 飛び魚と毒薬 第1回 + 第2回
 [連載]イ・アレックス・テックァン 訳=鍵谷怜|
ベルクソンとアフリカ 理論と冷戦 第5回
 [連載]田中功起|見ないこと、見損なうこと、あるいはインフラストラクチュア
 3月1日から9月2日 日付のあるノート、もしくは日記のようなもの 第16回
 [連載]上田洋子|演劇に自由はあるのか、あるいは可視化される孤独の問題
 ロシア語で旅する世界 第12回
 [論考]能勢陽子|失われた抒情と穴が開いたレンコン状の月―梅津庸一の近年の作品
 [エッセイ]川原伸晃|園芸とは超越の飼い慣らしである
 [創作」猿場つかさ|海にたゆたう一文字に 第6回SF新人賞受賞作 [解題]大森望
 [コラム]山森みか|イスラエルの日常、ときどき非日常
#10 「産めよ」「育てよ」「つがいになれ」
 [コラム]辻田真佐憲|国威発揚の回顧と展望 #5 近鉄から逃れられない
 [コラム]福冨渉|タイ現代文学ノート #8 変わる南の島
 [コラムマンガ]まつい|島暮らしのザラシ #4
 ネコデウス15
 寄稿者一覧
 English Contents and Abstracts

光太郎に触れて下さった論考は、愛知県豊田市美術館学芸員の能勢陽子氏による「失われた抒情と穴が開いたレンコン状の月―梅津庸一の近年の作品」。

メインは一昨年に都内で開催された現代アート作家・梅津庸一氏の展覧会「緑色の太陽とレンコン状の月」などの紹介です。そこから梅津氏も注目した光太郎の評論「緑色の太陽」(明治44年=1911)における「個」と「国家」などとの関係、さらに戦時中に翼賛詩文を書きまくった光太郎の変節、戦後の花巻郊外旧太田村での大いなる悔恨等にも拡がっていきます。そこに同時代の黒田清輝や夏目漱石、岸田劉生、「民芸」運動などにも言及されています。

目次の通り、他にも色々と充実の内容です。ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

詩もたくさん書いてゐます。


昭和21年(1946)7月29日 大木実宛書簡より 光太郎64歳

たくさん書いてゐます」と言いつつ、この時期の発表が確認できている詩は、『週刊少国民』に「雲」、『新岩手日報』で「絶壁のもと」の2篇だけです。おそらく、翌年7月の『展望』に載った20篇から成る連作詩「暗愚小伝」を指しているのではないかと思います。幼少年期から始まり、戦時中の愚行を含め、自己の半生を振り返り、自らの戦争責任を省察した連作です。






まず、新刊書籍の紹介を。2ヶ月ほど経ってしまっていますが。歌集です。

燃える花

2023年11月15日 沢本ひろみ著 文芸社 定価1,000円+税

「古と今は変はりて変はらざり 逢瀬の後は後朝のメール」「『レモン哀歌』の一語一語は哀しみと愛の重さで胸にしたたる」「軒借りて過ぐるを待ちぬ時の雨 嵯峨の紅葉は濡れまさりつつ」──鋭い感性と溢れる思いで読んだ短歌の数々を、〈黎明〉〈友〉〈初恋〉〈京の旅〉〈母〉〈愛〉など、カテゴライズしてまとめた。短歌による自分史ともいえる、素の作者が詰まった一冊。

著者プロフィール
本名・宮崎裕巳。東京都出身。早稲田大学教育学部卒業。都立高校の国語科教師として長年勤務し、後、私立高校でも教鞭を執る。2021年11月より「塔」短歌会に所属。東京都在住。
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目次
 黎明
  自然/音楽/文学/日本舞踊/房総にて/蓼科にて/諸々
 友
 初恋―初夏の陽―
 ヨーロッパ旅行
  パリ/グラナダ/アテネ/ドイツ
 京の旅
 恋―触れられぬ背―
 歌舞伎
  鷺娘/吉野山/梅川忠兵衛/紅葉狩/船弁慶/市川海老蔵丈/歌舞伎見物
 母
 愛 ―燃える花―
 後書き


内容説明欄に「『レモン哀歌』の一語一語は哀しみと愛の重さで胸にしたたる」と、光太郎がらみの歌が一首引かれていますが、これ以外にも二首、光太郎や智恵子抄からのインスパイアが。ありがたし。

「後書き」から。

 私が短歌に心を惹かれたのは、高校生の時です。現代文の授業で近代の短歌を学習し、その時初めて与謝野晶子や若山牧水、石川啄木などの歌と出会いました。目を瞠るような思いで読んだのをよく覚えています。五七五七七という制限された枠組みの中に秘めている豊かな世界に魅了されました。
 同じ頃に詩や小説にも目が啓き、様々な文学に親しんで過ごす内に、少しずつ歌を作り始めたのは、自然な成り行きであったかもしれません。


その後社会人となられ、一時期短歌の世界から離れられていたのが、ふとまた作歌を始められたとのこと。ところがいわゆる「現代短歌」にはある種の違和感を感じられているそうです。

 現代の歌はことごとく写実的な日常詠でなくてはならないのか。それ以外の歌は受け入れられないのか。私は悩みました。
 そんな私の中に、かつて心を躍らせて読んだ明治の歌人達の歌が甦りました。「哀しい」「さびしい」「恋しい」等の語をためらわずに用い、時には自分の感情をたたきつけるように直截に表現した歌。(略)多彩な人々が、自由に個性的に詠んだ歌の世界は、私に小さな勇気をくれました。
 
そこで、時代遅れかもしれないスタイルで、切実な思いやらを自分らしく自由に言葉にすることを心がけているとのことです。

腑に落ちました。いいな、と思える歌が多く、なぜそう感じたかというと、当方もよく眼にする「明治の歌人達の歌」に範を採られているからなのですね。

ちなみに与謝野夫妻の『明星』が本格的な文学活動の出発点だった光太郎も、生涯に1、000首近い短歌を詠んでいます。詩と異なり、手控えの原稿に残すことをしなかったので、未知のものも続々見つかり続けています。高村光太郎研究会さんから4月発行予定の『高村光太郎研究』に、昨年新たに見つけたもの三首を紹介する予定です。

さて、取り上げるべき事項がまた山積して参りまして、『智恵子抄』がらみで近々開催される朗読会の件もご紹介しておきます。

大人のための朗読会

期 日 : 2024年2月4日(日)
会 場 : 佐野市立図書館 栃木県佐野市大蔵町2977
時 間 : 14:00~15:30
料 金 : 無料

高村光太郎作「レモン哀歌 他」、森鴎外作「高瀬舟」、太宰治作「貨幣」の朗読を行います。
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もう1件、『毎日新聞』さんの京都版に、舞鶴市での朗読会の案内も出ていました。ただしこちらはネットで調べてもそれ以上の情報が出て来ませんで……。

第140回かざはな朗読会 

2月2日(金)13時半、舞鶴市溝尻の市勤労者福祉センター。舞鶴今昔物語より「消えた温泉」など、宮沢賢治作「雪渡り」、高村光太郎作「智恵子抄」より。参加無料。主催は朗読愛好会かざはな。

以上、よろしくお願いします。

【折々のことば・光太郎】

痩せてバツタのやうな此の部落の子供達は見かけよりも健康で、元気で、毎日午前十時半の体操の時間には角力やリレー競争で運動会のやうな騒ぎです。分教場の生徒(尋常科)男女合せて三十八名、皆性質のよい、素直な、ハキハキした子供達です。これで田植や草刈には一ぱしの役をつとめて居ます。小生の小屋へもよく野菜や漬物などを持つて農家から使ひに来ます。「コレ、ケル」といひます。「コレヲ進上」といふ意味です。


昭和21年(1946)7月17日 和田豊彦宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村、山小屋近くの山口分教場の子供たちについて。戦後となりましたが、教育基本法はまだ施行前で「尋常科」の呼称が残っていたのでしょう。和田は光太郎もたびたび寄稿した『週刊少国民』の編集に当たっており、送られてくる同誌を子供たちに貸してやって……という話の流れです。

新聞記事から、またまた紹介すべき事項が溜まってまいりましたので、2件まとめて。

まずは『毎日新聞』さん。当会顧問であらせられた故・北川太一先生の盟友にして、この国で初めて光太郎を正面から捉えた評論集を刊行した、故・吉本隆明氏がらみです。

エッセー『隆明だもの』刊行 漫画家・ハルノ宵子さん 人間・吉本隆明、衝撃の実像

012 漫画家のハルノ宵子、といえば戦後を代表する思想家・吉本隆明(たかあき)の長女、多子(さわこ)さんのペンネームだが、その人が昨年末にエッセー『隆明(りゅうめい)だもの』(晶文社)を出した。驚くのは、これが知られざる吉本家の内情を明かした一種の暴露本なのである。
 「あとがき」で「吉本主義者の方々の、幻想粉砕してますね」と自ら評し、帯に「吉本家は、薄氷を踏むような“家族”だった」ともある。つづられる吉本と妻の和子(ともに2012年死去)の夫妻間の激しい葛藤、この両親と、著者および妹で作家の吉本ばななさんとの親子間の複雑な心理劇は、全共闘世代の「教祖」といわれ、絶大な影響力を持った吉本の実像として確かにショッキングだ。
  晩年に取材する機会を持った記者もそうだが、吉本と関わった多くの人々が、論争的な著作からすると意外な親しみやすい人柄にひかれた。今でいう「略奪愛」で結ばれた妻と、2人の娘に恵まれた家庭は、はた目には仲むつまじいものとしか見えなかった。
 ところが、本書によると吉本自身が「だいたい10年に1度」「不安定で、攻撃的なサイクル」に入る人であり、和子は「家族皆が振り回された」激しい性格だったという。「父(吉本)が10年に1度位荒れるのも、外的な要因に加えて、家がまた緊張と譲歩を強いられ、無条件に癒しをもたらす場ではなかった」からだとも書いてある。
013 この点について聞くと、ハルノさんは「家では母がすごい力を持っていましたからね。洗濯や料理も進んでやった父ですが、母の気持ちを真っ向から受け止めたり、包容したりする力はない人でした。母は心を支えてほしかったのだと思いますが」よと話す。
 本書は、刊行継続中の『吉本隆明全集』(全38巻・別巻1)の月報に掲載された文章を軸に、ばななさんとの姉妹対談、編集者によるインタビューで構成されている。対談でもハルノさんは「本当いうと、彼(吉本)は結婚すべき人格ではないような気がするんですよね。つまり、妻を支えてとか、そういう意味ではまったく期待できないですね」と手厳しく語っている。
 ハルノさんは1980年代に漫画家としてデビューするものの、妹が独立すると、母が体調を崩したこともあり、やがて家事や、多忙な父のマネジャー役を引き受けざるを得なくなった。しばしば両親の争いの板挟みにもなった。対談でも母の「怖さ」が繰り返し話題になるが、何かにつけてハルノさんを頼りにした母との関係は「共依存だった」とも表現する。
 あまりに個性的な 家族の中で一人、犠牲を強いられたともいえるが、本のトーンは決して暗くない。ユーモアを含んだ柔らかい文体や自作のイラストの効果もあるが、著者の冷静な批評的まなざしに負うところが大きい。そこに自然な愛情や敬意もにじみ出る。「結果的に、家に縛られているうちに面白いものを見せてもらったということになりますかね。状況を楽しむしかなかったですから」と笑顔で語る。
014 父母の葛藤は「一つの家の中に2人の表現者がいる難しさ」だったのではないかという。もともと小説を書いていて結婚後に筆を断った和子は、晩年に俳句を始めている。この見方は、詩人・彫刻家の高村光太郎が画家の智恵子と築いた家庭内の男女の緊張に注目した吉本の評論『高村光太郎』(57年)を思い起こさせ、興味深い。
 他にも、吉本が96年に伊豆の海で遊泳中に溺れた事件を境に「眼(め)も脚も急激に悪くなって」いく様子など、家族でなければ知り得ない生々しい証言は多い。亡くなる4、5カ月前、自宅で大きな音がしたので確かめると、既に視力や運動能力が衰えた身なのに外出の服装をして「玄関の石のたたきに父が転がっていた」という場面に、胸をつかれる読者もいるだろう。
 書名のいわれを尋ねると、「(書家・詩人の相田みつをの)『にんげんだもの』から」。なるほど「ヨシモトリュウメイも一人の人間だった」ということか。吉本の等身大の姿を語ってやまないこの本は、今後の「吉本伝」作家にとって必読の、また頼もしい文献となるに違いない。


『隆明だもの』、店頭で手にとって立ち読みしたのですが、直接光太郎智恵子に触れている部分は見あたりませんでした。まぁ立ち読みであって精読はしていませんから見落としがあるかも知れませんが。

しかし吉本氏夫妻の関係性が光太郎智恵子のそれを彷彿とさせられる、という記者氏の感想。なるほどと思いました。夫婦同業の苦労は、小説『智恵子飛ぶ』を書かれた津村節子氏などもたびたび言及されており(夫は故・吉村昭氏)、その仕事内容がクリエイティブであればあるほど、そうした傾向が強くなるんだろうなと思います。

続いて『山形新聞』さん。彼の地ご出身で、亡きお父さまが光太郎と交流がおありだった劇作家・女優の渡辺えりさんの連載エッセイです。

渡辺えりのちょっとブレーク (224)希望の年を願って

 新しい年が明けた。しかし、能登半島地震の被害はすさまじく、羽田の飛行機事故も痛ましく、波乱の年明けとなった。山形の皆さまは大丈夫だったでしょうか?
 高齢者の避難が困難な現実を目の当たりにし、日頃からご近所の様子などが分かるよう、交流を欠かさないことが大切だと感じた。私が子ども時代の山形市村木沢を思い出す。毎日、いろり端で青菜漬けをつまみながら緑茶をすすり、よもやま話に花を咲かせていた年配の方たちの笑顔が浮かぶ。避難の際の高齢者の保護を考えなくてはいけない。
 年末はロックライブで叫び、31日の大みそかは新宿・京王プラザホテルの宿泊客限定コンサートでシャンソンを歌った。そして今月は、私が演劇の舞台を創作して50年になる記念に劇中歌の中からえりすぐった20曲をレコーディングしている。年末年始は「歌」の仕事が続いた。
 また、うれしいニュースがある。今年5月に山形公演が決まったことだ。コロナ禍に書いた2人芝居を大幅に直し、高畑淳子さんと共演する。昨年の2本立て公演「ガラスの動物園」「消えなさいローラ」と同様に私が演出する。今回は作品も私が書く。コントラバスとバンドネオンの生演奏に加え、歌も披露する。1時間40分の短い作品だ。高畑さんと私は同じ年。ジャンルの違う演劇を続けてきた2人が、ユーモアたっぷりにさまざまな人生を演じる。山形市のやまぎん県民ホールで上演するので、ぜひいらしてください。
 そして今、人形劇「星の王子さま」の脚本を執筆している。結城座という江戸時代から続く人形劇の劇団の新作を依頼された。結城座さんとのコラボは今回で3作目。今年9月の公演だが、オリジナルの人形も制作するため、1月末が締め切りなのだ。
 私ならではの「星の王子さま」を作ろうと考えている。あまりに有名な作品だが、平和を願いながら星空の中で行方不明となったサンテグジュペリの精神を大切に脚色していくつもりだ。
 コロナ禍で中止になっていた学校公演も始まる。山形でも上演させていただきたい作品だ。高村光太郎もファンだった結城座。人形を使いながら、せりふをしゃべる技術の高さを見てほしい。世界にない手法の人形劇だ。
 2月4日は、天童市民文化会館でコンサート「世界は日の出を待っている~渡辺えり 平和への歌声」を開催する。地元で長年活躍しているビッグバンドからの依頼で歌う。「世界は日の出を待っている」は、関東大震災が起きた1923(大正12)年に作られた曲で、春の訪れとともに世界平和を祈っている。同市制施行65周年記念のコンサートとなる。「久しぶりに温泉に入れるのでは?」と期待している。
 そして、仕事で年末年始に会えなかった母ちゃんとも会えるはず。5月17日は父の命日。山形公演の準備で命日に故郷に帰れるのも、皆さまのおかげと父の愛情だと思っている。
 山形の皆さまにとって今年が光に満ちた希望の年でありますように。お互いに持ちつ持たれつ、支え合って生きていきましょう。今年もよろしくお願いします。(俳優・劇作家、山形市出身)
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あいかわらずバイタリティーにあふれていらっしゃいます(笑)。

今年は「江戸糸あやつり人形芝居 結城座」さんとのお仕事もなさるそうで、「高村光太郎もファンだった結城座」とのご紹介。

ファンだったかどうか当方は存じませんが、確かに光太郎、詩の中で座長の九代目結城孫三郎を登場させています。昭和5年(1930)、雑誌『詩・現実』に発表した「のつぽの奴は黙つてゐる」。特異な詩です。

    のつぽの奴は黙つてゐる

『舞台が遠くてきこえませんな。あの親爺、今日が一生のクライマツクスといふ奴ですな。正三位でしたかな、帝室技藝員で、名誉教授で、金は割かた持つてない相ですが、何しろ佛師屋の職人にしちやあ出世したもんですな。今夜にしたつて、これでお歴々が五六百は来てるでせうな。喜壽の祝なんて冥加な奴ですよ。運がいいんですな、あの頃のあいつの同僚はみんな死んぢまつたぢやありませんか。親爺のうしろに並んでゐるのは何ですかな。へえ、あれが息子達ですか、四十面を下げてるぢやありませんか。何をしてるんでせう。へえ、やつぱり彫刻。ちつとも聞きませんな。なる程、いろんな事をやるのがいけませんな。万能足りて一心足らずてえ奴ですな。いい気な世間見ずな奴でせう。さういへば親爺にちつとも似てませんな。いやにのつぽな貧相な奴ですな。名人二代無し、とはよく言つたもんですな。やれやれ、式は済みましたか。ははあ、今度の余興は、結城孫三郎の人形に、姐さん連の踊ですか。少し前へ出ませうよ。』

『皆さん、食堂をひらきます。』

滿堂の禿あたまと銀器とオールバツクとギヤマンと丸髷と香水と七三と薔薇の花と。
午後九時のニツポン ロココ格天井(がうてんじやう)の食慾。
ステユワードの一本の指、サーヴイスの爆音。
もうもうたるアルコホルの霧。
途方もなく長いスピーチ、スピーチ、スピーチ、スピーチ。
老いたる涙。
萬歳。
痲痺に瀕した儀禮の崩壊、隊伍の崩壊、好意の崩壊、世話人同士の我慢の崩壊。

何がをかしい、尻尾がをかしい。何が残る、怒が残る。
腹をきめて時代の曝し者になつたのつぽの奴は黙つてゐる。
往来に立つて夜更けの大熊星を見てゐる。
別の事を考へてゐる。

詩は昭和5年(1930)の作ですが、語られている場面はそれより2年前の昭和3年(1928)4月16日、東京会館で開催された、父・光雲の喜寿記念祝賀会です。

昨年、雑誌『美術新論』第3巻第5号(昭和3年=1928 5月)にその際の写真が掲載されているのを見つけ、智恵子も写っていたことに仰天しました。結婚後の智恵子が写った写真は10葉たらずしか確認できていませんでしたので。
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2週間ほど後に、渡辺さんとお会いする予定がありますので、結城座さんのお話を伺っておこうと思います。

明日以降、これも溜まってしまった新刊書籍等を紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】

彫刻家にとつては何といつても彫刻材を入手した時ほど心からうれしい事はありません。実に愉快に存じます。


昭和21年(1946)7月29日 東正巳宛書簡より 光太郎64歳

東正巳は三重県在住だった詩人、編集者。光太郎は東を通じて西村之雄という人物から椿の木材を入手し、その礼状の一節です。しかし、結局、花巻郊外旧太田村での7年間で、作品として発表した彫刻は一点も作られませんでした。

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