本日も新刊紹介です。

言葉に出会う現在

2022年7月17日 宮野真生子著 奥田太郎編 ナカニシヤ出版 定価3,000円+税

九鬼周造を出発点にオリジナルに深化した、恋愛論、押韻論、共食論等、切れ味鋭い11の論考に加え、書評・エッセイも多数収録。
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目次
 【エッセイ】恋とはどういうものかしら?
 第一章 道具・身体・自然――宗悦と宗理――
  1 近代化と生活する身体
  2 柳宗悦における風土的身体――フィクションとしての自然――
  3 柳宗理における風土的身体――別な自然への視線――
 【書評】伊藤徹編『作ることの日本近代―一九一〇― 四〇年代の精神史』
     世界思想社、二〇一〇年
 第二章 押韻という夢――ロゴスからメロスへ――
  序
  1 『日本詩の押韻』という試み
  2 呼びかけとしての押韻
  結
 【書評】佐藤康邦・清水正之・田中久文編『甦る和辻哲郎――人文科学の再生に向けて』
     ナカニシヤ出版、一九九九年
 第三章 恋愛・いき・ニヒリズム
  序
  1 「いき」をめぐる諸言説
  2 「恋愛」を求めて――透谷・泡鳴・有島の試行錯誤――
  3 「恋愛」と「他者」をめぐる問題
  結 
 【エッセイ】ここにいることの不思議
 第四章 死と実存協同――無常を超えて偶然を生きる――
  はじめに
  1 「無常」を語る危険性
  2 「メメントモリ」
  3 「愛」としての「死者からのはたらきかけ」
  4 偶然性における実存協同
  おわりに
 【書評】佐藤啓介『死者と苦しみの宗教哲学――宗教哲学の現代的可能性』
     晃洋書房、二〇一七年
 第五章 恋愛という「宿痾」を生きる
  1 問題の所在
  2 北村透谷の「恋愛」 
  3 「コケットリー」とは何か
  4 「賭け」の先にあるもの
  5 「いき」とは何か
  6 「コケットリー」と「いき」
  7 「いき」の魅力
  8 さいごに
 【エッセイ】愛
 第六章 近代日本における「愛」の受容
  1 「愛」をめぐる問題状況
  2 「愛」という言葉は何を意味しているのか
  3 「色」から「ラブ」へ
  4 恋愛としての「ラブ」に託されたもの
  5 恋愛としてのラブの危険性
  6 「愛」があれば、どうなるのか
  7 「一つになる」愛の果てに
  8 さいごに
 【エッセイ】性
 第七章 母性と幸福――自己として、女性として生きる――
  はじめに
  1 母と子の関係をめぐる変化
  2 子どもへの違和感
  3 「自己」として生きること
  4 平塚らいてうの「自己」と「自然」
  5 「母性」への転回
  6 母性という桎梏、その別の可能性
  さいごに
 【エッセイ】家族
 第八章 「いき」な印象とは何か――「いき」をめぐる知と型の問題――
  はじめに  
  1 印象とは何か  
  2 「いき」という美意識  
  3 「いき」の「意味体験」とは  
  4 印象を成立させる動性  
  5 「二次元動的可能性」としての自己と他者  
  おわりに  
 【書評】谷口功一・スナック研究会編『日本の夜の公共圏――スナック研究序説』
     白水社、二〇一七年
 第九章 カウンターというつながり――『深夜食堂』から考える――
  はじめに  
  1 『深夜食堂』以前
  2 『深夜食堂』の紹介
  3 居酒屋とサードプレイス
  4 カウンターという空間
  5 『深夜食堂』における食の機能
  6 「サードプレイス」の「やわらかな公共性」
  さいごに――ふたたび『深夜食堂』――
 【エッセイ】カウンターには何があるのか?
 第十章 食の空間とつながりの変容
  はじめに  
  1 どのように共食するか  
  2 共食に何が託されてきたか  
  3 どこで食事をするのか  
  4 「家事」という大問題  
  5 戦後の「共食」のあり方と現代の「食」  
 【書評】伊藤邦武『九鬼周造と輪廻のメタフィジックス』ぷねうま舎、二〇一四年
 第十一章 言葉に出会う現在――永遠の本質を解放する――
  はじめに  
  1 偶然性における「永遠の現在の鼓動」  
  2 回帰的時間における「永遠の今」  
  3 詩の時間性  
  4 押韻と偶然性  
  おわりに  
 編集後記(奥田太郎)
 初出一覧  

著者紹介
宮野真生子(みやの・まきこ)
1977年大阪府に生まれ、その後和歌山県で育つ。京都大学大学院文学研究科博士課程(後期)単位取得退学ののち、福岡大学人文学部准教授。2019年、大阪大学より博士(人間科学)。著書に、『なぜ、私たちは恋をして生きるのか――「出会い」と「恋愛」の近代日本精神史』(ナカニシヤ出版,2014 年)、『出逢いのあわい――九鬼周造における存在論理学と邂逅の倫理』(堀之内出版,2019年)、『急に具合が悪くなる』〔共著〕(晶文社,2019年)など。2019年逝去。

福岡大学さんの准教授であらせられた宮野真生子氏という方の、遺稿集的な評論集です。宮野氏、令和元年(2019)、42歳の若さで乳ガンにより亡くなっています。亡くなったというのは存じませんでした。遅ればせながら謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

「第六章 近代日本における「愛」の受容」中の「7 「一つになる」愛の果てに」9ページで光太郎智恵子を扱っています。上記目次には載せませんでしたが、さらに細かい章立てが「⑴ 高村光太郎・智恵子夫妻の悲劇」「⑵ 二人が目指した理想の結婚」「⑶ 「一つになること」の真相」「⑷ 不可能な理想と化した「愛」」「さいごに」

実はこの章、同じナカニシヤ出版さんから平成28年(2016)に出た、宮野氏と藤田尚志氏の共編になる『愛・性・家族の哲学① 愛 結婚は愛のあかし?』に、まるまる掲載されていました。光太郎智恵子に関しては特に新しい事実の紹介や解釈があるわけではありませんが、中国語の「愛」、キリスト教の「love」、それらと近代日本に於ける「恋愛」という概念との比較、文学作品では『智恵子抄』以外に漱石の『行人』、坪内逍遙の『当世書生気質』などにも触れられ、「なるほど」と思わせられる論が展開されています。

その他の章も、非常に読み応えのあるものでした。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

晴、 朝八時前出かける、九時過の汽車特2にて朝蟲まで、東奥館に夜十一時頃つく、

昭和28年(1953)10月19日の日記より 光太郎71歳

2日後に開催される、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式のため青森入りしました。当時は15時間もかかったのですね。

前年6月の下見の際にも泊まった浅虫温泉東奥館に宿泊。残念ながら東奥館の建物は現存しません。下記は当方手持ちの古絵葉書です。
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久々に新刊紹介、特に何もなければ3日間続けます。

まず、コミック。半年経っていまして、新刊というには遅くなりましたが、最近、その存在を知ったもので……。

花は咲く、修羅の如く 1

2022年1月24日 原作 武田綾乃 漫画 むっしゅ 集英社 定価630円+税

人口六百人の小さな島に住む少女・花奈(はな)は、島の子どもたちに向けて朗読会を行うほど朗読が好きだった。花奈の“読み”に人を惹きつける力を感じた瑞希は、自身が部長を務める放送部への入部を誘う――。朗読の技術を学ぶことはもちろん、普通の学校生活も花奈にとっては未体験なことだらけ。放送部のメンバーたちと様々な“はじめて”を経験し、少しずつだけど前に進んでいく。

『響け!ユーフォニアム』の武田綾乃が表現する高校生の心の成長を、新鋭作家むっしゅが繊細な筆致で描く青春ストーリー!
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雑誌『ウルトラジャンプ』連載中の作品です。舞台は京都府北部、丹後半島のあたりでしょう。主人公の朗読大好き少女・花奈が暮らすのは「十鳴島」という架空の島です。島に高校がないため、本土の高校に入学してフェリーで通学を始めた花奈が放送部に入部し……という展開です。

入部のきっかけは、先輩・瑞希の強引な勧誘もありましたが、校内放送で流れた瑞希の朗読を聞いたことでした。花奈たちの通う高校では、放送部員が教員から頼まれた校内放送を担当する、という設定で、問題の放送では新入生への校長先生からのメッセージ。光太郎詩の代表作の一つ「道程」(大正3年=1914)が朗読されました。
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入部はしたものの、先輩や他の新入部員はNHK杯全国高校放送コンテストでの入賞を目指すという目的意識が明確ですが、花奈は単純に朗読が好きというだけで、他人と競うことに疑問を感じています。今後、それがどう変わっていくのか、というところですが。

題名に「修羅の如く」とありますが、花奈は宮沢賢治ファンという設定です。1巻だけでも「春と修羅」「やまなし」「銀河鉄道の夜」などの賢治作品がモチーフとして使われています。
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その他、漱石作品も、「こころ」「夢十夜」など。

こりゃ、2巻目(5月に出ています)以降も買わなきゃならんかな、という感じです(笑)。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

晴 くもり (ヒゲソリ) 部屋かたづけ、明日の支度、


昭和28年(1953)10月18日の日記より 光太郎71歳

3日後に開催される、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式のため、翌日には青森に向けて出発、そのための支度です。

こういうのもありかな、と。

3D彫刻複製 「西郷隆盛像」高村光雲【大】

¥500,000 税込  送料無料でお届けします000
受付開始:2022年8月6日(土)
原型:上野公園 西郷隆盛像
彫刻:高村光雲
高さ:37cm(台座含む)
横:14.5cm
奥行11cm
技法:STH方式(3D計測・3D出力)
材質:pla

3D彫刻複製の主な特徴
すべての形情報をそのまま取り込める世界唯一の技術、3Dスキャン。独自の3D計測プロセスがもたらす圧倒的な正確さ。豊かな凹凸と、立ち上がるような立体感あふれる像質は、まさに「ハイパー複製」。原型の再現にどこまでも応えうる忠実性を提供すること。3D計測、3D出力、大きさ、質感などあらゆる要素をこの観点から徹底的に考え、一から開発いたしました。そして、3D彫刻複製の哲学である「彫刻研究のための複製」としての方向性を先鋭化させ、本格的な芸術表現をより身近にするための本質だけに特化して生まれたのが、この新世代の3D彫刻複製です。
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3D複製技術を彫刻等に応用する試みは、徐々に広がっているようです。

美術館さんの貴重な収蔵品の3Dコピーを作り、来館者が手にとることができるようにしたり、磨崖仏など現地から動かせないものの縮小コピーを作って研究に使用したり。

また、平成31年(2019)、火災で大きな被害を受けたパリ・ノートルダム大聖堂の再建においても、火災前に採ってあった内部の3Dデータを使うの使わないのという報道も目にしました。その後どうなったか存じませんが。

そう考えると、活用の幅はいくらでもありそうな気がしますね。

そして「西郷隆盛像」。権利的な部分はどうなっているのかな、と思うのですが、どうなのでしょう? 今回発売されたものは【大】だそうで、価格は50万円。やがて【中】とか【小】とかも出るのでしょうか?

この手の情報、今後も気を付けてみていこうと思います。

【折々のことば・光太郎】

夜去年上京の記念につき藤島さんと外でビフテキ、ビール、リオにてカクテル、夜十時かへる、

昭和28年(1953)10月13日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、7年間暮らした花巻郊外旧太田村の山小屋をあとに上京して、丸1年が経ちました。

先月末の『中国新聞』さんから。

「売れない」ものを作る【いかさミュージアム散歩】井原市立田中美術館

001 1907年、横山大観や菱田春草を育て上げて日本画の革新にめどがついた岡倉天心は、次に木彫(もくちょう)の振興を目指した。天心の依頼により、高村光雲が選抜した6人の中に平櫛田中の名があった。
 6人は天心の待つ上野の寺に集う。ある者が宮内省御買い上げ品以外に彫刻の需要がないことへの苦しさを訴えると、天心は即座に「諸君は売れるようなものをお作りになるから売れません。売れないものをお作りなさい。必ず売れます」と一言だけ言った。
 売りたいという心で人にこびたものを作ることは、自分の心を裏切っている。言下に田中は、売れないものを作るのは造作もない、自分の好きなものを作ればいいのだ、と感得した。この言葉をもって、名作「活人箭(かつじんせん)」が生まれた。坊さんを作れば、誰も買わないだろうと。000
 田中は、上京翌年の26歳から参禅し、禅を精神の支柱にしていた。自分の好む禅など作品にしたところで需要はありはしないと思っていた。「一生の早い時期に偉い人に会うという事は、人間の第一の幸福です」。この幸福な時期は13年、天心が50歳で世を去ることで終わる。「省みて、先生に背くことの多いのを恥じます。誠に恐ろしいお言葉であると、しみじみ感じます」
 07年の年齢を列記しよう。光雲55歳、天心45歳、大観39歳、田中35歳、春草33歳。美術界は風雲児天心の下、硬骨漢たちがこれまでの常識を打ち破って「売れない」ものを作り、芸術上の大革新が行われる。そして、当時、理解し難かった作品は今、傑作として人々の称賛を得ている。(田中美術館学芸員・青木寛明)
 <メモ>新館建設のため休館中。来年4月にリニューアルオープンする。住所は井原市井原町315。グッズは、井原市民会館内の仮事務所で販売中。通信販売もある。☎0866(62)8787 http://www.city.ibara.okayama.jp/denchu_museum/

題名の「いかさ」って何だ? と思い、調べたところ、「井笠」。岡山県井原市、笠岡市を中心とした地域の略称でした。青森県の「三八上北(さんぱちかみきた……三戸郡・八戸市・上北郡)」などと同じ伝ですね。当方、東北によく行くので、現地で見るテレビのローカル天気予報などで使われる「三八上北」は、その語呂の良さから耳に残っています(笑)。

その井原市にあり、現在新館建設のため休館している田中(でんちゅう)美術館さん、というよりそちらで作品がまとめて収蔵されている平櫛田中の紹介です。

記事冒頭の、明治40年(1907)に岡倉天心、光太郎の父・光雲により6人の彫刻家が集められた、というのは日本彫刻会の結成を指します。田中以外の5人は、米原雲海、山崎朝雲、加藤景雲、森鳳聲、滝澤天友。とりあえず全員、光雲の高弟といって良いかと思われます。

田中の「活人箭(かつじんせん)」画像は制作直後のもの。田中がこれを天心に見せたところ、天心は「なぜ余計な弓矢を作った?」と一喝したそうです。実際に弓矢を手にしていなくとも、見た人にその存在を感じさせるような彫刻でなければ駄目なんだ、というわけです。「余白の美」と申しましょうか、「象徴的技法」と申しましょうか、確かにその通りですね。
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そして田中は上記のように改作します。田中が傾倒した禅の精神にも通じるところがあるのでしょう。

同じことは天心の「売れないものを作れ」という一語にも表されているような気がします。世の中に迎合するな、という意味と、判ってもらおうとして説明しすぎるな、といった意味もあるように感じます。光太郎なども、こうした精神を持って彫刻制作に当たっていたのではないでしょうか。光太郎も、一時、親しかった田中の影響もあって禅に親しんでいました。そうした制作態度を「気取っている」と評する向きもありますが……。

ちなみに最初の田中の写真、元になったのはこちら。
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東京美術学校での光雲門下生の集合写真です。昭和4年(1929)刊行の『光雲懐古談』口絵に使われているもので、光太郎も写っていまして、明治35年(1902)頃の撮影と推定されます。これが田中の若い頃唯一の写真だそうです。上記記事を書かれた学芸員の青木氏から、「写真のオリジナルプリントがどこに所蔵されているか知らないか」と問い合わせがあったのですが、当方も存じませんで、役に立てませんでした。情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。

さて、井原市立田中美術館さん、建設中の新館は10月に竣工予定、来年4月にリニューアルオープンだそうです。まだ先の話になりますが、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后一時メダル150個全部出来、内山氏持参、青森県事務所に届けてもらふ、

昭和28年(1953)10月10日の日記より 光太郎71歳

「メダル」は、生涯最後の完成作となった小品「大町桂月メダル」。翌月行われた「十和田湖畔の裸婦群像(乙女の像)」除幕式に際し、関係者に記念品として配付されたものです。正式なものは内山嘉一郎により150個鋳造されたということで、時折、ネットオークションに出ます。2度ほど、10万円ちょっとまで粘って入札したのですが、負けました(笑)。



2件ご紹介します。

日本一やかましい祭り「石取祭」〜鉦や太鼓がふたたび鳴り響く、桑名の夏〜

BSイレブン 2022年8月7日(日) 19:00~20:00

「桑名っ子」たちが待ちに待った、絢爛豪華な祭車の曳き回しが3年ぶりに復活!けたたましく鉦や太鼓が鳴り響く、日本一やかましい祭り「石取祭」を生中継!

鉦や太鼓の音色が、3年ぶりに桑名のまちに鳴り響く。地元の人が「日本一やかましい祭り」と呼ぶ、三重県桑名市の「石取祭」。神様に五穀豊穣の願いを届ける為、3日3晩、鉦や太鼓を叩き続け、けたたましい音を響かせながら、絢爛豪華な祭車が街を練り歩く「天下の奇祭」。その起源は江戸時代初期に神社に石を奉納する儀式から始まったと言われ、何世代もの「桑名っ子」にとって1年で最も心が躍る夏の一大行事。
しかしコロナ禍により、2年も過ごした「静かな夏」。幼い頃から鉦と太鼓の音を聴いて育ってきた「桑名っ子」たち。今夏、待ちに待った祭車の曳き回しが復活!鉦と太鼓の爆音が桑名の夜を埋め尽くす―「国指定の重要無形民俗文化財」指定、ユネスコ無形文化遺産に登録された石取祭の渡祭の一部を生中継!

出演者
 中久木大力(三重テレビアナウンサー) 奥村莉子(三重テレビアナウンサー)
 小川雅生(桑名石取祭保存会 研究員) 大西礼芳(俳優/三重県度会町出身)


三重県桑名市の「石取祭」。春日神社さんに石を奉納する祭りで、毎年8月第1日曜日とその前日の土曜日に執り行われています。太鼓と鉦の囃子にのって「祭車」と呼ばれる山車が曳き廻され、「日本一やかましい祭り」を名乗っています。40台あまり出る祭車の中に、光太郎の父・光雲とその弟子たちの手になる彫刻を施した祭車が2台。平成28年(2016)には、全国33件の同様の祭りと一括でユネスコ世界文化遺産に指定されました。

その石取祭の生中継だそうで、テレビ的にはなかなかのチャレンジャーですね。雨天の場合など、どうするのでしょうか。多少の雨ならやってしまうのでしょうが、このところ、各地で豪雨災害が頻発していますし……。まぁ、とりあえず拝見してみます。

もう1件。

プレミアムステージ「僕は歌う、青空とコーラと君のために/私たちは何も知らない」

NHK BSプレミアム 2022年8月7日(日) 23:20~4:11

8月のプレミアムステージは、<前半>に、ヒトハダ公演「僕は歌う、青空とコーラと君のために」。 <後半>は、二兎社公演「私たちは何も知らない」のアンコール放送。

23:20〜 ヒトハダの旗揚げ公演、鄭義信・作・演出の「僕は歌う、青空とコーラと君のために」。昭和25年、朝鮮戦争勃発当時。東京郊外にある進駐軍専用のキャバレーで営業する男性コーラスグループの笑いあり、涙ありの青春と友情の物語。【出演】大鶴佐助 浅野雅博 尾上寛之 櫻井章喜 梅沢昌代 /翌1:36:15〜 二兎社公演「私たちは何も知らない」のアンコール放送。【作・演出】永井愛【出演】朝倉あき ほか


演劇公演2本が放映され、そのうち後半が二兎社公演「私たちは何も知らない」。令和元年(2019)から翌年にかけ、全国を巡回したもので、平塚らいてう、伊藤野枝ら、青鞜同人の群像劇です。テレビ放映は令和2年(2020)に続き、二度目。そこで「アンコール放送」と謳われています。創刊号の表紙を描いた智恵子は登場しませんが、セリフの中には名が出て来ました。
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ところで、岩野清(いわのきよ)役は、大西礼芳さん。偶然ですが、上記「日本一やかましい祭り「石取祭」〜鉦や太鼓がふたたび鳴り響く、桑名の夏〜」でも、三重県ご出身ということで、ゲスト出演なさいます。
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ありゃま、という感じでした(笑)。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

一時雨の中を迎の車で上十條伊藤忠雄氏宅にゆく、谷口藤島、筏氏と同道、鋳金裸像七尺のもの2体の位置をきめる、


昭和28年(1953)10月9日の日記より 光太郎71歳

「鋳金裸像」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。伊藤忠雄による鋳造が終了し、細かな位置決めが「行われました。下記の写真はこの日、撮影されたものと思われます。
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当方が監修、一部執筆した『十和田湖乙女の像のものがたり』(平成27年=2015 十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会編)から採りました。キャプションが「6月23日」となっていますが、誤りです。その日も伊藤の工房に行っていますが、6月の時点では石膏原型1体のみで、2体揃っているのは鋳造後です。

この後、延々十和田湖まで運ばれ、現地に設置されることになります。『十和田湖乙女の像のものがたり』には、設置工事の監督だった元青森県技師・小山義孝氏の証言、工事中の写真等も掲載されています。ただ、輸送がどのように行われたのか、今のところ関係資料が見つかっていません。
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朗読系のイベントを2件。

まずは北海道北見市。

北見市朗読赤十字奉仕団創立40周年記念朗読会

期 日 : 2022年8月7日(日)
会 場 : 北見市総合福祉会館 北海道北見市寿町3丁目4番1号
時 間 : 14:00~
料 金 : 無料004

出 演 : 北見市朗読赤十字奉仕団(国分明子団長)団員
      岩井正さん(元NHKアナウンサー・横浜市在住)
プログラム :
 芥川龍之介「蜘蛛(くも)の糸」
 ラフカディオ・ハーン「日本人の微笑」
 SF作品
 高村光太郎「智恵子抄」から「智恵子の半生」
 他


003北見市朗読赤十字奉仕団さん。普段は、市の広報誌をCDやカセットテープに録音して届ける「声の広報」などの活動を行っているそうです。毎月60件ほどの利用があるとのこと。また、週2回、電話越しに新聞を読み聞かせる「声の新聞北見」という活動も。こちらはニュース面から野球の結果までさまざまな希望があり、道外からの問い合わせも受けているそうです。さらに地元紙などで紹介された地域の話題を集めた「声の雑誌」を制作しているほか、週刊誌や月刊誌を読んで録音しており、それらは市立図書館から利用者に送っているとのこと。頭が下がります。

そうした中で、元NHKアナウンサーの方々を招いて読み方の研修等も行っているそうで、そこで岩井氏なのでしょう。「智恵子の半生」は岩井氏が読まれるそうです。岩井氏、NHK放送センターさんの朗読講座でも、光太郎作品を取り上げて下さっています。

もう1件、都内から。

ノスタルジックな世界005

期 日 : 2022年8月10日(水)
会 場 : 名曲喫茶ヴィオロン 
      東京都杉並区阿佐谷北2-9-5
時 間 : 19:00~
料 金 : 1,000円(1ドリンク付)

出 演 : MIHOE(朗読/歌)
      藤澤由二(ピアノ)

JAZZ演奏 詩の朗読 みじかくも美しく燃える ノスタルジックな時間 寺山修司、智恵子抄、中原中也などお好きな方、そしてノスタルジックなJAZZを愛する方 お待ちしてます


フライヤーは「ノスタルジックな界」となっていますが、「ノスタルジックな世界」のようです。イベント名と同時にお二人のユニット名なのかな、という感じでした。

YouTube上に過去の動画が何本かアップされていました。


以前にも書きましたが、光太郎の詩文は意外と朗読に向いています。きれいな五七調、七五調になっているものは多くないものの、「内在律」とでも言いましょうか、言葉本来のリズム感、生命力など、ある種「言霊」のようなものが感じられます。声に出して読まれることを想定して書いていなくとも、自然にそうなっている点、物書きのお手本ですね。身贔屓に過ぎるでしょうか(笑)。

さて、それぞれ、お近くの方、コロナ感染には十分にお気を付けつつ、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

豊周くる、写真による胸像の事、ツチヤ地下足袋初代社長の記念の由、写真を見てから返事する事、

昭和28年(1953)10月8日の日記より 光太郎71歳

002豊周」は実弟の髙村豊周。家督相続を放棄した長男光太郎に代わって髙村家を嗣ぎました。

ツチヤ地下足袋」は現・ムーンスターさん。「初代社長」は倉田雲平。嘉永4年(1851)生まれですので、光太郎の父・光雲の一つ年上です。大正6年(1917)に亡くなっていたのですが、ぜひその胸像を、ということで豊周が仕事をとってきました。

はじめ、写真による故人の肖像制作には難色を示した光太郎でしたが、結局、依頼を引き受けました。しかし、健康状態の悪化により、制作は半ばで中断。未完に終わった絶作は、未完に終わった光太郎の彫刻世界を象徴するかのように、未完のまま型取られて鋳造されました。

都内から演奏会情報です。

第9回 松岡貴史&みち子作品展 小川明子、加耒徹が歌う 新作日本歌曲コンサート

期 日 : 2022年8月9日(火)
会 場 : オーキッドミュージックサロン  
      東京都世田谷区玉川2-2-1 二子玉川ライズバーズモールB-1
時 間 : 第1回 13:30開場 14:00開演
      第2回 18:00開場 18:30開演
料 金 : 全席自由 3,000円

プログラム(順不同):
  松岡貴史作曲   音楽昔噺『たの久』(初演) 他
  松岡みち子作曲  
   新作(初演)
『智恵子抄』~女性から見た智恵子と光太郎の愛のかたち~
    「人に」
    「あどけない話」
    「山麓の二人」
    「千鳥と遊ぶ智恵子」
    「レモン哀歌」
  松岡あさひ作曲  新作(初演) 他

演 奏 : 小川明子(アルト) 加耒徹(バリトン)
      松岡あさひ(ピアノ) 松岡貴史(ピアノ)
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鳴門教育大学講師の作曲家・松岡みち子氏という方の「『智恵子抄』~女性から見た智恵子と光太郎の愛のかたち~」が初演されるとのことです。

令和元年(2019)に、徳島県郷土文化会館さんで開催された「平成31年度 東京藝術大学音楽学部同声会 徳島県支部主催演奏会」で、松岡氏の「「智恵子抄」より」がプログラムに入っていました。おそらくその際のものと思われる動画がYouTubeにアップされています。曲目は「あどけない話」「山麓の二人」「レモン哀歌」。今回の演奏会にも出演されるアルト・小川明子さんという方の歌唱です。


今回の演奏会では「人に」「千鳥と遊ぶ智恵子」が増えており、それで組曲として完成、初演ということなのでしょう。

フライヤー裏面の松岡氏のお言葉。

「智恵子抄」は、あの偉大な彫刻家、画家、詩人であった高村光太郎が、同じく芸術家であった妻を綴った詩集で、これまでもたくさんの作曲家によって作曲されています。
私は、女性の立場から、智恵子の立場から「智恵子抄」を読み解き、光太郎と共に理想の芸術を求めて歩こうとした智恵子のひたむきな姿、光太郎を支えた優しさ、光太郎の才能に圧倒されて行く苦しみなど、精一杯に生きた智恵子を、共感を持って描きたいと思いました。

なるほど。

今月末には徳島公演もあるそうです。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

椛澤さん菊の花、青果物持参、置いてゆかる、 今日智恵子の命日、その供物といふ、

昭和28年(1953)10月5日の日記より 光太郎71歳

南品川ゼームス坂病院で智恵子が亡くなったのは、昭和13年(1938)10月5日。この日で満15年でした。「椛澤さん」は椛澤佳乃子。お茶の水女子大で教壇に立っていました。

ネット上などで、けっこう鳴り物入りの紹介が為されています。

 特別展「日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱」

期 日 : 2022年8月6日(土)~9月25日(日)
 前期展示①:8月6日(土)~8月28日(日)
 前期展示②:8月6日(土)~9月4日(日)
 後期展示①:8月30日(火)~9月25日(日)
 後期展示②:9月6日(火)~9月25日(日)
会 場 : 東京藝術大学大学美術館 東京都台東区上野公園12-8
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 月曜日(ただし、9月19日(祝)は開館)
料 金 : 一般2,000円(1,800円)、高・大学生1,200円(1,000円)
       ( )は前売り料金 
   

じっと見る そっと見る うつくしい 宝もの

本展は、宮内庁三の丸尚蔵館が収蔵する皇室の珠玉の名品に、東京藝術大学のコレクションを加えた82件の多種多様な作品を通じて、「美の玉手箱」をひも解き、日本美術の豊かな世界をご覧いただくものです。代々日本の文化の中心に位置して美術を保護、奨励してきた皇室に伝わる優品の数々は、特筆すべき重要な存在です。

また、本展が開催される東京藝術大学は、前身である東京美術学校で岡倉天心が1890年に初めて体系的に日本美術史の講義を行った場所でもあり、以降、芸術の教育・研究機関として重要な役割を担います。本展は、このような歴史的背景をもつ両者共同ならではのアプローチで、貴重な美術品の数々の魅力をわかりやすくご紹介します。
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展覧会のみどころ
1 日本美術を分かりやすく「ひも解く」
 「文字からはじまる日本の美」「人と物語の共演」「生き物わくわく」「風景に心を寄せる」のテーマごとに、日本美術の世界をたどります。
2 三の丸尚蔵館所蔵の国宝全5件公開
 昨年、三の丸尚蔵館の収蔵品として初めて国宝に指定された5作品を、まとめて公開する初の機会になります。
 春日権現験記絵 やまと絵の集大成として名高い絵巻/通期展示
 蒙古襲来絵詞 元寇の様子を描いた絵巻/通期展示
 唐獅子図屏風 桃山時代を代表する狩野永徳筆/前期展示①
 動植綵絵 伊藤若冲の代表作/後期展示①
 屏風土代 平安時代三跡の一人・小野道風の書/後期展示②
3 若冲「動植綵絵(どうしょくさいえ)」10幅公開
 さまざまな生き物や植物を緻密に描いた傑作「動植綵絵」。あらゆる生き物の尊い生命、生きているからこその美しさを描き表わそうと、約10年をかけて若冲が制作した全30幅の大作。動植物の構図を熟慮し、自身が学んだ絵具の使い方や描き方を駆使して独特の世界観を表わしています。色鮮やかに表現された雄鶏が圧巻の〈向日葵雄鶏図〉や、70種類近くの虫が画面いっぱいに描かれた〈池辺群虫図〉など、本展では10幅を一堂に公開します。本展で公開される10幅は以下の通りです。
芍薬群蝶図、梅花小禽図、向日葵雄鶏図、紫陽花双鶏図、老松白鶏図、芦鵞図、蓮池遊魚図、桃花小禽図、池辺群虫図、芦雁図/後期展示①

序章 美の玉手箱を開けましょう
 「美術」を学問的にとらえた近代。岡倉天心は、未来の美術を作るための基礎となるように初めて日本美術史を教えました。そして、宮内省と東京美術学校によって後世に伝えるべき名品が作られます。
1章 文字からはじまる日本の美
 平安時代、日本人の感性によって生み出された優美な仮名は、物語や和歌を発展させ、さらにそれらによる様々なモチーフが豊かな美術意匠へと展開していく土壌を築きました。
2章 人と物語の共演
 人々の日常生活、信仰、回想や幻想などから創出された様々な物語は、折々の日本の四季の風景や人々の有り様を豊かに描き表わし、深遠な日本美の世界に我々を誘います。
3章 生き物わくわく
 人は様々な生き物と共存する中で、生き物への愛おしみや尊崇、感謝などの様々な想いを、美術造形に表現してきました。生命(いのち)あるものへの多彩な眼差しによる表現のかたちを見つめます。
4章 風景に心を寄せる
 豊かな自然は人々の心を動かし、古くから文学や絵画に表現されてきました。身近な風景や自然現象に対する素直な感動や畏怖の表現は、美の世界を広げ、さらなる感動をもたらします。

「3章 生き物わくわく」で、光太郎の父・光雲作の「矮鶏置物(ちゃぼおきもの)」(明治22年=1889)が展示されます。前期展示①ということで、8月6日(土)~8月28日(日)。
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他にも、日本美術史上に燦然と輝く優品の数々が出品されます。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】005

夕方アイスショーにゆきしが満員、火の車にゆく、草野君ゐる、


昭和28年(1953)10月4日の日記より
 光太郎71歳

「アイスショー」は「世界一アイス・ショウ アメリカン・ホリデイ・オン・アイス 日本公演」。昭和17年(1942)にアメリカで始まったフィギュアスケートの興行で、東京では後楽園で開催されました。

「ホリデイ・オン・アイス」といえば、当方の幼い頃、テレビCMなども放映されていました。

しかし満員で入れず、仕方なく当会の祖・草野心平の経営する居酒屋「火の車」へ。笑えます。

光太郎第二の故郷ともいうべき岩手県花巻市で、光太郎の語り部として活動されていた高橋征一さんが亡くなりました。

昭和20年(1945)、空襲で東京駒込林町のアトリエ兼住居を焼け出された光太郎は、5月、花巻の宮沢賢治の実家に疎開。終戦となっても帰京せず、逆に花巻郊外の旧太田村に鉱山の飯場小屋を移築してもらって住み始めます。

その山小屋近く(といっても1㎞弱)の太田小学校山口分教場(のち山口小学校)に通っていた児童の一人が、高橋さん。昭和25年(1950)の同校学芸会の際に撮られたこの写真で、右から二人目に写っています。
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コロナ禍前の令和元年(2019)5月に、旧太田村で開催されたの第62回高村祭のローカルニュースから。

その前年に開催された第61回高村祭では、他の3人の方々とともに太田村在住時の光太郎の思い出を語って下さいました。聞き手は当方でした。4人のうち、高橋愛子さんも既に亡くなっています。
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高橋さん、平成28年(2016)に花巻市太田地区振興会さんから刊行された『高村光太郎入村70年記念 ~思い出記録集~ 大地麗』の編集にあたられたり、同じ年には花巻高村光太郎記念館さんで無料配付されていたリーフレット『たかしとせいいち ぼくたちが出会った光太郎先生』で、上記写真左端の浅沼隆さんと共に、光太郎の思い出を証言して下さったりも。
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その他、折々の新聞記事などでも、高橋さんの証言が紙面を飾っています。

河北新報「戦災の記憶を歩く 戦後70年 ⑧高村山荘(花巻市) 戦意高揚に自責の念」。
新聞各紙から。
「とうほく名作散歩 詩集典型 岩手県花巻市 光太郎牛の如き魂刻む」。

さらに昭和51年(1976)、読売新聞社盛岡支局発行の『201人の証言 啄木・賢治・光太郎』でも。
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同書から、最上部画像の光太郎サンタについて。
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戦前には、「芸術家あるある」で「俗世間とは極力交わらない」、戦時中には歪んだ愛国意識で国民を鼓舞し死地に追いやった光太郎。戦後、老境に入ってようやく自然に世間と交われるようになった、その頃をご存じの高橋さん……。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

夕方リーチ、石川欣一氏等くる、リーチとアトリエで一寸話、明日出発して東北旅行の由、
昭和28年(1953)10月3日の日記より 光太郎71歳

「リーチ」は陶芸家のバーナード・リーチ。明治41年(1908)、英国留学中の光太郎と知り合ったのがきっかけで、来日。戦前は日本、イギリス、そして中国などを行ったり来たりしていましたが、昭和10年(1935)に帰国後はしばらく母国にとどまり、この年、久しぶりに来日し、光太郎らと雑誌で座談を行ったりもしました。そしてこの日が、光太郎とリーチ、今生の別れとなりました。

サイクルスポーツ愛好家の方々向けのキャンペーンです。

ツール・ド × Volcano to Seaふくしま

火山から太平洋へ 山、里、海がつなぐ絶景ルート
 福島市・二本松市・伊達市・相馬市エリアで3ヶ月限定でお届けします! 絶景と歴史が織り成すコースを走れる、このエリア。ルートには吾妻山・安達太良山の紅葉、伊達氏の歴史、朝日が綺麗な松川浦など、各市の魅力を詰め込んでいます。さらに、エリア内には飯坂・土湯・高湯・岳の4つの温泉地や豊富な果物・海産物など疲れを癒す要素もたくさん!100kmを超える2コースの走破を目指し、福島市・二本松市・伊達市・相馬市を満喫してください。

キャンペーン期間:2022年 7月30日(土)~10月31日(月)

サイクリング専用アプリツール・ドを使って走る!
 このキャンペーンに欠かせないのが、サイクリング専用アプリツール・ド! コースMAPで進行方向を確認できたり、途中の「ご当地スポット」にチェックインできたり、オリジナルフォトフレームが付いた記念写真を撮れたり、ゴール後に完走特典をGETするための完走証明をしたり。 このアプリを使えば、サイクリングの楽しさが広がること間違いなし。

0041コースを完走すればVolcano to Seaふくしまfinisherに認定!
 コースのいずれかを完走した方は、Volcano to Seaふくしまfinisherの証オリジナル手ぬぐいをプレゼントします。お帰りの際はゲットした手ぬぐいを持って、温泉へお立ち寄りください。
 ※各コース、先着200名様ずつとなります。
 ※なくなり次第、終了となりますので予めご了承ください。
 ※完走したコースそれぞれで手ぬぐいをお渡しします。

2コースを完走すればVolcano to Seaふくしまマイスターに認定!005
 キャンペーン期間中に「Volcanoコースいずれか1コース」と「Seaコースいずれか1コース」の合計2コースを完走した方をVolcano to Seaふくしまマイスターと認定します。Volcano to Seaふくしまマイスターの名に相応しく、オリジナル猪革キーホルダーと認定証を進呈します。
 ※先着100名様となります。
 ※なくなり次第、終了となりますので予めご了承ください。
 ※認定証は全員に発行します。

Volcano to Seaふくしまを走って記念を残そう!
 Volcano to Seaふくしまfinisherボードにチェキを貼ってSIGN ON!!

豪華賞品が当たるフォトコンテストを開催!
 「ふくしま」をテーマにした思い出の写真を大募集。#ボルふくをつけてSNS(twitter/instagram)に投稿するだけで、地元のお土産をGETできるかも!?

コース
 安達太良山を一望できるスカイピアあだたらからスタート。クライマックスは磐梯吾妻スカイラインのヒルクライムです。コース近辺には岳温泉、高湯温泉、土湯温泉など県内自慢の温泉地もぜひお楽しみください。スポットや拠点などで福島の新鮮なフルーツをはじめとした農産物などもお土産にいかがでしょうか。
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コースストーリー
1 スカイピアあだたら 眺望の温泉保養館008
 安達太良山を間近に『本当の空』を眺めながら日帰り温泉を楽しめます。同じ敷地内にスケートボード、スラックライン、ボルダリングが楽しめる『スカイピアあだたらアクティブパーク』があります。汗を流した後にゆっくりと日帰り温泉は如何でしょうか。
2 道の駅安達
 「智恵子抄」でおなじみの安達太良山を一望できる「北と南の玄関口」
007 ドライバーの快適な休憩施設や、道路利用者と地域との情報発信や地域連携の機能が満載されています。地元の朝採り野菜や1,000年の伝統を今に伝え手漉き創作和紙が体験して楽しめる「二本松市和紙伝承館」などがあります。平成25年にオープンした下り線の道の駅には、焼き立てのパンがいつでも楽しめる「二本松ベーカリー」、ゆったりした時間と空間が楽しめる「カフェ」や広い芝生の休憩スペースもあります。
3 アンナガーデン 福島の街を一望する丘の上に、ヨーロッパの雰囲気漂う街並みが広がる
 吾妻連峰の山麓に位置する個性豊かでこだわりの逸品を扱う店舗が並び、美酒・美食・ショッピングなどを楽しめます。
4 道の駅ふくしま ふくしまの魅力が凝縮
 2022年4月27日にオープンしたふくしまの新しい道の駅です。ここでは、農作物を代表とする特産物の購入はもちろん、それらを利用したレストランも並んでいます。サイクリングの休憩地点としてもよし、福島周辺の観光情報も詰まっているためその前後の観光拠点としてもおすすめです。
5 高湯温泉観光協会 白濁の湯で癒す温泉地
 東北初の「源泉かけ流し宣言」をした高湯温泉の情報発信拠点。併設の「共同浴場あったか湯」では露天風呂で日帰り入浴が楽しめる。
6 浄土平ビジターセンター 雄大な自然の玄関口
 浄土平周辺の自然を模型やパネル写真等を通して紹介する施設。自然観察会やトレッキングなどの行事も随時行っている。
7 スカイピアあだたら
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Volcanoコース 120km(道の駅ふくしま発着)
1 道の駅ふくしま 2 高湯温泉観光協会 3 浄土平ビジターセンター 4 スカイピアあだたら
5 道の駅安達 6 アンナガーデン 7 道の駅ふくしま


Seaコース110km(相馬市千客万来館発着)
1 相馬市千客万来館 2 浜の駅松川浦 3 不動尊公園 4 まちの駅やながわ
5 道の駅伊達の郷りょうぜん 6 まきばのジャージー 7 相馬市千客万来館

Seaコース110km(まちの駅やながわ発着)
1 まちの駅やながわ 2 道の駅伊達の郷りょうぜん 3 まきばのジャージー
4 相馬市千客万来館 5 浜の駅松川浦 6 不動尊公園 7 まちの駅やながわ

専用アプリを使って、福島県内4つのコースを自転車で走り抜けよう、ということですね。ただ、4コースではありますが、「Volcano(火山)コース~福島・二本松~」、「Sea(海)コース~相馬・伊達~」、ともに2箇所ずつ「拠点」が設けられ、どちらの拠点からスタートしてもOK、スタートと同じ拠点へゴールするというルールで、実質2コースです。

このうち「Volcano(火山)コース~福島・二本松~」は、安達太良山、道の駅「安達」智恵子の里などが含まれています。

それにしても、火山あり、海ありと、改めて福島県の魅力が感じられますね。自転車愛好家の皆様、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小笠原耕三は耕一の誤とわかり、メダルの内山さんに速達ハガキを出し、三を一に直してもらふやうたのむ、


昭和28年(1953)9月29日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の完成作となった小品「大町桂月メダル」。翌月行われた「十和田湖畔の裸婦群像(乙女の像)」除幕式に際し、関係者に記念品として配付されたものです。

桂月の肖像と、桂月以下、「十和田の三恩人」の名が刻まれましたが、このうち道路整備等に腐心した元法奥沢村長・小笠原耕一の名が、誤って「耕三」と光太郎に伝えられ、その通り陽刻してしまいました。正しくは「耕一」だとわかり、すでに鋳造師の元に送られていた粘土原型を、慌てて直してもらったとのこと。

なぜか誤りの「耕三」バージョンが世に出ています。試鋳されたものが出回ってしまったのでしょうか。

3件ご紹介します。

まず、もう今夜のオンエアですが……。

バナナマンのせっかくグルメ★日村が夏の長野へ!ギャル曽根に飯尾&ケンコバも爆食

地上波TBS 2022年7月31日(日) 18:30~20:54 

日村は長野市で夏の大自然とブランド豚ステーキ&特大㊙ハンバーグに感動★熊本阿蘇でギャル曽根あか牛爆食★バナナマンと仲良し!飯尾&ケンコバ岩手花巻で自由気まま旅

【日村さん長野市で夏の大自然&絶品飯を満喫!】
 ★味の深みがスゴイ!こだわりスープの絶品ラーメン
 ★とにかく柔らかい!ブランド豚の極上ステーキ
 ★人気ステーキハウスの炭火焼き特大㊙ハンバーグ×白米に興奮
 ★超老舗みそ専門店で絶品スイーツを堪能
 ★長野市の有名企業×せっかくグルメのコラボグッズを視聴者プレゼント!応募方法は放送内で発表するのでお見逃しなく!
【バナナマンと仲良し!飯尾&ケンコバが岩手県花巻へ】
 ★食通の二人も唸った!旨辛ニララーメン&極上ホルモン&人気町中華チャーハン
 ★温泉入浴…睡眠…軽いルール違反…制御不能の自由旅にバナナマンも爆笑!
【ギャル曽根さん熊本阿蘇でのグルメ探し続編!】
 ★老舗の極上あか牛グルメを興奮気味に爆食!
出演者
 ★MC:バナナマン(設楽統・日村勇紀)
 ★スタジオゲスト:鷲見玲奈・山下健二郎(三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE)
 ★ロケゲスト:飯尾和樹、ケンドーコバヤシ、ギャル曽根

この番組、バナナマンの日村さん、それからゲストの皆さんが日本各地を訪れ、地元の方々のお薦め情報をもとに地元グルメを堪能するというコンセプトです。

ずんの飯尾さん、ケンドーコバヤシさんが花巻に。
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メインは市街地の中華系のようです。
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飲食店以外に、円万寺観音堂さん。光太郎とも親しかった僧侶にしてチベット仏教学者の多田等観が堂守を務め、光太郎も足を運んだ場所です。
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さらに光太郎や宮沢賢治も愛した大沢温泉さん。
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続いて、8月2日(火)。

開運!なんでも鑑定団【お宝は世界を救う!美人画大作&最高峰焼き物に驚き値】

地上波テレビ東京 2022年8月2日(火) 20:54〜21:54

■盲目の子どもたちに光を…お宝は世界を救う!?<美人画大作>に衝撃値■茶人が特別に注文!?…最高峰<中国焼き物>に驚き鑑定額■福島出張鑑定…仰天<ペコちゃん人形>■

依頼人は認定NPO法人「ヒカリカナタ基金」の理事長を務めており、途上国の目の不自由な子供たちを助けるべく、日本から治療費を送る活動をしている。ご自身も8歳の時に失明し、その後盲学校の教師となった。1964年の東京パラリンピックで盲人卓球に出場し、なんと金メダルを獲得したことも! お宝は支援者の方から「NPO法人で役立ててほしい」と頂いたもの。とても大事にしてきたが、途上国の子供たちの目を助けるため手放すことを決意した。果して売却額は!?

出演者
 【MC】今田耕司、福澤朗  【ゲスト】マルシア
 【アシスタント】片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
 【出張鑑定】出張鑑定 in福島県・二本松市  【出張リポーター】原口あきまさ
 【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな

鑑定士軍団
 中島誠之助(古美術鑑定家) 北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
 安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主) 川上紳一(岐阜聖徳学園大学教授)
 山村浩一(「永善堂画廊」代表取締役) 森由美(陶磁研究家)
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「出張鑑定」が智恵子の故郷・福島二本松だそうです。このコーナー、最初に街の紹介が入りますので、光太郎智恵子、ほんとの空といった紹介がなされてほしいものです。

ちなみに平成28年(2016)12月には、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市で出張鑑定の収録が行われ、当方、拝見に伺いまして、客席に座っている姿が映りました(笑)。

もう1件、同日の放映。ただし再放送です。

再 福島をずっと見ているTV(99)「ここで生きていくことが、“復興”」

NHK Eテレ 2022年8月2日(火) 14:30~15:00

福島県川内村。原発事故で一時は全村民が避難したが、いち早く帰村を推し進めた結果、もといた住民の8割が戻ったことでも知られている場所だ。いまここで、古民家を利用し、新たな交流拠点を作ろうと奮闘しているのが、志賀風夏さん(川内村出身)。年齢も性別も関係なくみんなが集まれる場所を作りたいという志賀さんは「在りし日の“村の良さ”を取り戻したい」と語る。真の復興とは何なのか、風夏さんの姿を通じて考えていく。

出演者
【司会】箭内道彦,【出演】横田龍儀,【アナウンサー】合原明子,【語り】相沢舞
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初回放映が7月27日(水)でして、拝見しました。舞台は双葉郡川内村。当会の祖・草野心平が愛した村で、心平を名誉村民に認定して下さっています。
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冒頭近く、心平を祀る天山祭、今年7月9日(土)の映像。
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そして、志賀風夏さん。
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心平の別荘「天山文庫」、併設されている「かわうち草野心平記念館」の管理人さんです。
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志賀さん、平成30年(2018)にも、この番組で取り上げられました。

元々、川内村のご出身で、進学のため村を離れたもののUターン。亡きお父さまの跡を継いで陶芸家としてもご活動。さらにこの秋には古民家を改装してカフェを開かれるということで、村外のボランティアの方、村内の小学生親子などを巻き込んでの活動に密着取材。
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その信念は、番組サブタイトルにもなっているとおり、「ここで生きていくことが、“復興”」。頭が下がります。

スタジオゲストは、横田龍儀さん。ミュージカル「刀剣乱舞」などでご活躍中だそうですが、川内村のご出身、さらに何と、志賀さんの同級生だったとのこと。
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横田さんは横田さんで、自分がメジャーになることで、復興に関する発言に重みが増すので、それを目指しているそうです。そういうアプローチもあるのですね。

それぞれ、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

瀬川幸蔵氏くる、阿部さんのリンゴをもらふ、夕方一緒に新宿、ビール、トンカツにて別れる、

昭和28年(1953)9月26日の日記より 光太郎71歳

「瀬川幸蔵氏」は、花巻町中心街在住の人物。光太郎の花巻郊外旧太田村での蟄居中にも交遊がありました。詳細は不明ですが、やはり光太郎と親しかった花巻の阿部博が作ったリンゴを土産に上京、中野のアトリエに光太郎を訪ねました。他にも花巻町や旧太田村の人々は、けっこう上京するたび光太郎のもとを訪れています。いかに光太郎が愛されていたかの証左ですね。

一昨日の『中日新聞』さん一面コラム。

中日春秋 2022年7月28日

 首相在任中に病に倒れ、退陣後に没した自民党の小渕恵三氏に対する国会での追悼演説は二〇〇〇年五月、野党・社民党の村山富市元首相が行った▼小渕氏が首相時代に開催地を沖縄に決めたサミットが迫っていた。氏が学生時代から通い、米国統治下の苦難を学んだ土地▼日本は東京以外でのサミット開催経験がなかったが、慎重論に与(くみ)せずあえて沖縄を選んだことを村山氏は称(たた)えた。「熱い思いが沖縄の人々をどれほど勇気づけているかは、立場こそ違え、長年沖縄問題に取り組んできた私には痛いほどわかります」「沖縄サミットだけは君の手で完結させてほしかった」▼安倍晋三元首相への追悼演説を同じ自民の甘利明氏が行う案に野党から異論が出ている。人選は遺族の意向らしい。自民党首相経験者への追悼演説は野党が行うのが慣例で、党派を超えて哀悼の意を表してきた。大平正芳氏の場合も、社会党委員長が演説した▼今回は、反発も承知で安倍氏の国葬を決めながら、追悼演説は身内…。再考した方がよさそうに思える▼村山氏は、小渕氏が愛唱した高村光太郎の詩『牛』を引用し、人柄をしのんだ。「牛は随分強情だ/けれどもむやみとは争はない/争はなければならない時しか争はない/ふだんはすべてをただ聞いてゐる/そして自分の仕事をしてゐる」。我を通すべきことの選択を誤ると、民の心も離れる。

当初、8月3日召集の臨時国会で検討されていた追悼演説は、なぜか延期の方向だそうですが、その理由の一つが、指名されたA氏が「静かな環境でやるべき」とのたまったとのことで、まさに「おまいう」(笑)。大臣室で現金を受け取った人物の発言とは思えませんね。

平成12年(2000)5月に衆議院本会議で行われた、村山富市氏による小渕恵三氏への追悼演説。光太郎に関わる部分の前後のみ抜粋します。

000 昭和三十八年の初当選以来、福田、中曽根元総理らと議席を争った厳しい選挙区環境がつくり出した庶民的な「人柄の小渕」は、総理になってからも何ら変わることはありませんでした。
 昨年、ブッチホンという流行語大賞に選ばれたほど、常に市井の声に耳を傾け、国民と同じ目線で物事を見る屈託のない姿勢は、国民の共感するところでございました。
 君がよく愛唱した高村光太郎の
  牛は随分強情だ
  けれどもむやみとは争はない
  争はなければならない時しか争はない
  ふだんはすべてをただ聞いてゐる
  そして自分の仕事をしてゐる
  生命をくだいて力を出す
君の人生はまさにこの詩のごとくでありました。
 君の人柄について語るとき、いつも謙虚であろうとした君の姿勢について触れないわけにはいきません。
 みずからが凡人であることを片時も忘れないよう心がけておられました。それは、口に出せば簡単ですが、凡人にはなかなかできないことであります。いかなる地位にあっても偉ぶらず、常に謙虚で目線を低く生きる、そして凡人だから懸命に努力する、そうした姿勢が凡庸に見えて非凡という境地を開かれたのであります。(拍手)
 その牛にも似た、地道で人知れぬ努力があったからこそ、一国の指導者にまで上り詰めたのでありましょう。
 もはやこの議場に君の温容を目にすることはできません。耳を澄ませば、今も、力強い中にも優しさのこもった声が聞こえてくるではありませんか。
 小渕君、君に課せられた宰相という厳しい重責は、君に一刻の休息も許しませんでした。本当に御苦労さまでした。

もう22年も経つか、という感じですが、この頃はこの頃でいろいろあったものの、まだ健全な世界でしたね。

「牛」全文はこちら(閲覧注意! 超長い詩です(笑))。

【折々のことば・光太郎】

午前十時頃大町桂月の長男芳文氏と文京区文化係長中出忠勝といふ人来る、メダルなど見せる、亡父によく似てゐるとの事、


昭和28年(1953)9月27日の日記より 光太郎71歳

完成作としては光太郎最後の彫刻となった小品「大町桂月メダル」。翌月行われた「十和田湖畔の裸婦群像(乙女の像)」除幕式に際し、関係者に記念品として配付されたものです。元々「乙女の像」は、十和田湖の景勝美を世に広めた桂月ら「十和田の三恩人」顕彰のためのものでした。
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原型が完成し、桂月の子息に見てもらったとのこと。なぜ文京区の役人が同席していたのかは不明ですが。ちなみに子息・芳文は農学者。光太郎実弟にして藤岡家に養子に行った同じく農学者の孟彦とは昵懇の間柄でした。

ところで9月に行われる予定の「国葬」とやら(ここへきていろいろあるD社とのズブズブぶりが報じられていますが)で、当該人物の肖像を刻んだメダルなど配付されたりはしないでしょうね(笑)。

正直、これほど早く達成するとは思っていませんでした。

信州安曇野の碌山美術館さん。64年前に建てられた煉瓦造りの本館「碌山館」の損傷が激しく、コロナ禍による入館者激減などもあり、修繕費用を募るクラウドファンディングが行われていますが、昨日、目標額の700万円に到達したとのこと。まだまだ世の中捨てたもんじゃないなと思いました。

受付の始まった7月15日(金)にこのブログでご紹介し、「まぁ、達成できるだろう」とは思っていましたが、たった2週間での目標額到達。いかに同館が地域に、さらに全国的に愛されてきたかがわかりますね。

「まぁ、達成できるだろう」とは思っていましたが、このブログでもう一押しするか、と思っていた矢先で、そのためのネタも見つけてありました。当方、クラウドファンディングには詳しくありませんが、目標額をクリアしても終わりでなく、さらに支援を受け付けるようなので、ご紹介します。SBC信越放送さんのローカルニュース、7月21日(木)のオンエアでした。

雨漏り…レンガに亀裂…「碌山美術館」ピンチ! 修繕費は500万円超…どうする? 館長 長野・安曇野市

長野県内有数の観光地・安曇野のシンボルのひとつに碌山(ろくざん)美術館があります。教会をイメージさせるレンガ造りの趣きのある建物。この建物がピンチとなっています。館長が美術館を守るため選んだ方法とは?
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安曇野市穂高にある碌山美術館。

(幅谷啓子館長)「坑夫っていうのは、パリで作ったのを持ち帰った作品、高村光太郎が絶賛して持ち帰るようにすすめてくれた作品」
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美術館には明治時代の彫刻家・荻原碌山(おぎはら・ろくざん)の代表作の彫刻15点が、展示されています。碌山は、現在の安曇野市の出身、近代彫刻の礎を築きました。
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作品が展示される「碌山館(ろくざんかん)」。
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教会をイメージさせるレンガづくりが特徴の美術館は、住民の力で造られました。建設されたのは、今から64年前の1958年のこと。「碌山の美術館を作ろう」と、地元の教員たちが呼びかけ、賛同した人々、およそ30万人からの寄付金で、誕生しました。
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その証は、今も美術館に残っています。「開館に携わって頂いた方約30万人の方たちの力で生まれましたっていうプレート」
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幅谷館長が、美術館の異変に気づいたのは、2021年の夏のことでした。「風とか雨が強い時は雨が流れ落ちる状態、こういう跡があるんですけどずっと流れたような跡があります」美術館を襲った雨漏り。
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外の壁のコンクリートやレンガにも亀裂が入っていました。「これをこのまま放置しとくとどんどんひどくなるし」
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美術館の修繕は、待ったなしの状態。ですが、500万円以上かかる費用を捻出できる状況にないのです。
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「入館者の方が減ってまして、運営面も大変になりまして預貯金を取り崩して今運営をしている状態」新型コロナの感染拡大で、来館者が激減。コロナ前は、年間、2万7千人ほどが訪れていましたが、2021年はおよそ1万5千人にまで減りました。

美術館をどう守っていけばいいのか? 幅谷館長が、7月ある挑戦を始めました。インターネットで寄付を募る「クラウドファンディング」です。
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住民の寄付で誕生した美術館。もう一度、住民の力に美術館のこれからをゆだねることに決めました。「皆さんの力で修理を始めたいと思って、碌山の彫刻をこれからもずっと長く皆さんに親しんでもらいたい、この碌山館を作品とともに長く後世に伝えたい」目標金額は700万円。
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住民の力で誕生した美術館、幅谷館長の思いは届くのでしょうか? 寄付の募集期間は、8月31日までです。
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8月31日(水)まで、寄附の受付は継続されるようです。目標金額以上、いくら集まっても困ることはないでしょう。こうなったら大台突破も有りうるかもしれませんし、ぜひよろしくお願いいたします。

【折々のことば・光太郎】

夜熊谷氏(AK)来訪せし由、 九時半「九十九里」放送の中に余のもの引用の由。

昭和28年(1953)9月24日の日記より 光太郎71歳

AK」はJOAK、NHKさんの東京放送ですね。昭和9年(1934)、半年あまり智恵子が療養した千葉の九十九里浜を紹介する番組内で、光太郎作品を引用するその許諾ということでしょう。当該番組、録画放映の技術はまだ確立されておらず、おそらくテレビではなくラジオだったと思われます。

類書は世に多く、しかし出版社やご著者の方のスタンスによっては、読むに堪えないものも少なからず存在するのが現状ですが、これは違いました。

この国の戦争 太平洋戦争をどう読むか

2022年6月30日 奥泉光/加藤陽子 河出書房新社(河出新書) 定価968円(税込み)

今こそ、「日本人の戦争」を問い直す。日本はなぜ、あの戦争を始めたのか? なぜ止められなかったのか? 戦争を知り尽くした小説家と歴史家が、日本近代の画期をなした言葉や史料を読み解き、それぞれが必読と推す文芸作品や手記などにも触れつつ、徹底考察。「わかりやすい物語」に抗して交わされ続ける対話。「ポツダム宣言」「終戦の詔書」を読む解説コラムも収録。

著者
奥泉 光 (オクイズミ ヒカル)
1956年山形県生まれ。1986年に『地の鳥 天の魚群』でデビュー。1993年『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞、1994年『石の来歴』で芥川賞、2009年『神器』で野間文芸賞を受賞。

加藤 陽子 (カトウヨウコ)
1960年、埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。専攻は日本近現代史。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』『戦争まで』『戦争の日本近現代史』など著書多数。
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目次
 はじめに(奥泉光)
 Ⅰ 太平洋戦争とは何かを考えるために
  戦争と物語
  国民統合の方法としての軍隊
  お天道様と公道
  民衆にとって天皇とは?
  自制を失う「帝国」
  主権線・利益線論と物語としての日露戦争
  不戦条約と軍隊像の転換
  リットン報告書を拒絶、そして満州事変へ ……
 Ⅱ なぜ始めたのか、なぜ止められなかったのか
  なぜ満州か
  国際連盟脱退と各国の思惑
  感情に訴える国民向けの宣伝
  陸海軍共通の仮想敵・アメリカ
  南進論と三国同盟の要点
  変わりゆく「中立」
  「もやもや」が消えてゆく
  対米開戦の裏側
  日本の勝算?
  日本的「空気」という謎 ……
 【解説コラム】「ポツダム宣言」を読む/「終戦の詔書」を読む
 Ⅲ 太平洋戦争を「読む」 
  戦争を支える気分――清沢洌『暗黒日記』
  物語を批判する小説――田中小実昌『ポロポロ』
  個人と国家の媒体なき対峙――山田風太郎『戦中派不戦日記』
  現代日本のこと?――山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』 ……
 おわりに(加藤陽子)

光太郎生誕前年(明治15年=1882)に出された「軍人勅諭」に始まり、日清・日露戦争、満州事変、日中戦争、そして太平洋戦争と、最新の歴史学的知見、当事者たちの書き残したものへの考察を盛り込みつつ、「この国の戦争」を語る対談です。

「なるほど、そう解釈すれば腑に落ちる」「これとこれをこう関連づけるか」という感じで、目から鱗
の連続でした。同時に愚かな為政者に対し「「困ったちゃんあるある」だなぁ」と思わせられる指摘も。

そして、戦争の遂行に果たす「文学」「言葉」「物語」の役割。

「これは!」と思った箇所をいくつか。

「戦前」体制というと、どうしても不吉な響きがしてしまうのは、二〇世紀前半の昭和「戦前」体制が、自国民だけで三百万人を超える、侵略したアジア地域や交戦国を含め二千万人もの死者を出す未曾有の厄災に繋がった記憶があるからだ。しかもいまもなお昭和「戦前」に懐旧の情を抱き、それをほとんどパロディーのごとくに再構しようと欲する政治勢力が存在するから厄介だ。だが、いま求められるべきは、昭和とは違う「戦前」、戦争をしないための「戦前」体制の構築である。
(「はじめに」)

アジア・太平洋戦争の歴史を問うことは、戦争で亡くなった方々の霊を慰める営みでもあるだろう。彼らの死を犠牲の死として捉えること。それには死者を神話的な「物語」に閉じこめてはならない。彼らを歴史のなかに、人々が対話的に交わる「場」として歴史のなかに、絶えず解放し続けなければならない。神話ではなく、対話を!
(同)

戦争一般が非合理なものをはらむのは間違いないにしても、それを超えた、戦死者の半ば以上が餓死や病死であるような作戦が立案され実行されてしまう、あるいは戦艦大和の出撃にしても、確実に沖縄までは到達できないとわかっていながら、あえて出撃して三〇〇〇人の人間が死んでしまう。そうした度を超えた非合理制にはやはり関心を向けないわけにはいかない。
(「Ⅰ 太平洋戦争とは何かを考えるために」)

政治や宗教や法律だって言葉が人を動かすのだけれども、言葉の外に力の根拠、裏付けがある。最終的には言葉ではないものが、たとえば暴力が言葉の力を支える。対して、文学は言葉それ自体が人を動かす力を持つ点が特徴です。だから政治に利用される。ずっと利用されてきたし、いまも利用され続けているわけで、だから歴史を捉えるには、それを的確に批評する作業が必要になる。
(同)

戦後まもない頃はGHQの誘導もあって、狂信的な軍部が日本を引っ張ってこういうことになっちゃったんだという説明がなされた。実際はそれですむことではないわけですが、しかしどうしてもわれわれはわかりやすい物語の中で物事を理解したいという欲望があるんですね。それが陰謀論の土壌にもなる。誰か悪い奴が厄災を引き起こしたんだということにしたくなる。単純な物語の枠にはめこんで歴史を描きたくなる。
(「Ⅱ なぜ始めたのか、なぜ止められなかったのか」)

国民の戦争へ向かうエネルギーは大変に大きかったわけで、米英との開戦からの三年八ヵ月あまりの時間は、それが敗勢のなか減衰していく時間だったと見ることもできるだろう。しかし、そのためにどれほどの犠牲を払わねばならなかったことか。
(同)

「情ニ於イテ忍ビザルモ、国家ノ為ニハ已ムヲ得ザルベシ」のように、昭和天皇自身、国家を前景化させつつ、天皇と軍人の特別な紐帯を否定しにかかったのが終戦の詔書といえるでしょう。
(同)

当時の国家の民衆に対する方針は、ようはものを考えることをさせないようにする、そういう方向です。国民の個性なんてものは一切認めない、思考することを認めない、ひたすら一元化していく。
(「Ⅲ 太平洋戦争を「読む」」)

やっぱり人々はわかりやすい物語を求めてしまうんですよ。単一の物語が欲しいんです。わかりやすい物語のなかで世界を捉えたい。それは日本だけの問題じゃないわけで、人間はそこからはなかなか逃れ難い。その欲求に応える物語がたくさん提供されてきたし、これからも提供されていくわけですが、文学はそれに抵抗しなければならない。
(同)

天皇の言葉としての勅諭や勅語が作成された時代の意義や読み方と、軍が政治化した後世の時代の読み方は異なってくる。(略)軍人勅諭の読み替えは、一九三二年の五・一五事件を契機になされ、教育勅語の読み替えは、一九四〇年の近衛新体制を契機に進んでいった。軍人勅諭、教育勅語、この二つの天皇の言葉が、時代とともに暴走していったのだ。
(おわりに)


さて、光太郎に関しては、「Ⅱ なぜ始めたのか、なぜ止められなかったのか」中で、ほんの少し。

加藤 日中戦争までは、国民の中に「もやもや」がまだあります。
奥泉 それが一気に日米戦で消えてなくなる。多くの人が一九四一(昭和一六)年一二月八日の朝の爽快感を書いていますよね。
加藤 竹内好は「歴史は作られた 世界は一夜にして変貌した。われらは目のあたりそれを見た。(中略)われらは、わが日本国と同体である」と書いています。
奥泉 高村光太郎の有名な「世界は一新せられた。時代はたつた今大きく区切られた。昨日は遠い昔のやうである」とかね。多くの人が似たような感想を記している。歴史の先端に立っているという感覚ですね。いま想像してみるに、ほんとうにそうだったんだろうなとつくづく思うんですよね。言葉を持つ階層の人たち、たとえば日中戦争の意味を考え悩んでいたような人たちは、とりわけ爽快に感じたんでしょう。


引用されているのは、昭和17年(1942)元日の『中央公論』に載った散文「十二月八日の記」の一節です。また、ほぼ同時に書いた詩「鮮明な冬」(同日の『改造』に掲載)には、「この世は一新せられた」、「だが昨日は遠い昔であり」の一節があります。光太郎ほどの人物でも、コピペまがいのことをやってしまっているわけで、まぁ、それを言ったら、この後発表される翼賛詩文のほとんどは、コピペとまで行かなくとも、同工異曲(この四字熟語、プラスの意味とマイナスの意味がありますが、当然ながらマイナスのベクトルです)、読むに堪えないものばかりですが……。

しかし、それが国民にうけました。こうした例が、本書両ご著者の指摘する「わかりやすい物語」の一つというわけですね。

ロシアによるウクライナ侵攻から5ヶ月。この「わかりやすい物語」の論法で行けば、「プーチン一人の狂気」のようなとらえ方が為されがちです。しかし、その背後にはさまざまな要因がからみあっているわけですし、「プーチン=悪」「ゼレンスキー=善」という単純な「わかりやすい物語」に落とし込むのは危険ですね。といって、ロシアの行為が正当化されるべきものでないことはあきらかですが。

同時に気になるのが、現状、ロシア国民がこれをどう考えているのか、です。プーチンらの提示した「わかりやすい物語」にとらわれてしまっているのでしょうか。さながら80年前の多くの日本人のように……。さらに「世界は一新せられた。時代はたつた今大きく区切られた。昨日は遠い昔のやうである」みたいなことを嬉々として書いている文学者が、現にいるのでしょうか。

さて、『この国の戦争 太平洋戦争をどう読むか』、ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

夜「雁」映画を見に浅草にゆく、満員にてみられず、

昭和28年(1953)9月19日の日記より 光太郎71歳

明治後期、東京美術学校で光太郎の師であった森鷗外原作の小説「雁」。この年、豊田四郎監督、故・高峰秀子さん、故・東野英治郎さんらのご出演で映画化されました。

いわゆるライトノベルです。

小説家・芥木優之介には恋と飯が足りていない

2022年7月6日 硯昨真著 宝島社(宝島社文庫) 定価750円(税込み)

太宰治の“桜桃”、森鴎外の“饅頭茶漬け”――。謎の美女が繋ぐ“文豪グルメ”と“人の絆”。天才偏屈作家のほっこり恋物語!

芥木優之介は、大学時代に処女作で新人賞を総嘗めにし、文壇にデビューした小説家である。それから六年。全く文章を書けなくなった芥木は、古アパートで貧乏生活を送っていた。それは自身に課した「文筆業以外で稼いだ金で飯は食わない」ポリシーのため。そんな時、大家の姪という儚げな美女・こずえが現れる。栄養失調で意識が朦朧とする芥木に、“芋粥”を食べさせるこずえ。彼女にときめく芥木だが、「これからはお家賃の方をきちんとお願いします」と言われ、絶体絶命に! 偏屈で人間嫌いだった芥木だが、縁を切っていた人々と向き合うことになり……? 謎の美女が繋ぐ、“文豪グルメ”と“人との絆”。天才偏屈作家のほっこり恋物語!

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目次
 芥川龍之介の芋粥  谷崎潤一郎の小鰺の二杯酢漬け  太宰治の桜桃 前編 
 太宰治の桜桃 後編  宮沢賢治の天ぷらそばとサイダー  高村光太郎の牛鍋
 森鷗外の饅頭茶漬け  夏目漱石の落花糖


主人公・芥木優之介。その名の通り、芥川龍之介を彷彿とさせられる小説家です。しかし、芥川と違って(ある意味共通して)、いろいろ考えすぎるあまり、なかなか作品が書けない、という設定です。まぁ、一言で言うと「面倒くさい」(笑)。そうなってしまったのには、そうなってしまうだけの理由―この業界特有の―があるのですが、それは読み進めていくうちにおいおい明かされていきます。

他の登場人物は、芥木に負けず劣らず面倒くさく、彼を一方的にライバル視する作家・津島修也(いわずもがなですが、「津島」は太宰治の本名由来です)、芥木ファンが嵩じて作家デビューを果たした書店員・三鳥(「島」ではなく「鳥」です)、善人だけれどズレまくっている編集者・滝谷(しかし、欲得ずくでない仕事態度が芥木を動かし、再びペンを執らせます)、そして借家の大家にしてヒロイン的なこずえら、個性豊かな面々。

そこに目次にあるような、文豪たちが書き残したさまざまな料理や食材がからみます。そういった意味でも近代文学オマージュ的要素もふんだんに盛り込まれています。

われらが光太郎に関しては、詩「米久の晩餐」(大正10年=1921)がモチーフの「高村光太郎の牛鍋」。この章には『智恵子抄』巻頭を飾った詩「人に」(「いやなんです/あなたのいつてしまふのが」)も使われ、こずえに対して揺れ動く芥木の心情が象徴されます。特に「――それでも恋とはちがひます」というフレーズ。

作者の硯昨真氏、存じ上げない方でしたが、どうもご自身のご経験をかなり落とし込んで書かれているのでは、と思われます。作家としてデビューし、編集者との丁々発止のバトルなどの苦労等。妙にリアリティーがあります。違っていたらごめんなさい、ですが。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

中野の祭礼、みこし出てゐる、 夜在宅、 タウリンエキスをのむ、

昭和28年(1953)9月15日の日記より 光太郎71歳

中野の祭礼」は、9月半ばということで、おそらく中野氷川神社さんの祭礼と思われます。「タウリン」、この頃にはもう広まっていたのですね。1000㍉㌘かどうかはわかりませんが(笑)。

エンタメ作家・夢枕獏氏によるエッセイ集です。

仰天・俳句噺

2022年6月30日 夢枕獏著 文藝春秋刊 定価1,600円+税

ガンの病床で作ったのも、俳句でした。

俳句の話から、縄文、仏教、懐かしのプロレス話にあの人との逸話まで――縦横無尽に綴った仰天エッセイ!

リンパがんのステージⅢと診断され、ほとんどの連載もお休みに。そんな中で綴ったのは、長年秘かに続けていた俳句について。「俳句の季語は縄文である」と語る夢枕獏が、ずっと考えてきたこと、今書いておきたいことを詰め込んだ“夢枕節”炸裂の闘病×俳句(⁉)エッセイ。

【目次】
第一回  真壁雲斎が歳下になっちゃった         
第二回  尻の毛まで見せる
第三回  オレ、ガンだからって、ズルくね
第四回  「おおかみに螢が一つ――」考
第五回  翁の周辺には古代の神々が棲む
第六回  すみません、寂聴さん書いちゃいました
最終回  幻句のことをようやく
補遺   野田さん
あとがき 言葉の力・そしてあれこれ
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一言で言うと、俳句を軸とした交友録・文学論(さらには文明論)といったところでしょうか。

『陰陽師』などの大長編シリーズで有名な夢枕氏、それら長篇小説の対極ともいえる短詩系文学にも興味を持たれ、短歌には割と早くから取り組まれていたそうです。長編小説の世界観を、わずか三十一文字に落とし込む、という挑戦です。しかし、更に短い十七音の俳句でそれができるのか、というわけで、逡巡していらしたそうですが、やがてどっぷりとその魅力にはまり……。

さらにガンでの入院という経験が、俳句への指向をさらに高める要因となったともおっしゃっています。ご自作の句はあまり多く紹介されていませんが、

 点滴てんてん花冷えの夜

 赤き点滴赤き小便不思議といふほどのこともなく

 喉にゐる蛇八千匹なり月朧

 万巻の書読み残しておれガンになっちゃって

 点滴の窓に桜ラジオから昇太


など、唸らされます。脱帽です。同じ立場に立たされた時、自分に詠めるか? いや、詠めはしない(「ましかば……まし」状態)です。

極めつけは……

 黒き窓に翁いてなんだおれか

光太郎のエッセイ「珈琲店より」(明治43年=1910)の一節を想起しました。欧米留学でのフランス滞在中、パリジェンヌと一夜を過ごした翌朝の一コマです。

熱湯の蛇口をねぢる時、図らず、さうだ、はからずだ。上を見ると見慣れぬ黒い男が寝衣(ねまき)のままで立つてゐる。非常な不愉快と不安と驚愕とが一しよになつて僕を襲つた。尚ほよく見ると、鏡であつた。鏡の中に僕が居るのであつた。
「ああ、僕はやつぱり日本人だ。JAPONAIS だ。MONGOL だ。LE JAUNE だ。」と頭の中で弾機(ばね)の外れた様な声がした。

単なる人種的劣等感にとどまらず、芸術文化の部分などで、薄っぺらな日本人の自分は巨大な「西洋」に対抗出来ないという絶望が表されています。

夢枕氏、光太郎ファンでもあらせられ、おそらくこの一節を念頭においていたのでは、と思いました。違ったらごめんなさい。

交友の部分では、帯にも登場されている俳人の夏井いつき氏、故・瀬戸内寂聴氏、立川志らく氏、故・中上健次氏、嵐山光三郎氏、故・野坂昭如氏、南伸坊氏、阿川佐和子氏などなど。

そして文学論。「第四回 「おおかみに螢が一つ――」考」で、故・金子兜太氏、そして夢枕氏が傾倒なさる宮沢賢治と光太郎について、かなり長く語られています。「おれの文芸的な血と肉の中には、確実に賢治と光太郎が溶け込んでいるな」だそうで。また、夢枕氏二十代の作で、光太郎オマージュの長詩「イーハトーヴのひと」も掲載されています。いかに光太郎愛に溢れているかがわかります。

ただ、「イーハトーヴのひと」中、さらに地の文でも、一つ気になる記述が。光太郎が戦後の七年間蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋に、生前の智恵子が作って置いた梅酒を持ち込んでいた、というのです。当方、そういう話は初めて目にしました。他の文献等で、そういう記述がここにある、という情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。

夢枕氏、平成28年(2016)には、雑誌『サライ』さんで、賢治実弟の、光太郎とも仲の良かった清六の令孫であらせられる宮沢和樹氏と、花巻で対談をなさっています。
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その中では、光太郎に関する内容も。さらに、夢枕さん、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋内部に潜入。
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この時以外にも、何度も訪れられているそうで、ありがたいかぎりです。

また、夢枕さんには、『智恵子抄』をこよなく愛する巨漢の豪傑が、淫祠邪教のカルト教団(その教祖は中原中也ファン(笑))との壮絶な闘いを繰り広げる『怪男児』という小説もあります。コミック化も為されています(途中までですが)。
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併せてぜひお読み下さい。

ところで、賢治も光太郎も、それぞれに独特な俳句をかなり遺しています。夢枕氏には、今後、賢治の句、光太郎の句にも言及していただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

ひる頃、角川書店の人くる、写真一枚かす、色紙一枚「うゐのおくやま」書き渡す、

昭和28年(1953)9月10日の日記より 光太郎71歳

翌月刊行された『昭和文学全集第二十二巻 高村光太郎集 萩原朔太郎集』の関係です。貸した写真及び「うゐのおくやま」と書いた色紙は同書の口絵として使われました。
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さらに書の方は、この年から翌年にかけて全国を巡回した「角川文庫祭記念 現代文豪筆墨展」に出品されました。
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特に何もなければ、新刊書籍の紹介を今日から4連発で。この系統はつい後回しになってしまい、溜まってしまいました。

まずは岩手から届いたミニブック。

michino絵本 器と楽しむ光太郎ランチ

2022年7月 企画デザイン/文/写真/発行 やつかの森LLC 色鉛筆画/MICHINO
 料理制作/ミレットキッチン花 定価700円(税込み)


癒しの時間

色鉛筆で花の絵を描くMICHINOさん。光太郎の魅力を発信する「光太郎ランチ」の応援団になっていただきました。

毎月「光太郎ランチ」弁当を買って来て器に盛り付ける。MICHINO風楽しみ方。1年間描き続け、その絵が素敵な本になりました。心癒やされる時間をぜひどうぞ。

お申し込み先 やつかの森LLC FAX 0198-29-2672 kotarocafe30@gmail.com
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現在、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで開催中の同名の展示を、一冊の絵本にしたものです。道の駅のテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」を洒落た器に盛りつけて描いた作品群。
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メニュー及び光太郎の日記等から抜粋された食に関する一節が左側のページ、右ページには地元ご在住のMICHINOさんという方の描いた色鉛筆画。12回分が掲載されています。合間には、「光太郎ランチ」実物の写真や、花を描いたMICHINOさんの色鉛筆画など。

道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん、花巻市街のマルカンさんで販売中ですし、FAX、メールでも注文可。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后週間サンケイより吉岡達夫氏ら三人来たり写真をとつてゆく、

昭和28年(1953)9月1日の日記より 光太郎71歳

「週間」は「週刊」の誤り。光太郎、ときどきやらかします(笑)。「写真」はこちらの記事のためのもの。この年9月27日号に掲載されました。
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昨日の新聞二紙から。

まず、「土用丑の日」だったということで、『朝日新聞』さんの土曜版から、鰻の蒲焼きについての記事。かなり長いので全文は引用しませんで、後半のみを。前半では、土用丑の日に夏ばてを防ぐため、栄養価の高いうなぎを食べる慣習について、平賀源内がうなぎ屋のために考案し、広まったという『定説』について。「裏付けとなる文献が、今のところ見つかっていない」ということで、肯定する根拠も、さりとて否定する根拠もないそうです。さらに、隅田川下流域の「江戸前うなぎ」がブランド化していった歴史、調理方法の変遷など。

そして、後半。「江戸前うなぎ」の名店の一つで、光太郎も通った「駒形前川」さんに取材。こちらは令和元年(2019)の『週刊ポスト』さんでも、光太郎にからめて紹介されていました。光太郎の父・光雲が生まれた嘉永5年(1852)に出た「江戸前大蒲焼」番付にも載った店です。また、光雲といえば、光雲の談話筆記『光雲懐古談』(昭和4年=1929)に、前川さんが登場します。

(はじまりを歩く)江戸前うなぎ 東京都 白米とみりん、客層を広げる

 昼下がりの「駒形前川」。7代目主人の大橋一仁さん(43)が、かっぽう着姿で取材に応じてくれた。もとは川魚問屋だったが、220年ほど前、初代がうなぎ料理を始めた。「目の前が大川だから、前川。浅草へ遊びに行く人が舟で乗り付け、腹ごしらえする店だったみたいです」
 しょうゆとみりんを煮詰めた「生(き)だれ」。生だれをつぎ足し、つぼに入っているのが「母(ぼ)だれ」。これが代々続く秘伝のタレだ。「生だれと母だれ、なめると味が全く違う。母だれには、積み重なってきたうなぎのうまみがつまっている」という。
 うなぎをつぼにつけるのは、さばいて、串をうち、素焼きにして、蒸しに入れ、余分な脂を落とした後の工程だ。うなぎの身が、新しい良質な脂とうまみをつぼに落とし、同時に、母だれの熟成したうまみをたっぷり吸い込んで、再び焼かれる。
 老舗の蒲焼きが、甘くないのに、うまい理由は、ここにあった。

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 先代たちの歴史は「選択」の連続だった。関東大震災、東京大空襲では、つぼを大八車に載せて逃げた。店が焼失しても、ゼロから再出発した。2011年3月、東日本大震災の大きな揺れが店を襲ったその時も、一仁さんの父で6代目の一馬さんは、客や従業員の安否を確かめながら、つぼのことを鬼気迫る表情で案じていた。一馬さんは病気で他界し、7代目となった一仁さんが、長引くコロナ禍と向き合ってきた。
 店の伝統を裏付けるような資料を残す余裕は、先代たちになかったようだ。だからこそ、番付「江戸前大蒲焼」の存在は「色んな人にうちを知ってもらえて、ありがたい」。
 江戸前うなぎに「蒸す」という調理工程が加わった背景には、江戸時代後期のコレラの流行がある、と一仁さんは考えている。「より衛生的で安全な提供方法を考えた結果、先人は蒸すことを選択した。天然か、養殖かも、選択の一つ。守るべきこと。変えるべきこと。いつの時代も、両方を考えないといけない」
 江戸時代に花開いたうなぎ文化もいま、岐路に立たされている。稚魚や親ウナギの保全、人工孵化(ふか)や完全養殖。絶滅危惧種となってしまったニホンウナギと共存するための、新たな選択肢が模索されている。
 かつては筒を沈めるだけで、ウナギがとれたという隅田川。今でも釣りスポットとして人気だが、ネット上で「隅田川の魚は食べても美味だ」と薦める人は見かけない。
 目の前の水辺にいたヘンな魚を、焼いて食べたら、うまかった。しょうゆ、山椒、みりん、ご飯をつけたらもっとうまかった。そんなシンプルな話だったのだ。ある時までは。

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「駒形前川」は、池波正太郎、高村光太郎、山田耕筰といった文化人がひいきにしていた。現在は千葉県銚子市の問屋から天然に近い環境で育てた養殖うなぎ「板東太郎」などを仕入れている。雷門通りにある「やっこ」も、ジョン万次郎や勝海舟が訪れた名店だ。
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当方自宅兼事務所のある千葉県香取市。利根川の水運の要所として、江戸時代から続く古い街並みも残る観光地です。やはり利根川の関係で鰻も昔からの名物で、旧市街には江戸時代創業のうなぎ屋さんが数店。さらに住宅街である自宅兼事務所近くにはその支店も。

以前は、遠隔地の友人、仕事の打ち合わせに訪れた方などが訪ねてきた際には、そうした店にご案内することも少なくなかったのですが、最近はとんと足が遠のいています。とにかく美味ではありますが、やはり価格の問題がありまして……。以前は二千円ほどで食べられましたが、最近は四千円台と記憶しております。記事にもあった資源としての減少の問題が大きいのでしょう。

ちなみに今年の土用丑の日は、2回。昨日と、8月4日(木)も該当します。光太郎父子に愛された「駒形前川」さん、ぜひ足をお運び下さい。

もう1件、やはり昨日の『福島民報』さん。「福島県 今日は何の日」という連載です。

「福島県 今日は何の日」 1990(平成2)年7月23日 国体スローガン 友よ、ほんとうの空にとべ!

 1995年に開催した第50回国民体育大会のテーマ(愛称)が「ふくしま国体」、スローガン(合言葉)が「友よ ほんとうの空に とべ!」に決定した。
 テーマは美しい自然など本県の持つ特性を県名に込め、平仮名で柔らかく表現した。スローガンの「ほんとうの空」は「智恵子抄」などによって県内外に知られており、本県の全体的な印象として定着していると判断した。
 4月中旬からスローガンとテーマを公募し、テーマに1万7664点、スローガンに1万4250点が寄せられた。
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平成7年(1995)の「ふくしま国体」。このテーマに「ほんとうの空」の語が使われたことで、以後、福島の形容詞として、「智恵子抄」由来の「ほんとの空」、その変形種「ほんとうの空」の語が広く使われるようになっていきました。ただ、平成23年(2011)の東日本大震災による福島第一原子力発電所のメルトダウン以後、また違った意味が付加されるようになってしまったのは残念ですが……。

ちなみに「ふくしま国体」のテーマソング、佐藤信氏作詞、林光氏作曲の「ほんとうの空へ」は、現在でも時折コンサート等で演奏されています。
「林光ソングをうたい継ぐ(5)~ほんとうの空へ(1990年代)」。
合唱団じゃがいも第48回定期演奏会 林光さん没後10年を偲んで。
こちらも末永く愛されて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

山口小学校長浅沼氏今朝来訪の由、又午后くるとの事、 午后東方亭主人くる、トマトをもらふ、 山口小学校長くる、自園の桃をもらふ、


昭和28年(1953)8月24日の日記より 光太郎71歳

山口小学校」は、かつて光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くにあった小学校。そこの先生方や子供たちとは深い交流がありました。校長・浅沼政規は光太郎に関する貴重な回想を数多く残しました。子息の浅沼隆氏は、現在も光太郎の語り部として花巻で活動されています。

東方亭」は、戦前からの光太郎行きつけのトンカツ屋。荒川区の三河島に店がありました。

まず状況をわかりやすくするために、地方紙『陸奥新報』さん記事から。

教科書掲載の作家紹介/県近代文学館

 県近代文学館で特別展「教室で出会った文学」(9月19日まで)が開かれている。国語の教科書に掲載されるさまざまな文学作品は、子どもが文学の世界に触れる入り口でもあり、大人には懐かしい青春の思い出。同展は多くの教科書で取り上げられてきた森鷗外、夏目漱石、石川啄木、宮澤賢治、与謝野晶子、芥川龍之介、高村光太郎の7氏を第1部で、太宰治、三浦哲郎、寺山修司ら本県出身作家を第2部で紹介している。また黒石高校情報デザイン科の協力を得て作家たちのイメージイラストも展示されるなど、夏休みに子どもたちが楽しむことができる内容となっている。
 第1部では、森鷗外の「中村範宛書簡」や石川啄木の「金田一京助宛葉書」、宮澤賢治の「雨ニモマケズ手帳(複製)」、芥川龍之介の「自筆短冊」、高村光太郎の「桂月メダル」などが、貴重な初版本や当時掲載された雑誌などとともに展示。本県との意外な関わりを記した紹介文も目を引く。中でも与謝野晶子のコーナーでは、板柳町の歌人・安田秀次郎らの招きで、夫・鉄幹(寛)と夫婦で本県を訪れた際に書いた自作短歌の屏風(びょうぶ)も展示。見分けが付きにくいほどよく似た夫婦の直筆による多くの歌が詠み込まれており、貴重な展示物となっている。安田は、夏目漱石とも書簡のやり取りがあり、同書簡は本展が初公開。独自の町人文化が栄えた板柳町をはじめとする本県と、中央で活躍する文人との交流の深さが、第1部の展示から想像できる。
 第2部では、新課程の教科書に登場する本県出身作家に着目し、関連資料や最新の教科書などを展示。同館が調査した結果、圧倒的な数を誇ったのは、やはり太宰治で特に「走れメロス」は中学校の教科書すべてに掲載されているため、全国の中学生のいわば必読の書とも呼べる作品となっている。
 特別展では、来館者全員に黒石高校情報デザイン科作成のポストカードがプレゼントされるほか、夏休み期間中には小・中・高校生を対象にした「太宰治と文豪の秘密ガイドツアー」を実施。他にも「あおもり文学ゼミ『教室で出会った作家と青森』」、朗読劇「教室で出会った太宰作品メドレー」などのイベントが行われる。入館無料。問い合わせは同館(電話017-739-2575)へ。

というわけで、同展の詳細。

令和4年度特別展「教室で出会った文学」

期 日 : 2022年7月16日(土)~9月19日(月)
会 場 : 青森県近代文学館 青森県青森市荒川藤戸119-7
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 7月28日(木) 8月25日(木) 9月14日(水)
料 金 : 無料

 学校で使用する国語の教科書には様々な文学作品が掲載され、時代とともに掲載される作品も変化してきました。その中で、今も昔も多くの人に親しまれている作品や作家が存在します。
 今回の特別展では、青森県出身者という視点から離れ、教科書に作品が掲載され続けてきた7人の作家❶森鷗外(もり・おうがい)❷夏目漱石(なつめ・そうせき)❸石川啄木(いしかわ・たくぼく)❹宮澤賢治(みやざわ・けんじ)❺与謝野晶子(よさの・あきこ)❻芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)❼高村光太郎(たかむら・こうたろう)を大きく取り上げ、青森県との意外な関わりについても紹介します。
 また、太宰治、三浦哲郎、寺山修司といった、教科書に作品が掲載されている青森県出身作家の関連資料や最新の教科書も展示します。

主な展示資料
 森鷗外   「中村範宛書簡」 「舞姫」初出雑誌 等
 夏目漱石  「安田秀次郎宛書簡」 前期3部作・後期3部作(初版含む初期の本)等
 石川啄木  「金田一京助宛葉書」3通(実物展示は7/16~8/24)等
 宮澤賢治  「雨ニモマケズ手帳(複製)」 『春と修羅』初版本 等
 与謝野晶子 「安田秀次郎宛書簡」 「自作短歌屏風」等
 芥川龍之介 『羅生門』再版本 『傀儡師』『芋粥』初版本 自筆短冊 等
 高村光太郎 『道程』初版本 「桂月メダル」(レリーフ) 自筆色紙 等
 教科書掲載の太宰治、三浦哲郎、寺山修司関連資料と、新課程の教科書 等
 その他、初版本や初出雑誌、自筆資料等、多数展示します。
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関連行事

来館者にポストカードプレゼント
 今回の特別展のポスター及びちらしのイメージは黒石高等学校情報デザイン科に制作していただきました。来館者の方々に、黒石高等学校情報デザイン科制作のイメージが印刷されたポストカードをプレゼントします。
※イメージを複数制作していただいたため、各作品を使用したポストカード(数種類)をご用意しています。
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第2回あおもり文学ゼミ「教室で出会った作家と青森」 令和4年7月31日(日曜日)
 今回の特別展で取り上げる7人の作家について紹介し、青森との意外な関わりを解説する講座です。
 時間:14時00分から15時00分
 会場:青森県立図書館4階研修室
 講師:青森県近代文学館室長
 参加無料 事前申込不要 当日は会場へ直接お越しください。

朗読劇「教室で出会った太宰作品メドレー」 令和4年8月21日(日曜日)
 津軽地方を中心にドラマリーディング(朗読劇)上演活動を続けている声優劇団「津軽カタリスト」が、教科書に掲載されてきた「走れメロス」や「葉桜と魔笛」等、太宰治の作品の朗読劇を行います。
 時間:14時00分から15時20分
 会場:青森県立図書館4階集会室
 当日はYouTube( 津軽カタリストのチャンネル )でLIVE配信も行います。
 観覧無料 事前申込不要 当日は会場へ直接お越しください。

夏休み企画「太宰治と文豪の秘密ガイドツアー」
 夏休み期間中(7月22日~8/23日)、毎日3回ずつ、対象年齢に合わせた展示の解説を行います。
 小学生 10時~  中学生 14時~  高校生 16時~
 ※この時間以外にも、ご希望に応じて解説いたします。
 ※保護者や教職員、一般の方もご参加いただけます。

というわけで、主に若い世代を対象とした感じですが、はるか昔に「教室」を巣立たれた皆様もぜひどうぞ(笑)。

光太郎に関しては、まず『道程』初版本。大正3年(1914)、200部ほど自費出版で作られ、光太郎によれば、嘘かまことか、書店を通じてきちんと売れたのは七冊だけだったそうで、現在残っているものは、光太郎が友人知己に献呈したものがほとんどと考えられます(当方も一冊持っていますが)。それでも残本が多く、中身はそのままに奥付と外装を換えて何度か刊行されました。国会図書館さんのデジタルデータで公開されているものは、大正4年(1915)の改装本です。オリジナルの形で残っているものは、刊行後に関東大震災や太平洋戦争があったことを考えると、数十冊あるかないかと思われます。
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「桂月メダル(レリーフ)」。昭和28年(1953)10月、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式の際に関係者に配付されたもの。小品ではありますが、完成作としては光太郎最後の彫刻作品です。
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それから、「自筆色紙」。こちらは詳細不明です。やはり「乙女の像」の関連で、現地の関係者に揮毫して贈呈したものかな、と思われます。

それから「等」。光太郎本人の書ではありませんが、詩「道程」を大書した作品が展示されている模様です。
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ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

十和田休屋によき敷地を見つけて台石建設の万般の手筈を終わりし由、

昭和28年(1953)8月19日の日記より 光太郎71歳

「乙女の像」についてです。原型は既に完成していましたが、設置場所は宙に浮いた格好になっていました。というのも、元々この事業に関わっていた地元の怪しげなボスと旧厚生省の外郭団体のドンが、プロジェクトから外される形となり、その腹いせに当初建設予定地の子の口(ねのくち)への設置はまかり成らん、と、横槍を入れてきたためです。いつの時代にもこういう輩がいるのですね(笑)。

それに対し、像を含む公園全体の設計を担当した建築家・谷口吉郎、光太郎の身の回りの世話等も行っていた詩人の藤島宇内が再度十和田湖に出向き、現在の設置場所である休屋御前ヶ浜にいい感じの場所を見つけ、交渉を済ませてきたというわけです。

昨日に引き続き、智恵子の故郷・福島からのイベント情報です。

プレスリリースから。

60万球が光り輝く福島の夏の風物詩「あだたらイルミネーション」7/31(土)開幕! 今年で開催10周年!カラフルなインスタ映えメニューも多数登場!

 富士急安達太良観光株式会社が展開する「あだたら高原リゾート」(福島県二本松市)では、2022年7月30日(土)~9月19日(月祝)の期間、「あだたらイルミネーション」を開催いたします。

 今年で11年目を迎える本イベントは、光の天の川を中心に花や動物などをモチーフにしたイルミネーションで輝くあだたら高原リゾートの夏の風物詩です。今年の見どころは、ゲレンデに広がる光の天の川に、わし座・こと座・はくちょう座で構成される「夏の大三角形」や「北斗七星」、「カシオペア座」といった夏の星座をイルミネーションで楽しめるほか、ここでしか見ることができない光り輝く二本松のマスコットキャラクター「菊松くん」のフォトスポットや昨年から黄色の輝きがさらにパワーアップした「光のひまわり回廊」など、夜の安達太良山を美しく彩ります。また、暗闇に光るかき氷や光るドリンクなど、イルミネーションを鑑賞しながら楽しめるひんやりメニューも登場いたします。
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 さらに、期間中の特定日には、安達太良山の夜空に願いを込めてたくさんのスカイランタンを浮かべる参加型イベント「LEDスカイランタンフェスティバル」も開催。イルミネーションの輝きと相まって、世界でここだけの幻想的な光景が広がります。

 夜だけではなく昼から来ても楽しめるあだたら高原リゾートでは、岳温泉名物の温泉たまご「とろんたま」がトッピングされた「とろんたま入り台湾風まぜそば」や、かき氷のようでかき氷ではない、アイスクリームともまた違う、雪のようなふわふわ食感の冷たいスイーツ「あだたらスノーアイス」など、夏にぴったりのメニューが新登場。ぜひ、ご賞味ください。

 あだたら高原リゾートでは、ご来場いただく全てのお客様に安心してお楽しみいただけるよう、新型コロナウイルス感染症対策を徹底しております。この夏は、阿武隈の山々を見渡す絶景の大パノラマと幻想的なイルミネーションの世界を楽しみに、「あだたら高原リゾート」へぜひお越しください。

【「あだたらイルミネーション」概要】
・開催期間  2022年7月30日(土)~9月19日(月祝)
 ※8月29日以降は、金・土・日・祝日のみの営業
・営業時間  19:00~21:00
 ※ロープウェイの上り最終20:30、下り最終20:50
・料金
  入場料:中学生以上600円、小学生以下400円
  入場料とロープウェイ乗車料のセット:中学生以上1,400円、小学生以下900円
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LEDスカイランタン【ほんとの空に願いをこめて】

 今年で3年目を迎える「LEDスカイランタンフェスティバル」がこの夏も皆様の期待にお応えし開催いたします。オレンジ、ピンク、グリーン、ブルー、レッドの5色のランタンが夜空に浮かび、ここでしか見られない幻想的で美しい光景が広がります。
・開催日 8月6日(土)、13日(土)、20日(土)、27日(土)、
     9月3日(土)、10日(土)、17日(土)、18日(日)
・時間  18:00受付開始、20:00ランタンリリース予定
・料金  3,500円(ランタン1基、イルミネーション入場料1名分含む)
・参加方法  各開催日前日までの予約申込み ※各日先着80名様限定​
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■インスタ映え間違いなしの光るメニューが登場!    
 「富士急レストハウス」では、イルミネーション期間中限定で、「光るかき氷」と「光るドリンク」を販売いたします。「光るドリンク」には安達太良山の夜空に輝く星座をイメージした「スターライト(バラフライピーシロップ入)」が新登場!キラキラと光り輝く様子はイルミネーションをさらに華やかに彩ること間違いなしです。
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■インスタグラム写真投稿キャンペーン開催!
 公式インスタグラム(@ adatara_illumination)をフォローの上、指定ハッシュタグ「#あだたらイルミ2022の思い出」をつけ、場内で撮影したイルミネーションの写真を投稿していただいた方の中から抽選で、地元特産品をセットにした賞品やリフト券&温泉入浴券セットをプレゼントいたします。この機会に、ぜひご参加ください。
【A賞】岳温泉十二支めぐり&温泉の素3種(5名様)
【B賞】桃の恵みジュース&温泉の素3種&あだたら山ピンバッチ(5名様)
【C賞】スキーリフト券&奥岳の湯入浴券セット(5組10名様)
◎賞品概要
「岳温泉十二支めぐり」は、岳温泉観光協会が企画・作成したもので、温泉街にある十二支の石柱をめぐり、ポストカードに版画を写して温泉街を巡ることができます。温泉の素は、岳温泉街にある佐藤物産館オリジナルの入浴剤で、「岳の湯」をはじめ「大玉の湯」など福島県内の温泉が再現されています。JAふくしま未来の「桃の恵み」は、桃の旨味をそのまま閉じ込めた果汁100%ジュースで、桃の名産地福島だからできた商品です。あだたら山ピンバッチは、あだたら高原リゾートオリジナル商品で、ロープウェイ山麓駅のレストハウス(売店)、「あだたら山奥岳の湯(売店)」のみでしか購入できない限定品になります。
 
■夏の爽やかメニュー多数登場!
 「富士急レストハウス」では、7月16日(土)より暑い夏にぴったりのメニューを多数販売いたします。辛いものがお好きな方に向けて、岳温泉名物の温泉たまご「とろんたま」が辛い麺と絡み合う「とろんたま入り台湾風まぜそば」や麻婆豆腐がたっぷりのった「麻婆そば」、かき氷のようでかき氷ではない、かといってアイスクリームとも違うまるで雪のようなふわふわ食感の冷たいスイーツ「あだたらスノーアイス」が新登場。お好みのソース(ストロベリー、ピーチ、チョコ)をかけて、お召し上がりください。
 さらに、昨年の夏に販売しご好評をいただいた、梅の酸味が食欲をそそる「梅とチキンのさっぱり冷やしうどん」や見た目も鮮やかでボリューム満点の「具だくさんの冷やし鶏塩ラーメン」もご賞味いただけるほか、「あだたらかき氷ソフト」と「あだたらソーダ」に今夏桃フレーバーが仲間入り。青空や緑の木々をバックに撮影すれば、インスタ映えすること間違いなしです!ぜひ、この機会にご賞味ください。
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【昼から来ても楽しめる魅力がいっぱい!】
■ロープウェイからの絶景、薬師岳パノラマパークからの雄大な景色を一望
 「日本百名山」の一つに数えられる安達太良山は、標高1,700mで夏でも涼しい環境で大自然を満喫できます。あだたら山ロープウェイに乗って約10分の空中散歩を楽しんだ後、山頂駅からは阿武隈山系や福島市街地を一望。さらに、散策道を10分程歩いたところにある「薬師岳パノラマパーク」では、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる、青く澄みきった空と絶景の大パノラマが楽しめるほか、山肌にはハートの形を発見することができ、見どころいっぱいです。
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■絶景露天風呂「あだたら山奥岳の湯」でリフレッシュ!
 標高約950mに位置する「あだたら山奥岳の湯」は、遮るもののない眺望が自慢の露天風呂で、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる「ほんとの空」を全身で楽しんでいただくことができます。また、内湯は「源泉かけ流し」で、泉質は全国的にも珍しいph2.5の酸性泉で、筋肉痛や神経痛、疲労回復、また皮膚病への効能や美肌効果もあると言われております。
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ここまで「ほんとの空」の語を連発されては、紹介しないわけにはいきません(笑)。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

群像の人くる、迎の車で西銀座「出井」といふ料亭で、金子光晴、三好豊一郎氏と三人詩の座談会、

昭和28年(1953)8月13日の日記より 光太郎71歳

「出井」はつい先頃まで健在だった割烹料亭です。この日の座談会の模様は、この年11月の雑誌『群像』に「現代詩について」の題で掲載されました。

7月16日(土)付『福島民報』さんから。

【写真展138億光年宇宙の旅】③人類宇宙探査の集大成

004 福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で十六日開幕する写真展「138億光年 宇宙の旅」は、高精細の天体写真で星空の美しさを伝える。監修する国立天文台上席教授渡部潤一さん(会津若松市出身)が見どころを寄稿した。

「ほんとの空がある」
 高村光太郎の妻・智恵子が、住んでいた東京にはなくて、故郷の二本松市だけに「ほんとの空」があると語った言葉から生まれた、『あどけない話』という詩である。福島にはまだ「ほんとの空」が残されている。それは夜の方がわかるかもしれない。東京では星座も結べないほど星が見えないが、福島では市街地を離れれば、まだまだ満天の星が見られるからだ。
 そんな「ほんとの空」のある福島には星を見に来る人も多いが、この夏は拍車がかかるかもしれない。最新の宇宙の写真展が福島市で開催されるからだ。展示されるのは、本紙のみんぽうジュニア新聞などでもしばしば紹介してきた驚くべき宇宙画像の数々。それらは現代の最新の観測装置群、例えばNASA(National Aeronautics and Space Administration、アメリカ航空宇宙局)のハッブル宇宙望遠鏡や数々の惑星探査機、日本の国立天文台がハワイに設置しているすばる望遠鏡や、欧米と共にチリに建設したアルマ望遠鏡など、世界中の最新鋭の望遠鏡群が撮影した画像だ。
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 百三十八億光年かなたの、宇宙の果てのかすかな銀河から、太陽系の惑星までさまざまな時間・空間スケールの異なる天体が並ぶ。美しさと鑑賞性を重視し、選び抜かれた画像群だ。宇宙から見た地球や立体的なオーロラなどの自然現象、人類の存在を示す夜景や人工建設物の造形、探査機が明らかにした驚くべき惑星の素顔の数々、そして何よりも芸術のような深宇宙の天体群の数々。可視光だけでなく、目に見えないエックス線から紫外線、赤外線までカバーして作られた疑似カラー合成画像は、美しさだけでなく、人類の宇宙探査の集大成でもある。
 これら深宇宙の天体の数々をたどり、百三十八億年の宇宙の歴史を感じていただくとともに、宇宙の中の地球という惑星に生きていることの奇跡を実感してもらえれば幸いである。

 わたなべ・じゅんいち 1960(昭和35)年、会津若松市生まれ。会津高、東京大理学部天文学科卒。東京大の大学院、東京天文台を経て、国立天文台上席教授を務めている。専門は太陽系小天体(すい星、小惑星、流星など)の観測的研究。国際天文学連合の惑星定義委員として準惑星のカテゴリーをつくり、冥王星をその座に据えた。2018(平成30)年から国際天文学連合副会長を務めている。61歳。

写真展「138億光年 宇宙の旅」についても、同紙から。

論説 【宇宙の旅写真展】地球いとおしむ機会に

 百億光年以上も離れた星々に間近に接し、想像力は果てなく広がる。きょう十六日から八月二十一日まで福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で開かれる写真展「138億光年 宇宙の旅」は、人類の英知を集めた最新画像で見る人を無限の時空へいざなう。地球や自らの存在を考える貴重な機会になる。
 写真展は、日本を代表する天文学者で国立天文台上席教授の渡部潤一さん(会津若松市出身)が監修した。米国航空宇宙局(NASA)をはじめ、世界の宇宙望遠鏡、惑星探査機などが捉えた写真百二十五点を大型の高品位銀塩プリントで紹介する。激しく噴き上がる太陽のプロミネンス(紅炎)、わし星雲の「創造の柱」と呼ばれる神秘的な領域など、多様な天体の姿が見られる。百三十億光年以上の距離にある銀河の写真も公開される。
 地球を捉えた写真の数々にも注目したい。月の地平線から浮かび上がる「地球の出」は、水と生命を湛[たた]える麗しさに息をのむ。地球は今、気候変動による環境破壊が進む。感染症や戦火にも脅かされている。持続可能な存在にするための国際目標(SDGs)がうたわれている。写真を通して県民が自分事と捉え、SDGsへの意識を日常の行動につなげるきっかけになればと願う。
 渡部さんは十五日付本紙への寄稿で、「福島にはまだ『ほんとの空』が残されている。それは夜の方がわかるかもしれない」と思いを伝えている。美しい満天の星空を末永く守るためにも、一人一人の心がけは欠かせない。
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機はやぶさ2が小惑星りゅうぐうから持ち帰った砂などの試料に、「生命の源」ともいわれるアミノ酸が含まれていると分かり、世界を驚かせた。会津大や複数の県内企業がはやぶさ2のプロジェクトに深く関わっている。会場では、はやぶさ2の二分の一模型や、県内企業が手がけた人工クレーターをつくる衝突装置なども紹介される。未知の領域に挑む県人の潜在力も感じてほしい。
 渡部さんは「深宇宙の天体の数々をたどり、百三十八億年の宇宙の歴史を感じていただくとともに、宇宙の中の地球という惑星に生きていることの奇跡を実感してもらえれば」とも期待した。人種や国籍を問わず、誰もが同じ奇跡の上にあると知れば、互いを慈しむ心は深まる。未知なる宇宙の深淵[しんえん]に触れ、現在と、これからの地球を見渡す視界も広げたい。

同展詳細はこちら。

写真展 138億光年宇宙の旅-驚異の美しさで迫る宇宙観測のフロンティア-

期 日 : 2022年7月16日(土)~8月21日(日)
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 7/25(月)・8/8(月)
料 金 : 一般 1,200円 中高生 900円 小学生 600円

関連行事<講演会>
 講師 渡部潤一(国立天文台 上席教授)
 日時 7/23(土)13:30~15:00
 場所 2階会議室
 定員 200名(先着順)※定員になり次第締め切り
 申込 メールにて jigyo@fukushima-minpo.co.jp
    ※郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を明記のうえお申込みください。
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コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

ひる頃平凡社の美術全集よりくる、エジプト彫刻のグラビヤ解説4枚20日〆切、

昭和28年(1953)8月7日の日記より 光太郎71歳

この年9月5日発行の『世界美術全集 第4巻 古代エジプト』のための原稿です。

光太郎はプリミティブなエジプト彫刻の美を愛しました。欧米留学中の明治40年(1907)から翌年にかけ、ロンドン滞在中に大英博物館でエジプト彫刻をよく観ていたそうです。

それにしても、突然、書け、といわれても書けてしまうあたり、舌を巻かされます(笑)。
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文芸評論家の近藤信行氏が亡くなりました。『東京新聞』さんから。

近藤信行さん死去 文芸評論家

007 近藤信行さん(こんどう・のぶゆき=文芸評論家)17日、老衰のため死去、91歳。東京都出身。葬儀は近親者で行う。
 中央公論社で「中央公論」「婦人公論」などの編集に携わり、文芸誌「海」の編集長を務めた。「小島烏水 山の風流使者伝」で大仏次郎賞を受賞。山梨県立文学館の館長も務めた。
 登山関連の書籍を多数編さん。他の著書に「安曇野のナチュラリスト 田淵行男」など。

近藤氏、記事にあるとおり山梨県立文学館さんの館長を務められていまして、その関係もあって連翹忌にご参加下さったこともおありでした。

館長在任中の平成19年(2007)には、同館で企画展「高村光太郎 いのちと愛の軌跡」を開催して下さいました。

その際には、関連行事として、光太郎令甥で写真家であらせられた故・髙村規氏、世田谷美術館館長・酒井忠康氏との鼎談「高村光太郎の人生 パリ・東京・太田村」をなさったり、同展図録には館長としての巻頭挨拶文「開催にあたって」、論考「高村光太郎の“戦後”」をご執筆されたりしました。
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謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

大町桂月のメダルをはじめる、


昭和28年(1953)8月4日の日記より 光太郎71歳

大町桂月のメダル」は、この年10月に開催された、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式の際、関係者に配られたものです。元々「乙女の像」が、十和田湖の景勝美を世に広めた大町桂月らを顕彰するモニュメントだったことに関わります。

小品ながら、完成した彫刻としては、光太郎最後の作品です。
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7月15日(金)、花巻高村光太郎記念館さん、そして高村山荘を後に、再び花巻市街へ。今回は、宿泊する大沢温泉さんにチェックインする前に、少し調べ物を、という計画を立てておりました(直前になってそう決めたのですが)。

そこで、花巻市立図書館さんへ。
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まず「郷土資料室」という部屋があり、光太郎関連で目新しい発見がないか、チェック。残念ながら、コピーを取る必要のあるものは発見出来ませんでした。

続いて「新聞資料室」。戦中・戦後の光太郎が花巻町及び郊外旧太田村にいた時期の新聞で、『高村光太郎全集』に洩れている光太郎の談話や講演筆記などが載っていないか、というわけです。ところが、光太郎がいた時期の新聞はあまりありませんでした。最も調べたいと思っていた『花巻新報』(題字揮毫、光太郎)は、光太郎帰京後の昭和30年代からのものしか所蔵されていません。それでも光太郎関係の記事は散見されるのですが、それらは既知。

しかし『岩手日報』は、昭和28年(1953)からのものが所蔵されており、そちらを拝見。光太郎、昭和27年(1952)には、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京していますが、昭和28年(1953)11月から12月にかけ、一時的に郊外旧太田村に帰っていますので、その頃の記事を調べました。

すると……
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まず光太郎が太田村に帰ってくると聞きつけた記者が、東京中野の貸しアトリエを訪問しての記事。光太郎を「六十九歳」としているのは誤りで、この時、満で70歳、数えで71歳です。光太郎の談話が笑えますね(笑)。1年ちょっとぶりに太田村に帰るということで、ウキウキしていたのかもしれません。

そして、花巻駅に下り立ったという記事。
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続いて太田村の山小屋に帰って。この時の記事が一番面積を取っていました。
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さらに、再上京についても。
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光太郎の言葉と、地の文と、もっと明確に分けて書けよ、と突っ込みを入れたくなりましたが、貴重な記録ではあります。

意外だったのは、「十和田湖畔の裸婦群像」を「みちのく」と表記していること。「乙女の像」という通称も既に使われていましたが(当初は通称というより、「仁王像」「騎馬像」のようなカテゴリを表す普通名詞でしたが、その後、「乙女の像」といえば十和田湖、となっていった感じです)、「みちのく」という愛称も既に広く使われていたのは発見でした。

それにしても、一芸術家が帰村したのしないの、また上京してしまったのと、いちいち大きく取り上げるあたり、時代背景というものもありましょうが、いかに花巻や太田村の人々に光太郎が愛されていたかの証左だな、とも感じました。また、光太郎の談話からは、逆に光太郎がどれだけ花巻や太田村を愛していたのかも読み取れますね。

この日は(というか、この日も)、花巻南温泉峡・大沢温泉さんに宿泊。
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直近2回(昨年12月今年3月)は、一人旅ではなかったため、ちょっと高級な山水閣さんに泊まりましたが、今回はホームグラウンド的な自炊部さんに。
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ちょっと高級な山水閣さんは、それはそれでいいのですが、やはり自炊部さんのこの狭さ風情がたまりません(笑)。

現代の『岩手日報』さん。花巻東高校出身の大谷翔平選手が一面トップ(笑)。
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現代の岩手人はとにかく大谷ラブなのでしょう。

そして露天風呂。
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KIMG6508何らのしがらみも無ければ、ここ(自炊部)で暮らしたいくらいです(笑)。

ちなみに廊下には、花巻高村光太郎記念館さんでの企画展「光太郎、海を航る」のポスターを貼って下さっていました。ありがたし。

翌日、レンタカーを新花巻駅前の営業所に返し、新幹線で盛岡へ。盛岡駅前の営業所返却にすればよかったかなとも思いましたが、今回はなかなか旅の行程を決めるのに手間取り、そうなってしまいました。

盛岡では岩手県立図書館さんへ。昨日に続き、郷土資料や昔の新聞で調査です。花巻市立図書館さんには揃っていなかった『花巻新報』もこちらではコンプリートされており、昨日同様、昭和28年(1953)の光太郎帰村前後を調べました(それ以前の号は一昨年に調査済み)。

すると、花巻市立図書館さんでコピーを取った『岩手日報』同様、やはり帰村の件が記事になっていました。
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「来春六月にはまた帰るよ」といって、再上京した光太郎。他の文献等でも、この時期、東京と岩手での二重生活を目論んでいたことが記されていましたが、それが裏付けられました。しかし、その念願は叶わず、結局は東京で療養生活を送ることになってしまい、再び岩手の土を踏むことはありませんでした。

「九州に建てる胸像」は、未完成のまま絶作となった「倉田雲平胸像」です。

また、同じく昭和28年(1953)9月の、宮沢賢治を追悼する賢治祭の記事。
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太田村在住中には、ほぼ欠かさず出席し、講話や講演を行っていた光太郎ですが、この年は上京していたため欠席。しかし、当会の祖・草野心平にメッセージの原稿を預け、心平が代読していました。『花巻新報』にこれが載っていたという情報は得ていませんでしたので、こりゃ新発見だろう、と期待しましたが、帰ってから調べましたところ、『高村光太郎全集』第8巻に「一言」の題名で載っていました。どうも心平が原稿を保存していて、全集編集に当たった当会顧問であらせられた故・北川太一先生に渡したようです。『花巻新報』に載っていたのがわかった、という意味では新事実と言える事柄ですが。

それから、岩手で出版された書籍等から、光太郎関連のいろいろな記述等を見つけました。高橋峯次郎関係、宮静枝関係など。

また、光太郎作の彫像「大倉喜八郎の首」についても、当方の知らなかった事実(とおぼしき事柄)が判明しました。
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この像、大正15年(1926)の作ですが、しばらく光太郎の手許を離れていて、昭和24年(1949)、盛岡在住だった彫刻家、堀江赳から光太郎に返却されました。なぜ堀江が持っていたのか、その経緯を当方は知らなかったのですが、『北の文学』という地方同人誌の第3号(昭和32年=1957)に、そのいきさつが記されていました。古館勝一という人物の書いた「高村光太郎ノート」という随筆とも評論ともつかない文章でしたが、それによれば堀江が戦時中に駒込林町の光太郎住居兼アトリエを訪れた際、空襲を危惧していた光太郎が、何か作品を預かってくれと言うので、堀江が「では、これを」と預かったそうです。

上記画像はブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」の一コマ。太田村の山小屋で光太郎が「大倉喜八郎の首」を手に取っているシーンです。昭和28年(1953)の帰村は、この映画の撮影のためという側面もありました。

上記『岩手日報』記事中の光太郎談話に「山口部落の人々には驚いた。残して行った作物を留守中ちゃんと置いてある。誰も持って行かない。」とあります。「作物」は「さくもつ」と読めば「農作物」ということになりますが、それでは意味が通じません。「さくぶつ」と読んで、小屋に置きっぱにしていった「大倉喜八郎の首」や、書の作品、と読めば意味が解ります。そういうことなのではないでしょうか。

さて、こうした図書館等での調査、当方は3~4時間が限界です。それ以上続けると、集中力が途切れ、大事な記述等を見落とします。集中に優れた人は丸一日でも大丈夫なのでしょうが(笑)。そこでこの日も正午過ぎに調査終了。まだ『新岩手日報』やら、当たるべき資料が結構あるので、またの機会と致します。

以上、長々書きましたが、岩手レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

岩手の佐藤ひろしさん椛澤佳乃子さんくる、一緒に新宿、火の車、吾妻橋ビヤホール、江戸ツ子天ぷらにゆき東京駅で別れる、


昭和28年(1953)7月12日の日記より 光太郎71歳

佐藤ひろしさん」は、旧太田村の光太郎の山小屋近くの開拓地に入植していた青年で、かつては光太郎の山小屋を毎日のように訪れ、光太郎のパシリ的なこともやっていました(笑)。口さがない人々は「金魚のフン」と蔑んでいましたが、光太郎はこの青年を随分とかわいがっていました。

誤解を招く書き方ですが「岩手の」が修飾しているのは「佐藤弘さん」のみで、「椛澤佳乃子さん」は東京在住。ただ、旧太田村の山小屋もたびたび訪れていましたので、佐藤青年とも顔なじみだったようです。

7月15日(金)、道の駅はなまき西南さんを後に、車で10分ほどの花巻高村光太郎記念館さんへ。
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玄関前には、花巻農業高校生徒さん、保護者の皆さんにより寄贈されたベゴニアのプランター。ありがたし。
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こちらでは、7月16日(土)から企画展「光太郎、海を航る」が始まるということで、前日ですが、準備は終了していたため拝見して参りました。

メインは一昨年、都内の方から寄贈された、光太郎から3歳下の実弟・道利に宛てた絵葉書。明治42年(1909)、留学の最後に敢行したイタリア旅行中、ローマで投函されたものです。

今伊太利旅行中。今日羅馬に来りたり。古羅馬の偉大なりしを想見して驚かざるを得ず。

 四月四日  羅馬にて  高村光太郎          光

最後の「光」はサインです。
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解説パネルは、例によって当方が書かせていただきました。

同時期のもの、ということで、当方手持ちの絵葉書もお貸ししました。
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明治41年(1908)、当時滞在していたロンドンから、パリにいた留学中間で画家の白瀧幾之介に送ったものです。共通の友人として、碌山荻原守衛や、後に妻の八重ともども、光太郎と智恵子を結びつけた画家の柳敬助の名も記されています。

新年の御慶申納候 僕の処へも荻原君から手がみがあつた。柳君の最近の手がみにある番地は矢張り618w.114stとある。此でいいのだらう。  二日 光太郎

さらに、館蔵の書幅。
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戦後の筆跡ですが、明治39年(1909)、海外留学へと旅立った船上で詠んだ短歌「海にして太古の民の驚きをわれふたたびす大空のもと」が書かれています。枯淡というか、深奥というか、戦後に光太郎がたどり着いた境地がにじみ出ている書だと思います。

肉筆物では、草稿も。
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「ミケランヂエロの彫刻写真に題す」。昭和16年(1941)8月20日(龍星閣版『智恵子抄』初版と同日)アトリヱ社刊、天田文雄編の写真集『ミケランヂエロ MICHAEL ANGELO』のために書かれたものです。

当方手持ちの同書をお貸ししまして、ガラスケースに展示。
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左は『世界美術全集17 ルネサンスⅡ 西洋十六世紀』(昭和26年=1951 3月25日、平凡社刊。下中彌三郎編)。旧太田村の山小屋(記念館さんの敷地内)で、光太郎により執筆された「ミケランヂェロ・ブオナローティ」を収める他、ミケランジエロ作品の写真版17葉の解説も、かつてイタリア各地でそれらを実際に見た光太郎が執筆しました。
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ガラスケースは一つだけ。何やら展示の準備を始めたところ、もう一つ使う予定だったケースにカビが発生していたそうで……。そこで壁面での展示が中心です。解説パネルも文字が多く、一般の方には取っつきにくいように感じます。上記『世界美術全集17』の図版などもパネルにしてくれと頼んだのですが……。
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その他、もう一つのガラスケースに入れるはずだった、留学に関わる土地や船舶の古絵葉書などは、ディスプレイで投影。
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全体にはちょっと地味というか、寂しいというか……。もう一つガラスケースを何とか手配して、展示品を増やして下さいとお願いしてきましたが、どうなることやら、です。

隣接する高村山荘(光太郎が戦後の7年間を暮らした山小屋)へ。
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北東北はまだ梅雨明けと発表されておらず、千葉の自宅兼事務所ではとっくに終わった紫陽花も咲いていました。
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山小屋内部。
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何十回目かの訪問ですが、来るたびに粛然とした気持にさせられます。

この後、市街に戻り、花巻市立図書館さんへ。光太郎が居た当時の新聞などの資料を渉猟して参りました。続きは、また明日。

【折々のことば・光太郎】

午前静子くる、ジユバン、アメなどもらふ、染井墓まゐりにゆく由、


昭和28年(1953)7月10日の日記より 光太郎71歳

静子」は光太郎のすぐ下の妹。上記の道利とは双子でした。道利は昭和20年(1945)、光太郎実家の庭に掘った防空壕に転落した事故が元で死亡。既に染井霊園の高村家墓所に入っていました。

昨日まで、1泊2日で岩手県に行っておりました。レポートいたします。

1日目、7月15日(金)。東北新幹線新花巻駅に降り立ち、例によってレンタカーを借りました。まず向かったのは、「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さん。北東北はまだ梅雨明けが発表されていないということで(関東も「戻り梅雨」的様相ですが)、この日も結構降っていました。
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こちらのインフォメーションコーナー的な一角。
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過日、近くにガソリンスタンドをオープンさせた冨士見総業さんが、光太郎賢治関連書籍などをごそっと寄贈なさいました。なかなかできることではありませんね。
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書棚が3つ、約470冊、10万円相当だそうで。書棚にはガラスの戸が付いており、夜間は施錠するそうですが、日中は自由に取り出して読めるようになっています。

光太郎関連。
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図書館さんのように貸し出しをするわけではないので、ここで読むにはどうなのかな、というものもありますが、図版の多い書籍なども含まれ、いいのではないでしょうか。
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書棚の隙間には、光太郎を描いたイラストも(写真を撮り忘れましたが、賢治も)。
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こちらの元ネタは、この写真です。
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宮沢賢治関連の書籍。光太郎関連よりも賢治関連の方が、さまざまな書籍等が出ていますので、やはりスペース的に光太郎関連の倍以上。
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シリーズ物で、光太郎・賢治関連もラインナップに入っているものなども。
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これから学校さんは夏休みに入っていきますし、ぜひ小中学生さんたちにも活用していただきたいものです。

その隣では、地元ご在住のMICHINOさんという方の色鉛筆画で「器と楽しむ光太郎ランチ」。こちらの道の駅のテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」を洒落た器に盛りつけて描いた作品です。
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食欲をそそられます(笑)。

実物の写真等も。
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この日は15日で、「光太郎ランチ」の販売日でした。そこで、一つ、確保していただいておりました。
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この日のメニューは、「ごま飯・おにぎり」、「赤魚塩麹焼き」・「ズッキーニグラタン」、「野菜サラダ」、「スナップエンドウの卵とじ」、「塩麹卵焼き」、「お新香」、「茹でトウモロコシ」、「梅干し寒」。彩りも鮮やかですし、栄養バランスもしっかり考えられていますね。

と、まぁ、「賢治と光太郎の郷」という愛称通りに、さまざまな取り組みをなさっている道の駅はなまき西南さん。今後も地元の皆さん、さらに市外の方々にも愛されていってほしいものだと思いました。

この後、近くの花巻高村光太郎記念館さん、そして光太郎が7年間の蟄居生活を送った山小屋(高村山荘)へ。以下、明日。

【折々のことば・光太郎】

鶴千代是秀翁くる、 藤島さんくる、 澤田伊四郎氏土方氏くる、土方氏の出版の序文の事、転載承諾、


昭和28年(1953)7月8日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」原型が完成し、ほっと一息、と思いきや、千客万来です(笑)。

鶴千代是秀」は「千代鶴是秀」の誤りです。伝説的道具鍛冶で、光太郎とは戦前からの付き合い。かつて光太郎も是秀作の彫刻刀を使っていまして、昨年、東京藝術大学さんで開催された「髙村光雲・光太郎・豊周の制作資料」展に出品されました。
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是秀の娘婿・牛越誠夫は石膏取り職人で、「乙女の像」の石膏取りを行っています。

藤島さん」は詩人の藤島宇内。再上京後の光太郎の身の回りの世話等をよくしてくれました。

澤田伊四郎氏」は、『智恵子抄』版元・龍星閣主。「土方氏」は彫刻家・土方久功。「転載」は、この年1月の『朝日新聞』に光太郎が寄せた土方の個展評「現代化した原始美-土方久功彫刻展-」を、龍星閣から出版する土方の著書『文化の果てにて』の序文として転用するということです。

昨日から
の日程で花巻に来ております。

本日から始まる花巻高村光太郎記念館さんの企画展示「光太郎、海を航る」の展示内容確認がメインです。開会前でしたが、昨日の内に確認して参りました。

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その前後、道の駅はなまき西南さん、花巻市立図書館さんにも足を運び、宿泊はいつものように大沢温泉♨さん。

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今日は盛岡まで足を伸ばして、調べものをして帰ります。

詳しくは帰りましてから。

お世話になっております信州安曇野の碌山美術館さんから、書簡が届きました。

何かと思えばこういう内容で……。
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同館のフェイスブックにこの件が出ていました。

【予告】7月15日(金)からクラウドファンディングに挑戦します!

碌山美術館はこれまで、施設の拡大とともに碌山と関係の深い優れた芸術家たちの作品コレクションを充実させ、 日本近代彫刻の展開をご覧いただけるよう努めてきました。

しかし64年の月日による傷みが「碌山館」を侵食しています。当館の本館にあたる荻原守衛の作品を展示する「碌山館」には雨漏りが見られ、修繕は早急の課題です。本来であれば補助金や自己資金で賄うところですが、昨年から続く新型コロナウイルス感染症の影響で、収入が大幅に減少し、今はなんとか積立金を取り崩しながら運営しているのが現状です。

この状況を打破し、貴重な作品を守り未来へとつなぐ為に、クラウドファンディングに挑戦することといたしました。目標金額は700万円。目標に届かなければいただいたご支援は全て返金になってしまう「All or Nothing」というルールです。クラウドファンディングでは、公開直後の5日間でどれだけ支援を集められるかが成功のポイントだといわれております。

そこで、今回の取り組みに少しでも共感していただけましたら、公開直後のタイミングで、ぜひご支援をいただけないでしょうか?

今回皆様からいただいた資金は、碌山館の修繕費に充てさせていただき、雨漏りの修繕、扉の再塗装などもあわせておこない、美しい姿で皆様をお迎えいたします。長い歴史の中でたくさんの方々のお力をお借りしてここまでつないできた想いを後世へつないでいきたい。そのために一生懸命取り組んでまいります。

是非、ご支援ください。

▼詳細・ご支援方法は7月15日(金)以降下記からご覧いただけます。
第一目標金額:700万円
支援募集期間:7月15日(金)9時〜8月31日(水)23時

申込書を兼ねたフライヤーも同封されていました。
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同館は、光太郎の親友だった碌山荻原守衛の個人美術館ですが、光太郎ブロンズも複数所蔵されており、第1展示棟で入れ替えながら常設展示して下さっています。

そしてメインの建物が、碌山館。昭和33年(1958)の竣工で、ロマネスク様式の教会風。安曇野のシンボル的な建造物でもありますね。
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入り口の内壁には、守衛を支えた人物ということで、光太郎の名も刻まれています。
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内部には、国指定重要文化財の「女」をはじめ、現存する守衛彫刻の全作品。

その碌山館が、ピンチです。こんなところにもコロナ禍の影響か、という感じですが。

当会としまして、早速、3万円コースで申し込み、入金を致しました。皆様方におかれましても、是非とも御支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

午前十時半出かけ車で浴風園、レントゲン検査、結局結核性と分る、静脈瘤ではないらし、いろいろ注意をきいてかへる、


昭和28年(1958)7月6日の日記より 光太郎71歳

「浴風園」は、現在の浴風会病院さん。こちらの医師・尼子富士郎に診てもらい、正式に結核と診断されました。自覚症状もあって自分ではわかっていたはずですが、これまで対外的には認めていませんでしたが、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の原型も完成し、一区切り、ということだったのでしょう。

まず、仙台に本社を置く『河北新報』さん、先週土曜日の記事です。

小学生に人気「守ろう! みんなの東北」完結 地域課題学ぶ漫画シリーズ

 東日本大震災からの復興、人口減少…。東北が抱える難題がモンスターになった―。漫画で地域を学ぶ「守ろう! みんなの東北」全4巻がこのほど完結した。東北の小学生の間で人気が高まっているシリーズはどのように生まれたのか。(編集局コンテンツセンター・佐藤理史)
   主人公は岩手県遠野市に暮らす小学6年の石澤研治(ケンジ)。ある日、大きな地震により、異世界の東北に迷い込む。現実世界の東北の人たちの怒りや不満、不安から生まれたモンスター(「もんのけ」と呼ばれる)がケンジに東北の諸課題を突きつけ、対応を迫るというファンタジーアドベンチャーだ。
 巨大なこけしのもんのけは「なぜ人間は昔ほどこけしを買わぬ? 作らぬ?」「よいのか!? 東北の文化が消え去っても」と詰め寄る。ケンジがインターネットを活用した魅力発信など、自分たちにもできることを提示すると、もんのけは笑顔になって消える。
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 発行したマイクロマガジン社(東京)の第一編集部リーダー岡野信彦さん(53)は「これまで地域学習漫画は郷土の文化や特産品の紹介にとどまっていた。本作は社会問題に踏み込んでいるのが特徴だ」と話す。
 各巻のテーマは「自然と伝統文化」「復興と気候」「人口減少とお祭り」「東北の未来」。東京電力福島第1原発事故で国内外でいまだ残る風評被害をどう払拭するか。再生可能エネルギーの推進と自然環境の保護をどう両立するか。大人も明快な答えを出せない大きなテーマをあえて選び「視野を広げるきっかけにしてほしい」と狙いを語る。
 読者と想定するのは地域探究学習が始まる小学5、6年。2010、11年度に生まれた子どもだ。「東北の未来をつくるのは震災を経験していない世代。風化させず、まずは事実を知ってもらいたい」と岡野さん。
 1巻の冒頭、巨大地震に襲われたケンジが冷静に避難行動を取り「東北で育った子どもはみんな知っている。地震の恐ろしさや『防災』の大切さを!」と語る場面は印象的だ。復興をテーマにした2巻では、女川中(宮城県女川町)の卒業生らが津波の記憶を後世に伝えるため「女川いのちの石碑」を21基建立した取り組みを紹介する。
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 人口減を扱う3巻では「おぬしらも大人になれば東北を出て行くのだろう?」ともんのけに問われ、子どもたちの意見は分かれる。考えの違いを受け入れる大切さが込められており、岡野さんは「自分だったらこうしたい、こうした方が面白いという風に、ケンジたちと一緒に考えながら読んでほしい」と期待する。
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 昨年9月に1巻を発売。3カ月おきに続編を出し、今年6月の4巻で完結した。各巻の初版は8000部。図書館の蔵書検索サイト「カーリル」によると、東北の135館が所蔵する(7月現在)。21年度の青森県推奨図書に選ばれ、学級文庫にも多く採用されており、順番待ちができている学校もあるという。
 仙台市図書館で借りた市内の小学5年女子は「キャラクターがかわいくて、一気に読めた。東北の伝統工芸が危なくなっているのは初めて知った」と話した。
 A5判、全カラー。各巻1100円。東北の地域活性化のための調査研究などを行う公益財団法人「東北活性化研究センター」(仙台市)が監修した。

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[マイクロマガジン社]1984年設立。人気作「転生したらスライムだった件」に代表されるライトノベルや絵本を中心に出版。2007年に始まった「これでいいのか地域批評シリーズ」は全国各地の県民性や課題をまとめる。「まんが地域学習シリーズ」1作目の本作の舞台に東北を選んだのは「課題先進地」であることに加え「地域批評の反応、売れ行きが良かったから」だという。

『守ろう! みんなの東北』全4巻。第2巻の「復興と気候編」で、宮城県女川町に21基建てられた、津波からの避難のランドマーク「いのちの石碑」が紹介されています。同じ女川町の光太郎文学碑(平成3年=1991建立)に倣って、1,000万円といわれた設置費用を募金でまかなったというプロジェクトです。中心人物の一人、鈴木智博さんは、かつて複数回、光太郎を偲ぶ女川光太郎祭にご参加下さり、光太郎詩文の朗読をなさっていただきました。
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このシリーズの何巻目かに「いのちの石碑」が紹介されているという情報は得ていたのですが、何巻目だかがわからず、書店で探してもみたのですが見つからず、というわけで未入手でしたが、『河北新報』さんの記事で第2巻だったとわかり、早速Amazonさんで購入しました。

守ろう! みんなの東北 ②復興と気候編

2021年12月9日 原作 青木健生 漫画 藤原ちづる 監修 東北活性化研究センター
マイクロマガジン社 定価1,000円+税

もうひとつの東北を舞台に、子どもたちが現実の東北で起きているさまざまな社会問題を探究する、まんが地域学習シリーズ第二弾! 今回は、復興と気候編! 子どもたちは次々とおそいかかる『地域問題』をどう解決するのか? キミならどうする?

現実の東北とそっくりだけど東北とは違う不思議な世界、バケモノが暮らす「もうひとつの東北」に飛ばされた、岩手の少年・石澤研治、青森の少女・玉神むつみ、福島の少女・花咲ななえの3人は、現実の東北の怒り・不安・不満によって生み出された「もんのけ」が突きつけてきた難題を見事解決してみせた。だが、彼らの「もうひとつの東北」をめぐる冒険はまだまだ始まったばかり。舞台は岩手を飛び出し、宮城、そして山形へ!  

行く先々で研治たちの前に新たな「もんのけ」が立ちふさがる。彼らが突きつけるのは東北にまつわるまた別の難題。研治たちは「もんのけ」の怒りにどう向きあっていくのか? 宮城、山形、秋田から新たな仲間を加え、東北を救う冒険の第2章がいま、スタートする! 

様々な問題を考えながら、東北の未来を考えてみませんか! ?
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東北6県の抱える課題、そしてそれらを解決していこうという地道な取り組みなどがわかりやすく語られ、これは日本全国の子供たちに読んでほしいものだな、と感じました。

お子様、お孫さんをお持ちの方、ぜひどうぞ。また、学校関係、図書館関係の方々も、よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

来週金曜頃松方三郎氏くる由、


昭和28年(1953)6月20日の日記より 光太郎71歳

松方三郎氏」は、日本電報通信社(現・電通)取締役にして、登山家、ジャーナリストでもありました。父は明治の元勲・松方正義。かつて光雲・光太郎父子がその像を制作しています。実兄は松方幸次郎。上野の国立西洋美術館さんの礎となった「松方コレクション」を集めた人物です。

実際、翌週の金曜には、光太郎が起居していた中野の貸しアトリエに松方がやって来ましたが、その用件は光太郎日記には記されていませんでした。それにしても、光太郎人脈の広さの一端が垣間見えます。

京都精華大学ギャラリーさんで開催中のリニューアル記念展「越境ー収蔵作品とゲストアーティストがひらく視座」の展覧会評が、7月6日(水)、『毎日新聞』さんの大阪夕刊に載りました。

今、11作家が問う「越境」 京都精華大ギャラリーでリニューアル記念展

 人やモノが日常的に国境を越えるグローバル化社会の風景を、新型コロナウイルス禍は一変させた。ロシアによるウクライナ侵攻は、今この瞬間も新たな悲劇を生んでいる。人類の歴史の中で繰り返されてきた「越境」だが、個人の人生に目をやれば、解放や成長をもたらす行為でもある。誰もが経験し直面する「越境」をテーマに据えた展覧会が、京都精華大学(京都市左京区)で開かれている。
 今年2月にリニューアルされた「ギャラリーTerra-S(テラス)」の開館記念展。大学が収蔵するコレクションの中から塩田千春ら6人のアーティストと、2000年代以降に活動を開始した若手ゲスト作家5人の作品を展示する。

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 前身の「フロール」から1・5倍の広さになったギャラリー中央のスペースには、「個と社会(ジェンダー/アイデンティティ/歴史/身体(からだ))」のサブテーマのもと、女性作家4人の作品が並ぶ。陶芸や切り紙のインスタレーションを手がける谷澤紗和子(1982年生まれ)による「はいけいちえこさま」(2021年)は、近年取り組んでいる高村智恵子へのオマージュ作だ。
 高村光太郎の「智恵子抄」で知られる智恵子だが、谷澤は、夫の目を通した智恵子像ではなく、切り紙作家としての智恵子個人に光を当てる。「はいけい―」は谷澤の智恵子への手紙などを切り絵にした6枚の連作。智恵子作品のモチーフを取り入れた1枚は、中央部分に目や口が表現されている。谷澤が、自身の言葉で語る智恵子を想像したという。6枚とも、額には解体された家屋の建材を利用。「家」に縛られてきた女性にとっての越えがたい境界が浮かび上がってくるようだ。
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谷澤紗和子「はいけいちえこさま」(2021年、部分)

 さまざまな角度から越境について考える展示を締めくくるのは、潘逸舟(はんいしゅ)(87年生まれ)によるユニークな作品だ。タイトルは「あなたと私の間にある重さ―京都」。円形に並べられたカラフルなはかりには食器が置かれ、箸やしゃもじで隣のはかりとつながれている。目盛りはそれぞれ数値を示しているが、果たしてそれは何のどの部分の重さなのか。
 上海出身で幼少期に青森に移住したというバックグラウンドを持つ潘は、体を使ったパフォーマンスで、社会と個の関係に感じた疑問や自身のアイデンティティーの揺らぎを表現してきた。今回もサブテーマ「身体/アイデンティティ」のコーナーに、自分と同じ重さの石をテーマにした映像作品「呼吸―蘇州号」(13年)が展示されている。「人間の重さは、自分だけの重さなのかと考えるようになった」。潘は同展の公開トークイベントで、「呼吸―」から「あなたと私の―」に至る数年の変化について語った。「自分の中には量れない重さ、どこかとつながっている部分がある。はかりが示しているのは、フィクションでもあると考えるようになった」
 展覧会を企画したのは、芸術学部の吉岡恵美子教授とギャラリーの伊藤まゆみキュレーター。準備中にウクライナ侵攻が始まり、期せずして「越境」はさらなる注目を集めることになった。「人類にとって、良い意味でも悪い意味でも重要なテーマであり続けてきた。一方で、潘さんの作品からもわかるように、境界はあると思えばあるし、ないと思えばない、曖昧なものでもあると思う」と吉岡教授。
 ギャラリーは同大明窓館3階。23日まで(075・702・5263)。日曜休館。入場無料。教員ら総勢22人が「『越境』を考えるためのおすすめ情報」として書籍や映画、音楽などを紹介する大学ならではの試みも。詳しくは展覧会特設サイト(https://gallery.kyoto−seika.ac.jp/exhibition/220617/)。

谷澤紗和子氏の「はいけいちえこさま」に関しては、以下もご覧下さい。

VOCA展2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─/「Emotionally Sweet Mood - 情緒本位な甘い気分 - 」。
都内レポートその2「VOCA展2022 現代美術の展望―新しい平面の作家たち―」。

京都精華大学さんでの展示は7月23日(土)まで。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

午后五時半千光園ほととぎす行、 青森県副知事、佐藤春夫夫妻、土方定一氏、小坂氏、藤島氏、草野心平氏、谷口吉郎氏集る、


昭和28年(1953)6月16日の日記より 光太郎71歳

千光園ほととぎす」は、当時中野区にあった「黄檗流普茶料理」と掲げる料亭。現在、中野区産業振興センターのある場所です。

この日は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の原型完成記念報告会が催されました。

7月9日(土)、神楽坂の矢来能楽堂さんでの「癒しの響き 鐘シンフォニーへの誘い CD発売記念コンサート in矢来能楽堂」、神保町の東京古書会館さんでの「七夕古書大入札会一般下見展観」に向かう前、まず最初に訪れたのが台東区の谷中霊園さんでした。最近、こちらに光太郎の父・光雲作の、当方が知らない銅像があるという情報を得まして、拝見に、というわけです。

この日は公共交通機関での移動で、JR日暮里駅にて下車、紅葉坂を上って園内へ。目指す銅像は徳川慶喜の墓所近くということで、そちら方面を目指しました。

途中には、谷中の五重塔跡。
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徳川慶喜墓所。
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さて、目指す銅像はこの近く、ということなのですが、なかなか見つかりません。というのも、慶喜の墓所敷地がかなり広大で、「近く」の範囲も相当なものだからです。

関係ない渋沢栄一の墓所などが見つかりました。
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それでも、ようやく発見。
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2体並んでいるうちの、左の方です。
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「初代 小川源兵衛之像」というキャプション。背面には「高村光雲作」の銘。

小川源兵衛は、嘉永三年(1850)年生まれ(光雲より2歳年長)。日本橋で「近江屋」という店を構えていた織物商です。屋号は出身地の近江に由来します。光雲は、この手の実業家等の銅像を全国でいくつか手がけており、不思議ではありません。ただ、どちらかというと、光雲個人の作というより工房作かな、という感じです。それにしても愚劣な立体写真的な像とは一線を画していますね。

中には原型を光太郎が代作したものも2体。宮城県志田郡荒雄村(現・大崎市)に建てられた「青沼彦治像」(大正14年=1925)。岐阜県恵那郡岩村町の「浅見与一右衛門像」(大正7年=1918)。いずれも戦時の金属供出で像本体は失われてしまいました。この「小川源兵衛之像」は、それらとは異なり、光太郎イズムは感じられませんし、光太郎が描き残した文章にもこの像の話は出て来ません。

さらに言うなら、この像の建立の経緯はまったくわかりません。その人物の追悼録的な書籍が刊行されていれば、そこに詳細が記されることが多いのですが、そうした書籍も見つけられていません。情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。

また、こんな都心にあって戦前の作であるにもかかわらず、金属供出を免れている点も謎です。同じ谷中霊園内の「川上音二郎像」は、おそらく供出されたのでしょう。現在は台座だけが空しく残っています(左下画像)。
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ちなみに2体並んでいる右の方は、「二代目小川源兵衛」の像。背面の銘(右上画像)によると、山本稚彦による昭和48年(1973)の作だそうです。山本稚彦は、光雲の高弟の一人・山本瑞雲の子息。光太郎とも交流がありました。

昭和48年(1973)であれば、もはや金属供出は関係ないわけで、もしかすると左の初代の像も、一旦は金属供出に遭ったものの、戦後になってから保存されていた原型を元に新たに鋳造されたのかも知れません。やはり原型光雲作で、愛媛県新居浜市の広瀬公園にある「広瀬宰平像」などはそのパターンです。あるいは金属供出を免れるため、遺族が像本体を戦後になるまで秘匿していたという例(光太郎の親友・碌山荻原守衛作の「宮内良助像」など)もあり、そういうケースも考えられます。

さて、「小川源兵衛之像」、谷中霊園、正確にはその中の東京都ではなく寛永寺さんが管理している一角にあります。そのため「甲の何々」「乙のいくついくつ」という表示のないエリアです。
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ご興味のおありの方、ぜひ探してみて下さい。

【折々のことば・光太郎】

石膏とりつづき午后終、小坂さん粘土かたつけ、二時過運送屋三輪車で牛越さん等と一緒に石膏型を持ち去る、牛越さんの家までの由、


昭和28年(1953)6月9日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」、石膏取りも終わり、石膏型が中野の貸しアトリエから運び出されました。これで、光太郎の手を離れた、ということになるわけです。それにしてもオート三輪で、というのが時代を感じさせますね(笑)。この光景、見てみたかったものです(笑)。

小坂さん」は制作のため雇った助手・小坂圭二。「粘土かたつけ」は、石膏型を取り終わった後、中から原型の粘土を掻き出したりする作業で、七尺もの巨像となると、光太郎一人では不可能だったでしょう。

牛越さん」は石膏取り師の牛越誠夫、道具鍛冶千代鶴是秀の娘婿です。

7月9日(土)、神楽坂の矢来能楽堂さんで開催された「癒しの響き 鐘シンフォニーへの誘い CD発売記念コンサート in矢来能楽堂」に向かう前、久々に神田の古書街を歩きました。

まず向かったのは東京古書会館さん。こちらでは7月8日(金)、9日(土)の二日間、明治古典会さん主催の「七夕古書大入札会一般下見展観」が開催されていました。
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国内最大規模の古書市で、出品物を手にとって観ることができる催しです。コロナ禍のため、一昨年は中止、昨年は勝手に「今年も中止だろう」と思いこんでいたら、実は規模を大幅に縮小して開催されていました。そんなわけで、3年ぶりでした。

今年も昨年並みに縮小しての開催だったようです。以前は4フロアぐらい使って出品物を所狭しと並べていたのですが、今年は2フロアのみ。「文学」カテゴリと「美術」カテゴリ(一部)が同じフロアという、以前では考えられない寂しさでした。昨年もこんな感じだったのでしょう。目録も昨年同様、以前の半分以下の薄さでした。

今回は光太郎メインの出品物はなし。目録掲載品以外の「追加出品」があった年もあり、会場の方に訊いてみましたが、今年はそれも無し。

間接的に光太郎智恵子に関わるものとして、光太郎が題字を揮毫した中原中也の『山羊の歌』(昭和9年=1934)、篠田桃紅さんの書で松竹映画「智恵子抄」の題字等。
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『山羊の歌』はガラスケースに入っていました。係の方にお願いすればケースの鍵を開けて出して下さるのですが、まぁいいや、と思い、ケースの外から拝観。

篠田さんの書は、額に入って壁に掛けられていました。入札最低価格が80万円、ネームバリューの割に安いな、と思っていたのですが、見て納得。ちょっと状態が良くありませんでした。それでも大きな書で、いかにも篠田さんという素晴らしい墨痕。軸装にでもして、二本松の智恵子記念館さんあたりに収蔵展示されればいいのにな、と思いました。

その他、大正から昭和初期のマイナーな映画雑誌などがまとめて出ており、もしかすると光太郎の寄稿があるかも、と、一冊ずつ目次を確認しましたが、残念ながら有りませんでした。

余談になりますが、昨年の七夕古書大入札会で出品された、光太郎から和歌山の編集者・東正巳という人物に送られた葉書21通、個人の収集家ではなく、業者さんが落札したようです。
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そしてその業者さん、ネットオークションで1通ずつ小出しにして分売しています。光太郎の直筆葉書なら欲しい、しかし個人では数十万円で数十通という出品物には手が出ない、という方々のニーズに合致しているようで、一通数万円程度で落札されているようです。昨年の入札最低価格は20万円、それでは落ちなかったと思いますが、そのでもこのように分売して1通数万円で売り続けられれば、業者さんは大もうけでしょう。参考までに。ちなみに当方、『高村光太郎全集』等に掲載済みで、内容が分かっているものは入手しない方針でいます。

古書会館さんを後に、靖国通りの古書街へ。
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光太郎をメインに扱った書籍はほとんど入手済みですし、そうでないものも図書館さん、文学館さん等でデジタル資料なり紙の実物なりをコピーして、必要な部分を入手するのが主流となっており、以前より足を向けなくなっていましたが、時折、面白いものが手に入ります。

この日、入手したのは下記の2冊。

まずは『《挨拶》草野天平の手紙』(昭和44年=1969 弥生書房)。
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当会の祖・草野心平の実弟にして、やはり詩人だったものの、数え43歳で早世した草野天平の書簡集です。大部分は心平ら家族・親族、当方の知らなかった友人宛のものでしたが、戦後、光太郎に宛てた書簡も3通掲載されていました。うち1通(昭和22年=1947)は巻頭口絵として画像も。
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この時期の光太郎への来翰は、ほぼすべて当会顧問であらせられた故・北川太一先生が保管されていたはず、と思っておりましたところ、案の定、後記的な箇所に、北川先生から提供を受けて掲載した旨の記述がありました。

天平、兄の心平よりマトモな人物(笑)というイメージでしたし、実際そうだったのでしょうが、意外と歯に衣着せぬ物言いもしていたんだな、という感じでした。特に光太郎が自らの戦争責任を自省して書かれた連作詩「暗愚小伝」(昭和22年=1947)への感想など、光太郎を思う余り、かなり手厳しい文言も。曰く「先生、何故このやうな詩をお書きになつたのですか。あれは詩ではありません。」「戦争中、皆立派ではありませんでした。たとへ先生がどんなことを戦争中に書かれたにしろ、戦争中にこの国の米を食つたものは、又はこの地に足をつけてゐた者は、一言たりとも何も言へない筈です」云々。

その他、心平や、天平の妻・梅乃による回想等もなかなか興味深く、これは一冊丸ごと読んでもいいなと思い、購入いたしました。

さらにこちら。
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山梨県立文学観さんで、平成4年(1992)に開催された企画展「与謝野晶子と「明星」」の図録です。同館では晶子メインで平成25年(2013)にも「与謝野晶子展 われも黄金の釘一つ打つ」を開催していまして、拝見して参りましたが、それ以前にも晶子展をやっていたとは存じませんでした。

「「明星」の人々」ということで、光太郎に関しても出品物があり、図録でも5ページ、光太郎に割いて下さっていました。特に目新しいものは有りませんでしたが、一点だけ、「おっ」と思ったのが、明治33年(1900)、光太郎数え18歳のスケッチ。父・光雲を描いたものです。
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『高村光太郎 造型』(昭和48年=1973 春秋社)に、小さくモノクロの画像が載っていましたが、こちらはそれより大きく、細かな部分が観察出来ます。

北川先生による『高村光太郎 造型』の解題から。

 明治三十三年五月の日付を含むスケッチブックが現存する。表紙裏を含めて一二〇頁ほどのものだが、主として鉛筆、時に墨、色鉛筆、水彩着色等で、人物、風景、フランス語の断片等が書き込まれている。数え年十八歳、美術学校二年、まさに歌人砕雨が誕生するあたりの習作

砕雨」(さいう)は、『明星』に短歌を寄稿の際、光太郎が使った号です。

このスケッチブックは、平成2年(1990)、茨城県近代美術館さん他を巡回した「高村光太郎・智恵子 その造型世界」展に出品され、一部は拝見しましたが、全貌は当方も未見です。他にも光太郎のスケッチ類はいろいろ残っており、全体を複製して出版するなり、スケッチや絵画に特化した企画展なりが開催されてもいいような気もします。

この手のちょっとした掘り出しものがあるので、やはり神田古書街あなどりがたし、ですね。

この日はさらに、神田古書街へ向かう前に谷中霊園を訪れました。そちらについては、明日、レポートいたします。

【折々のことば・光太郎】

小雨つつく、 奥平さんくる、午前石膏屋さん2人くる、


昭和28年(1953)6月7日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の石膏による型取りが始まりました。「奥平さん」は親しくしていた美術史家の奥平英雄です。見物というか見学というかに来たのでしょう。

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